アストロナウト   作:戸口

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『卒業まで、もうあとたったの三ヶ月だね。
 この一年、本当にあっという間に終わっちゃった。』

「それはそうだけどさ、センターも二次も、これからなんだ。
 そんな浮かれていられないよ。」

『そうだね。
 でも、貴樹くんが帰ってくるのが、本当に楽しみで…
 数学も点数伸びて来たし、少し気が緩んじゃったのかな。』

「俺も待ち遠しいよ。
 でもやっぱり、これからが本番なんだから、気を引き締めていこう。
 ちゃんと胸を張って帰れるように、俺も頑張るから。
 明里も、頑張って。」

『うん。
 でも今日、こっちは綺麗に雪が降っててホワイトクリスマスだし。
 今夜だけは少しくらい、浮かれたって、いいよね。』

「いいなぁ…こっちなんて、昼からずっと雨なんだ。」

『残念。来年はクリスマスも、一緒に過ごそうね。』

「あぁ、もちろん。」

『…ちょっと、長電話しちゃったね。
 お金かかっちゃうし、そろそろ切らないと…
 それじゃあ、おやすみなさい、貴樹くん。
 メリークリスマス。』

「メリークリスマス。
 おやすみ。」

ツー・ツーと、名残惜し気なビジートーンが鳴り響く。

…向こうは今、雪が降っているのか。

先日明里からの手紙に入っていた、雪の中、満面の笑みでピースをする彼女の写真を眺めながら、耳に残る声の余韻に浸る。

ポツ、ポツ、と。
不意に窓を小さく叩く音に、その余韻を断ち切られた。

雨が、激しくなってきた。
勢いが次第に増し、窓を叩く音は、何かを迫るようで。
窓には、厚い雨雲に光を遮られた真っ暗な闇だけが見えた。

この島は、雨で。
星も見えない。

手元にある写真だけが、ここにある唯一の光に思えた。



ブラックアウト

あの日から僕と澄田は、週に2回程度、帰りを共にするようになった。

 

五時過ぎに自習室が閉まり、駐輪場へ向かうと、

澄田はいつも柱にもたれ掛かって僕を待っていた。

 

帰りに原付でいつものコンビニに寄り、ベンチに腰掛け。

ジュースを飲みながら、できるだけ楽しい話をして、帰る。

 

それが終わる日なんて、永遠に来ないみたいに。

大事なことから全部、目を逸らして。

ただそれだけの時間を澄田と重ねていった。

 

澄田は帰りを重ねるごとに、会話のスキルに磨きがかかっていって。

その澄田との時間には、純粋な楽しさや、笑いもあったけれど。

やはり常に、どこか陰りや憂いや、罪悪感のようなものが、夕日の暗い影に潜んでいた。

僕も…多分澄田も、その帰りの度に小さな傷を増やしていた。

 

 

どうすれば、いいのかと。

せめて澄田だけでももう少しマシにならないだろうかと、何度も考えた。

澄田を何とか、僕から離してあげられないかと。

でも、何も思いつかない。

 

結局、僕は今を共に過ごすことしかしてあげられないと、同じ結論に何度も行き着く。

僕は本当に、「傍にいるだけのことしかできない」人間なのだと、皮肉ながら改めて思い知らされる日々だった。

 

かつての僕の孤独は、彼女に救われていた部分があって。

彼女がこんな選択をしたのは、その孤独を埋めるためにとった、僕の愚かな態度のせいだと、知っているから。

彼女に思い直させる方法や、別の道を示すような考えも言葉も、資格も持ち合わせていなかった。

 

彼女の選択は普通じゃないし、どうかしていると思うけれど。

僕が去年の夏、二年ぶりに明里へ手紙を出したことと、どこか似ているような気がして。

その選択が穢されるべきでない、何か尊いものにも思えて、僕はひたすら無力だった。

 

明里と文通を再開する前までは、こういった痛みを澄田から感じたことは無かったはずだ。

恐らく、澄田に向き合おうと決めた時から、この痛みは始まっていた。

向き合ったからこそ、摩擦があり、痛みがあり…ようやく、澄田のことを思いやり始めた。

それ以前は痛みをほとんど感じていなかった自分に気づくと、罪悪感はより大きなものに成長した。

 

 

時は止まらず、ひたすら着実に流れていき。

春も、この島を離れる日も、そんな僕らに関係なく、時計が針を動かした分だけ、近づく。

明里と文通を続け、澄田との帰りを重ね、時間は流れていった。

 

