シンボリルド──なんて? ……あっ、新堀さんね 作:かいちょう
──油断していた。
十分な睡眠を取り、買い物をする過程で多少打ち解けたことから、精神的に少しは回復したものだと思っていた。
しかし、それは慢心でしかなかったようだ。
俺は自分のできる事に満足して、その実新堀さんを蔑ろにしていたらしい。
もっと気を遣って、安心させておくべきだった──と。
「……で、これはつまり夜伽をしようと思って、布団の中に乱入してきた……と」
「うぅ……っ」
俺の懐に忍び込んでいた新堀さんの存在に気がついてから、数分後。
毛布を退かし、俺たち二人は布団の上に正座をして、神妙な顔つきで向かい合っていた。
まさか新堀さんが夜伽だなんて言い始めるとは、夢にも思わなかった。
一緒に買い物へ出かけたときは、ところどころ緊張していたとはいえ、夕飯の内容や着る服についての話をする上では至って普通の様子だったのだ。
それが、床に入ってから数十分後には、こんなひどく不安げな表情に早変わりしてしまうなんて、正直信じられなかった。
こういう場合は、俺は彼女にどういった態度で接するのが一番なのだろうか。
どんな理由があろうと、少なくとも夜這いを仕掛けるなんて、普通の精神状態ではない。今の彼女は、酷い錯乱状態にあると見て間違いないだろう。
「なにも夜の世話をしてくれ、なんて事は頼んでないじゃないか。どうしたんだ急に」
「……私にできる事など、これくらいしか無い……」
ついには俯いてしまい、彼女の顔を窺い知ることができなくなってしまった。
「だって、だって……おかしいじゃないか。こんな事、あっていい筈がないじゃないか」
「……?」
言っている意味は理解できないものの、少なくとも精神的な余裕がない状態だということは察せる。
今回もこちら側が彼女の気持ちを汲み取って応対しなければならない状況にあるようだ。
「ねっ、寝床を提供してもらうだけでも大変な事なのに、食事や衣料品の提供まで無償で受けとるだなんて、今の私ごときの立場ではあってはならない事だ……!」
そうだろうか。俺が彼女の立場であったら全力で甘えに行く所存だが、人によっては確かにそうかもしれない。
──そこで、気がついた。
なるほど俺は、昨日と今日であまりにも都合よく、彼女に優しく接しすぎていたのかもしれない。
こちらは自分にできる事を深く考えずに次々と実行していただけに過ぎないが、新堀さんからすれば見ず知らずの人間に自分が優しくされる理由など分からない。
昨日俺が言った『気まぐれ』という言葉だけでは、全く納得することができなかったのだろう。
まぁ、出会いに飢えた男子なら、新堀さんほどの美少女を目の当たりにしたら普通に手を貸しに行ってしまうと思うのだが、たぶんそういう話ではない。
「私は君に、何も……」
新堀さんなりに助けてもらった理由を考えた結果が、この夜這いもどきだったのだ。
自分に優しくするのは、自分の身体が目当てだったから──なんて思うのも無理はない。
むしろ赤の他人である男子が助け舟を出す理由を考えるのならば、それが一番合理的で納得のいく話だ。
なぁなぁで流されることはせず、とにかく誠実に理由を探すタイプの人間からすれば、胡散臭い無償の優しさよりも、性欲に付き従う下卑た救いの手のほうが、まだ信用できるのかもしれない。
彼女の中ではただの好意より、身体という対価を求める情欲のほうが、理由としての強度が高いのだろう。確かにこの上なく分かりやすい等価交換であることには違いない。
で、あれば。
俺が新堀さんに提示しなければならないモノは、彼女が居候の代わりに支払う”対価”の内容に他ならない。
おそらく彼女はただ救われることだけは良しとしない、根っこから真面目な性格の人間なのだ。
必要なのはなんでも受け入れる都合のいい相手ではなく、安心して身を任せられるような合理的な理由なのだろう。
ならば仕方がない。
新堀さんを助けたのは、彼女が可愛かったからなのと俺が主人公になりたかったから、という共感を得られないものが理由なので、新堀さんが求める方の理由を考えなければ。
「……あー、やっぱり気が変わった」
「えっ……?」
「新堀さん、そのまま横になってくれるか」
「は、はい」
言われるがまま、布団に寝転がった新堀さん。
「よいしょ」
そして、そんな彼女のすぐそばに、同様に寝そべる俺。
突然のことでビックリしてしまったのか、新堀さんから『ヒュッ』と緊張全開の息が漏れたが、気にしない。
二人で横路並びになり、見つめ合うように布団の中で密着寸前になっているこの状態でなければ、俺の作戦は始まらないのだ。
「新堀さん。きみはタダめし食いが許せないんだよな?」
「そ、それは……そうだ。働かざる者食うべからずだと、そう思っている。ましてや、私のような文無しなど……」
「なら、働いてもらおう」
「……?」
せっかく自分も仕事をすると申し出てくれるのだ。それなら是非とも手伝ってくれたほうがいい。
「少しの家事の手伝いと、今こうして添い寝しているように、日常生活における俺の”癒し”になってもらう。それがこの家にいるための、俺が新堀さんに求める対価だ」
恐らくただ家事を手伝うだけでは、彼女は納得しない。
慣れてくれば『いやコレ炊事洗濯の手伝いだけで十分働いてね?』と気づいてくれると思うのだが、今の混乱した状態の彼女には、もう少し分かりやすい代償が必要だ。
ということで、日頃から俺の癒しになってもらうとかいう、意味不明でキモい宣言を後ろに付け足させていただいたわけだ。
この場において最も優先されるものは、何もよりも新堀さんがすぐに納得できるだけの理由なのだから。
「そんなことで……良いのだろうか」
「えっ。……いや、まぁ、うん」
……そんなこと、で流せる内容だったか、今の?
