四角いちゃぶ台を三人で囲んでいた。俺の対面にフラン、左隣に妖怪ウサギ、右隣は霊夢が戻ってきた時のために座布団だけ敷いて空けている。
妖怪とは言え客が来ているからか――そもそも霊夢は妖怪退治を生業にしているから妖怪に厳しく接することが多いだけで本質的には何者も差別していない――、霊夢はお茶の他にも茶菓子の用意もするとのことだった。手伝おうとする俺を押し止めて、俺とフランと妖怪ウサギの三人を居間に置いていったことから、現在の状況が作り出されていた。
霊夢と妖怪ウサギには怪我をしたところを助けた、助けられたという関係がある。しかし俺やフランと妖怪ウサギの間にはなにもなく、たださきほど顔を合わせただけだ。非常に微妙な空気が漂うことは避けられず、妖怪ウサギは、なんとも言えない気分でお茶の水面を見つめる俺と、暇そうに頭を揺らすフランを交互に見やってきていた。
「えっと、あなたたちはさきほどの紅白の人とはどういう関係なの?」
このままでいるのも気まずいのでそろそろ俺からなにか話題を出そうかと考えていたところだったが、妖怪ウサギの少女の方が先に耐え切れなくなったようだった。精一杯の愛想笑いを浮かべての質問に、俺とフランは顔を見合わせる。
「友達です。場合によっては敵、ということになるかもしれませんが」
「普段は仲良くしてるけど、時には互いに取って食っちゃい合うような関係?」
「えぇ……?」
個人的には親しくさせてもらっているが、霊夢が人間であり妖怪退治を生業にしている以上、悪魔である俺たちは彼女の敵になることもあるだろう。もちろん基本的には霊夢に協力するつもりでいるが、またレミリアが異変を起こそう等と提案してきたりしたら、そちら側について霊夢と敵対することになる。当然、戦闘はスペルカードルールに則ったものだから生死の心配はまったくと言っていいほどないが。
矛盾するはずの二つの関係が当てはまると言われ、妖怪ウサギの少女はずいぶんと混乱している様子だった。人間と妖怪が親しい仲、それも博麗の巫女である霊夢が相手となると、今のような言い方が一番である。
「なんでそんな不思議そうにしてるの?」
「なんでって、そりゃあそんな変な言い方されたら戸惑うわよ。要するにあなたたちはあの巫女を騙してるってこと?」
「はぁ? なに言ってるの? 頭大丈夫? こんな関係、幻想郷じゃ珍しくもなんともないじゃん」
「珍しく、ない?」
人間は妖怪を退治し、妖怪は人間を喰らう。そのシステムを保ちながらも互いを認め合って生きていくことができている幻想郷においては、フランの言う通り、そんな矛盾した関係は珍妙の類には入らないだろう。むしろこの場では、「ありえない」とばかりに一片たりとも理解を示さない妖怪ウサギの方がおかしかった。
「もしかして幻想郷には最近来たばっかりだったりするんです? なんだか
「え? や、ち、違うわよ? わ、私は立派な地上のウサギよ」
「……そうですか」
目が泳いでいるし、言葉がどもっている。答え方もなんだか若干変な気がするし、なにかを隠しているのは明白だった。ここでそれを追究する選択肢もあったけれど、少し考えて、それはやめておくことにする。そこまでのことが許されるほど親しくも敵対してもないし、客である彼女の機嫌を損ねるのは霊夢にも迷惑がかかる。
フランも俺と同様に違和感を覚えていたみたいだったが、あちらは単に問い詰めるほどの興味がないだけのようだ。「ふーん」と適当に流し、会話中は止めていた頭を揺らす仕草に戻る。
「お待たせー。ほら、あんたら吸血鬼のぶんも持って来たわよ」
そこで霊夢ががらがらと障子を開けて戻ってきた。彼女の抱える盆の上には、お茶と、ミカンに似た茶菓子が乗せられている。
「わっ、ありがとうございます」
「んー、よきにはからえ」
「なんであんたは姉と反対に偉そうなのよ。というかそれ、よくやったって意味じゃないから」
霊夢の呆れた目線を一切気にせず、フランは俺に「そうなの?」と霊夢に指摘された部分が本当かどうかを確認してくる。こくりと頷いて、「そういう時は『くるしゅうない』です」と教えておいた。「『よきにはからえ』は『お前の思うようにやっておけ』って意味ですよ」。
ちゃぶ台にお茶と茶菓子が並べられていく。それが終わったら盆を置いて、霊夢は俺の右隣の座布団に座った。
「敷いといてくれてたのね。ありがと」
「お茶菓子をご馳走させてもらっている身なんですから、こんなことでお礼なんていりませんよ」
両手を合わせ、いただきます、と。茶菓子を一口味わって、湯呑みを口に運ぶ。その際にふいと霊夢の顔が視界の端に入って――居間に入る前も思ったが、やはりどこかやつれているように見えた。目の下の隈も見間違いではない。
「霊夢」
「なに?」
「美味しいです」
