アストロナウト   作:戸口

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「宇宙飛行士の話」を書き始めた辺りから、
何だか高校や大学を卒業する前のような別れの寂しさに襲われ始め。
20話の『アストロナウツ』を書き終え投稿した時、貴樹、明里、そして澄田がそれぞれの未来に、明るさを伴って飛び立っていく姿を書ききった時。
長年自分の中で悲しい存在として残っていた三人に対して、ようやく明るく別れを告げることができました。

21話からの「到達の話」以降は、自分の中にある「彼らはきっとこうして生きてるだろうな~」という気楽な妄想の塊でしかないので。
こんなこと言うのもなんですが、高校卒業後の彼らの行く先は、皆様ご自身で想像して楽しんで頂ければいいとすら、思っています。

別途投稿している短編「A time in Spring」では「原作の三話から先の貴樹・明里の幸せを描く」という目的で書いたのに対し、
今作「アストロナウト」では、「そもそも三人とも、後悔を残してほしくなかった」という想いだけで描きました。
原作で彼らが過去に思い残していたものは今作の20話まで全て解決したと思っていて、
その時点で既に目的が達成できていたため、そんな風に考えてしまうのでしょう。


秒速5センチメートルの主題歌は「One more time , One more Chance」であり、その切なさは貴樹にも明里にも、澄田にも通じるところがあり、
全体としてとも素晴らしくマッチしいて、学生時代は三話の曲の部分は何十回も見直したのを覚えています。
ただ、この「アストロナウト」を書くことで自分がやりたかったのは
三人をその曲に相応しくない、後悔に振り返ることの無い真っ直ぐな道を進ませることだったのだなと、書き終わった後に気づきました。
自分は家族や友人、身近な人さえ幸せだったらあとはどうだっていいと考えてしまうような人間ですが、
その幸せであってほしい人の中に、貴樹も、明里も、澄田も含まれていて。
この作品を書くことで、自分の中にようやく彼らの笑顔を見出すことができ、自分自身、とても救われたように思います。

この作品のたたき台段階での筋書きでは、
貴樹が明里に宛てた久しぶりの手紙は真っ直ぐ彼女を想ったものだったし、
春休みのホテルで貴樹と明里は体を重ねていたし、
澄田は空港で、原作のように何とか自分の想いの伝えるけど貴樹は何も言えない、みたいな。
もっと単純で分かりやすい話で、ボリュームも5~6話分は少ない予定でした。

四話までは一気に書き上げて投稿し、
五話以降はたたき台の文章を整えていくだけでいいかな~なんて気楽に考えていましたが。
投稿する、ということで、もう彼らの本当の歩みとして変えられない過去になってしまう感覚があって。
投稿した後になってから、次の話を見直すと「よく考えたら、そんな風には進めないんじゃないか」と考え直すことが頻繁にありました。

貴樹はそもそも、もう明里のことを綺麗には思い出せない状態なんじゃないか。
明里は抱かれる前に、貴樹への後ろめたさや、まだ残っている冬の気配を払拭したがるんじゃないか。
澄田に対して貴樹から伝えるべきことがあるし、ここまでの歩みを重ねた貴樹ならそれを言葉で伝えられるんじゃないか、など。
上記以外にも、当初と大分変ったり、追加されたエピソードが増え、予定していたスケジュール通りに連載が進みませんでした。

連載という行為を始めて経験しましたが、彼らの歩みを作り上げた後、次の話を考えるための重みが生まれ。
彼らの行動をより真剣に思い描くことができ、連載する、という行為の奥深さに気づかされ、非常に面白かったです。

最終話まで読んで頂いた皆様、長いお話にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
自分の描いた彼ら三人の姿が、皆様の中の彼らに、その笑顔のイメージに繋がって見えたなら、
自分としてはそれ以上に嬉しいことはありません。

また、新海誠監督や作品に関わられた方々、
投稿の場を提供頂けているハーメルンの運営の方にも、感謝の念を禁じえません。
改めて感謝申し上げます。

ここまでが後書きの前置きになり、
以下にひたすら、自分がこの「アストロナウト」を書いた目的とか、三人に対して感じたこととか、
その他さまざまな雑記を、自己満足でしかない形で書いていきます。

恐らく結構なボリュームである上に、あまり推敲するつもりもないので、誤字脱字も多いかと思います。
それでも良いという方のみ、引き続き以下を読み進めてください。



あとがきや解説

●「アストロナウト」というタイトルや、「コスモナウト」との比較について

 

