東方帽子屋   作:納豆チーズV

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六.幻想の巫女、乾を創りし神

『あー、結構体があったまったわね。勘も鋭くなってきた気がするわ』

「お疲れ様です。って、文より前にも何人かと戦ってましたよね。通りがかりの妖精も無残に撃ち落としてたはずですし」

『あんなんで温まるわけないでしょ。河童はそうでもなかったけど、あいつらの弾幕ってほとんど水からできてるから冷たいし……』

 

 俺の心配はまったくの杞憂に終わり、これまでと比べて多少戦闘が長引きつつも、霊夢は文を打倒することに成功したみたいだった。テーブル上に置いた球体の向こう側から聞こえてくる彼女の息に乱れはなく、適度に身体をほぐすことができたようである。現在、霊夢は文の案内のもとに目的地らしい場所へ向かっている最中であった。

 普通に考えて、霊夢であろうとも、天狗――それもその中でも最速とされる鴉天狗である彼女を『多少長引き』程度で破れるはずがない。文は勝負前の宣言通り、しっかりと手加減をして戦っていたのだろう。霊夢もそれは把握しているようだった。いや、むしろ俺以上に十分に理解している。

 

『まったく、あの天狗……私がこの先全力で戦える状態になるように、うまく調整してたわね』

 

 霊夢が、前を行くという文には聞こえない程度だろう声音で呟いた。

 天狗の狡猾さは幻想郷一である。その中でも案外単純な部類に入りそうな文であろうと、手加減の具合の調節くらいならばお手の物であろう。元々俺が危険の心配なんてする必要はなに一つとしてなかったのである。

 さとりが鋭く目を細め、こいしがぱちぱちと目を瞬かせた。地上へのお出かけを定期的に行っている二人は、霊夢がスペルカードで戦っている様子を幾度か見たことがある。つまり彼女の強さをある程度知っているということであり、だからこそ二人の反応には驚愕という共通した感情がこもっていた。

 霊夢も全力ではなかったにせよ、文に手加減の程度を調整する余裕があったのは事実なのである。

 

「地上の妖怪も、存外、昔と比較しても弱くなったわけではないのかもしれませんね」

「んー。河童はこの辺のと比べたら弱かったけどねぇ」

「今の河童は先進国みたいなものですから……って、そうなると強くないとおかしいですね」

 

 力よりも技術を磨いた結果が今の河童なのだろう。萃香に言わせれば、昔も今も天狗や河童の本質はなに一つ変わっていないらしいが。

 というより、さとりの「昔と比較して」の部分が妙に気になった。現れてからしばらくの年月が経った吸血鬼でも、寿命が人間より長い妖怪という種族が多く存在する幻想郷では未だ新参扱いである。それ以前はもっと別のところにいたこともあり、幻想郷での、同じく妖怪であるさとりの言う「昔」の妖怪の強さの程度を知らない。そもそもそのような言い方をするということは、もしかしてさとりは俺が来る以前より地上にいたことがあったのだろうか。

 一度考えたら妙に気になり始めてしまう。そのことを質問しようかと口を開きかけた矢先、球体を見つめていたさとりが、ふいと第三の目と一緒に俺に目線を向けてきた。

 

「ああ、いえ、違いますよ。私やこいしは地底産まれです。ただ昔、地上の話をお父さんやお母さんから聞いたことがありましたから」

「両親……ですか」

「その関係は長く続きませんでしたけどね。二人とも幼い私とこいしを置いて、どこか遠いところへ行ってしまいました。もしかしたら誰かから恨みを買って、もう死んでるかもしれません」

 

 さとりの声音にはわずかな優しさがこもっていたが、それ以外はすべて淡々としていた。大事な思い出ではあるのだろう。だが彼女は、もう死んでるのかもと軽く思えるくらいには割り切ってしまっていることも理解した。

 

「恨みは、ないんですか?」

「確かに、世間知らずな私たち姉妹を残して消えてしまうような薄情ものでしたが、二人とも優しかったですから。今はもう、なんの感慨もありませんよ」

「……そうだねぇ。それに今は、レーチェルがいるし」

 

 こいしがそう言って立ち上がり、イスを俺のすぐ隣に置いた。そうして再度座るこいしを、さとりは微笑みながら見つめている。

 俺は、俺が思っているよりも二人の中で重要な立ち位置にいるのかもしれない。それは光栄なことではあるが、同時に、どこか怖いと思う部分が俺の中に生まれていた。

 もしも期待に応えられなかったら、もしも二人を傷つけてしまったら。そんな恐怖が胸の内に燻ぶっている。

 

