□ □ □ Standpunkt verändert sich zu Remilia Scarlet □ □ □
「一一……いや、一二人か。結構集まったわね」
紅魔館のホールにて、私は異変解決のために集まったメンバーを一人ずつ数えていた。
まずはこの館の住民である咲夜、パチェ、美鈴、フラン、私。次に幻想郷の異変解決屋として知られている霊夢と魔理沙、そこらでふらふらとしてるだけの低級妖怪のルーミアとやら、それから宇宙人どもの奴隷である鈴仙。最後に、レーツェルと懇意にしているという地底住みのサトリ妖怪、さとりとこいし。ついでに紫。
おそらくはこれで全員であろう。あとはこのまま紫がなにかアクションを取ってくるのを待つだけである。
もう一度、今度は一人一人がどのようにしているかを確認してみることにした。
霊夢と魔理沙は現状についての把握のためか、咲夜に詰め寄っていろいろと質問を投げかけているようだった。さすが咲夜というべきか、涼しい顔で受け流している。美鈴はなにやらパチェにからかわれて泣きそうになっており、まぁここはいつも通りだ。フランはルーミアやこいしと互いを回り合うというわけのわからない遊びを行っていて、そんな様子をさとりは一歩離れた位置で微笑ましそうに窺っていた。
そしてこの場にいる最後の一人である鈴仙が私のもとに歩いてくるのを見て、私は一旦周りの観察を中断することにする。
「ねぇ、あのさ。今の変な異変を起こしてるのが私の知り合いだとか聞いて言われるがままここに来てみたんだけど、これはいったいどういうことなの? 適当に集まってるだけじゃない」
ムスッとした面持ち――そういう感情を今は抱けないので、十中八九単なるフリ――で問いかけてくる鈴仙は、どうやら他のメンバーとは違ってあまり詳しい事情を聞かされていないようだった。
「今回の異変はいつもみたいに力技で解決するわけじゃないのよ。こうやってレーツェルと比較的親しかった人妖を集めて、異変をやめるようあの子を説得するの」
「レーツェル? あぁ、そういえばそんな名前の……って、親しいだって? 私は別にあんなのと仲良くなったつもりはないわよ。今だって半ば無理矢理師匠に送り出されてきただけだし」
ぶつくさと文句を漏らす鈴仙に、私はめんどくさそうにため息を吐いてみせる。睨まれたが、どうでもいい。
「だったら帰るといいわ。別に強制してるわけじゃないし。そもそも、あの子を助けることに反抗的な人妖なんてこの場にはいらない」
「言うわね」
「言うわよ。大切な妹の一大事なんだから」
強い意志を込めて睨み返す。視線が交錯し、そのまましばらくしてから、鈴仙の方が先に目を逸らした。
「……帰らないわよ。別に、あいつと親しくなったつもりなんてないこれっぽっちもないけど、一応私はあいつの師匠なんだし」
「あっそ」
「なによその反応。さっきとは大違いじゃない」
ほんの少し頬を朱に染めながら口にする、鈴仙のここに残る意思の表明を、私は軽く流した。口を尖らせてねめつけられたが、これまたそんなものどうでもいい。残るなら残る、残らないなら残らない。それだけ示してくれれば十分だった。
この素直じゃない兎との関係もまた、きっとレーツェルがこの幻想郷で築き上げた繋がりの一つなのだ。
どういう説得をするつもりだの、そもそもレーツェルに会う方法はどうするだの、いちいち突っかかってくる鈴仙を適当にあしらう。説得の内容なんて特に考えてないし、方法なんて私も聞いてない。鈴仙が呆れたような顔を向けてくるが、それをさらに私は鼻で笑った。
計画的に立てた説得の言葉になんの意味がある。レーツェルに私たちの心をわかってほしいと思うなら、今回ばかりはその時その時の激情に身を任せた方がきっと効果的である。レーツェルに意思を伝える方法もそう。そんなものを考えてるくらいなら、その時間を使って改めて身を引き締め直しておいた方がよっぽどいいだろう。
それにしても、遅いな。きょろきょろと辺りを見渡してみるが、まだ紫は来ていないようだった。いや、来ていないというか、声が聞こえないというか。
しかし噂をすればなんとやら? 別に噂なんてしていないが、ちょうどその時、紫の気配が漂い始めたのを感じ取った。
