依姫は初めて行うスペルカード戦においても、とてつもない強さを誇っていた。
最初は彼女と咲夜が戦ったのだが、咲夜の持つ時を操る能力の弱点――たとえ時間を止めても、体を通す隙間がなければ回避することが敵わないこと――を依姫は早々に見抜き、自身に宿る神の力に加え、咲夜の投げたナイフもうまく利用することでほんの数秒だけ空き間のない状況を作り出した。それによって咲夜は躱すことができずに被弾、敗北を喫する。
続いてレミリアに背中を押され、というより蹴られて魔理沙が挑んだ。しかし停止させられたり等でことごとく弾幕を無効化される上、彼女の中でも切り札の部類に入るファイナルスパークやダブルスパーク――マスタースパークをほぼ同時に二つ発射――さえ神の力で容易く跳ね返されたことで、燃料切れだと魔理沙は降参した。
次に挑んだのは、二戦も見て観戦が飽きたらしいレミリアである。この頃になると俺とフランは桃集めをやめて霊夢たちの隣で座って観戦をしていた。
序盤はレミリアが身体能力の差を生かして体術で押していたのだが、依姫の挑発に乗ってスペルカードを使い始めてから状況は激変した。
霊夢は勘で結末を予想していたのか、ただただ肩を竦めていただけだったが、さすがにこの結果には俺もフランも魔理沙も咲夜も盛大に驚いた。スペルカードにおいてはおよそ幻想郷最強クラスの力の持ち主のレミリアがただ一発の攻撃で沈められたのだから当然である。気絶した彼女は灰にはなっていないようであったが、咲夜が珍しく慌てて回収しに行っていたのは記憶に新しい。ついでに、依姫が俺とフランを見やって「してやったり」とでも言いたげにニヤリと口の端を吊り上げていたのも。
そして四戦目はフランである。レミリアの攻撃に依姫がどう対応しているのかをしっかりと観察していたフランは、天宇受売命の力の対策として広範囲の攻撃を主な火力にして動員していた。弾幕を大きめにすることで少ない動作での回避を抑制したり、"禁忌『レーヴァテイン』"で一気に薙ぎ払ったり。
結局は火を鎮める力を持つ
そして最後は我らが幻想郷の誇る英雄、博麗の巫女兼異変解決屋の霊夢である。とは言え、彼女が最初から乗り気ではなかったのは明らかだった。普段は悪いことをする妖怪を退治する側である霊夢は、今回のような、月に攻め込んでいるなんて全面的に自分たちが悪者である現状が気に入らないみたいだ。
悪い方は必ず負ける。もっと妖怪らしい妖怪、倒して然るべき相手と戦いたい――そんな風なことを言いながらも、霊夢は
月の民は穢れというものを極端に嫌う。永琳によると、穢れとは生きることと死ぬことであり、すなわち生きようとする渇望が一番多くそれを生むらしい。そして地上が穢れに溢れているのに対し、月はそれがほとんど存在しない。つまり月とは浄土に近い法則を持つ聖なる区域であり、そこに住む者の寿命は地球人のはるか何千何億倍にも及ぶのだった。
穢れがなんなのかということを霊夢が理解しているのかはわからないが、月の民が穢れを嫌っていることは知っていたようだ。禍津の神である大禍津日神が溜め込んだ
霊夢は、おそらく最初から勝てる気などしていなかったのだろう。倒して然るべき相手――それが自分だと正しく理解していたのだ。そしてどうせやるのなら、その役になり切ってやろう、と。
最終的に、俺も今日まで名を知らなかった
「それで、結局あなたは私と戦わないのですか?」
霊夢と魔理沙はイタズラがバレた子どものように大人しく砂浜に座り込み、フランは空高くにて周辺の景色を見渡していた。
レミリアは依姫に負けたことを悔しくは思っていないらしく、気絶から覚めたレミリアは咲夜とともに海辺を歩いて遊んでいる。霊夢と同様、最初から勝てる勝負ではないとわかっていたからなのだろう。
妖精メイドたちは一番最初に玉兎とスペルカードで遊んでいる。依姫の言葉は当然、唯一参加していない俺に対してのものだった。
「やめておきます。お姉さまでもフランでも、霊夢でも勝てなかったんですから、私でもきっと勝てませんよ」
「あなたからはそもそも当初より敵対する意思があまり感じられませんでしたが……まぁ、そういうことにしておきましょうか」
依姫はどこか疑わしげな目をしていたが、俺に遊ぶ意思がないのならスペルカードで戦う意義はないと判断したようだ。視線を逸らし、霊夢と魔理沙の方に体を向けた。
今の言葉は本心だった。さまざまな神の力を操る依姫を前にしては、どんな手を尽くしたところで、その『どんな手』の対処に一番適した神をその身に降ろされるだけである。レミリアの体術に関してもしっかりと防御をしてダメージを抑えていたし、普通にスペルカードルールでやり合っても俺に勝ち目はない。