「そんなこと、気にしなくてもいいんですよ。レーツェルはありのままでいてくれれば大丈夫です。それだけで私やこいしは十分なくらい楽しい気持ちになれますから」

「……そう、ですか?」

「そうです」

 

 段々と不安感が薄れていくのがわかった。それと逆の感情で溢れてくるのがわかった。

 どうにも俺はさとりに諭されることが多いような気がする。それに彼女も俺の扱いが手馴れてきているというか、さとりと話しているとどんな嫌な思いも自然と和らいでいくのだった。

 

「いつも気を遣わせてしまって、申しわけありません。めんどくさくなったりしませんか?」

「しませんよ。私だってレーツェルにはたくさん助けられています。お互いさまというものでしょう」

「助けて……? そんな記憶、私には」

「あいかわらずですね、レーツェルは。それに、私は気を遣ってなんていません。私はいつもあるがままでいますから、安心してください」

 

 そんなこと言われたら、反論の言葉も吐けなくなる。黙りこくる俺に、さとりはまるで幼子を見守るような表情を向けてくる。

 俺はただただそれを見つめ、自分の方が年上のはずなのにどうしてなぐさめられているのかと自問自答していた。そうして徐々に、なんだか穴があったら入りたいような気分になってきてしまう。

 そうしてどれくらいの時が経っただろう。そろそろ、テーブルの下に潜り込もうかなと考え始めてしまうくらいにはなっていたところ、球体からの声がその思考を遮断した。

 

『あー、あー、もういいかしら? しゃべっても』

「え、あ、はい。どうかしましたか?」

『どうかしましたか、じゃないわよ。なんかすっごく話しかけづらい雰囲気放ってるし、気を遣ってたのは私の方よ。こっちの音が届かないように適当な結界張ったりさぁ』

 

 ぷんすかと怒っている様子が容易に想像できるような声音で霊夢が文句を漏らしてくる。なんというか、自分で首飾りを渡したくせに失礼極まりないことであるが、この場にはいないせいか半ば存在を忘れかけてしまっていた。

 慌てて「ごめんなさい」と、できるだけ誠意を込めて謝罪をする。さとりもそれに続き、こいしも「えへへ」と笑いながらも流れに乗った。

 

『はぁ、まぁ、いいけどね。今はとりあえずなんか変な神社の近くに案内されて、同じく出てきた変な緑のやつをぱっぱと倒したところよ。そういえば、あの記者もういないわね』

「は、はぁ。って、もう倒したんですか?」

 

 幻想郷に博麗神社以外の神社は存在しない。それなのに妖怪の山でそれが見つかったということは、すなわち外の世界からやってきたものということである。

 ならば出てきた変な緑のやつというのも外の世界の者なのかもしれない――いや、外の世界の者だ。俺の原作としての知識の中にも、この異変の記憶はある。だからまだテスト段階であった首飾りの魔道具を霊夢に託したのだ。

 

『ま、あんまり強くなかったからねぇ。そこそこセンスはあったように思えるけど、全然戦い慣れてないみたいだったし』

 

 大した時間、さとりと話していたわけではない。会話の合間に空白ができることはあれど、この短時間で一勝負を終わらせるとは相当だ。なんだか俺が変な空気にしてしまったせいで不機嫌だったし、そのぶんの憤りを相手にぶつけていたのかもしれない。

 

「んー、ねぇ霊夢。神社に手を出してるのって神さまなんだよね?」

『そうだけど、それが?』

「神さまってどうやってなるのかな。妖怪みたいにそこら辺から湧き出てくる以外に途中からなることもできるって聞いたことあるわ」

 

 私神さまになってみたい! とこいしが目を輝かせていた。

 

『いやまぁ、なれないこともないだろうけど……その辺はレーツェルの方が詳しいんじゃない? 長く生きてるんだし』

「私ですか? まぁ、信仰されれば妖怪でも神になることができますよ。天狗なんかはその類ですから。ただ、その場合は純粋な神ではありません。神は信仰そのものが力ですから信仰を失えば力もなくなりますが、天狗のようなものはそうではないですし」

「じゃあ私もなれるかな」

「……厳しいですね。神というものはすべてのものに宿る本質なので、厳密に言えばその辺に溢れているのですが……名を持つ神となると話は別です。妖怪と違ってよほどのことがない限りは生まれません。いえ、妖怪もそう簡単に現れたりはしませんが、神はそれ以上です」