『はろー。元気にしてるかしら?』
「あん? 遅かったじゃないの」
「やっぱり現行犯退治だな」
『もちろん把握してると思うけれど、今日の目的は他でもないわ』
この場に響く声に、霊夢と魔理沙が真っ先に反応を示す。が、紫は華麗にそれをスルーした。
『レーツェル・スカーレットが引き起こした、この厄介な異変を解決する。そのために皆さまに集まっていただきました。ああ、どういう異変なのかの説明はいる?』
さすがにそれくらいは全員理解している。いらないと答える者、無言でさっさと話を進めろという空気を出す者、どうでもよさげに宙空を見つめている者、反応はそれぞれであるが一つたりとも説明を求める声は上がらない。
およそ死へとたどりつく行動、現象すべての抑止。負に類する感情からの痛みの消失。その他、争いや不幸を引き起こす要因となるさまざまな事象の消滅。そして、レーツェル・スカーレットと関わった記憶を意識的に呼び起こすことの抑制。
どれもこれも、一つ一つが単体で起きるだけでも異変と呼べるようなものばかりだ。
『うふふ、まぁそうよね。では次に……そうねぇ。レーツェル・スカーレットが異変を起こした目的はなにか。知っていても、これは改めて胸に刻んでおく必要があるわ』
「あ、いやそれ私知らない」
「私もー」
「私も私も」
「ああ、そういえば私もそいつは聞いてなかったな」
鈴仙、ルーミア、こいし、魔理沙が声を上げた。咲夜やパチェ、美鈴やフランにはすでに私の方から話してあるので、知らないのは正しくその四人だけだろう。
『守るためよ』
「守る? なにから?」
『未来に起き得るかもしれないすべての危機の可能性から、あの子にとっての大切な存在をすべて、そして幻想郷を守り通すため』
鈴仙と魔理沙が目を見開き、ルーミアが鋭く目を細める。三者に共通していることは、驚愕の感情をあらわにしているということだった。こいしだけは何事もないことのように軽く流していたが。
『まったくバカげた話だけれどね。でも、あの子は本気でそれを目指して異変を起こした』
「バカげたっていうか……バカだぜ。なんだそれ。こんなわけわからん世界を作った目的が、私たちを守るためだって? いや、ほんとわけわからん」
『奇遇ね、私もわけがわからないわ。あらゆる負の痛みをなくしたところで、その先にあるものは決して幸福に満ち溢れた世界などではない……そんなこと、少し考えれば誰でもわかることよ。あの子にだってそれがわからないはずがない。そのはずなのにこんな異変を起こした。その心はなんだと思う?』
紫の問いかけ。それに答えたのは、これまでずっと黙っていた古明地さとりであった。
「なにも考えたくなかったのよ。異変の先にあるものを想像してしまえば、自分は動けなくなる。でも、異変を起こす以外に皆を確実に守り通す手段は自分には思いつかない……だから半ば自棄になっていたのでしょうね。こいしによればレーツェルは無意識に助けを求めているみたいだし、それが溢れ出た結果という線もあるわ」
『ええ、おそらくはそのどちらかか両方とも……というより、あらあら。どうしてあなたがいるのかしら? 古明地さとり。館に引きこもって怯えてなくてもいいの? また逃げ出さなくても大丈夫?』
「いったいいつの話をしているのかしら。そんな昔のこと、とっくに忘れてしまったわ」
『うふふ、いい声ね。きちんと見つかったのかしら? どうやら発破をかけたのは正解だったみたい』
紫とさとりがなにやら意味ありげに言い合っていた。紫はそれぞれの人妖のもとに声をかけて回っていたというし、その際に二人の間でなにか一悶着あったのかもしれない。
『ま、とにかくそういうこと。そこのサトリ妖怪の言う通り、あの子が無意識に助けを求めているのだとすれば、レーツェルに異変をやめるよう説得することの成功率は私は意外と高いと踏んでいる。うまくいけば戦わずして解決することもできるわよ』
「うまくいけばって、あんた、武力じゃ敵わないとか言ってたじゃないの」
霊夢が半眼で、紫がいると仮定しているだろう、なにもない空間を睨みつける。霊夢のことだから、勘で本当に紫のいるところを当てているのかもしれない。