一応、ただ一枚だけ依姫からも勝ちを拾えるかもしれないスペルカードが存在するにはするが、それの仕組みは少々反則に近いものになっている。およそ改良を加えなければ遊戯で扱えないほど洒落にならないくらいに。
「そ、それでさ、この後どうなるんだ?」
魔理沙の緊張したような問いかけ。月に攻め込んできたのはこちらなのだから、なにか罰が下ると考えてしまうのもしかたがない。
ここではいらぬ殺生はしない、すぐに地上に送り返すとの答えに、魔理沙はほっと息を吐いた。
「ですが……」
依姫が霊夢の前に立つ。膝をつき、座っている霊夢と視線を合わせるようにした。
「あなたには別の仕事がありますので、しばらく月の都に残っていただきます」
「あ――?」
霊夢がいかにもめんどくさそうに依姫を見やる。そしてその言葉は、俺も見過ごすわけにはいかないものだった。
依姫と霊夢の間に体を入れると、依姫が数歩後ろに下がった。
「それは私が許しません。あなたのことは永琳から話を聞いて信用していますが、一応は敵とも言える存在なんですから」
無理矢理霊夢を月に残すようなら、相手の方が強かろうとなんだろうと関係ない。スペルカードでもなんでも戦って、勝って言うことを聞かせる。そんな意志を視線に込めて対峙する。
依姫は、ぱちぱちと目を瞬かせていた。
「永琳……? 私のことを知っている者にそのような名前は…………そういえばあなたは昔のレイセンとも知り合いだったわね。もしかして永琳というのは、八意さまのことでしょうか?」
頷いて見せると、依姫はなにかを考え込むように顎に手を当てて、難しそうな顔をした。
俺が依姫のことを永琳から聞いて知っていることはつまり、永琳は俺が月に行くことを知っていた、そしてそれを許容したという答えを出すことができる。依姫は、永琳が俺に自身の存在を知らせたことはなぜかと思考を巡らせているのだろう。
それに対する結論が出たのか、目の前の少女は顎から手を下ろした。
「なるほど、あなたは八意さまが用意した、事態になにか問題が生じた時のためのストッパーでしたか。月の兎の力まで学ばせて……ふふっ、地上の民にも配慮をするとは、あいかわらず根は本当にお優しいお方です」
まるで懐かしむように小さく笑う依姫に、霊夢と魔理沙は顔を見合わせていた。俺が永琳と繋がっていたこと、依姫が永琳の知り合いであることに、少し驚いているのかもしれない。
依姫はこほんと咳払いをすると、さきほどまでの厳しい表情を多少和らげて、俺に向き直った。
「少し前にも言いましたが、私はこの巫女が神さまを呼び出していたせいで謀反を企んでるんじゃないかと疑われているのです。私がこの巫女を借りるのは、その疑いを晴らすため……決して拷問をしようだとか実験をしようだとか、そういうためではありません。そもそもその行為をすることは多くの穢れを発生させる。それは、私たち月の民にとっても好ましいことではない」
「……それでも、月の都は敵地です。あなたになにかをする気がなくても、なにか不都合で霊夢が危険な目にあったり」
「それならば、私が常に護衛としてついているつもりです。護衛というより、巫女が勝手になにかをしないようにという監視が本来の目的なのですが」
俺の言葉を依姫はことごとく潰していく。
口先だけではなんとでも言える。そうしてまだ反論しようとする俺を、依姫は不思議そうに見つめていた。
「そもそも、なぜ妖怪であるあなたが人間の巫女を庇うのですか? 私の知識が正しければ、妖怪とは人間を喰らう魔物であったはず」
「そんな古い考え方、知りませんよ。幻想郷は人間と妖怪が共存する世界です。そして、霊夢は私の友達なんです。友達を危険な目に遭わせるわけにはいきません」
「共存……? ふむ……案外、地上も変化してきているのですね」
だから妖怪だとか人間だとか関係ない、と噛みつこうとする俺を、しかし肩を掴んで止めたのは座り込んでいた霊夢であった。
ため息を吐きたそうに、というよりも実際にため息を吐きながら、彼女はしかたがなさそうに俺と目を合わせてくる。
「私のことはいいわよ、気にしなくても。別にここに残ったって大丈夫よ。私の勘が告げてるわ」
「勘なんて、そんなもの」
「いやいや、勘っていうのは存外信用できるものよ。紅い霧の異変の時にあんたらの館に一直線に向かったのも勘を信じてのことだったわ。他の異変でも何度だって勘を頼りにしてきたし」
「ですが……」
