一.何時か何処かの平和な日常
春は未だ続いているが、幻想郷の桜はすでに散ってしまったものが多い。宴会の季節が終わってしまったことを残念に思う者は多かったが、どうせまた来年になれば毎日のように宴を行うのだ。その時の楽しみとして取っておけば、待ち遠しいという気持ちが徐々に溜まっていき、いざ次の春が訪れた際にはいつもの宴会以上にはしゃげるようになる。
宴の時期が過ぎ去って訪れる静けさは普段通りのはずなのに、少し前が騒がしすぎたせいかもどかしいようにも感じる。
「あははは、なんで音楽が鳴ってる時だけ踊るのよ。そりゃあ踊るなら鳴ってる方がいいけどね、そんな鳴り出した瞬間から踊り出さなくてもいいでしょうに」
「今ちょっとしんみりしたこと考えてたのに、台無しです」
「なに言ってるのよ。ほら、あんたもこっち来なさい。そこじゃ見にくいでしょ?」
博麗神社の居間。縁側近くの障子に背を預けてぼーっとしていた俺を、霊夢が手招きした。彼女の体の正面から二メートルほど先にはブラウン管テレビが設置されており、その隣にはビデオデッキが置いてある。
二つの機械は俺が紅魔館の自室から持ってきたものだった。ブラウン管テレビや、いつか香霖堂で買ったビデオデッキを魔力で運用できるように改造するのは苦労したが、それも先日に完成した。昨日なんかは香霖堂にあったビデオテープを適当に買った後、その中身をチェックしたりしていた。途中からレミリアやフランも混ぜたりして。
その中から比較的面白そうなものを選んで、霊夢にも観賞してもらおうと魔法で倉庫に入れて神社まで運んできた次第である。
霊夢との距離があまりなく、立つのももったいない気がしたので、四つん這いで彼女のもとへ向かった。霊夢はちゃぶ台の前で正座をしていたが、俺は適当に足を崩して座る。
「猫の妖獣とネズミの妖獣が争う話って聞いてたけど、ずいぶんとコミカルなお話ね。猫はネズミにやられてばっかりだし、ネズミのくせに頭いいし」
「外の世界じゃ割と有名な喜劇だと思いますよ。子ども向けですけどね」
「そうなの? んー、そういえば、よくよく思い返してみたら会話がほとんどなかったわ。言葉がつたない子どもでも気軽に楽しめるってわけね」
それだけ出来がいいということでもある。そうでなければ、わざわざ見せに来たりなんてしない。
そのまま、二人してブラウン管のテレビを眺め続ける。時に霊夢が笑い、あまりに面白いところになると俺に話を振ってきたり。表面上は感情を映さない俺でも、さとりから中身はそれなりに豊かだとお墨付きをもらっている。盛り上がりに欠けることなく、気づけばビデオを一本見終わっていた。
「あー、久しぶりにこんなたくさん笑ったわ」
「宴会でいっぱい笑ってたじゃないですか」
「そういえばそうだったわ。じゃあ、しょっちゅうこんなに笑ったわ? なんだか日本語おかしいわねぇ」
続きないの? と催促をされ、倉庫魔法でご所望のビデオテープを取り出した。霊夢の頬が緩んだのは見逃さない。こうして喜んでもらえるのなら俺も持ってきた甲斐があるものだ。
いちいち動くのもめんどうだったので、影の魔法でボタンを押し、ビデオデッキの中身を取り出した。さきほど倉庫から出したビデオテープを軽く投げると、影がそれを優しくキャッチして、空になったビデオデッキへと挿入をする。
「あいかわらず便利ねぇ、その魔法。ちょっと気持ち悪いけど」
「……なんか魔理沙にも気持ち悪いとか言われた記憶があります。そんなに変です?」
「変っていうか、まぁ変なんだけど、そうじゃなくて。なんか触手みたいなのがうねうね動いてるじゃない? あんなの近くで見たら私とか魔理沙じゃなくても引くと思うわよ」
うへぇ、というような声が今にも漏れてしまいそうな顔で、霊夢はビデオデッキ前でにょろにょろとうごめく影を見つめていた。そんなに嫌なものなのだろうか。ぷにぷにしてて面白いと、ルーミアやこいしなんかには意外と好評価をもらえているのだが。
服の中の影を手元に集めて、質量を持たせてみる。触手が気持ち悪いとのことだから三本くらい手の平から出す感じで――。
「……うん」
遠くで見たり、自分で操作している間はなんとも思わなかったが、黒光りする細い触手が手の平から生え、至近距離で絡み合ったりしているのを眺めてみると、段々と頭から血の気が引けてきた。タコなどのどこか食欲をそそるようなそれと違って、ナメクジを前にした何倍にも及ぶようないかんともしがたい気色の悪さは、冷静に観察しようとする俺にただただ寒気と忌避感を覚えさせてくる。
触手型の影をできるだけ遠くにぶん投げると、その反動でふらふらと霊夢の方へ寄りかかってしまった。
「あ、ちょ、レーツェル?」
「き、気持ち悪い……」
