アストロナウト   作:戸口

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コスモナウト - 0,2

「桜、綺麗だねぇ。」

 

一学期の、始業式の日。

最後の一年なんだから、最初が肝心だ。

私はその日の朝、そう意気込んで玄関を出たのを、覚えてる。

 

午前で学校が終わって、昼過ぎの帰り道。

いつものコンビニで、遠野くんと並んで、ベンチに腰掛け。

春ののほほんとした温かさが辺りを包んで、天道虫や蝶々が、視界の隅で飛び交って。

遠くにぽつりと立つ桜の木を見ながら、私が何気なくそう言うと。

 

「…本当に、そうだね。」

 

そう答えた遠野くんの横顔は、

見たこと無いくらい澄んだ、春のように温かな微笑みで。

 

何故だか、胸が苦しくなって。

 

その眼差しも、意識も、全部遠くに咲く小さな桜の木と、その奥に向けられているのが、わかって。

そこに、私ではない何かを見出しているのが、感じ取れてしまった。

 

気のせいだって、思いたかった。

でも。

 

それから何度か共にした、遠野くんとの時間の中でも。

遠野くんの行く先には、この島も、私もいないんだと、気付かされるばかりで。

私はそれから、彼を避けて、逃げて。

一緒に、帰れなくなった。

 

それでも、それでも。

きっと違うって、思っていたかった。

 

六月初めの…たしか、日曜日。

湿気の酷い、雨の。

何もかも台無しになってしまうような日。

 

激しさを増した雨にサーフィンを中断し、雨の中、原付で帰っている途中。

郵便局の前、傘を差し、ポストの前に立つ遠野くんの姿が見つけた。

 

スピードを少し落とし、横から覗いた彼の顔は。

こんなに悪い天気で、雨で、ズボンもびしょ濡れだったのに。

まるで桜を見るように、微笑んでいた。

 

すぐそばを横切った私に、彼は気付かなくて。

…私は声をかけず、逃げるようにそのまま走り去った。

 

私が望んでいた全てが、音を立てて崩れていく。

 

しばらく走った先、水たまりにタイヤが滑って、転んで。

服も泥まみれで…何もかも、踏んだり蹴ったりで。

 

地面に削れた膝の擦り傷なんて可愛いくらい、胸が痛くて。

転んだまま、誰もいない道の真ん中、泣き続けた。

 

 

 

遠野くんのことを考えるのは、やめよう。

もう、忘れてしまおう。

 

その方法を、そんな生き方を、考えて、考えて。

 

考えれば、考えるほど。

 

私は、遠野くんが好きだった。

 

忘れたくなんて、なかった。

遠野くんから貰った言葉も、声も、表情も、ひとかけらも無くしたくなかった。

 

遠野くんに、忘れて欲しくなかった。

尚更、私を覚えていて欲しくなった。

桜の…花びらのひとひら分だけでも、いいから。

 

だから、遠野くんが。

この島を離れて、その先に、遠く進んで行ってしまっても。

遠い東京の街に、彼の行く先に溢れているであろう、様々な光に負けないくらい。

そんな輝きを、彼の中に残したくて。

 

ぼんやりとした、中途半端な私じゃなくて。

はっきりとして、強くて、素敵な女性になった私を。

遠野くんの横で、そう在りたかった私を。

遠野くんの目に、心に、焼き付いて欲しいと、願った。

 

 

波に乗ると、決めた。

大人になろうと、決めた。

 

 

進路を、熊本の大学に決めた。

必要な科目を、基礎からとにかく勉強した。

話し方や、人との接し方、表情の作り方の本も読んで。

お姉ちゃんや、学校でも面白かったり、分かりやすい人の話し方や、話題や言葉の選び方、仕草も真似して。

色んな人と積極的に話して、試して、身に着けて。

 

朝はひたすら、波に挑んで。

昼は学校で、色んなことを試して。

夜はご飯を食べたら、勉強した。

夏休みも、サーフィンと勉強を繰り返した。

 

 

十月の、上旬。

何か月かぶりに、綺麗に波に乗れた。

馴染みの無い人とも、難なく話せるようになっていた。

模試の結果が、A判定だった。

 

 

だから、また。

遠野くんと帰ろうと、思った。

 

 

遠野くんは、優しくて。

言おうとしていた言葉を、飲み込んだまま。

歪な私の行動を、見えないことにしたまま。

一緒に、帰ってくれた。

 

私の言葉に笑ってくれた、その顔を。

彼の口から届けられる、その言葉たちを。

触れてしまいそうな距離、空気越しに伝わる彼の温度を。

時折見せた、彼の苦しそうな気配すら。

私は大切に、胸に刻み込んだ。

 

 

遠野くんの心に、たったひとかけらでいいから。

光や影のように、形にならない、曖昧なものでもいいから。

私の何かが、これからも、残っていて欲しい。

 

春には、私の居場所が無いのは、分かったから。

夏でも、秋でも、冬でも。

夕焼けの中でも、星空でも、暗がりの中でも…どこか、ほんの片隅に。

 

 

…空が、明るくなってきた。

 

あと、数時間もしたら。

遠野くんは、行ってしまう。

 

…あぁ、もう。

 

本当に、最後なんだ。

 

 

始業式の日の、あの彼の微笑みみたいに。

あんなに素敵なものを、最後に、贈れたらいいな。

 

 

そうしたら、きっと。

私のことを、忘れないでいてくれるから。

 

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