唐突な茶菓子の感想に、霊夢は目をぱちぱちと瞬かせる。そうして口を開いてなにかを返してくるよりも先に、「無理しちゃいけませんよ」と付け加えて、自身の目元を指差しておく。
霊夢がそれに呼応して、ちょうど持っていた湯呑みに視線を下ろした。しばらく彼女は水面を見つめていたが、次第にどこか納得したような顔になって、小さく肩を竦めた。
「……ほんと、あんたって心配性ねぇ」
「規則正しい生活を送っていないと、下手すると死んじゃいますよ」
「人間だってそこまで弱くないって。一日寝なかったくらいじゃ死なないわよ」
夜遅くまで起きていたのかもと思っていたが、夜通し起きていたのか。そんな俺の驚愕を霊夢は察知したようで、まるで親にイタズラがばれた時の子どものような顔をして即座に俺から視線を逸らした。
「そ、そんなことより! あんた、もう怪我は大丈夫なの?」
そうしてちょうど視線の先にいた妖怪ウサギへとそう問いかけていた。湯呑みを下ろすまでの二秒ほどの空きの後、彼女は答える。
「だいぶ寝たから大丈夫」
「確かにもう怪我はなさそうだけど……ま、妖怪は治癒能力が高いからねぇ。どいつもこいつも吸血鬼並みじゃないとは思うけど」
「そんな微妙なところでおだてたって、後でする説教は免れませんよ」
「ぐぐ……ちぇっ。説教なんてあの閻魔にされるだけで、もうこりごりなのに……」
俺も映姫に説教されるのはこりごりだ。別に嫌ってはいないが、会うことがイコールして説教に繋がりそうな予感がするので、できるなら遭遇しないように立ち回りたいところである。
そういう意味では説教を嫌がっている霊夢をしかることは俺にはできない。そもそも嫌がるのが普通の反応である。
「妖怪……私は、妖怪かしら……?」
そんな思考の最中、妖怪ウサギが、どこか不安げに俺たちに視線を送ってきた。その質問内容はおよそ妖怪がするものとは思えないもので、俺やフラン、霊夢は揃って疑問符を頭に浮かべる。
「人の形してるウサギなんて妖怪以外にいるわけないじゃん。そもそもあなたがただのウサギだって言うんなら、今頃霊夢に食べられてたんじゃないの?」
「そこまで鬼畜じゃないって。そもそもウサギなんて鍋くらいでしか食べないし、こんな真夏に兎鍋なんてやらないわよ」
当然ながら、自分が食われるかもしれなかったなんて聞いて怯えないはずがない。フランと霊夢の会話に、妖怪ウサギの少女がぶるりと全身を震わせて二人を見やった。
この妖怪ウサギは、もしかして妖怪としては新参者なのだろうか。最近ただの野ウサギから妖怪ウサギになったとか。そう考えれば一応辻褄は合いそうなものだが……唯一気になるのは光る半透明な羽衣だ。
「ま、なにはともあれ怪我が治ってよかったわね。そんなに治癒能力高いなら医者のところまで行かなきゃよかった」
「医者?」
「……永遠亭ですか」
「あ、そうなのよ! 私はこいつに一つしかない布団を占領されてたからしかたなくあそこに行って、だから寝ることができなかったの! 追い返されたけど! 私は悪くないっ!」
名案とばかりに叫んでは俺に詰め寄ってくる霊夢を、どうどうと押しとどめる。
「まぁ……そういうことならしかたありませんね。むしろ、怪我人に布団を貸してあげたうえに永遠亭まで行っていたことを褒めるべきでしょうか」
「ふふん、でしょう?」
「でも、今回だけですよ。徹夜は健康以外のいろいろな面にも影響が出てきますから。毎日適度な睡眠が必要です」
霊夢は、わかってるわよ、と上機嫌に答えて茶菓子に手をつけた。どこか満足げな顔は茶菓子の甘さによるものか、説教を逃れたことの喜びによるものか。両方だろうな、なんて思いながら俺は湯呑みを手に取った。
「あー……安心したら眠くなってきたわ」
大きなあくびを一つすると、霊夢はごろんと体を横にして座布団を枕にする。よほど眠かったのだろう。顔を覗き込んでみると、今にも寝そうな様相だった。
湯呑みを口元に運んで、その中身がないことに気づく。肩を落としてそれを置いた俺に見かねたのか、フランが自分の湯呑みをすすっと差し出してくるが、首を横に振った。他人のぶんを取ってまで飲みたいわけではない。
「でも、ありがとうございます」
「ん」
それにしても霊夢、まさかこの場面で寝転がって、俺とフランと妖怪ウサギの三人という微妙な空気を再現するとは――なんて一瞬思いかけて、すぐにそれを打ち消した。
空いた障子の向こうから見える小鳥のじゃれ合い、鳴き声。寝顔をさらすことも気にせず、ただただ穏やかに寝入っている霊夢。幾度か言葉を交わしたこともあり、三人の間に気まずい雰囲気はとっくに流れてなどいなかった。
「あなたたちは、私と同じ妖怪なの?」
「そうですよ。吸血鬼です」
「厳密には同じじゃないけどね。あなたは妖獣だし、私たちは悪魔だし。ちょうどいいから妖怪ってひとくくりにされてるだけ」