「さっきまで全然平気だったじゃないの。あーもう、大丈夫? とりあえず膝貸したげるから、横になりなさい」
改めて認識した以上に、できるだけ気持ち悪くなるように作ったのも体調を崩しかけている原因の一つだろう。というか以前は体に纏わせたりとかしていても平気だったから、明らかにそれが要因の大半を占めていた。
ふいと、かつての夜が終わらない異変で鈴仙を影の触手で縛りつけた時のことを思い出して、途端にとてつもなく申しわけないことをしてしまったような感情が湧き上がってくる。
半ば無理矢理に霊夢の膝を枕に寝かされた。すでにテレビの方では新しいビデオテープの中身が再生されていたが、それには目も向けず、霊夢は俺の顔を心配そうに覗いてくる。
「……ごめんなさい。迷惑、かけてますよね」
「いいのよ、このくらい。あんたには結構助けられてるからね」
そんな大層なことをした記憶はないのだけど――あれ。なんだか似たようなことが前にもあった気がする、と思考が過去を振り返り始める。
俺が調子を悪くして倒れそうになって、誰かに助けられて、今と同じように膝枕をされて。そう、萃香に能力の修行をつけてほしいと頼みに行った日の初日、能力だけで霧になったせいで副作用が起きてパチュリーに支えられた時だ。
もう答えにはたどりついていたのに、嬉しさを表現しなきゃいけないことはわかってたのに、また俺は謝罪の気持ちなんて口にしてしまった。
「その、さっきの謝罪は訂正で。霊夢、ありがとうございます」
「……なにその変な顔。笑ってるつもり? 全然似合ってないっての」
そんな無理しなくてもいつも通りでいいのよ、と。そんなことをため息交じりに言われて、頭の中が一瞬真っ白になる。
俺の顔は感情を映せない。作ろうとして作った表情しか浮かべることができない。だから意図して嬉しそうな顔を作成してみたというのに、そんな呆れ顔で拒絶されたらなにをしていいのか。
また霊夢にため息を吐かれた。それもかなり大きめに。
「最近、咲夜のやつみたいにあんたの考えがちょっとずつ読めるようになってきたわ」
「は、はあ」
「あんたの性格、かなり単純なんだもの」
霊夢が、寝転がったことで床に落ちてしまっていたらしい俺の帽子を拾って、腹の上辺りに置いてくれた。それから頭に手を置いて、まるで子どもを寝かしつけるように優しく撫でる。
「誰かになにかしなきゃとか誰かにお返しをしなきゃとか、ほんっとくだらない。あなたがしたいようにすればそれでいいのよ。幻想郷の連中は元々自分勝手なやつばっかりだからね。多少わがまま押し通したところで文句一つ言われやしないわよ」
「……霊夢が言うと説得力がありますね」
「ふーん。それは私が自分勝手でわがままだって言いたいのかしら?」
霊夢が片手でぐっと拳を握るのが見えた。慌てて両手を左右に振って否定の意を示す。
「あ、在るがままってことです。周りに影響されないで確固たる自分を持っています。皆、そんな霊夢だからこそ神社に集まってくるんですよ」
「いや妖怪に集まられるのは困るんだけどね……って、もしかして褒められてる?」
「はい」
「ふぅん。や、うん、そうね。なんだか照れるわね、こう、真正面から言われると」
頬を赤らめて恥ずかしそうに視線を逸らす霊夢の仕草は、見た目相応の可愛らしい少女のそれだった。そんな彼女をぼーっと見つめ、ただなんとなく、改めて思う。
スペルカードルールのもとにあらゆる幻想を相手に立ち回る、妖怪退治を生業とする博麗の巫女、博麗霊夢。そんな彼女はまだ二〇年も生きていない幼い女の子で、俺の前世でなら中学に通っているような年齢で。
そしてそんな少女にこうしてなぐさめられている今の俺が、なんだか途端にバカバカしく思えてきた。
「……うん、いい顔になったわね。いえ、いい目かしら」
「そうですか?」
「そうよ。見ればわかるわ」
むんっ、と霊夢が胸を張る。そんなに誇らしげにしなくてもいいと思うのだが。
そろそろ落ちついてきた。上半身を上げ、もういいのと問いかけてくる霊夢に、首を縦に振る。テレビ画面の方を見ると結構進んでしまっていて、最初の方から見直すために影の魔法で巻き戻しボタンを……いや、自分で押しに行こう。
立ち上がって歩き出そうとしたところで、今の今まで調子を整えることや霊夢との会話に意識を向けていたから気づかなかったが、誰かが俺たちを見ていることを察知した。縁側の方へ顔を向けると、魔理沙がニヤニヤと笑みを浮かべながら座っていた。霊夢もそれに気がついたようだ。
「いい趣味じゃないわね、盗み見なんて」
「借りていくだけだぜ、って泥棒働いたりする人に盗み見を注意しても意味ないと思いますけどね」
「ちょうど出くわしただけだぜ」
新しい湯呑みにお茶を入れようとする霊夢を、「お茶はいい」と魔理沙は手の平を見せて差し止めた。
