東方帽子屋   作:納豆チーズV

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九.豊かの海と月の桃色果実

 幻想郷を発ってから、すでに一二日目に到達していた。普段ならばなんの退屈もせず、気づけばあっという間に過ぎ去っているような時間も、ロケットというとても小さな世界に閉じ込められていると妙に長く感じてしまう。

 カードゲームはしばらくはやりたくないというくらいたくさんやった。ボードゲームもいっぱい遊んだ。他にもいろいろ室内でできることは片っ端からやった。それでも月にはつかず、もはやすることがなくなって数日。なによりも、一番上のロケットは小さすぎるせいで、皆ストレスが溜まるようだった。

 魔力を物質化させて彫刻をするという地味な作業をしながら、そろそろついてもおかしくない頃なのだけれど、と窓の外を見やる。青さは限りなく薄くなっているものの、あいかわらずほとんど変化のない大空しか見えない。

 

「んー……」

 

 すぐに窓から視線を逸らして、今度は、ちょうどでき上がった魔力の彫刻品を眺める。赤い服や金色の髪、七色の宝石がぶら下がる綺麗な翼。場所ごとに細かく色を調整し、とても見慣れたフランという見本をもとに作ったそれは、かなりいい出来にできたという自信があった。

 手の平サイズのフランを羽ばたかせ、ふわりと浮かせる。そのまま室内を大きく一周するそれに、この場にいるほぼ全員がそれぞれ感心の声と視線を向けていた。

 

「わぁ……」

 

 魔力でできた手の平サイズのフランは、本物のフランが差し出した手の上に着地する。礼儀正しくぺこりとお辞儀するそれの頬を彼女はつんつんとつついていた。

 魔力で作った小さなフランは、別に俺が操作しているわけではない。俺のスペルカードの一つである"童話『赤ずきん』"もそうなのだが、魔力で構成された存在の内部に魔術陣を確立させることで、特定の条件をもとに一定の動きをするようにプログラミングさせているのだった。"童話『赤ずきん』"ならば発動時に指定した相手を、魔力の水場を足場にして追いかけるようにしている。

 今回のミニフランはただ単にロケットを一周してフランのもとに行くだけという、単純な命令しか埋め込んでいなかった。お辞儀をした時点でその役目はまっとうしたことになり、今はもう、なにをしようとぼーっとしているだけの物質型魔力の塊でしかない。

 そんな俺の一芸でしばらくは皆も暇潰しができたようで、辺りの空気をちょっとだけ和ませることに成功していた。だが、それも一時しのぎにしか過ぎないことは明らかである。

 まるで屋根裏部屋のような小さな場所に合計九人もの人型生物がいるのだから、当然現状はぎゅうぎゅう詰め状態であった。誰かがなにかをして気分が多少晴れようと、どうせすぐに曇ってきてしまう。

 俺は魔力の扱いにおいて器用さと持続性は群を抜いているつもりである。けれど、さすがに色や形に滅茶苦茶気を使った手の平サイズのフランはそんなに長く維持していられない。そもそもが細かすぎるのだ。フランは、手の上でぼろぼろと崩れていく自らの姿をした魔力の塊を、どこか残念そうに見つめていた。

 それからどれだけの時間が経っただろうか。数分、数十分、数時間。ただ、その時間が自分の思っているよりも短いことだけは確かだという確信がある。

 ふいと、我慢ならないと言わんばかりに言葉にならない声を上げて、レミリアがイスから立ち上がった。そのままなにを口にするよりも先に翼を目いっぱいに広げ、狭い室内を歩き回り始める。

 

「あいたたた! 暴れるなよ、ただでさえ狭いんだから!」

 

 翼が当たって、迷惑そうに魔理沙が注意した。レミリアは一応は足を止めたが、ぷるぷると体は震えていた。

 

「こんな狭いところに押し込められて早十二日目! 運動不足になるわ!」

 

 そう叫ぶ彼女に、「何百年も生きているんだから、二週間やそこらじゃなんにも変わらないだろ」と魔理沙が反論をする。ここまではまだいいのだが、大人しく棺桶に入ってろよ、なんて言葉もその後に付け足された。

 二人とも、狭い、暇、時間がかかるという三拍子に、いい加減飽き飽きとしているようだった。霊夢も静かに不機嫌な雰囲気を放っているし、結局は誰もが早くついてくれと願っている。俺もその一人だった。