一月、センター試験。僕は上出来だったが、明里は得意の現国が芳しくなかったようだった。

二月、僕は東京へ行き、二次試験を受け。下旬に合格通知を受け取り、明里からも電話で合格の連絡が来た。

 

「ようやく、また、会えるんだね。」

電話越しの彼女の声は、震えて。

僕もその時ばかりは何もかも忘れ、全身が喜びに包まれた。

春が、決まった。

 

その翌日、澄田も熊本の大学に合格したと、駐輪場で待っていた彼女から報告を受けた。

その帰り道、いつものコンビニでジュースに加え、ほんの少しのお菓子を買って、二人で祝杯をあげた。

 

「二人とも無事合格できて、本当によかったね!

 おめでと~!」

嬉しそうにそう言って、明るそうな笑顔を向けてくれる、澄田。

 

「…うん。

 本当に、お疲れ様。

 よく頑張ったね。」

僕はその時、夕日の落ちた暗がりの中、コンビニの光に微かに照らされた彼女の顔を正面から見ていたけれど。

 

…澄田の笑った顔は、こんな風だっただろうか。

 

胸の傷口が疼くと共に、そんな疑問がふと沸いてでてきた。

澄田は目の前で、楽しそうに話し続けてくれているのに。

 

僕の前にいるのは、誰なんだろうか。

澄田は、どこにいるのだろうか。

 

そんな疑問が、胸の内に芽生え始めた。

 

 

三月一日、もう送るまでもないものだったが、明里に最後の手紙を送った。

「種子島ではもう、桜が咲きました。また東京で、一緒に桜を見よう。」と、満開に咲く近所の桜の写真を共に送った。

東京に着いたらメールをするから、手紙の返事は不要だと、最後に付け足した。

 

後日、明里からメールが届いた。

その文中には『迎えに行くから、何時ごろに着くのか教えてね。』と書かれ、

その言葉に、彼女が僕を待ち、迎えてくれる姿を思い浮かべる。

 

…もうすぐ、本当に、春なんだ。

 

もうすぐ届く、夢にまで見た光景への期待に、体中に温まっていく。

 

でも、やっぱり。

胸の内にある傷は、痛みを発し続けていた。

 

 

卒業式の日。

最後となる、澄田との帰り道。

二時過ぎに学校は終わったから、いつもと違い真っ昼間で。

そこここに桜が咲き、太陽が程よい光で周囲を照らす。

朗らかな春の陽気に包まれているのに、辺りはやけに静かで。

僕は何だか、本当にこれが最後なんだと感傷に襲われたけれど。

その時でさえ、澄田の振る舞いは変わらなかった。

 

「高校生活、ついに終わっちゃったね。

 あとは遠野くんを元気に送り出すだけだ!」

 

そうしてまた、いつものように話し始める。

 

 澄田は熊本の大学には、サキという友達と一緒に行くのだそうだ。

 僕が東京で住む予定の部屋のことや、周囲の街の様子。

 佐々木さんも東京の大学に受かったということ。

 夕方から、クラスの打ち上げがあるのだということ。

 

こんなことばかり、話した。

…こんなことばかり、話していて、いいのだろうか。

 

 

澄田の声は明るかったけれど、別れの日を未だ遠くに置いたままのように聞こえて。

卒業式を終え、この帰り道がもうないと頭では分かっていても。

また近い内に、このコンビニの横に二人で来る日があるかのようにさえ、思えてしまうほどだった。

この半年弱で変わったのは、澄田が髪を伸ばし始めたことだけだ。

 

  …何も、変わらないつもりなんだろうか。

 

そうして、いつもの帰り道と変わらないような会話を続け。

 

「それじゃあ日曜日、空港に見送りに行くね!」

 

そういって澄田は、いつも通りの様子で原付に乗り、去っていった。

 

  澄田はもしかしたら、このままで生きていこうとしているのではないか。

 

澄田の後ろ姿に、その未来を思い描くと。

胸が絞られるように締め付けられて。

それが悲しい、寂しいことにしか思えなくて。

 

せめて、最後に。

彼女の為に何かしなくてはと、強く思った。

 

 

卒業式を終え、高校生でも、大学生でもなく。

春でありながら、僕はまだそれを手にできていない、何もかもが曖昧なほんの五日間。

 

目の前の春に向かう喜びよりも、迫りくるこの島との別れよりも。

澄田に対して、最後にできることが、ないのか。

ひたすらそのことに心を支配されながら。

 

その日は、出発の日は遂にやってきた。

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