「霊夢、レーツェル。突然だがツタの妖怪っているのか?」
そして帽子を外しながら、お茶をもらわない代わりにそんな質問を投げてきた。妖怪の知識なら阿求のところである程度学んでいる。ツタの特徴を持っていたりツタを操ったりしそうな妖怪がいないか、軽く思い浮かべてみた。
「ツタの妖怪? そんなもんいるとは思うけど……」
「ぱっと出てくるのは
樹木に宿る精霊のことを木霊と呼ぶ。歴史上ではもっぱら妖怪扱いをされているが、自然に溢れるなにかに住まうという点では妖精のそれに酷似している。
「そういえばそんなのもいたわね。で、どうして急にこんなこと聞きにきたの? ツタの妖怪でも出たの?」
お茶をすすりながら霊夢が魔理沙に問いかける。俺も、さっさと画面を巻き戻してしまおうとビデオデッキのもとに足を進めるのを再開した。
「なにか知っていたら教えてほしい。理由は……えーと、ツタで相手を絡まして楽しむ魔法を使いたいんだ」
「そういう話なら別にツタの妖怪とかじゃなくて、こいつに直接聞けばいいと思うんだけど」
こいつ、の辺りで霊夢が俺を指差す。影をツタの代わりにして絡ませるなんて造作もないことであるし、霊夢もそういうところを思い浮かべながら俺を指名したのだろう。
ついさきほど影の魔法で触手を作って気分が悪くなった俺としては、あまり頼りにしてほしくない部分もあるが。
「妖怪から技を盗むのさ。習うのも大切だが、実際に見て勉強した方がよかったりもするだろ?」
そう答える魔理沙はどこか狼狽えているようにも見えた。確かに正論ではあるが――いや、詮索はやめておこう。誤魔化すということは知られたくないことなのだろう。魔理沙の反応を見る限り、特に霊夢には。
「そんなことより木霊だよ木霊。その木霊ってのはなにに弱いんだ?」
「弱いって……なにをする気なのかしら。まぁいいけど」
「本体の木を探し出して伐採するのが一般的ですね。あとは火が近くにあったりすれば寄ってこないと思います。除草剤とかも有効かもしれません」
「
「……なんだよそれ。除草剤って、草薙の剣って」
魔理沙が呆れ顔で俺たちを見やる。そんな目で見られても、実際にそうなのだからしかたがない。虫の妖怪だって殺虫剤を使えば退治できてしまうという話だし。
「まぁいいや。とりあえず助かった、私はもう行くぜ」
「あ、ちょっと魔理沙!」
霊夢の呼び止めに応じず、魔理沙は帽子をかぶり、竹箒に乗ってさっさとどこかへ飛んで行ってしまう。ずいぶんと急いでいるようで、いざ追いかけるとなれば一苦労だ。
肩を竦めると、霊夢は物欲しげにブラウン管テレビに視線を送った。そういえば巻き戻しボタンを押していなかった、と停止ボタンからの巻き戻しで一気に最初の方へと画面を戻す。
満足げに頷く霊夢の近くに帰ってきては、彼女はポンポンと手で床を叩いていたので、そこにぺたんと腰を下ろした。
「まぁ、魔理沙がなにしようが知ったこっちゃないわね。今の私にはそんなことよりとっても大事な用があるんだから」
「だ、大事な用ですか」
霊夢はずいぶんと目を輝かせ、わくわくと画面を見つめていた。こんなに喜んでいるのは、俺の看病や魔理沙の訪問で続きの観賞を先送りにされてしまっていたからだろう。楽しんでくれているようでなによりだ、という気持ちが湧き上がる以前に、コメディチックな動画を見ることを大事な用と言い張る霊夢に若干引いてしまった。
それがバレたのかほんの少し横目で睨まれるが、テレビ画面が本編を映し始めるとそれも収まって、霊夢はそれを見るのに集中し始めた。
猫とネズミの掛け合い。快活に笑う霊夢を横目で盗み見ていると、そんな動画を見るよりも大きく胸が弾むような気持ちになってくる。
「……また香霖堂でテープが売っていたら、買い占めましょう」
ほんの数秒、目を閉じる。外から聞こえる小鳥のさえずり、テレビから放たれるコミカルなバックグラウンドミュージックが、何事もない平和な日々を象徴していた。
それからは霊夢と一緒にテレビ画面を見続けた。来客はなく静かなもので、穏やかに時間は過ぎ去っていく。
――この数日後、魔理沙が神社にツチノコを連れてやってきた。ツチノコは草の神さまの使いだから少しなら植物を操れるだろうと、これを捕まえるためにツタの妖怪のことなんて聞きに来たんだろうと。
霊夢に聞かれたくなかったのは瞬く間に退治されてしまいそうだったからかもしれない。
魔理沙はいたく可愛がっていた様子だったが、霊夢によればツチノコはものすごく大食らいでいびきをかくらしく、どうせすぐに退治したくなるだろうとのこと。
さとりもペットを飼っていた。俺もまたいつか、育て切るだけの心構えができたなら、なにかを飼ってみたりとかしてみようかな。そんな風に思いながら、その日は魔理沙に猫とネズミの掛け合いの動画を見せたりした。