遠野貴樹。
明里の机の上に置かれた封筒、その裏面にその名は記されていた。
私はただ、明里の部屋に掃除機をかけに来ただけだ。
が、明里の机の上に、恐らく明里の文通相手からの手紙であろうものが目に入り、つい手を止めてしまっていた。
「篠原明里様」と書かれた封筒と便箋、それと2枚の写真。
海岸沿いに小さく映る発電所?のような建物と、夕焼けに染まる何かの畑、の写真が並べてある。
あっちからも写真が送られてくるだなんて、ちょっと楽しそうだ。
便箋の内容を読もうとは流石に思わなかったけれど、
その封筒の裏側に書かれているであろう差出人のことが、どうしても気になってしまう。
夏休み、家の前で写真を撮った日の辺りから、
あの子は少し明るくなった。
いや、明るくなったというよりも、元々あった明るさを取り戻したような。
「そういえば、こんな表情もする子だった」という懐かしい笑顔を見せてくれることが多い。
振り返ってみると、この2~3年、明里は何というか…少し沈んでいたのかもしれない。
静かでおしとやかな子に育ったなぁ…なんて、
私はそれを、ただ大人っぽくなったと感じていたけれど。
今の、幼さを取り戻したあの子の方が、本来のあの子のような。
今あの子は、とても純粋な幸せを見つけているように思える。
きっとそれは、あの子と手紙のやり取りをしている「友達」のおかげで。
あの子の笑顔の源が、どこにあるのか。
それがどうしても、気になってしまった。
掃除のことなど忘れた私は、窓の外、空に浮かぶ鱗雲や、黄色や紅に染まり始めた山々を見ながら、
いくら母親でも、やっぱり覗き見なんていけない。
いやでも、差出人の名前を見るくらいなら…
と良心に責め立てられながら、ほんの1分だけ悩んで。
結局好奇心に勝てず封筒を裏返し、その名前を知ることになった。
住所は・・・鹿児島県!?
中種子町という町の名も、聞いたことがない。
なんだってそんな遠くの男の子と、文通しているのかしら。
あぁでも…やっぱり男の子だったのねぇ。
とはいえ、懸念していた怪しい輩などとは無縁そうな住所と、机に並んだ拙さの溢れる写真に、とりあえずほっとする。
…遠野、貴樹。
貴樹くん、という男の子の名を、あの子の口から、いつか聞いたことがあるような。
ガチャッ ガラガラ
「ただいまー」
玄関を開ける音と共に、娘の声が響いた。
土曜午前の部活が終わって、もう帰ってきたのか。
「おかえりなさい!」
そう言いながら慌てて封筒を表面に向け、元の位置に戻し、部屋の扉をそっと閉じ。
階段を降り、何事もなかったかのように娘を出迎えた。
「おかえり。
昼食の支度、今からするからちょっと待ってね。」
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「また、家の前で写真を撮って欲しいんだけれど。」
封筒の裏を見てしまった、翌日の日曜日。
テーブルに腰掛け、毎週欠かさず見ているグルメ番組を見ていたところを、背後から声をかけられた。
「別にいいけど・・・ってあなた、今日は日曜日でしょう?
わざわざ制服に、カーディガンまで着ちゃって!」
振り向いた先の、制服の上に最近買った灰色のカーディガンを羽織った娘の姿に動揺する。
「…随分と、気合入ってるのねぇ。」
「気合なんて、そんな。」
明里が照れくさそうに言う。
「手紙の友達が、こことは季節の変わり目がずれちゃうくらい遠くにいて。
周りの環境も季節の温度感も、なんだか全然違っちゃってるみたいだから。
こっちの秋を迎えた私のことを、伝えてあげたいの。」
袖元やスカートの裾、自分の姿を見直しながらそう言った。
「ふ~ん…? なるほどねぇ。
それなら、写真もいいけどたまには電話もしてあげたら?