アストロナウト[astronaut]とコスモナウト[cosmonaut]は、両方『宇宙飛行士』を意味する単語で、

現実では米国で訓練した飛行士か、ロシアで訓練したのかの違いしか無いようです。

astroは星や天体、cosmoは宇宙、nautは航海する者・行き来する者 という意味があり、

アストロナウトは「星」、コスモナウトは「宇宙」を目的として定めた単語なのかなと、勝手に捉えています。

原作二話では「コスモナウト」がタイトルとなり、貴樹の宇宙の果てを目指すような、終わりの見えない旅路を示唆するものになっています。

 

現実の話はさておき、今作ではざっくりと以下のように捉えて書いていました。

 

 アストロナウト・・・行き先が明確で、その方向へと進む人。自分とその対象との相対的な関係、距離が決まった人。

          (決まった星を目指す人)

 コスモナウト ・・・果てない宇宙を進む人。行き先を決めず、ひたすら進み続ける人。

          (宇宙を進み、未開拓領域を開拓する人)

 

原作映画の貴樹について触れると、原作の彼は「コスモナウト」として描かれますが、

個人的には、明里のような存在をひたすら目指し探していた「本当はアストロナウトになるべきだった人間」なのかなと、思っています。

 

今作は「貴樹メインの話で、彼が明里に向かっていく話にする」ことだけは決定していたので、

タイトルを「アストロナウト」にして、連載することにしました。

 

14話以降の「宇宙飛行士の話」で、貴樹の話をアストロナウト、澄田の話をコスモナウトとして描いたのは、

澄田は本当は貴樹という進みたい行き先があったけれどそこに到達できないことに気づき、宇宙を彷徨い始めたため、「コスモナウト」表記しました。

 

20話のタイトル「アストロナウツ」は貴樹だけでなく、澄田にもまたいつか目指す星が見つかるはずだという願いと。

貴樹からの言葉によって、澄田は貴樹にとってどういう存在だったのか。

届きはしなかったけれど、自分からは怖くて確認できなかった「彼にとっての自分」の姿がわかり、

それが決して悪いものではなく、彼にとっても良いものであったことがわかったから、彼女は進む決意ができた。

その星には届かないけれど、その星があるから遠くまで進んで行こうと思えた。

星を基準に生きていく者、という点は変わらないかと思い、そのタイトルにしました。

 

ここまで「コスモナウト」はろくなものじゃないような書き方をしてしまいましたが、

そういう後ろめたい意味だけにしたくなくて、9話の「東京」に佐々木さんを登場させています。

ほんの少ししか書けませんでしたが、彼女は星や天体以外にも、宇宙の中、目に見える全てを楽しみそれに生きる人間として描いたつもりで。

自分の絶対的な尺度や価値観を信じてひたすらつき進める強さを持った人間、そういった人間が本来の「コスモナウト」なのではないか。

そういった思いもあって、原作だと名前しかない佐々木さんの存在を借りて書いておくことにしました。

 

途中で佐々木さんの話を一話書いてみようかと思いましたが、

完全に話が脱線して冗長的になるし、キャラとしての情報量が無さ過ぎて無理だったのでやめました。

 

 

●遠野貴樹について

 

僕は貴樹の成長物語を書くつもりは毛頭ありませんでした。

ただ振り返ってみると、貴樹か、もしくは明里のどちらかが遠すぎる距離や時間に立ち向かおうとしない限り、

彼らは一緒になることができなかっただろうから、結果そうなってしまったのは自然なのかもしれません。

 

前作短編[A time in spring]のあとがきにも書いた通り、

彼の設定としては、周囲に合わせ、社会で生き抜いていく力や言葉は身に着けていますが、

自分の想いや寂しさを素直に伝えることができない、その代わり、近くに相手がいれば行動を以て示すことができる、

そういう人間として捉え、その状態から物語を始めました。

 

彼はこの物語を経ていく中で、踏切での別れの予知夢のようなものをきっかけに、

似た寂しさを抱えた父との会話をして初めて寂しさを吐露し、

自分の想いを上手く伝えられないながらも明里への手紙を出し、

明里との再会でもようやく、自分の寂しさや弱さすら伝えられるようになっていき、翌朝には告白する。

想いの伝え方のようなものを学んでいきます。

 