 ぎゃあぎゃあと言い合い、取っ組み合いになりかけるレミリアと魔理沙を影の魔法で引き離しながら、もう一度窓の外を眺めてみる。どこか淡い希望を抱きつつ、その景色に変化がないかと確認してみる。だが、やはり変化は見られない。

 まだまだ到着は先になるのかな。そうしてため息を吐きながら視線を逸らそうとした時、ふと、窓の向こう側が光に溢れたのがわかった。

 

「お嬢さま! 窓の外を……」

 

 咲夜の声にレミリアと魔理沙は顔を合わせ、どこか期待を隠し切れない様子で窓のもとへと駆け寄った。そうして、眼下を見下ろした二人の顔が輝く。

 俺がいる場所から見える空は黒くなっていた。宇宙の色である。その情報と、外を見たレミリアと魔理沙の反応からするに、どうやらついに月にまでたどりついたということを悟った。

 

「さあ! 最後の仕上げよ! なにかが起こるわ!」

 

 霊夢が勢いよく立ち上がる。なにかとはなんだろう。そんな考えを抱き始めた数秒後、唐突にがくんっ、と機体が大きく揺れる。

 あ、これもしかして。

 刹那のうちに全身を嫌な予感が駆け巡った。そしてそれはどうも完全に的中してしまったようである。

 ぐるりとロケットが反転し、重力に従って落ち始める。推進力は落ちる速度へさらなる加速を生じさせ、狭い室内の中で俺たちはもみくちゃにされた。どうにかしてロケットを立て直さないと――思考が間に合っても行動は間に合わない。

 そうして俺たちを乗せたロケットは月面と衝突し、大破した。幸いだったのは、それが地面ではなく水面だったことである。

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 ザザーン、と波が押し寄せる音がそこら中から連鎖的に生じていた。目の前に広がる青い海の遠く向こう側には横に一直線の地平線が窺え、その上側は白い雲で飾りつけられた涅色の空が広がっている。ちょうど地球からして月が見えるだろう辺りには、しかしここ自体が月ゆえにそれは存在せず、代わりに圧倒的な存在感を放つ蒼と翠色の巨大な天体――地球が浮かんでいた。

 足を動かせば、いつもと違う着地の感覚とともに、さくさくと砂を踏む音が木霊する。ふいとその足になにか硬いものが触れた。波に流されてこの砂浜まで押し上げられてきた、ロケットの無残な残骸であった。

 おおよそ前世の知識に基づく月には似つかわしくない景色に、しかし驚きはしない。月の都がある地帯はおそらく、幻想郷のように普通にはたどりつけないように隠されている。仮に、俺がよく知る通り自然もなにもない荒廃した世界を表の月、月の都がある地域を裏の月と称するが、きっと俺が今いる場所は裏の月のどこかなのだろうと思う。

 

「……海だねぇ」

「これが海ねぇ」

 

 波打ち際で霊夢と魔理沙が体育座りをして、死んだ魚のような目でぼーっと海を見据えていた。その後に視線はゆっくりとロケットの残骸の方に向き、二人して顔に影を落とす。

 もしかして、帰りのことで気分が沈んでしまっているのだろうか。

 

「心配いりませんよ。一応、こういうことも想定して紅魔館の私の部屋に魔術的な目印を作っておきました。距離が遠すぎるので、今の座標とのずれを完全に解析するのに短くても一日ほど時間がかかりますが……」

 

 霊夢と魔理沙がつっと俺の顔を見上げてきた。その目にはさきほどと違って少なからずの光が灯っており、そんな急激な変化をちょっと面白いなんて感じてしまう。

 

「ま、それならいいか。あんな狭いところじゃないなら、一日くらいなんてことないぜ」

「むしろ帰りの方が窮屈じゃなくなるわね。あそこにもう戻らなくていいって考えたら、なんだかちょっと機嫌がよくなってきたわ」

 

 霊夢が残骸のうち、近くに落ちていた手頃な大きさの破片を拾い、海に向かって放り投げる。ぽちゃんっと水の中に軽く小さなものが落ちた音がした後、ぷかぷかとその破片が浮かんできて、波に流されて戻ってきた。

 幻想郷にも海があればな。海坊主とか出るだけでしょ。そんな二人の会話を聞き流しながら、頭の中で魔術陣を描いていく。遠く空に浮かぶ地球の幻想郷、その紅魔館にあるはずの目印の検索を開始し、それと同時進行で現在地の座標を計算し始めた。後者はともかくとして前者は時間がかかる。自動で探知するように魔術陣をいじり、あとは結果を待つだけという状態にして、意識を魔術陣から引き離した。

