ただしあくまで「原作に登場しないほどの脇役」という立ち位置なので、ほとんど矢面に立つことはありません。
どうぞよろしくお願いいたします。
一.レーツェルという名の吸血鬼
――なぁ、一番怖い童話ってなんだと思う?
――不思議の国のアリス。
唐突に切り出されたそんな質問に迷いなく即答してみせると、おかしそうに笑われた。
――グリム童話とかの方が断然怖くないか? ほら、浦島太郎の真実とか知ってるか?
――知らないけど。
――浦島太郎は醜い女に騙されて麻薬を吸わされてて、味わってた幸福はすべて幻覚だったってオチさ。何十年も経ってから命からがら逃げ切ることができたんだけど、結局外の世界は浦島太郎には絶望だらけでさ、竜宮から持ってきた麻薬を使って幻想を見ながら海に落ちて死んだって話。
あれは『美味い話には裏がある』だとか『人の言うことは聞きましょう』だとか、そういう教訓の話だと思っていたんだが、真実はずいぶんと残酷だな。
――それでも、俺はやっぱりアリスの方かな。
――じゃああれは? ハーメルンの笛吹き男。
――あー、話だけは聞いたことあるな。ネズミ退治の報酬がもらえなくて怒ってどっか行って、なんか六月に帰って来て一三〇人の子どもを攫って洞窟に閉じ込めたって話だろ? 真実もくそもない普通に怖い話だと思うけど。
――実は、その話ってほとんどが史実通りなんだってさ。あと笛吹き男は小児性愛者だとかなんとか。
史実通り、つまりは現実に起こったこと。怖い童話の中でも特に異彩を放つわけでもないハーメルンの笛吹き男ではあるが、実際に同じようなことがあったと考えると確かに恐ろしく思えてきた。
――それでも、俺はやっぱりアリスを支持するよ。
――なんでだよ。アリスってテレビとかでよく見るけど、別に人が惨たらしく死ぬわけでもないだろ。
――そうだけどね。お前、テレビじゃなくて本としてアリス読んだことある?
――ないな。
――だから大したことないって思えるのかな。俺は実際に読んでみたんだ。
その時のことを思い出すと、今でも空恐ろしい感覚が蘇ってくる。
――へえ、そりゃテレビで見るようなもんとは違うんだよな。
肩を震わせる俺に、興味深そうに問いかけてきた。
――全然違う。ただ、口じゃ説明しにくい。狂気を感じるんだ。
――狂気ねぇ。不思議の国のアリスってのは作者のキャロルが知り合いの女の子にプレゼントするために作った物語なんだろ? なんで怖がるんだよ。
――その時代の人たちとか子どもたちにとっちゃ普通なのかもしれないけど、俺は、書き方にも言い回しにも鳥肌が立つようなおぞましさを感じた。
無邪気すぎるアリスの対応にも、他の登場人物の行動や話し方にも。
そしてなにより、あんな狂気の塊のようなものを平然と書き切れるキャロルという人物には畏怖を感じざるを得ない。
ただ、何十、何百、何千。どれだけの年月を自分が努力し続けたところで絶対に至れないであろう発想を持つ者を俺は素直に尊敬する。当然キャロルはその一人だ。そして畏怖と同時に尊敬の念も抱いていた。
詳しく話を聞こうとしてくる知り合いの行動を阻止するように、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
それより後の記憶が俺には一切なかった。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
「……かし…………ことだ」
ずっとずっと深いところに沈んでいた意識が、しっかりとした形を持って浮かび上がってくる。
感覚としては寝起きと同じ――事実その通りか。言葉の意味もわからず、ただ雑音としか捉えられなかった誰かの声が、意識とともに次第に鮮明となっていく。
「こんな翼の吸血鬼は見たことがないぞ。レミリアは普通だったというのに、これはいったい……」
「そうですねぇ、とても不思議です。あ、見てください。この子、起きたみたいですよ」
ぼんやりと瞼を開いてみるが、どうにも焦点が調節できなかった。ただ、視界になにか動くものが映っているのは理解できる。
しばらく状況が飲み込めずにボーッとしてしまっていたが、次第に脳が働きを始め、聞こえていた会話の内容を整理していく。
こんな翼の吸血鬼は見たことがない。レミリアは普通? 吸血鬼というと、人の血を吸って生きる化け物だったか。レミリアとやらがそれの一種で、こんな翼の吸血鬼とまで言っているわけだから、最低でももう一人は吸血鬼がいるのだろう。
……っていうか、吸血鬼ってなに?