 

 多くの人々に認められ、信じられ、神であると思われなければならない。ただでさえ発生しにくいのに、人を喰らうとされる妖怪が神になるとなると並大抵ではない苦労が必要だろう。少なくとも、たかが数十数百年で成し遂げられる程度の偉業ではない。

 こいしにそう教えると、彼女は「そっか」と呟いてはしょぼんとしてしまった。なんだか申しわけないというか、なんというか。

 とりあえず頭を撫でてみた。猫みたいに擦り寄られた。

 

『っと、湖についたわ。私の勘が確かなら……うちの神社にちょっかいを出してる犯人はここにいる』

 

 霊夢からの報告に、即座に思考を切り替える。

 

「湖、ですか?」

「大蝦蟇の池のこと? あそこ綺麗だよねー。レーチェル、お姉ちゃん、また三人で行こうよ」

「ええ、そうね」

『はいはい、そういう話は私がいないところでね。あと大蝦蟇の池とやらじゃないわよ、たぶん。なんか変な柱の山があるし』

「変な柱ですか?」

『なんでもいいけどね。とにかく……出てきなさい! この気持ち悪い柱を作ったやつ!』

 

 現場にいない俺たちには音しか受け取れないが、霊夢の叫びに呼応するものがあるのがわかった。『我を呼ぶのはどこの人ぞ?』と。

 

『おや? なんだ、麓の巫女じゃないの。気持ち悪いとか失礼なこと言ってたけど、私になにか用?』

『……ずいぶんとフランクな神さまね』

 

 威厳のある声は最初だけであった。霊夢の呆れたような声に、相手は『最近は友達感覚の方が信仰が集まりやすい』とわずかに笑う。

 どんなものも受け入れるという特質があるゆえに、究極的には幻想郷全体がそうであろうと言える。それも妖怪の山となると、人間がいない関係でその差は確かに顕著に表れるだろう。なにせ妖怪が神を尊んだりするはずがない。

 この発言から――俺も最初からわかっていたことであるし、霊夢も新たな神社を目にしたところから予想はついていたと思うが――相手側が、ここ最近に外の世界からやってきた神さまであるということが確定となった。というか世間知らずならぬ幻想郷知らずでなければ、神であろうと幻想郷に住む者が博麗神社に手を出そうなんて考えはしない。そんなルールを破ろうとする真似は簡単にできない。

 

『ま、なんでもいいわ。あなたたちの事情なんて知らないし、知りたくもない。私が言いたいのは単純明快、ただ一つよ』

『ふむ、言ってみなさい』

『うちの神社を乗っ取ろうとするのは今すぐやめなさい。滅茶苦茶迷惑してるのよ』

 

 巫女のくせに、あいかわらず堂々と正直に、神にさえクレームを突きつける霊夢。常人がみれば「わけがわからない」と放心しそうなそれも、俺たちは彼女の性質に慣れすぎたせいか、すでにまるで当たり前のように淡々としていた。むしろ、霊夢が神を敬う態度を見せた方が盛大に驚ける自信がある。

 しかし、それもよくよく考えれば幻想郷では当然のことなのかもしれない。なにせ博麗大結界とは幻想郷と外の世界を分ける常識の結界であり、外の世界の非常識を幻想郷での常識としている。この世界では、あらゆる物事や関係において常識という小さな枠に囚われてはいけないのだ。

 

『乗っ取ろうなんてしてないわよ。私はあなたの神社を助けたいだけ、人が集まるようにしたいだけ。あなたの神社を、妖怪の魔の手から救いたいだけ……そう、たとえばちょうどあなたがかけている首飾り。妖怪があなたを監視するための道具でしょう?』

 

 霊夢の相対している相手が、ニヤリと口の端を吊り上げているような光景が一瞬幻視できた。ただ会話するだけの道具にするならばともかく、召喚用の魔術陣も組み込んでいるからか、やはり力のある者にはある程度の仕組みが読み取れてしまうらしい。

 私が安全に壊してあげましょうか? と提案する神を、霊夢はふんっと鼻で笑った。

 

『余計なお世話よ。それに、どうせこれを作った本人は"監視"のためだなんて思っていないわよ。私も同じく、そんな大層な代物だなんて思っていない』

『ほほう、ならばなんと心得る?』

『――親が子を見守るみたいな思いがこもった、過保護なまでの、なんの変哲もない単なるお守りよ。あんたなんかに壊させてたまるか』

 