「なるほど……」
吸血鬼という名を聞いても驚かないどころか、まったく無関心なところに俺とフランは顔を見合わせる。何者も差別や区別をしないというよりも、吸血鬼がどういうものなのか知らないという風に見えた。
一応そのことを予想はしていたから驚きはない。俺とフランの翼を見ても、せいぜい不思議そうに視線を送ってきた程度で大した反応を見せなかったから――ずいぶんと歪なので、吸血鬼だと気づけなくてもおかしくはないのだが――吸血鬼を知らない可能性も頭に入れていた。
それでも、奇怪に思うことは避けられない。
吸血鬼の名は知れ渡っている。新参の中で最高位の力を持ち、初めて現れた異変ではあと一歩というところまで幻想郷を侵略しかけた、今はパワーバランスの一角を担う最強種の悪魔。たとえ新米の妖怪でもそのことを知らないはずがない、知り得ないはずがない。
違和感がずいぶんと膨らんで、段々と気になる気持ちが抑え切れなくなってきてしまった。問いかけるくらいはいいだろうか、と。誤魔化されたら退くくらいの心持ちで疑問を投げるくらいなら許してくれるだろう。
「ウサギさんは」
口を開いた俺に焦点を当てようとしていた妖怪ウサギの少女が、不意に驚愕を顔に映して、バッと居間の外の方を向いた。その必死さに当てられ、思わず出かけた言葉が詰まる。
彼女は急ぎ気味に立ち上がると、空いた障子の方に駆け寄ってきょろきょろと辺りを見渡し始めた。
「どーかしたの?」
「え、あ……その」
意を決したように俺たちの方に振り返った妖怪ウサギが、勢いよく頭を下げてくる。
「ごめんっ! 私もう行くからっ!」
返答をするよりも早く、妖怪ウサギの体がふっと消え失せる。霊夢から羽衣を取り返す時にも使った似非零時間移動法であった。
視界からは完全にいなくなってしまったが、追うことができないわけではない。一、空から追跡。二、影の魔法で場所を感知。三、鬼化魔法の使用後『密と疎を操る程度の能力』で霧になってウサギを探す。ぱっと思い浮かぶだけのものでもこれだけの方法があった。
「追いかける?」
フランの問いかけに、しかし俺は首を左右に振る。
「やめておきましょう。急用ができたとか、思い出したという風でしたし……変に横槍を入れて迷惑をかけるわけにもいきません。それに」
「……お姉さまはほんと、心配性よねぇ」
フランは、俺の視線の先に眠っている霊夢がいることに気づいて、両肩を上げていた。なにせ家主が寝ているのだし、俺たちがいなくなってから泥棒でも来たりしたら大変だ。
「でもねぇ、お姉さま。こんなところで悪さを働こうなんて人、人間にも妖怪にもいるはずがないわ」
「どうしてですか?」
「妖怪神社なんて呼ばれてる危ない場所、人間がわざわざ泥棒しに来るわけないでしょ? 気まぐれで妖怪を軽々と退治できるような霊夢にわざわざ喧嘩を売るような真似をする妖怪なんて滅多にいないし、そんなことできるだけの妖怪は盗みなんて働かないし」
そしてなにより、とフランが口の端を吊り上げる。
「この神社に盗んで得するようなものなんて、なーんにもないもん」
「……ふふ、そういえばそうでしたね」
博麗神社はリスクとリターンがまるで吊り上がっていない。こんなところに泥棒に入るくらいなら、人間の里の適当な民家に狙いを定める方がよっぽど有意義だろう。
そんなことは俺も無意識のうちに理解していたはずだ。だからきっと、こうして変に理由をつけて留まっていたのは、単にこの物柔らかな空気から出たくなかっただけか。
居心地がいいのだ、ここは。
「…………でも」
さっきまでここにいた妖怪ウサギの似非零時間移動――三度目の正直と言うべきか、あれの正体がわかった。
予想通り、俺の予想の範疇にありながら、しかしそれはこの幻想郷において本来ならば一人しか持ち得ないはずの力。種族的には多くの者が所有しているが、この小さな世界ではただ一人しか宿していないはずの能力だった。
すなわち、波長を操る力――『狂気を操る程度の能力』。
彼女は妖怪ウサギ
「月へ行くという話が出て……すぐにこれですか。幻想郷に慣れてないということは、つまり……」
「お姉さま?」
「なんでもありませんよ。気にしないでください」
その後はしばらくまったりと過ごしていた。途中で魔理沙が来て、「あ、泥棒」なんて指差したりもして、霊夢が起きてウサギの少女がいないことに驚いたり。どうやら霊夢は、あのウサギの少女は神社のものを盗むために狐か狸の化けた姿かもしれないと永遠亭の住民に吹き込まれていたらしい。
私の光る羽衣を持って逃げられた、盗まれたと悔しげに喚く霊夢を眺め、魔理沙は「なんとなくわかることがある」と告げる。「その羽衣とやらは妖怪ウサギのものなんじゃないかな」と。
「一割くらい私のだもん」
口を尖らせる彼女を見て、フランと魔理沙は笑った。