とても、不思議な夢。
高校時代、まだあの島にいた頃の僕は、誰宛でも無いメールを書きながら、遥か遠くの異星の風景をよく頭に思い描いていた。
夢の中、僕はその風景の一つ、異様に美しい星空の下の海岸に、彼と二人横に並んで、波打ち際に座っていた。
彼は昔、あの島から宇宙の深淵、果てない旅路へと、夕焼けの中飛び立っていったはずだった。
男の子の形をしたその姿は、空に消えていった彼とは、似ても似つかなかったのに。
ひと目見てそれが彼だと、何故だか僕はわかっていた。
彼の体はあちこち傷付き、重そうな頭をうなだれている。
大丈夫か?
あれから、辛かったんじゃあないか。
孤独だったんじゃあ、ないのか。
痛ましいその姿に、僕は堪らずそう尋ねた。
今思うと辛かったし、大変だった。
孤独だったし、寒かった。
思ってたより、俺は弱かったし。
心無く、人を傷付けて。
…結構、酷いものだったんじゃないかな。
それでも、そんな風にしか、進めなかった。
そう言って彼は皮肉げに笑い、こちらを見る。
でも、ようやく着いたんだ。
その言葉の後、彼の笑顔は爽やかなものに転じ。
僕を捉えた彼の目には、穏やかな光が宿っていた。
どこに着いたのかと、僕が口を開く前に。
俺たちはあの日からずっと、もう、大丈夫だったんだ。
だって、見てみなよ。
そう言った彼の指は、透き通り過ぎた夜空の星の中、ひときわ輝くひとつを指した。
ずっと、あんなに輝いてくれていたんだ。
星空に満ちた視界を、一粒のシルエットが緩やかによぎる。
雪か。
それとも
桜の、花びらだろうか。
僕はそこで、目を覚ました。
目を開いた先には、薄明に照らされた、穏やかに眠る明里の寝顔があり。
僕らはいつも通り、二人の寝室の中にいて。
互いの左手がベッドの中央で重なり、温もりを共有し続けていた。
目覚まし時計は、朝の5時を指し。
窓の外から、白み始めた空の光が、部屋を優しく照らし始め。
窓から見える明け方の空に、一つだけ、未だ燦然と輝く星が見えた。
そっと、柔らかく、彼女の左手を握る。
…昔、彼女と語り明かした日の朝も、こんなだったな。
何年も前の思い出を懐かしく思いながら、
左手にある温もりを、静かに確かめた。
朝日が昇った頃にはもう、夢の輪郭はとても曖昧なものになっていて。
その夢の多くは日中の仕事や、彼女との新たな生活の中に、静かに消えていったけれど。
彼の最後の言葉だけは、ずっと心の片隅に残り、居座り続けた。
とても簡単で、単純なことを指していたと思う。
でも僕は、その意味をまだわかっていないような。
そんな気がして、ならなかった。
Everglows
「ですから、む… お嬢さんとの、結婚を…お許しください。
よろしく、お願い致します。」
挨拶を締めた貴樹さんが、深々と頭を下げ。
引き締まった和室の雰囲気が、より厳かになる。
もう何回も会っているのだから、そうかしこまらなくても良かったのに。
玄関を通ってから和室に座るまでの間も、とても丁寧に、所作も言葉遣いも気を付けて。
立派な挨拶を用意して、真剣な目つき。
いつもはもっと、何事にも動じず、するりとそつなくこなすような印象だったけれど、
今日は背筋も不自然にビシッとして、カチコチとした固い口調。
誠意と一緒に緊張もしっかりと伝わって、
何だか、こちらまで気恥ずかしくなってしまう。
「…ふふっ」
明里が小さく肩を震わせ、笑いを堪えている。
「こら明里、真面目な話をしている時になんだ。」
夫が顔をしかめ、窘めた。
「ごめんなさい。
でも、だって… 途中まで頑張ってたのに、最後の最後で、噛んじゃうんだもの。
『む…』って何?」
ニヤけながら、隣の貴樹さんを見る。
彼は少しムッとして、
「…『娘さん』って言いそうになったのを、『お嬢さん』に訂正しただけ。
噛んだんじゃないよ。」
横目で明里を一瞥し、改めてこちらに向き直す。
ちょっと、顔が赤くなっているようだ。
「そうなんだ。惜しかったねぇ。」
明里がおどけた調子で言った。
「明里ったら…
この子、いつもこんな調子なんですか?