まったく意外な反応をされてしまった。割とやりすぎな条件を提示したはずなのに、そんな事と断定されてしまうとは。この子つよい。
「……承知した。誠心誠意、努めさせていただこう」
了承は貰った──が、少し表情が強張り過ぎている。
この調子だと"対価"と言えば何でもやろうとしてしまうのではないだろうか。生真面目な性格の彼女からして、あり得なくはない可能性だ。
しかし何でも従ってもらう訳にはいかない。
精神的な立場の違いがあまりにも大きすぎると、対等に言葉を口にする事ができなくなってしまうのだ。
もう少しこの家で暮らす際の対価が軽いと思って貰わないと困る。
「新堀さん。その対価を払ってもらう上で、一つだけルールがあるんだ」
「ルール……?」
困惑する彼女に構わず、俺はそっと手を伸ばして、新堀さんの頭を小さく撫でた。
柔らかく艶やかな髪を、割れ物を扱うかのように優しく触れてみた訳だが、当然驚いたように目を見開くだろう。
その反応も想定済みだ。
そうなってもらう為に、今俺は彼女に触れたのだから。
「実際に触られてみて、どうだ?」
「え、えぇと……」
「嫌だろ。こういう事されるの」
言って、なるべくすぐに手を引っ込めた。何もセクハラがしたかったわけではないのだ。
「俺も完璧な人間ではないから、新堀さんに必要以上のことを求める時があるかもしれない。でも、その時もし新堀が"嫌だ"と思ったのなら、ちゃんと言葉にして伝えてほしいんだ。
それがこの家にいる上で、新堀さんに守ってもらうルール」
自分でも、いつ俺が調子に乗って新堀さんに酷い要求をするか分からない。人間は気が変わっていく生き物だから。
なので、彼女には今のうちから拒否をする習慣をつけて貰いたいと考えた。
一緒に過ごす上で対等であるためには、どちらかの言い分が必ず通るという偏った状況を生まないことが大切なのだ。
「俺は雨風をしのぐ場所を提供して、新堀さんは日常生活における家事を少しだけ手伝う。そういう……なんだ、ウィンウィンっつうか、対等な関係で居てほしいんだよ」
「対等……」
「あぁ。頼み事を断ることや、必要なものも適宜求める──そんな、居候じゃなくて同居人みたいなスタンスでいてくれないか」
その方がこちらの心持ちも楽になる。
何もかも俺の方が優位だと接し方が難しくなるし、できればルームシェアしてる友人のような距離感でいてくれた方が良い。
これは彼女の為ではなく、彼女を家に置くことになった俺のための処置なのだ。
いきなりは難しいと思うが、それでもそこだけは何とか頑張ってほしい。
──俺が要求を言い切ると、新堀さんは少しだけ目を伏せて逡巡に耽った。
互いに言葉を発する事はなく、部屋に流れるのは壁にかかった規則正しく時を刻む時計の秒針の音のみ。
急かす事なく静かにそのまま待っていると、少し経ってから、彼女はようやくその口を開いてくれた。
「……分かった、そうする」
基本的に硬い口調で喋る新堀さんにしては珍しく、同年代の少女然とした普通の返事が返ってきた。
なので、俺はほんの少しだけ狼狽して、押し黙ってしまって。
ベッドの上で寝そべり、二人して顔を見つめ合う不思議なその状況を改めて俯瞰すると、途端に恥ずかしくなって目を逸らしてしまい、それを前にした新堀さんは小さく笑い声を漏らした。
「ふふっ。……優しいな、秋川君は」
「そりゃどうも……」
一体全体俺のどこが優しいのかは皆目見当がつかないが、誉められたので素直に受け取っておく。
本当に優しい人間であれば、既に彼女のことは警察に届けているだろうし、親身になって相談事を聞いたり、もしかしたらケンカしているかもしれない親御さんとの話も仲介役として顔を出す事だろう。多分彼女は家出してきた人だろうから、それに対する適切な対応を心掛けるはずだ。
しかし、俺は必要なものを揃えて家に泊めているだけで、本当に優しい人間ならやることを一切していない。
それは単に俺が我が儘な人間で、一般常識よりも新堀さんを手放したくないという欲望に屈しているだけだからなのだ。
今も頭の上の耳がピコピコと動いている妙な少女だが、礼儀正しく真面目で、しかしどこか危うい隙もある彼女に、間違いなく惹かれ始めている。
「新堀さん。早速明日の朝、弁当を作るの手伝ってもらうからな」
「あー……やだ」
「よく言えました。今後もそういう感じで頼むよ」
「ん、心得た。……あ、でもお弁当を作るのは手伝うよ。……あの、秋川君? 聞こえてるかい?」
──必要だと思った。
俺には、このウマのような耳と尻尾を付けた、不思議な少女が。
だから時間の許す限り、彼女と一緒にいたい。
そんな度し難い欲望を抱えながら、俺は今度こそ新堀さんをこの家へ迎え入れ、夢の中へと沈んでいくのであった。