 

「そういえば、お姉さまはどこに?」

「さぁ。知らない」

「妖精のメイドとそこの森ん中入っていったきり出てこないな。退屈してたからなぁ。飽きるまで帰ってこないんじゃないか?」

「私も知りませんわ。というより、今から探そうと考えていたところです」

 

 俺を入れて、今この場にいるのは霊夢、魔理沙、今しがた歩み寄ってきた咲夜、そして魔理沙が指差した森の入り口付近でもぐもぐと口を動かしているフランの五人である。

 フランは霖之助製のローブを纏い、フードをかぶっていた。俺も同様に着込んでいる。どうやら日差しが存在するようなので、そうしていないと段々と体が灰になってきてしまうのだった。

 砂浜は海辺に沿ってどこまでも伸びているが、その幅自体はそんなに長くはなかった。砂浜はすぐに途切れ、海との逆側には緑溢れる森がずっと続いている。不思議なのはそこに植物以外の生命の気配を感じないことと、すべての木々に桃が成っていることだった。

 どうやらフランは、ちょうどその桃を一つもぎ取って口にしているところだったらしい。

 

「おいしいですか?」

 

 霊夢たちのもとから少し離れてフランの方へ足を進める。フランはごくんっと口内の桃を飲み込んでから、こくりと元気よく頷いた。

 

「すっごく甘いわ! ほら、お姉さまもっ!」

 

 フランが桃を一つ手渡してくる。断る理由はなかった。かぷっ、と一口かぶりつき、そしてその甘さに感嘆の息を吐いた。

 顔を上げると、フランがまるで感想を待っているかのように目をキラキラとさせていた。

 

「すっごくおいしいです。極上の甘さと言いますか……ものすごく甘いのに、くどくありません」

「ふふっ、でしょう? これたくさん持って帰ろうよ! そのまま食べたり、咲夜にデザートの材料にしてもらうの!」

「なるほど、それはいいですね。そうしましょう」

 

 自前の倉庫空間の中には河童性の冷蔵庫が置いてある。その中に桃を保存しておけばいいだろう。

 ほんのちょっとだけ飛び上がり、フランと一緒に桃を一つずつ摘み取っていく。腕の中に抱えきれなくなるよりも先に、桃の甘さが口の中からある程度抜けたので、フランとほぼ同じタイミングで二つ目の桃にかぷりと食らいついた。絶品と呼べるほどのたまらない風味が口の中を駆け巡り、自然と気分がほぐれていく。月は地球よりも生育環境がいいからか、桃の味のレベルが地上のそれを明らかに一段上回っていた。

 これをさとりとこいしへのお土産にしよう。そんな風に思いながら、これ以上は持てなくなるという最後の一つを手に取った。

 倉庫空間へと続く空間の裂け目を作り出し、内部を影の魔法で整理する。冷蔵庫を裂け目の入り口まで持ってくると、その蓋を開けて俺とフランで集めた桃をいったんそこへ放り込んだ。

 まだまだ空きがあるので、入りきらなくなるまで桃を回収してここに入れていこう。そんなアイコンタクトをフランと交わした瞬間、ここ最近感じ慣れた、空間の波長にずれが生じる感覚を覚えた。

 

「こんにちわ」

「え――!?」

 

 背後から銃を突きつけられていることがわかった。だがそれよりも前に、俺はそこに現れることを予期して弾幕を周囲に張り巡らせている。

 首だけで半分振り返ると、そこでは自身を囲い込む弾幕に目を見開き、呆然と口を開ける一人の玉兎の少女の姿があった。その手には月の都製だろう歩兵銃を構えており、先端部には小さな刃がくくりつけられている。

 

「フラン、無事ですか?」

「うん。お姉さまが守ってくれたもん」

 

 俺の後ろに一匹が出現することは直前で察知できたが、それ以外はわからなかった。だが、俺の背後に一人現れるということはフランの方も同様かもしれない。そう考えて彼女の後ろ側にも弾幕を巡らせてみたのだけど、どうやらドンピシャだったようだ。赤白い魔力弾に囲まれ、二人の玉兎が俺とフランの背後でそれぞれ身動きが取れなくなっている。

 とりあえず銃の射線から外れ、霊夢たちは無事だろうかと海辺の方に目を向けた。

 

「……あれが永琳の知り合いですか?」

 

