手紙が書けなくなったことや、この島にいる僕のことが、段々と分からなくなってしまったこと。
もう何も共有できないんじゃないかと、不安だったこと。
僕の面影が消えかけていたこと…けれど、写真で久しぶりに姿が見られて、嬉しかったということ。
明里からの手紙は、僕の手紙と似ていたと思う。
以前の僕らはきっと、何も共有はできていなかったけれど。
その中で抱えていた苦しみや寂しさは、似ていたのかもしれない。
その言葉たちには、別れが見え隠れするような陰りが節々に顔を覗かせ。
彼女も、僕らの終わりを意識していたのだということが、ありありと伝わってきた。
思い返すと、僕が書いた手紙も、そうだったのかもしれない。
それでも。
「貴樹くんが戻ってくる春を、心待ちにしています。」
手紙の最後に、そう記してあった。
僕にはその一言だけで、充分過ぎる手紙だった。
読み終えた後、自分の中に湧き上がった言葉を、今すぐ手紙にぶつけたくなったけれど。
こういった、気持ちに急かされるがままに行ったやり取りこそが、前の文通を終わらせた原因に思えた。
あの岩舟での夜に感じたことの全てが、奇跡的で、眩し過ぎて、愛おしくて。
もう一度それに手を触れたくて、今このどうしようもない距離を無視して。
たかだか数枚の紙のやり取りの中にそれを再現しようと、躍起になっていたように思う。
手元にあるこの手紙と写真は、あの夜と同類の、魅力的で温かな光に溢れていて。
同じように扱ってしまえば、同じ結末を迎えるだけのように思えた。
だから、焦ることだけは、もう止めようと。
急いだって、何にもきっとならなくて。
きっと、今の僕らに適切な速さがあって。
時間をかけることは、きっと大事なことなのだ…と、自分に釘を刺した。
返事を書き始めたのは、その手紙を受け取ってから一週間置いた後にした。
今この遠さが本当に抗いようが無いのだ、ということを念頭に置きながら、慎重に手紙を書き始め。
九月の頭、始業式の前日にポストに入れた手紙には、自分への戒めも込めて、こう記した。
「今の僕はきっと、自分が伝えたいことを一方的に書くことしかできないと思います。
明里もこの返事は、何か伝えたいことができた時、書きたいように書いて、焦らず送ってください。」
…よく考えれば、一般的な文通は当たり前にそういうものなのかもしれないな。
と、ポストに入れた直後にそう思い、自分が書いたことのおかしさに小さく笑った。
こうして明里との文通が、再び始まった。
振り返ってみれば、ペースは結局以前と同じくらい、月に一度程度。
文章は少なめで、毎回2・3枚の写真を互いに同封した。
僕が月末か月初に手紙を送り。
明里からは、月の半ばから下旬に届く。
決めたわけでもなく、自然とそういうサイクルになっていたと思う。
九月、入道雲の生えた海岸の景色と、庭の朝顔にとまったアゲハ、台風に光を閉ざされた自分の部屋の窓絵を送り。
彼女は近所で有名な向日葵畑の写真と、彼女の通う高校の写真を映した。
十月、展望台から遠くに見える種子島宇宙センターと、夕焼けになびくサトウキビ畑の写真を。
彼女は近くの山の紅葉、秋模様の庭の様子と。
衣替えでカーディガンを羽織った制服姿を、前と同じく家の門前で映した写真。
僕はどこに行くにもインスタントカメラを携帯するようになり、
土日のどちらかは原付で気の向くままに走り、彼女に見せたい景色や、物を探す時間に費やした。
巡る季節、通り過ぎる景色、変わりゆく天気の中の一瞬を、シャッターで切り取って。
出来るだけ素敵な物をその中から選んで、彼女に贈った。
十一月、自分の写真を撮るのは気乗りしなかったが、先月彼女が送ってくれた手前、こちらも撮らないといけない気がして。
嫌々ながらも、休日家にいた父にまたカメラマンを頼んだ。
「何かポーズくらい取れ。そうじゃないと撮らない。」
無茶な指示を出され、勿論反対したが、
「いつも通りのやり方なんて、その内飽きられるぞ。」と脅され、
しょうがなしに投げやりなピースをしながら写真を撮った。
おまけにその写真は現像すると、絶妙に間の抜た表情になってしまっていて、率直に言ってカッコ悪いものだった。
送りたくはなかったが、何枚もリテイクできるほど写真代も、再度自分の写真を撮る勇気もなかなか馬鹿にならないもので。
父のアドバイスを信じ、諦めてそのまま送った。
「ピースしている貴樹くんを、初めて見たかもしれません。
とても可愛いと思います。」
その文章の横に小さなピースマークが描かれ。
あちらからの写真にも、彼女のピースの手だけを映したものが一枚あった。
その言葉はやはり恥ずかしく、思わず顔が熱くはなったが。
戯れのようなやり取りができていることが、嬉しくもあった。
重要でもない、大切でもない、ありきたりで、軽やかで、大した意味も無いようなものばかりを、伝え合っているだけなのに。
そんなことが僕らを、新しい形で繋ぎ始めているように感じた。
お互い一方的な要素の多かった文面も、次第に対話が増えていった。
十二月、寒く閑散とした海と、(両親に見つからないように撮った)夕食の鍋の写真を送った。
クリスマスが近づいていることが気にかかり、
手紙の最後に「今年もクリスマスは、家族と過ごします」と、あからさまな書き方をした。
いつもより少しばかり、重たい言葉だったかもしれない。
二十三日、天皇誕生日。
彼女からの手紙が届いた。
雪に沈んだ岩舟駅と、近所にあったという雪だるまの写真。
「私も、家族とクリスマスを過ごします。
メリークリスマス、それと、よいお年を。」
手紙は、そう締めくくられていた。
その文の横には、蛍光ペンで彩られたクリスマスツリーとプレゼントが小さく描かれていた。
彼女の返事に、ほっと胸をなでおろす。
その夜、机の上に写真と、その可愛らしい絵が描かれた手紙を並べ、無心に眺めながら、
この四か月の色鮮やかな時間を、静かに振り返った。
そうして、明里との文通が安定していくにつれ。
二つのことをやらなくてはならない…という思いも、比例して強くなっていった。
一つは、机の横に数冊積み重ねた冊子に関することで。
もう一つは、澄田花苗のことだった。
去っていく今年のことを振り返りながら、
来年の、自分の行く先のことを、考え始めた。