当たり前だが、そんなものは現実には存在しない。これはたぶん、なんらかの部族や民族の隠語として、吸血鬼の言葉を使っている。そうなると翼もまた他のなにかの隠語なのかもしれない。
この子、起きたみたいですよ。
この子とやらは、翼が変らしいもう一人の吸血鬼であると考えるのが普通だ。でも、なんだろう。ちょうど俺が起きた時に「起きたみたい」などと言われたからか、なぜか自分のことのようにも感じている。
声音からして「この子」と呼んだ人は女性、しかも歳をそこまで取っていない感じだった。
「あー、あーうぅ」
なんのことを話しているのか。そう問いかけようとした口から代わりに出たのは、赤ん坊のような可愛らしい声だった。
あれ……? 寝起きでうまく声が出ないのかな。そう思って喉に力を入れてみるも、どういうわけか赤ん坊の声がどんどん大きくなるだけだ。
「はいはい、お母さんはここにいますよー」
ふと、ふわりと体が浮き上がる感覚。自分の体重を受け止めていた地面が急に消え、一瞬体中を冷たい感覚が駆け巡った。
誰か、もしくはなにかに持ち上げられている。そう思い至るのに時間はそうかからなかった。
……いや、ちょっと待て。俺は成人間近の男性のはずだ。こんなヒョイ、とでも擬音がつきそうなくらい簡単になにかに持ち上げられるわけが……。
感覚的に俺を支えている場所は首と胴体の後ろ側全般、人に抱えられているとすれば、赤ん坊を抱きかかえているような姿勢だ。
そもそも「お母さん」ってなんだ? 俺の母? いや、俺を持ち上げられるだけの腕力が彼女にあるわけがない。
「あうぅ、うぁあ……」
「あらあら、元気がないですね。お父さんが自分の娘を疑うようなことを言ったからですよ?」
「決して疑ったわけでは……いや、生まれて間もない自分の子を警戒の目で見てしまうようでは父親失格か」
「そう思うなら謝ってくださいよ、レーツェルに」
「すまなかった、レーツェル。お前は間違いなく我が愛する娘だ」
待て、待て待て待て。
状況がうまく整理できない。これは夢か? それにしては空気がリアルすぎるというか、意識がハッキリしすぎているというか。
なんで俺の口からは赤ん坊のような声しか出ない? どうして俺は容易に持ち上げられた? なぜ視界は朦朧としている? 娘という単語はなにを指している?
嫌な予想、予感。感じた謎がかけ合わさり、俺の頭の中にもっとも可能性が高い推論を投げかけてくる。
すなわち、俺が娘と呼ばれている赤ん坊であること。
成人間近の男性ではなく生後間もなく体重が少ない赤ん坊ならば、簡単に誰かに持ち上げられるなんてことも納得できる。
大きく口を開き、息を吸う。吐く。その感覚はどこまでも現実味を帯びていて、そして気づいてしまえば、どこか体に違和感を覚えるようにもなってしまった。
体が思うように動かせない。感覚的には、まるで一気に縮んでしまったような、本当に赤ん坊になってしまったような気がしてくる。
「うええお、うえお、あえう」
「うぅん? レーツェル、なにか言いましたか?」
不思議の国のアリス。舌も回らぬ赤ん坊が、どことなくそんな言葉を吐いた気がした。
「あうぁあああうぅ、あうぅうう」
「あらあら、そんな顔しないのですよ」
「わ、わわ、悪かったレーツェル! 大丈夫、大丈夫だ! 我はお前を愛しているぞ!」
顔なんて動かしたつもりはなかったが、今の俺の表情筋はずいぶんと正直なやつらしい。心に生まれた疑念と不安によるものか、どうにもコントロールが効かない。
これは夢か、現実か。常識的な観点で現状を整理すれば、どんなに現実染みていようと、最終的には夢という結論に至るしかない。なにせいきなり赤ん坊になっていたとかわけがわからない。
しかしどうにも俺の直感とでも呼ぶべきか、自身に自己を認識する強烈な自我があることがわかっていた。夢を現実だと思うことはあっても、現実を夢だと思ってしまうことはないように、これは夢ではないと確信めいた気持ちを抱いていた。
理解が追いつかないせいか、どうにも思考が麻痺してきているような気がする。素直な表情の方は知らないが、頭の中はどんどん冷静になっていく。
まずは状況を整理しよう。
俺はなぜか赤ん坊になった。理由は知らない。心配そうに仕切りに話しかけてくる男性と女性の二人が、俺の親と捉えて間違いないはずだ。
そして娘と言っている辺り……非常に認めたくないものだが、男ではなく女である確率がめちゃくちゃ高い。
鑑みれば、レミリアという名前の誰かが俺の兄か姉に当たる人物であることが匂わされる。名前からしておそらく姉だろうとは思う。
吸血鬼という単語は変わりなく部族や民族の隠語と考えることが妥当だと考えていたが……なんだか、妙に引っかかる。
レミリアの名と翼の生えた吸血鬼。違和感というか既視感というか、どこぞの有名な
「そ、そうだ。これを聞いて落ち着くんだ。レーツェル・スカーレット、それがお前の名前だぞ。これは母さんと一緒に考えて――」
「赤ちゃんに得意げに話しても理解できませんよ、お父さん。錯乱しすぎです。この子と一緒に落ち着いてください」
自分の名前を聞いた瞬間、すべてを確信した。
作品名を東方Project、ジャンルは基本的にSTG。ただ一言にゲームとだけでは言い表せないほど莫大な設定を誇り、それに登場する人気キャラの一角に、レミリア・スカーレットという悪魔的な翼を備えた吸血鬼がいる。
俺が耳にした情報は翼の生えた吸血鬼、レミリアという名にスカーレットの姓。それだけの要素が重なっていることを単なる偶然だとは思えない。
吸血鬼という言葉は部族や民族を指す隠語ではなく、それそのままを指している――。
ああ、と声を漏らす。
俺はどういうわけか、東方Projectの世界にて、レミリア・スカーレットの妹として新たな生を受けているようだった。