もっとこう… 多少は怒って、夫の威厳ってものを見せてやってもいいんですからね?
それぐらいがきっと、ちょうどいいんだわ。」
私はつい、いたずらした幼子に注意するような、そんな口調になってしまう。
「いいえ、もう慣れてますから。
それに…
そういうところも含めて、やっぱり彼女を愛していますから。」
真っ直ぐこちらを見て、彼が言った。
ようやくいつも通りの様子で、何気なしに言ったのかもしれないけれど、
今日、彼が発した言葉の中で一番、真心のこもった言葉のように聴こえて。
純粋で、真っ直ぐ過ぎたその姿勢と言葉に、先ほどとは違った恥ずかしさで胸をくすぐられる。
「『やっぱり』って、なによ…」
明里も照れ隠しをするように、肘で遠野さんを軽く小突いた。
「仲がよさそうで、その、何よりだ…」
夫も恥ずかしさを隠せない様子で、後頭部を掻いている。
「まぁ、今さらダメなんて言わないよ。
今までも随分お世話になったけれど、
明里のこと、今後もどうか、よろしく頼みます。」
夫の挨拶に合わせて、お辞儀をする。
向かいの二人も、それに合わせた。
「さ、やることはやったし、ご飯にしましょうか!
いいとこのお寿司と、私の手料理をいくつか用意してるの。
持ってくるから、待ってて頂戴ね。」
私が席を立とうとすると、
「私も手伝うよ。」
そう言って明里も立ち上がり、そのまま台所までついてきてしまう。
「あんた、今日は主役なんだから、座ってなさいな。」
「いいじゃない、並べるのくらい。」
と、そのまま配膳を手伝い始めてしまった。
「ビールも持ってきてくれ~。とりあえず俺と、貴樹くんの分。」
和室から、夫の声が聞こえた。
「…あの人ったら、あなたたちが電車で来るって聞いてから『じゃあ一緒に飲めるな~』なんて、ウキウキしながら言うのよ。
こういう時でも、お酒飲むことばっかり。」
横に立つ明里に、小声で愚痴る。
「いいよ、変に構えられる方がやりにくいもの。
いつも通りで迎えてあげた方が、彼にもいいと思う。」
そんなやり取りをしながら、着々と料理を運んでいく。
そんな中。
「うちの妻の料理は、ホント旨いもんでねぇ。
俺はトンカツが一番好きなんだが、卵焼きも味付けがこれまた絶妙で、酒にやたら合うんだな~、これが。」
正にオヤジ、といった会話が和室から小さく聞こえてきた。
貴樹さん、めんどくさがってないかしら。
「…卵焼きなんて、用意してないわよ。」
だって、頼んだお寿司の中にも入ってるんですもの。
台所の私が、そうポツリと小言を言うと。
「卵あるなら、私作っていい?
卵焼き、ちょうどお母さんに教えて貰いたかったんだ。」
明里が期待した目でそう言って、こちらを見た。
「あるにはあるけどね…
さっきも言ったけど、あなた今日は」
「私もお母さんの卵焼き、密かに好きだから。
彼にまた、作ってあげたいの。」
…『また』?
一瞬、頭に何かが引っ掛かったのは、さておき。
明里は期待の眼差しで、ひたすらこちらを見続ける。
「…本当に、しょうがないわねぇ。」
息を大きく、吸い込む。
「あなた、聞こえたわよ!