そういう風に彼が成長しているのだと自分でも気づいてあげられたのは、

澄田との空港での別れをどうするか悩み始めた辺りからで。

『澄田は最後、何を貴樹にしてあげたら後悔無く進んで行けるだろう』とばかり考えていましたが、

『貴樹が澄田をどう想っていたのかを伝えることが一番、澄田の背中を押すことになるんじゃないか』と思い。

彼が澄田に抱いた罪悪感はそもそも、澄田から多くのものを与えられたからであって、

それに対する感謝を伝えた方がいいと考えました。

 

原作の貴樹であれば、澄田に「今までありがとう」なんて絶対に言わないだろうと思いますが、

この物語の道程を経た彼であれば、それもおかしくないように思え、あのように描くことができました。

それでも彼には自分でそういう言葉に至る力が無さそうなので、車の中での父からの感謝をきっかけにすることにはなりましたが、

自分としては、その言葉を発する貴樹に不自然さを感じることなく受け入れることができました。

最初は澄田に切なさや悲しみを背負わせる終わり方しか用意できていませんでしたが、

その言葉で澄田を明るく送り出せたと思います。

この辺はまた後述の、澄田の解説にも書こうと思います。

 

この物語の貴樹は終盤に行くにつれ、原作の貴樹からどんどん離れていくように見えるのではないかと思っています。

それは貴樹の成長もありますが、春の再会で明里の想いも確認できた後、彼は恐らく変わるだろうと個人的に思い、敢えてそう描いた部分もあります。

自分の隣に空いた空席の代わりを探さなくて済んだ彼は、ようやくそこで周囲の他の人々、特に澄田とも向き合い始めるのではないかと思い、

明里が恋人になった以上澄田とは決別しなくてはいけないと考えたり、日常生活でも明里の夢を探し続けるような暗さが消えるのではと考えました。

めちゃくちゃわかりにくいですが、部活の後輩から告白されるシーンを描いたのは、そういう雰囲気の変わった彼に惹かれた女性も出るほど彼は変わった、と表現したかったです。

(もっといい書き方があったと思います)

あんな彼ならきっと、この先も自分の生きるべき速度を見失わず、明里と共に大丈夫に生きていけるだろうと思います。

 

どうでもいいですが、彼の一人称は「僕」か「俺」のどちらを使うべきか、

使いどころの基準が未だにあやふやでところどころ苦労しました。

結局わからずじまいなので、この点はこれ以上触れないでおきます。

 

 

●篠原明里について

 

彼女も前作短編のあとがきにも書いた通り、

設定としては貴樹とは逆に、自分の想いを素直に表現する言葉は身に着けていますが、

周囲と上手くやっていく処世術や行動力には乏しい、そんな女性として描きました。

プラスで、明里は「貴樹よりも現実的で、いつも少し先を行く存在」になるようにも、描いたつもりです。

彼女の描写は貴樹や澄田と比較しても少ないので、決めつけになってしまっている部分が多いですが…

 

彼女は原作でも、貴樹とは別の男性を愛する未来を選択でき、

踏切でも電車の先に待つ貴樹を置いて、去っていきます。

 

明里は新海誠監督の小説版では、大学辺り(社会人かも?)までは貴樹と一緒になる未来を願い続けていた描写があり、

過去を全て忘れようとする生き方の貴樹よりも、明確に自覚して上で過去の思い出を引きずっていたように見えます。

その上で、自分の気持ちと現実を天秤にかけて、しっかりと現実を進んでいけた強い女性で。

見た目的には貴樹の方が冷静そうなのに、実は明里の方が冷静に現実を捉え、

些細なシーンですが小学校の帰り道の坂でも明里が先に駆け出し貴樹が追いかけるなど、常に貴樹の少し先を進んでいくキャラだと思っています。

 

春休みのホテルでの夜でも、貴樹は明里を求めていました。

明里も初めはそうなってもいいと思いながら部屋まで行ったけれど、

明里はその前に、且つて文通が途絶えた過去のことや、自分たちの関係の儚さが残っていることに気づいてしまって。

そういった冬の気配をしっかりと見据え、まず向き合わなくてはならないと思い至るのではないかと思い、ああいった流れになりました。

(そう見えるように書けなかったのは後悔しています)

 

ただ、そういった冬を乗り越えてしまえば、貴樹と明里はもう何も心配いらない二人だろうと思えたので、

そこまで書いた上で彼らが一緒になる未来を描けたことは、とても良かったと思います。

 

