アストロナウト   作:戸口

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おかえりなさい。

ただいま。

やっと、一緒に桜、見られたね。

また明日。

もう、大学には慣れた?

明里の部屋、広いんだね。

おはよう。

チョコミントのアイス、好きなんだ。

紅葉でも、見に行こうか。

数学の課題、全然わからないから教えて!

メリークリスマス。

あけまして、おめでとう。

雨になっちゃって、残念だね。

春用のコート買いに行くけど、一緒にどう?

両親が東京に遊びに来るんだけど、会ってみない?

美味しかったね。また来ようか。

おやすみ。

こんな風になれて、よかった。

この本棚、可愛くない?

コーヒー、豆を変えてみたんだ。どうかな。

お揃いのカップなんて、少し恥ずかしいね。

車の運転、苦手かも。

すまない、今日も遅くなる。

お仕事、大変そうだね。大丈夫?

何で、言ってくれなかったんだ。

そんなつもりじゃ、なかった。

ごめん。

私こそ、ごめんね。

いつも、ありがとう。

ここの桜、本当に綺麗だね。もう、何度目かな?

この先も、ずっと一緒に、いてほしい。

これからも、よろしくね。


僕は

私は

いくつもの季節や、時間や、ふれあいや、諍いや。
言葉を、重ねて。

ようやくここまで、来たんだな。

また、春が来る。
僕たちの、春が。



到達の話
篠原明里


篠原明里は、実家から新居に運び出す荷物を整理している中、その古い手紙を見つけた。

遠い遠い雪の日に、彼に渡すはずだった、別れの手紙。

昔のものを詰めた段ボールの一番下、小さなクッキー缶の中。

その中の薄いノートに、それは挟まれていた。

強烈な懐かしさに思わず手に取り、封を開け手紙を読み返す。

 

手紙の中に書かれた、別れの決意、彼への想い。

彼が種子島に行った後、この手紙を持ち歩いていた頃の、焦燥感や無力感。

ありありと、一片の欠損も無く蘇る。

 

窓の外、長閑に広がる春の景色。

時折聴こえる、小鳥のさえずり。

 

あの頃願った未来に辿り着けたのだと、改めて実感する。

夢でも見ているような心地になり、本当に夢ではないかという不安に襲われたが、

左手の薬指に確かに存在する指輪を触り、胸をなでおろす。

…両親への挨拶前に婚約指輪なんて、おかしかったかもしれないなと、小さく微笑んだ。

 

大事な思い出たちと共に。

そこから、今に至るまでの道程を静かに振り返る。

 

小学生の頃のこと。

引っ越した先の中学での心細さ。

初めての彼への手紙を、ポストに入れる感触。

三月の雪の中、彼が会いに来た夜のこと。

種子島から届いた初めての手紙に、心躍らせたこと。

静かに終わっていった文通。

高校の夏休み、久しぶりの彼からの手紙と、写真。

春休みの新宿でのデート、小さなホテルで過ごした夜。

大学の合格、電話越しの彼の、喜びに震えた声。

高校卒業の春と共に、戻ってきた彼の姿。

彼と過ごした大学生活、いくつもの春夏秋冬、様々な時間。

 

この手紙を持ち、未来に…距離に苛まれていた頃の私に。

「大丈夫だよ」と声をかけてあげたら、と考えたが。

そう言ってあげられるほど易しい道のりでもなかったと思い、その言葉を胸にしまった。

 

彼が東京に戻ってきて、大学生になった後も、社会人になった後も。

彼との時間の中にあったのは、幸せだけではなかった。

時にはすれ違い、別れの気配を覗かせたこともあったけれど、

ただ、彼を心底嫌いになることなんて、なかった。

離れたいと、思ったことも。

それは、彼も同じだったように思う。

 

…もし。

もし、あの高校二年の夏の日、彼から手紙が、写真が送られてこなかったら。

私たちが共にいることは、なかったかもしれない。

そのことを思うと薄氷の上に立っているような、暗く冷たい心地になる。

だが、窓の外に映る春の景色を見るだけで、それもすぐに霧散していった。

 

…もうすぐ彼が、貴樹くんがやってくる。

あの日と同じように、電車に乗って。

私の両親への挨拶に。

大学の頃から何度も会っているから、そう心配はないけれど。

この家まで来るのは初めてだし、こういう場面になると口下手になりそうなことだけが、少し不安だ。

 

「こういう場面」というのは、私たち二人にとって、大事な話をする時だ。

あの人はいつもは冷静で、洗練された言葉を流れるように話すことができるのに。

大事なことを言おうとすると、言葉の区切り方が下手になって、カタコトみたいになる時がある。

オーバーヒートしたロボットみたいだとからかったら、不機嫌になったこともあった。

彼がまたギクシャクと角ばった口調になるかもしれないのが、

可愛い不安であり、そうなるよう期待してしまっている自分もいる。

…笑ってしまわないように、気を付けないと。

 

両親も彼のことは認めていて、挨拶と言っても形式的なことだ。

彼女はそれよりも、その後のことを。

窓の外…青空の下、遠くに見える満開の、あの桜の木のことを考え始めていた。

 

一つ、叶えたいことがあった。

昔、あの木の下で、願ったように。

春、咲き誇るあの桜の木の下へ、また、貴樹くんと一緒に…

 

一度は諦め、もう叶わないと思っていた夢を、叶えたかった。

 

その手紙を胸に抱き、少しずつ、確実に歩み寄ってくるその夢に、思いを馳せた。

 

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