 誰にも聞こえない程度の声量で呟く。海辺では、霊夢が一人の少女に刀の切っ先を向けられ、そのすぐ横で魔理沙が慌てていた。咲夜はすでにどこかへ行ってしまっていたようである。おそらくはレミリアのところだろう。

 霊夢を刀で威圧している少女の赤い眼は、敵対とは行かないまでも警戒の色を強く見せつけていた。背は霊夢より頭一つ分ほど高く、薄紫色の髪をポニーテールにまとめている。白い半袖のシャツのようなものの上から右肩だけ肩ひものある赤いサロペットスカートを着用し、腰には剣の紋章があしらったバックルのついたベルトを斜めに巻いていた。

 あちらもこちらの様子に気づいたらしい。ちらりと俺たちの方に視線を向けてきては、背後にいる玉兎と同じように目を驚愕の色に染めた。

 しかし、俺がフランと一緒に近づいていくと、刀を持った少女は驚くのをやめてどこか面白そうに口元を緩める。

 

「へえ。単なる小娘だと思ってたけど、案外やるようね」

「あいにくと月の兎の力には慣れて(・・・)いますから。あのくらいなら事前に感じ取ることができます」

 

 鈴仙の波長を操る力はもっと強力でわかりにくかった。どんなに感覚を研ぎ澄ましても察することはかなわず、むしろその感覚さえもいじられる。自身の波長、相手の波長、物質の波長、現象の波長、その他あらゆるものの波を自由自在に操作する鈴仙から、この数か月間ずっとその力を学んできた。

 永琳によれば鈴仙は一応、玉兎としてかなりの才能があるらしい。なればこそ、そんな少女の力を感じ慣れた俺は月の一兵士程度が行使する力は容易に感づくことできる。

 

「慣れて……って、まさかレイセン?」

「知っているんですか? ええ、彼女にはいろいろとお世話になっています」

「どこでなにをしているのかと思っていれば、地上の妖怪になんて加担して……はぁ。まぁ、いいでしょう。今、ここにいないウサギのことを気にしてもしかたがない」

 

 肩を落とすと、刀を持った少女は後ろに飛んで霊夢から距離を取った。そうして刀をくるりと回し、刀身を砂浜へずっと突きつけては沈めていく。

 その瞬間、俺とフランと霊夢と魔理沙をそれぞれ取り囲むように、足元から無数の刃が飛び出してきた。

 霊夢と魔理沙が突然のことに顔を見合わせ、俺もまたフランと視線を通わせる。霊夢たちはどうなのかは知らないが、俺とフランにはこの刃が神力を宿していることに気づいていた。

 刃には隙間がある。しかし、ここから出てはいけない。それをしようとすれば、容赦なく神の裁きがその者に降り注ぐことになる。

 

「女神を閉じ込める、祇園さまの力――さて、これであなたたち吸血鬼も動けないでしょう? ついでに人間二人の方も封じさせてもらったけど……ま、人間相手に祇園さまの力を借りるまでもなかったわね」

 

 頭の中で、かつて阿求に妖怪や神についての話を聞きに行った時のことを思い出す。その時に習った力のある神のうちの一人に、祇園――すなわち神須佐能袁命(スサノオノミコト)の情報もあった。

 俺たちを囲んでいるのは、おそらくは刃で作られた八重垣だ。本来の目的は拘束よりも守護に近いものだからか、こうしてすぐに出ることができるような構造になっているのかもしれない。それをしたら裁きが降ってくるが。

 

依姫(よりひめ)さま!」

 

 一人の玉兎が非常に狼狽した様子で、刀を砂浜に突き刺している少女に駆け寄っていく。どうやら依姫という名前だったらしい。

 玉兎の報告を耳打ちで聞いた依姫が驚きの声を上げた。そうして横目で俺とフランに視線を向けては、しかたない、とでも言いたげに厳しい顔をする。

 

「あなたたちでは荷が重かったかもしれないわね。なら、そっちの小娘も私が相手を――」

「誰が小娘だって?」

 

 膨大な妖力と魔力が空間をほとばしり、放たれる声さえも圧倒的な存在感を纏っている。

 桃の木が立ち並ぶ森の中からやってきたのはレミリアだった。白い八重歯をこぼし、その手には開いた日傘を持っている。斜め後ろには自身を探しに来ただろう咲夜を従えており、彼女もまた余裕そうに口の端を吊り上げていた。

 

「殺されたいのかい?」

 

 これで地上から月に来たメンバーが全員集結したことになる。

 依姫は、新しくやってきたレミリアと咲夜の二人を訝しげな目で見つめていた。


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