娘の合格通知が、今朝届き。
たまたま休みで家にいた夫も一緒に、家族全員でその喜びを分かち合った。
見守っていた私たちも大きな肩の荷が降り、晴れやかな空気が家全体を包んでいる。
「よし、今夜は旨いもの食べに行こう!」
夫はそう息巻いて、隣町にある噂の高級レストランを予約し。
私は今夜の夕食がどんなものか妄想しながら、ルンルン気分で洗濯カゴを持って、階段を上がっていくと。
「もしもし、貴樹くん?
やっと繋がった!」
二階へ上がり終わると同時に、明里の部屋から声が聞こえた。
思わず足を止め、つい聞き耳を立ててしまう。
「私、合格したよ!
センター失敗しちゃったから不安だったけど、二次の方で何とかなったみたい。
…うん、うん。本当に。」
電話先の男の子の叫び声が、ドア越しのこっちまで微かに届いた。
「…ようやく、また、会えるんだね。」
そう言った娘の声は、震えていて。
状況を察した私の方も、釣られて一粒、涙をほろりと流してしまう。
「もう来週、友達と賃貸見に行くんだけど、貴樹くんはどの辺りに住むの?
私は、~~~~」
そのまま明里は結構な時間、遠野くんと電話を続けていた。
…今月の携帯の通話料金は、少しくらい目を瞑ろうかな、と思う。
気を取り直して寝室を通り、ベランダに出て、洗濯カゴをおろし。
時折ここまで届く、娘の喜びに満ちた声に温まりながら、洗濯物を干した。
冷たい空気の中にも、ぽかぽかとした陽気が肌を温める感触。
大分、暖かくなってきたなぁ。
…もうすぐ、春なのねぇ。
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『今日は全国的に晴れマーク!
絶好の行楽日和で、東京でもちらほらと桜が満開に~』
娘の卒業式も終わり、この辺りの桜も満開間近、ぽかぽかとした陽気に包まれた、三月の下旬のある日。
天気予報のお姉さんがテンション高めに春の訪れを解説しているのを、
私はソファで寝そべりながら、それをぼ~っと眺めていたら。
「じゃあ、東京に行ってくるね。
前に言ったけど今日は夕ご飯いらないし、帰りもちょっと遅くなるから。」
玄関から、明里の声が聞こえてきた。
「えぇ!!」
それを聴いて反射的に立ち上がり、玄関に顔を出してしまう。
「そうだったっけ?夕食、三人分買っちゃったわ…」
そう言いながら明里に向けた私の顔は、とてもしょんぼりとしていたと思う。
「先週から言ってたし、昨日も。…何回も言ったじゃない。」
ムッとした目つきの娘が、一瞬こちらを見る。
言い終わるとすぐ、明里は正面を向き直し、靴ひもを結び始める。
私が10:0で悪いのは、確かなのだろう。
「どうしようかな~… 分かったわ~…」
でも、そのまま言われっぱなしなのも、ちょっと癪だったものだから。
「ていうかあなた、また東京行くの?
もう来週からあっちに住むんだから、今日は行かなくてもいいんじゃない?」
なんて、私はふざけて言ってみた。
冗談で言ったつもりのその言葉の後、靴ひもを結ぶ音だけの、不思議な静寂が生まれて。
娘は背を向けたまま、何も応えてくれない。
…もしかして、何か気に障ってしまったかしら。
明里が静かに、靴ひもを結び終わる。
「…くんが、帰ってくるから。」
明里が小さく、呟いた。
「え?」
「彼が、大事な人が、帰ってくるから。
待ってるって、約束したから。
今日は絶対、迎えに行くの。」
立ち上がり、こちらを振り向いた明里。
熱そうに赤らめた頬に、真っ直ぐ、潤いに輝く瞳。
「…じゃあ、しょうがないわね。
しっかりと、迎えてあげなさいな。」
「うん!」
返事と共に、ニコリと笑う。
「それじゃあ、いってくるね!」
「あ、ちょっと待ちなさい!」
駆けだした足を止められた明里が、また不満そうな顔をこちらに向けた。
「…またいきなり『泊ってくる』なんて、もうダメだからね。
今日は、ちゃんと帰ってくるのよ。」
…これも少し、意地悪だっただろうか。
明里は顔を更に赤らめ、
「わかってるよ!」
と、反抗気味の声で返された。
…なんて、可愛い子なのかしら。
…なんだろう。
今日この子はただ、東京に出かけて、今夜には帰ってくるのに。
もうこの子は、私たちの手から離れ始めたような。
この出発を、ちゃんと見送らないといけないような気がして。
「…いってらっしゃい。」
その背中を押すように、そう言った。
「うん、いってくる!」
娘は微笑みながらそう言うと、正面を向き、玄関を勢いよく開けた。
それと同時にどこかから、鋭く鳴く鳥の声が聞こえて。
開いた扉の先、遠くに、八分咲きほどの桜が小さく見えた。
もうすぐ、満開かしら。
戸が、閉まる。
玄関のすりガラス越しに、あの子が走り去っていく姿が、ぼんやりと見えた。
今日はきっと、素敵な日になるわ。
その淡いシルエットが、正門を出て、見えなくなるまで。
私は玄関先に立ったまま、見守った。
あと一話と、併せてあとがきを投稿し完結します。