「まぁ、あんたにこんなこと言っても無駄か。こっちの方がいいかな? 私ね、ロケットに乗ってる時から見て回りたいと思ってたのよ、月の都。なんだかすごく進んでる技術があるって言うし、気になるじゃない?」
残っても大丈夫、ではなく、自分が残りたい。そんな言い方をされて、俺は一瞬言葉に詰まった。
「ここに残れって言うのも、まぁちょっとは不満だけど、楽しみだって気持ちがないわけじゃないの。だから安心なさい。安心できないなら……えーっと、ほら。神奈子が異変を起こした時に貸してくれたアレ、もう一度寄越しなさいよ」
「……さすがに月と地上とでは、遠すぎて通信できませんよ」
「そんなの別にいいわよ。通信しか否定しないってことは、壊せば月だろうがあんたを召喚できるんでしょう?」
それだけは自信を持って言える。霊夢はふっと頬を緩めて、首を縦に振る俺の頭の上に手を置いた。
「なら、きっとなにがあっても大丈夫よ。私はあんたを……いえ。私がそう思ってるんだから、あんたもそう思いなさい。いいわね」
私はあんたを――言いかけたその先は、いったいなんだったのだろか。どこか恥ずかしそうに視線を逸らしているように見える霊夢は、問いかけても答えてくれなさそうだった。
懇願を受けて、俺は目を瞑る。いったん心を落ちつけて、状況を整理してみることにした。
まず、依姫が霊夢をここに残したいのは、霊夢が神を呼び出すところを他の月の民に見せて、自分が謀反を企んでいないことを証明するためだろう。その結果として他の月の民からちょっかいをかけられる可能性が少しあるが、それは依姫が護衛してくれると言う。会って数刻の相手をそう簡単に信用することはできないが、本当に危ない時は霊夢が首飾りを壊してくれるだろう。
「食事と待遇は?」
「保証しましょう」
簡潔な質問、簡潔な返答。完全に信じる気はない。けれど、もしもこれが嘘だとしても、必要最低限の食事は提供してくれることは間違いないはずだった。
生きようとする渇望が穢れを生む。食事を減らして餓死の危険性を与えるなんてバカなことはしないだろう。
他にもさまざまな心配事を頭の中で思い浮かべ、時には依姫にどうなのかと尋ねる。瞼は閉じていたが、魔理沙が苦笑いを浮かべていたのはなんとなくわかった。
「それで、どうでしょう。もう質問はない?」
「……ええ、まぁ」
目を開き、依姫にそう返答する。
依姫は霊夢を必要としている、霊夢はここに残ってもいいと言っている。元々そこに俺が介入する余地はなく、そもそもとして部外者なのだから、口を挟む権利はないはずだった。
それなのに俺の失礼な態度に真摯に対応してくれた依姫を、多少は信頼しなくてはならないだろう。そう判断した。
「霊夢、これを」
「はいはい」
「中に書いてある魔法陣がバレにくいように改良しておきました。月の都でつけて歩いていても、力ある者に警戒されることはないでしょう」
倉庫魔法で自前の空間から取り出した首飾りを霊夢に手渡す。霊夢を一人月に残すことは大いに不安が残るが、とりあえずはこれで満足しようと思った。
俺は霊夢と魔理沙、依姫に背を向け、空を見上げてフランを探す。そうして彼女が同じように俺の様子に気づいて手を振ってくるのを見、そちらへ向かうために体へ魔力を循環させた。
「なんだ、さっきまで霊夢のこと心配しまくってたのにフランの方に行くのか?」
「このままここにいると、また不安がって余計なことまで言ってしまいそうです。これ以上は霊夢にうざがられそうですから」
ま、それもそうかもな。そうやって快活に笑う魔理沙を視界の端に捉えつつ、フランのいる方向へ向かってその場から飛び立った。
その途中、一度だけ振り返ってみる。依姫の珍しいものを見たかのような顔、首飾りを眺めてしかたがなさそうに肩を竦める霊夢、その二人を面白そうに眺める魔理沙。どうやら俺の話をしているらしい。あまり面白い話題ではないと思うのだけど。
――それからしばらくして、俺たちは霊夢だけを月に残し、依姫の姉であると言う豊姫の力で幻想郷に帰還させられた。
それ以来、俺は頻繁に博麗神社に通うようになる。
一か月ほどで帰ってくるということは知らされていた。それでも、心配だと思う感情は抑え切れなかった。
霊夢は無事に日々を過ごせているだろうか、首飾りを奪われて致命的な事態に陥ったりはしていないだろうか。
またこの神社で、俺の心配した様子に、困ったように笑う顔を見せてくれるだろうか。
早く帰ってきてほしい。そう胸の内で思い続けながら、俺は毎日神社の境内で空を見上げ続けていた。