 霊夢は嘘を吐かない。元々正直者だったことは知っていたが、鷽替神事で完全にそれが証明されている。つまり霊夢の今の言葉は、本気でそう思って口にしたものだということだった。

 この感覚はなんだろう、と胸の前で強く拳を握り込む。温かくて、心地よくて、奥底の方から踊り出したくなるくらいの歓喜が溢れ出てくる。

 

「霊夢、なんていうか……えっと、言葉にできないくらい嬉しいんですけど、きちんと壊す時は壊してほしいというか」

『はいはい。わかってるわよ、いちいち言わなくても』

 

 半ば無意識に出てしまった反論の言葉は、きっと、照れ隠しだった。言い終えてからそれを自覚して、なんてバカらしい、もっと素直になれよ、なんて他人事のように頭の片隅で思う。

 

『人間の巫女が、ずいぶんと妖怪を信頼しているようね。それでは神社に信仰が集まらないのは当然か』

『うるさいわね。信頼なんてしてないわよ。ただ、あいつの性格がどんななのか知ってるだけ。そもそも神社を救いたいだとか言ってたけど、あんたを祀ったところで信仰が増えるかどうかわからないじゃん』

『いやいや、信仰はゼロより減ることはありえない』

 

 俺とさとりとこいしは、その言葉で一斉に噴き出した。

 

「これは座布団一枚ですね」

「ふふっ」

「わぁ、うまいねぇ」

『おい。あんたら殺すわよ』

 

 霊夢の怒気がこもった声に、三人揃ってごめんなさいと、冗談交じりに謝罪の言葉を吐く。だってまさか神の方から「あんたの神社には信仰が一すらない」と言外に突きつけられるとは思わなかった。少しくらい面白がるのは許してほしい。

 

『おやおや、どうやらうけてもらえたようね』

『私は面白くない。それで、結局どうなのよ。私の言うこと聞くの? 聞かないの? 聞かないって言うんなら……』

 

 神であろうと立ちはだかるのならば容赦しない、と。衣擦れの音が球体から届き、霊夢がお札を取り出したのがわかる。

 

『ああ、嘆かわしい。幻想郷に足りないのは神さまを信じる心。巫女のあなたならわかるはずでしょう?』

『あなたを信用しろって? ふんっ、そりゃあ私だって参拝客が来たらいいなぁとは思ってるわよ。でもねぇ、それは私の力でなんとかするから。あなたの力なんか借りないから』

 

 はぁ、と相手の神が大きなため息を吐くのが聞こえた。霊夢の態度に呆れ果ててしまったような印象だった。そうして霊夢と同じように、こちらも力でわからせるしかないと。

 響くは、荒れ狂う嵐のごとき風の音――天を支配せし力。

 

『神社は巫女のためにあるのではない。神社は神の宿る場所……そろそろ、神社の意味を真剣に考え直す時期よ!』

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 結局、あの後の勝負はいろいろと滅茶苦茶なことになった。そう言うと霊夢が相当な苦戦を強いられたり、周囲の地形が変わるほどの戦闘だったと捉えがちだけれど、そうではない。

 途中からどこからか話を聞きつけた魔理沙が乱入してきて、みつどもえの戦いになったのである。霊夢によれば、二人が弾幕を撃ち合っているところへマスタースパークを不意打ち気味にぶっ放ち、私も混ぜろと意気揚々と突っ込んできたとか。

 なんていうか、アホである。

 今回の異変を起こした神――八坂神奈子は、そんな二人との勝負を経て、ほんの少し幻想郷というものを理解したようだった。人も妖怪も神も関係なしにともに騒ぎ合い、遊び合い、友でありながら敵でもあるという矛盾を軽々と受け入れている世界。

 神奈子は博麗神社の乗っ取りはやめたらしい。代わりに博麗神社に自身の神社の分社を設置させてもらうということで話は収まった。霊夢も自分の神社に信仰がないのは自覚しているからか、「うちの神社の信仰も増えるって言うなら」と許可を出した。

 とりあえずは丸く収まった、というところだろうか。しかし山に新たな神が出現したことで、信仰することで手に入る神徳によって山の妖怪が新たに力をつけつつあった。幻想郷のパワーバランスを脅かしかねないそれを解消するために、神奈子は地上の妖怪からも信仰を集める必要がある。

 まだまだ課題が山積みなことは明らかだったが、神奈子にはどうにかがんばってもらいたいものである。


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