卵焼き、今から明里が作るから待っててちょうだい!」
張った声で、和室にその言葉を送る。
「お~明里が!? 面白いじゃないか、よろしく~!!」
嬉しそうな夫の声が返ってきた。
…みんながいいなら、まぁ、いいけど。
「貴樹さん、しばらくあの人と二人になっちゃうけれど、大丈夫かしら…」
彼の心境だけが、あとは心配で。
私の胸も、申し訳なさに満たされつつある。
私ってなんだかんだ、この子に甘いんだわ…
「いいのいいの。あの二人、結構仲いいんだから。」
いつの間にかエプロンを纏っていた明里は呑気にそう言いながら、もう卵やボールを取り出し始めていた。
そうして、本当に卵をときはじめた明里の姿を見ていたら、投げやりな気持ちが加速して。
せっかくなので、調味料の配分から混ぜ方のコツまで、細かく口を出し、見守った。
…
和室から、楽し気な声が零れて聞こえる。
…本当に大丈夫そうで、よかったわ。
…
…こんなこと、大昔にもあったような。
…
…もしかして。
「…もしかして、彼にあげたの?」
はるか遠くから手繰り寄せた朧げな記憶に、まさかな、と思いながら。
それだけの言葉で、明里の反応を窺ってみる。
明里が、少し驚いた様子でこちらを向いた。
「…うん。」
静かに、確かに。
恥ずかしそうに小さく笑い、そう返事をして。
また、卵をときはじめた。
「へぇ~~~……………」
驚きすぎて、言葉にならない反応を見せてしまう。
それは、なんて……
なんて、めでたいことかしらね。
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「本当にぃ、もう、帰っちゃうのかい。
貴樹さんの分の布団もあるしぃ、一泊したっていいんだぞぉ。」
夫が名残惜しそうに、回らなくなりそうな呂律を何とか回してそう言った。
まだ、時刻は四時過ぎだ。
ご飯を食べ終えてからも、随分とたくさん話したはずだけれど、
楽しいひと時の終わりは、いつだって少し、寂しいものだ。
「ごめんね。
そうしたいけど、彼は明日も仕事だから。
新居のこともあるし、今日は帰るね。」
明里も残念そうに、そう言う。
「すいません。今度はちゃんと、泊りに来ますので。
その時はまた、宜しくお願いします。」
貴樹さんも申し訳無さそうに、小さく会釈した。
そうして二人は玄関にそろって腰を下ろし、靴を履き始めたところで。
「…ねぇ、貴樹くん。
帰る前に、桜見に行こう?」
明里が貴樹さんに、囁くように話しかけた。
「…ちょうど、そう思ってた。
電車から見えた時から、ずっと気になってたんだ。」
二人は目を合わせ、微笑みを交わした。
「あそこの、田んぼの中の桜のこと?
今日はちょうど、見頃だろうから。
きっと、素敵でしょうねぇ。」
気になってつい、二人に話かけてしまった。
「うん。あの、大きい桜の木。」
明里が嬉しそうに答えた。
その桜を、二人が並んで見る光景が目に浮かび。
春の温かさが、胸の奥まで染み込んでいくような心地になる。
「それじゃあ、またね。
式のこと、ある程度決まったら連絡するから。」
明里がそう言いながら立ち上がり、
続いて貴樹さんも靴を履き終わって、二人そろってこちらを向いた。
「えぇ、楽しみにしてるわ。」
「うむ。
貴樹くんも、いつでも遊びに来てくれよな!」
夫の言葉は、少し頓珍漢なことになってきている。
「ありがとうございます。
次は、晩酌も付き合いますから。」
貴樹さんが、小さく会釈をした。
「じゃあ、またね。
いってきます!」
そう言って、明里が玄関の戸を開けた。
開いた扉の先、遠く先に、満開の桜が小さく見え。
家の前を、二羽の鳥が揃って横切っていった。
戸が、閉まる。
…いってらっしゃい。
今日も、明日も、その先も。
二人にずっと、素敵な日が続きますように。
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「相変わらず立派だなぁ、この桜の木…」
隣の彼が、感心した様子でそう言った。
「本当にね。
昨日、ここで花見してた人もいたんだって。
近所でも有名なんだ。」
今日は誰もいなくてよかったな、と思う。
夕焼け空の淡いオレンジ色が、水の引かれた田んぼの水面に柔らかく反射して。
そんな優しい光に包まれた満開の桜の木は、奇跡的な美しさだった。
…夢みたいに、綺麗だ。
私と彼、二人っきりで。
静かに夕焼けの中、春風に舞う桜に、見惚れる。
目の前に舞い降りたひとひらの桜の花びらを、無意識に両手で受け止める。
「明里。」
不意に彼が、私を呼んで。
「…雪みたいに、見える?」
そう言って、優しく微笑んだ。
「…ううん。
今は桜にしか、見えないかな。」
だってこんなに、春なんだもの。
彼の瞳が、吸い込むように私を捉えた。
彼の腕が穏やかに腰に回り、抱き寄せられ。
私は、目を瞑って。
ゆっくりと、静かに、唇を重ねた。
柔らかくて、優しい感触。
鼓動が、高鳴る。
心地よい熱が、彼の体温と合わさって、体の中を駆け巡る。
幸福と、温もりだけが、ここにある。
キスなんて、もう何回したかわからないのに。
私と彼のことだけが、ただひたすらに、感じられる。
初めてここでした時のような、そんな、キス。
…この先、辛いことも、苦しいことも、きっと沢山ある。
でも、こんな幸せにも、また会える。
それを手にすることも。
もう、怖くない。
これからも、ずっと。
私は、彼を愛していけると。
はっきりと、分かった。
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夕焼けに照らされた小山行きの電車に、僕は足を踏み入れ。
続いて、明里が電車の床に靴底をつく音が、背後に聞こえた。
思わず振り返り、電車の内側に彼女がいることを確認した。
…ささやかな夢の実現に、自分の顔に笑みが零れてしまっているのが、わかる。
「…立ち止まって、どうしたの?