余談ですが、東京での再会周辺は

新宿の周辺でのデートって実際どこ行くんだ、どこに集合するんだとか

どういう事情で明里は帰れないことにするのかとか、

そもそも貴樹はどこに泊ることにするのかとか、

夜の会話も話したいことが山ほどあるだろうけどどれを描くべきかなど、

ある意味一番頭を悩ませたところです。

 

東京に住んでいないので、数年前に行った朧げなイメージだけで書いてしまったので、すいません。

 

 

 

●澄田花苗について

澄田は、貴樹がもう誰かと付き合っている、決まった誰かを愛してもう進み始めていると気づいてしまったらどう行動するだろう、というのがまず考えどころでした。

流石に貴樹の相手が傍にいれば潔く身を引くでしょうが、

相手がこの島にいないことが分かって、この島にいる間は貴樹の隣が空いていることが分かってしまったら、

その席を彼女は求めてしまうのではないか。

そういったことを考えた先、「好きという言葉を封印してでも傍にいる」選択をするのではと思い至りました。

 

ある意味原作よりも辛い展開にしてしまったというのに、

彼女には原作のように、最後貴樹に告白をさせる展開くらいしか最初は思い描いてあげられなくて。

「宇宙飛行士の話」を投稿、仕上げ始めた辺りから『こんな趣味で書いている二次創作の中でくらい、彼女を幸せにできないのか』と、

実生活でも睡眠不足やちょっとしたやけ酒をしてしまうくらい思い悩んでしまいました。

 

そんな中、誰かから貰った感謝を自分も与えられるようになるのっていいよな~、と思える出来事が身近にあって、

そこからアストロナウツの展開を思いつき。

その思いつきの先、自分の中に浮かび上がった彼女の笑顔は、原作にも見られなかった素晴らしいもので。

この物語を書いた中で一番予想外の出来事で、何かを書く中で偶発的にこんな感動を得られることもあるのだと、一人で勝手に震えました。

 

澄田が原作の中でも最も純粋でその想いにひたすら進んで行く人物で、

原作で貴樹に届かないとわかった後でも「それでもこの先も彼が好きだ」と、貴樹や明里のように忘れようとはしない点が目を引きました。

そんな彼女にとって何が最大の救いになるだろうと考えた時、

貴樹も澄田を忘れないだろうということと、貴樹にとっても澄田と過ごした時間が幸せであったと、それを彼の言葉から受け取ることではないかと思いました。

 

貴樹から受け取った言葉で、

「貴樹にとって自分がどんな存在だったか」を知ることができ、そこに足をつけて、次の場所に飛び立つことができたと思います。

 

 

●貴樹の父について

秒速5センチメートルの貴樹、明里、香苗というほぼその三人だけの物語において、

原作と同じように彼らの間だけで話を進めていたら、自分には同じような結末しか思い描くことはできませんでした。

 

彼らに外側から、別の視点や意見を与えられる存在を作らない限り、

貴樹や明里、香苗のことも、幸せにしてあげることができないと感じ、登場させた人物です。

原作にいない人物を描くこと自体に最初はかなり抵抗がありましたが、

やはりこの父がいないと進められない部分が多々あり非常に助けられたと共に、終わってみると自分でも結構好きなキャラクターになってしまいました。

 

初めは父ではなく、彼らのクラスメイトや部活の先輩後輩を何人か描き、その交流の中で成長していくということも考えたりはしましたが、

学校のコミュニティを描くのは物語が複雑になり過ぎるし、友人が多い貴樹というのも自分には想像がつかなかったので没にしました。

 

貴樹はきっと学校のような社会性が必要な場では、周囲に馴染みつつも一定の距離を保つような生き方をやめられないだろうから、

そういう社会性が必要無い集団の中にいる家族や親戚を考え、まぁ父親かな、と思い。

そこから、貴樹が父に相談するシーンなどを考え始めました。

 

父も貴樹の行動に励まされ、勇気を出して友との再会に走り始めた一人で。

きっと長野に帰った後、友人と楽しく飲むことができただろうと思います。

 

どうでもいい裏設定で、父は元々はお喋りが好きな性格なのですが、

皮肉めいた言い回しが災いして過去に友人を失った経験があり、

貴樹に言葉遣いが移らないよういつも貴樹の前では言葉を選び、あまり喋らないようにしていた、という設定にしていました。

その関係が、あの夏の夜での語らいから、貴樹との関係も少しずつ変わっていった、という感じです。

 