きっと、友達も喜ぶんじゃない?」
軽い気持ちで私がそう言うと、
「それは、まだ、ちょっと…」
娘は気まずそうに、言葉を濁してしまった。
何だか、複雑な関係なのかしら。
「まぁいいわ。この番組が終わるまで、待っててちょうだい。」
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昼下がり、空気が澄んで、何だか雲が高くに見える、晴れた秋空の下。
夏休みに撮った時と同じ位置で、
『秋仕様になりました』と言わんばかりの自慢げな表情をする、我が娘。
私は前と同じポジションから、同じ構図でカメラにその姿を捉えた。
「もう一枚いくわよ~。はい、チーズ!」
カシャッ
「ありがとう、お母さん。」
手に持っていたカメラを、娘に手渡す。
「今回もきっと、いい写真が撮れたわ。
結構自信ある。」
「ふふっ、ありがと。
現像するの、楽しみにしてるね。」
そう喋りながら、玄関に向かって二人で歩いていくと。
途中、不意に庭の前で明里が立ち止まった。
明里は、秋色に染まり始めた我が家の庭をしばらく何も言わずに眺め。
カメラを取り出し覗き込み、そこに向けてシャッターを切った。
「うちの庭なんか撮っちゃって。
そんな面白いもの、置いてないでしょうに。」
「そうかなぁ。
確かに、見栄えのいいものはないかもしれないけど、
芝生も木の葉も、ちゃんとお母さんが手入れしてくれてるし。
今も素朴な感じに秋っぽさが出て、私は好きだなぁ。」
中に焼き付いた景色を愛でるように、明里は手元のカメラを見つめてそう言った。
定期的に草むしりと、気が向いた時に生垣を整えたりはしているけれど、そう力を入れているわけではない。
でもまぁ、褒められると少しは誇らしい気持ちになる。
「ふ~ん、そうかしらね。
それも、手紙の彼に送るんだ?」
「うん。」
そう言いながらまた、二人して玄関に歩を進め始めたが。
数歩歩いたところで明里はまた急に立ち止まり、こちらを向いて、私の目を捉えた。
「なんで『彼』って、知ってるの…?」
訝し気な視線をこちらに送る。
あ、しまった。
「…かまをかけてみただけ。
やっぱり、そうなんだ。」
そう間を置かず、咄嗟にその言葉が出せた私は、自分の頭の回転の速さに自分で感心した。
ナイス、私。
「ずるいよ、そういうの…」
恥ずかしそうに、目を伏せてしまう。
「ごめんなさい。」
そういうつもりじゃなかったとはいえ、茶化す形になってしまったことに謝る。
…でも、とは言え。
「でも最近のあなた、『楽しそう』っていうよりも、『幸せそう』だったから。
何となくそうかなぁって、分かるわよ流石に。」
実際、その通りではあった。
毎日見ている娘の小さくない変化を見逃すほど、私は放任主義ではない。
…昨日、封筒の差出人を見ていなければ、もっと胸を張ってそう言えたのだが。
「…お父さんにも、誰にも内緒だからね。」
拗ねた表情のまま、明里が言う。
初々しくて、甘酸っぱいわぁ。
なんだか、若返ってしまいそう…
「言わないわよ、誰にも。」
笑いながらそう言って、二人で玄関を潜る。
そんな顔で言われたら。
いや、言われなかったとしても。
娘の秘密を、誰かに言うわけ、ないじゃない。
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「明里!」
娘を呼び捨てにする男の子の声に、少し驚く。
渡り廊下の向こうから、その声の主であろう男の子が駆け寄ってきた。
あれ、私は…
あぁ、授業参観だ。
だからこんな真昼間に、小学校へ来ているのだ。
明里が手を振りながら、今、その男の子の名を呼んだはずなのだけれど、何でだか聞こえなかった。
「こちら、私のお母さん。
はじめまして、だね。」
私のコートの袖をつまみながら、明里が紹介してくれた。
「どうも、はじめまして。」
軽く、会釈をする。
男の子は背筋をすらりと伸ばし、正面にこちらを捉えながら。
「こんにちは、はじめまして。
いつも、あか…篠原さんには、よく遊んでもらっています。」
深々と、礼儀正しいお辞儀。
小学生とは思えないほど、大人びた雰囲気だ。
「僕は、同じクラスの遠
ピピピピピピピピピピピピピピピピ・・・・
アラームが、耳の中をやかましく跳ね回る。
目を瞑ったまま、音のなる方へ闇雲に手を伸ばし、スイッチの位置を探す。
探り当て、押し込む。
アラームが止んだ。
布団の中、ゆっくりと目を覚ます。
時計に伸ばした腕が、冷たくって。
布団から出たら、きっと…絶対、寒い。
…こんなに冷え込むなんて。
もう、冬が近いのね。
眠気と布団の温かさに抵抗し、ゆっくり身を起こす。
うわっ、ホントに寒い…
何か昔の夢を見た気がするけれど、なんだったか…
まぁいいか。
朝ごはん、作らなくちゃ。
6話「Life In Technicolor」にて、十月の写真を撮った日の話です。