なんだか、妙に嬉しそうだけれど。」
明里が怪しんだ様子で、僕の顔を覗き込みながらそう言った。
「別に、何でもないよ。」
そう言いながら車両中央の席へと歩き、腰を掛けた。
彼女を窓際に、僕は通路側に。
「ウソ。絶対また何か妙なこと、考えてるでしょ。」
夕焼けを浴びた微笑みを僕に向け、明里が言う。
「…いいじゃないか、別に。
本当に、大したことないんだ。」
「そう言われたら、もっと気になっちゃうじゃない。
ねぇ、教えてよ。」
「いや、だから…」
そんな風に丸い言い合いをしていると、
『ドアが閉まります、ご注意ください。』
車内アナウンスが、響いて。
扉が、ゆっくりと閉まり。
電車がゴトリと、動き始めた。
僕らの街の、方向へ。
その後も僕らは、電車に揺られながら、取り留めもなく話し続けた。
今日の夕食のことや、揃えなくてはならない家具のこと、結婚式の式場探しのこと。
さっき見た桜の木のことや、昔、僕が岩舟に行く途中、電車の扉に開閉ボタンがあるなんて知らず、老人に気を使わせてしまったこと。
車窓に流れていった、おかしな看板を掲げた中華料理店のことや、
田んぼの真ん中にぽつりと立っていた校舎は、明里が高校最後の大会で負かされてしまった相手校のものだということ。
沈みかけた夕焼けのこと、不意に、今日の挨拶で僕が噛んでしまったこと。
今のことも、昔のことも、これからのことも。
大きなことも、些細なことも。
分かち合いたくなったことを、ただ、ひたすら。
そんな話を無邪気に重ねている中。
もう随分と長い年月を共に過ごしたっていうのに、まだまだ明里のことも、自分のことも。
知らせていなかったことも、これから知っていくことも沢山あって。
一度通った道の中にすら、こんなに多くの輝きが眠っていたのだな、なんて思う。
夕陽が、山の向こうに沈み。
窓の外に、宇宙のような暗さが漂い始めた。
街頭や、遠くの人家の灯りが、輝きを増して。
窓に軌跡を残しては、後方に流されてゆく。
…まるで、宇宙船みたいだな。
らしくもなく、そんな子供のようなことを考える。
ほとんど夜に染まった空に、本物の星も瞬き始めた。
また日が昇り、世の中が回り始めれば、その輝きは隠れてしまうけれど。
決して、無くなってしまうわけでは、無いんだ。
そんな、懐かしいことを思い出した。
またいつか、僕らが暗がりに迷い込んでも。
そういった輝きが姿を現して、また、照らしてくれるような。
そんな、気がした。
そうやって、隣に座る明里と、車窓を流れる宇宙の景色に、ずっと、ずっと見惚れながら。
下らないことも、大切なことも、言葉で交わしながら。
僕たちは、二人一緒に、電車に揺られ。
あの街へ、僕らの家へと、帰っていった。
【Everglow】
[ever]と[glow]、2つの単語を繋ぎ合わせた造語。
この単語は海外の一部のサーファーが用いるスラングで、辞書には載っていません。
Coldplayのボーカルであるクリスが、あるサーファーの会話の中でその言葉を聴き、
インスピレーションを受け同一名の曲を作曲しています。
「永遠に続く輝き」のような意味です。
あとがきを別話として、近日中に投稿して終えます。