●全体的に気を付けていたこと

 

彼らが自身の不安を取り除く部分だけはその過程をしっかりと書いて、

幸せな時間や行き先については基本的に曖昧に書き、読む人任せにしたいと思っています。

 

全体を通して、彼らの細かい会話や行き先の詳細を書き過ぎないように心がけていました。

貴樹と明里の文通の内容や、新宿付近の散歩、喫茶店で二人が話した内容や、

父の名前、澄田の彼氏の名前を書かなかったのは、そういう理由です。

 

その中にあった細かい会話まで書いてしまうと、

僕の想像ではない、本来の彼らが自由に行動する余地を狭めてしまうような気がしました。

ひらたく言えば、『きっと彼らはあんな会話をしただろう』とか、『あんなこともしただろうな』という想像の楽しみが無くなってしまうからです。

 

貴樹と明里、そして澄田にある距離や諸々の問題を解決するために自分はこの小説を書いて、

その過程や先にあった幸せな時間は全部、後は彼らに好きにさせてあげたかったです。

 

なので冒頭にも書いた通り、「到達の話」以降は自分としては蛇足めいているので、

本当に、皆様各々の行き先を描いて、楽しんで頂けるとよいと思います。

 

 

●一部話のタイトル名と楽曲について

 

Coldplayというバンドの曲を連載中よく聴いていたこともあり、

雰囲気に合っているものはタイトルにしちゃえばいいかなと思ったのが数話ありました。

こんな情報誰の為になるのかと思いますが、一応改めて記載しておきます。

 

  6話 Life In Technicolor … Coldplayの『Life In Technicolor II』

 10話 Talk … Coldplayの同一楽曲名

     ※10話のタイトルにしてしまいましたが、曲の雰囲気は11話の「冬の言葉たち」の方が合うと思います。

 13話 Yellow … Coldplayの同一楽曲名

 20話 Stop Crying Your Heart Out … OASISの同一楽曲名

 

 

●文通に関して 10/24追記

 

今作では、貴樹が写真をつけた手紙を送ることから、明里との文通が再開しました。

文通の話がメインとなる6話「Life In Technicolor」は、彼らがどんな写真を送り合っただろうと想像しながら書いた、一番楽しみながら書いた話です。

 

一つだけ補足したかったのは、貴樹たちが高校生だった時代は、

今のようにSNSやメール、インターネットが普及していなかったということ。

何年も会っていない恋愛対象に、手紙に写真をつけて送るという行為は、計り知れないほどのハードルがあって。

理性的な、貴樹のような人間には相当の覚悟か、或いは今作のように投げやりにならなければ出せない代物だったと思います。

 

ポストに入れた手紙には既読はつかないし、送信取り消しもできない。

写真を気軽に送る文化だって根付いていない。

おまけに相手からしたら「写真」という物体を送られるわけだから、

受け取る相手に場合によっては非常に重いもの、おまけに捨てづらいものとして認識される可能性だってあるわけで。

 

貴樹は5話「彼女への手紙」で、そういった点まで考慮したけれど、最後に明里に自分の姿を見て欲しい 覚えていて欲しいだけの願いを込めて写真を入れました。

だから、「彼女の為ではなく、ただ、僕の為に。」と考えています。

 

以上、若い人向けの補足でした。

何だかこういった苦悩までは書けていなかった気がしたので。

 

 

今どきの学生が今作を読むことは無いんじゃないかと思いますが、

もし若い方がいらっしゃったら、そういった行為がどれほど重いものなのか。

携帯やスマホが無い時代ってどんなだろうと想像してみると面白いと思います。

 

明里も今作で携帯を三年生から持ちましたが、

当時の高校生で自分の携帯を持てた人の割合も、半分もいなかったのではないかと思われます。

 

●貴樹が明里に求めていたものについて [11/14追記]

 

この後書きにも前述し、12話で貴樹の心情としても描いたように、

貴樹は「明里の言葉が好きだったのだろう」と、今作を書いている段階では理解していました。

 

ただ、自分で今作を読み返したり、改めて新海誠監督の小説版を読み返してみると、

貴樹が明里に感じていた魅力というのは、

もっと言えば「この世界を好きであること」だったのではないかと、

その1点が貴樹と明里の一番の違いだったのではないかと、今は思うようになりました。

 

