ほんの二匹か三匹のヒグラシの鳴き声が、サトウキビ畑のどこかから響いて。
オレンジ色の斜陽が海に、空に、木々、畑に優しく反射して、辺りを包んでいる。
澄田と二人、そんな夕暮れの中を、静かに歩き続ける。
澄田のカブが急に故障してしまったので、僕らは原付をコンビニに置いて、一緒に歩いて帰ることにした。
…さっき言えなかった言葉を、伝えられないだろうか。
澄田と並んで話をしながら、そのタイミングをずっと、探し続けていた。
僕は今日、許されたり。
手酷く憎まれ、いっそ殴られたり、罵詈雑言を浴びせられたりしてでも。
どんな形でも、終わりにしたいと思っていた。
これまで澄田にしてきた、無責任な振舞や、投げかけた言葉、自己中心的な優しさのことを。
行き先のことを、明里のことを。
伝えて、謝って、僕らの間に線を引いて、離れてしまおうと。
そうしなければ、いけないと。
僕の進む道のためにも、澄田のこれからのためにも、きっとそれが必要なはずだと。
僕のような、恥知らずで自分勝手な人間のことなど忘れて、澄田に進んで行って欲しいと思っていたけれど。
彼女の選択は、僕には想像すらできない葛藤の中で生まれたであろうことが、容易に手出しをさせてはくれなかった。
澄田は、何も問題なんて、ないみたいに。
また、最近のことをつぶさに話した。
夏休み明けのテストの結果が良かったことや、勉強も、サーフィンの調子も上がり続けていて、波に乗るコツもつかめてきたということ。
言葉にはされなかったけれど。
きっと澄田は、周りにある全部を、頑張っているのだと思う。
その健気な行いが、どこに向けられているのかということも。
彼女はもうこの先のことを、終わりを見据えていて。
明里のことは知る由は無いけれど、その存在を捉えているということも。
僕の知らないどこかで身につけてきた楽し気な声色や、表情や、仕草、言葉選びから、ありありと伝わってきた。
明るく話す彼女は、一見幸せそうに見える。
実際に、幸せなのかもしれない。
でも、得られた幸福の分、傷も創っていると思う。
隣にいる相手に届かないと分かっていながら、それでも喜ばせたいと放たれる健気な言葉たちは、行き先のある僕がどれだけ恵まれてるのか。
彼女にとって自分がどれだけ残酷な存在であるかをひたすら示し続け、僕も少なからず傷を創った。
空が夜に近づき、星が瞬き始める。
次第に、その虚しさを内包した明るさも、あるべき姿に戻るかのように、次第に小さく、小さくなっていく。
消えていきそうなヒグラシの声、遠い小さな波音、秋めいた風が畑を通り過ぎていく音。
そして、小さな二人の足音だけが聞こえる。
…隣にあった足音が、不意に途絶えた。
振り返ると、澄田は両手で顔を抑え、涙を流していた。
「澄田…」
「ごめん、なんでもないの。ごめんね…」
抑えていても指の隙間から、ぽたぽたと零れ落ちている。
涙の理由は、言葉にできないだけで、明白だった。
その涙に対して、自分にできることが、無いことも。
「…澄田、俺は」
「まだ」
澄田は涙に濡れたまま、顔を上げ、こちらを見た。
「まだ…何も、言わないで。」
その言葉の直後。
背中に、巨大な振動。
ヒグラシの鳴き声が、消え。
振り向くと、大きな煙の柱。
その先端に、空に昇りゆく、光。
…ロケットだ。
重厚で、雄々しい巨大な塊を打ち上げるのために使われる途轍もないエネルギーが、空気を震わせ、轟音を響かせ続けた。
空を駆け上がり、雲を抜け、尚も真っ直ぐ宇宙へと進み行くその姿を、何も言わず二人で見つめる。
ただひたすらに、迷いなく、力強く推進していくそれは、かつて僕が望んだ強さそのもののように見えた。
あんな風に、遠い遠い彼方まで、果てしなく。
いつか、どこかに辿り着くまで、迷わず進んで行けたら…と。
あのロケットには探査機が載っていて、
それは最終的に、際限なくこの地球からどれだけ離れられるかを調べるために、
果てしなく、限りない宇宙を、奥へ、ただ奥へと、ひたすら進み続けるものだったはずだ。
その孤独は一体、どれだけのものなのか。
彼の行く先に、何が待っているのだろうか。
そう思うと、もう…彼と僕は、違うのだ。
僕には行き先がある。
僕を待つ、春の輝きが。
心の中、静かに、彼に別れを告げた。
…澄田は。
澄田はどこに、向かうのだろう。
やがてロケットは雲に隠れ、姿を消し。
煙の軌跡だけが残り、それも次第に霧散し、形を失いつつある。
「俺は」
自然と、拳を握り締めていた。
「俺は、行かなくちゃいけない場所があるんだ。」
たったそれだけを、伝えた。
僕の為にしか、ならない言葉。
「うん。だから…」
澄田は、僕を見て。
「行くまでで、いいから。」
そう言って彼女は、微かに残る涙を輝かせながら、小さく微笑んだ。
何故、そんな綺麗な笑顔に、なれるのだろう。
終わりが分かれば諦めもつくだろうと、彼女を救い、解放できると思い上がっていた自分が、恥ずかしくなった。
嘘だっていいから、彼女のためになる言葉が…救いになる何かがあれば、それをあげたかったけれど。
自分で決めた道をただ進もうとする彼女に対してできることを、どこにも見つけてあげられなかった。
それから僕らは、静かに。
満月の明かりの下、肩を並べて歩いた。
落ちてきそうな、星空の下。
その星の数を、少しだけ数えた。
…こんなにも。
宇宙にはこんなにも、星があるんだな。