貴樹と明里の一番の違いを言葉の使い方と行動力、のように前述しましたが。

「明里は元々、周囲にある世界が好きだった」のに対して。

「貴樹は、明里が発する、世界を愛でる数々の言葉を通じて世界を好きになった(元々は好きではなかった)」

というのが、より根本的な違いだったのではないかと。

 

言葉の使い方の違いとしては、

貴樹は人間関係を上手く過ごし生きていく「対人」の言葉遣いだったのに対し、

明里の言葉は「世界」を言い表す言葉が好きで、貴樹との会話の中にも、

「秒速5センチメートル」という言葉をはじめ、世界への言葉に織り交ぜた彼への想いを言葉として贈っていたのかなと。

 

貴樹は原作で何人かの女性と付き合いがありましたが、

その女性たちとの会話の中で、「お互いの現在や過去のこと」を話す描写はあるものの、

それ以外のこと、例えば景色や季節の話題は描写されませんでした。

 

彼が他人に欲していた言葉は、「大丈夫」という1つだけでなく、

『自分の力では知ることのできない世界の美しさ』を、

明里のように、また誰かの言葉を通してそれに触れたかった。

けれど、そういった女性はいなかった、ということかなと解釈しています。

 

先程、女性たちとの会話で「互いの話題以外はなかった」という話に、

1つだけ例外として、雨の日の澄田との帰り道、ロケットを運送する車に対し「時速五キロなんだって」と呟いた言葉に貴樹は反応します。

「秒速5センチメートル」という速度の言葉を思い起こさせるものだったから、という解釈がしやすいですが、

「他人から世界の一部を言い表されたこと」そのものに、動揺や既視感を感じたのかもしれません。

ただ自分だけに向けられた言葉、ではなく、

誰かから、世界と自分を繋げたような、貴樹はそんな言葉を欲しがっていて。

それが澄田の口から出そうになったことに、驚いてしまったのではないかと。

 

明里は、貴樹がいない世界でもやっぱりこの世界が好きだったから、

そんな世界でも前に進むという選択ができた。

対して貴樹は、自分だけではどうしても世界を好きになれなくて、

明里が共にいた時には感じられた世界の美しさを、もう一度誰かを通して知りたかった。

きっとそれは言葉でなく、絵や映像でもよかったのだと思いますが、

その美しさを知るきっかけとなった明里の「言葉」というものの中に、それを探してしまっていたのではないでしょうか。

 

そう考えると原作3話の春時点、小説版で貴樹は目に映る春の景色の美しさに気づくという描写は。

ようやく一人でも、明里との思い出を通してではあるものの、世界を好きになれた、という表現であって。

だから、踏切の先に明里がいなくても、もう自分として世界を好きになれて、前に進めるようになった。

秒速5センチメートルという作品は、もしかしてそういう話だったのでしょうか。

 

 

水野に少しだけ触れると、彼女は明里よりも更に貴樹に精神的に近い存在で、

「世界のことが元々好きではない」という点まで似ていたのではないでしょうか。

(小説で水野は、貴樹と昔の将来の夢の話をした際、

 就職時にもう将来の夢を考えなくて済むから安心した、という台詞から)

 

貴樹も水野も互いに人間としては愛し合っていたけれど、

最終的に貴樹は、世界も含めて好きになりたかった。

そうさせてくれる女性を望んでしまっていたから、水野と上手くいかなかった、いうことなんですかね…?

結局、どうとでも捉えられてしまうのですが…

 

 

12話を書いた時、貴樹が「明里の言葉が好きだった」と自分が書いたことに

当時はとても納得して疑問もなかったのですが、

読み返したら『何でそう思ったんだっけか』と疑念に駆られてしまい、この雑記を書くに至りました。

 

自分の中でようやく、貴樹と明里に対しての理解を、一つ終えられたように思います。




自分が書きたかったことは、全て出し切れたように思いますが、
もし書き忘れたことがあれば、この後書きには追記していくかもしれません。

本当に中々なボリュームになってしまいましたが、
もしここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、改めてありがとうございます。

物語を書くという行為自体、とても面白く感じました。
何かまた書きたい物が出てきたら書くかもしれませんが、
秒速5センチメートル以上に書きたいと思える題材もそうそう無いと思いますし、
もしかしたらこれ以上、書くことはないかもしれません。

この物語を読んでくださった皆様に、
この作品から何か良いものを、たった一つでも与えられていて欲しいと、心から願っています。

最後までお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
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