『そう、敵わないわ。だから説得がダメだった場合の策もきちんと考えてある。そしてそれもまた戦わずしてのもの……まともにやり合うのは本当に最終手段、最悪の事態になった時だけよ。その時は霊夢はもちろん、この場にいる全員にも戦ってもらうから』
「それはいいけど、殺すのはお断りよ」
『わかっているわよ。ここにいるのはあの子と親しかった人妖……殺せと言われて殺せる輩は一人たりともいないでしょう』
紫の推測に、誰も否定の意は示さない。それは異変を解決する上では致命的なことであるが、レーツェルを連れ戻すことを最優先として考える私にとっては非常に好都合な事実だった。
『さて、とりあえずはこんなところかしらね。なにか聞きたいことはあるかしら? ないようなら、あの子を呼び出す前に、あの子が用意している禁忌の産物を見せに行きたいのだけど』
現状については十分理解している。レーツェルの目的だってはっきりとした。しかし、まだ誰もがわかっていないことが一つある。
私がそれを問いかけるよりも先に、フランが口を開いた。
「お姉さまを呼び出すって、結局どうやってやるの? 先に聞いておきたいわ」
『ああ、そういえば言ってなかったわね。別に大したことはしないわよ。霊夢がちょうどしてる首飾りにはレーツェルを召喚するための魔法陣が仕込まれているの。それを適した場所で壊してくれれば、あの子を霧から実体化させることができるわ』
本当に大したことじゃなかった。霊夢が、ああなるほど、と手をついているのが視界の端に見えた。
『他にはないかしら』
今度は誰もが質問を投げかけたりせず、口を噤む。私にも聞きたいことなんてない。レーツェルに関してのことは実際に会ってから聞けばいいし、それ以外となると大体のことはすでにわかっている。
数秒程度の沈黙に、紫がこくりと頷いた――そんな光景を幻視した直後、足元の地面が割れた。床に物理的な亀裂が入った等ということではなく、まるで空間そのものに裂け目ができたように、人一人が通れるほどの穴ができたのだった。
一瞬、反射的にそこから飛び退こうとしてしまったが、穴の中にたくさんの目玉が存在する気味の悪い空間が見えて、この裂け目が紫の境界を操る力で作り出されたものだと理解する。ここに入れという彼女の指示なのだろう。
重力に逆らわず、そのまま穴の内側へと落ちていった。ぐにゃぐにゃと色と目玉が蠢き合う、ずっといると上下左右が曖昧になってしまいそうな光景。それが見えたのはほんの一瞬で、気づいた時には別の空間にたどりついていた。
すたんっ、と足をつく。
「ここは……」
空は黒く、地面も黒く、遠くに見ゆる景色さえすべて真っ暗だった。足をついていることにさえ違和感を覚えそうになってしまうようなただ一色の世界で、しかし異彩を放つものがいくつも置かれている。
豪華そうな弓、冷蔵庫、ブラウン管テレビ、一か所にまとめられた大量のゲーム用カード、天狗がよく持っているようなカメラ、無駄にでかいグランドピアノ等々――すぐにこの場所の正体に気づいた。
「レーツェルの、倉庫空間……?」
はたと、すぐにレーツェルと結びつけることができたことを疑問に思う。いや、当たり前か。ここは幻想郷とは隔離された空間にあるのだから、レーツェルの霧は充満していないはずである。
試しにレーツェルとの記憶を掘り起こしてみるが、すべて滞りなく思い出すことができた。右手の爪で左手の平を軽く引っ掻いてみると、きちんと傷ができて血が流れ出てくる。
悲しみもきちんと胸に抱くことができていた。痛い、痛い。その痛さが懐かしくて、どこか愛おしい。
「ごきげんよう、皆さまがた」
その声に顔を上げる。私以外のメンバーも全員周りに窺え、そしてその視線の先には不敵に微笑む紫がいた。
なにか言い出そうとする私たちを、しかし紫は口元に指を当てて「しーっ」と鎮めてくる。
「あまり大声を出してはいけません。あの子が仕掛けた保護の魔法が発動してしまいますわ」
「……こんなところに連れて来て、いったいどういうつもり?」
訝しげな感情をあらわにする私を、紫はくすくすと笑う。
「わかっているんでしょう? このさらに先にあるのよ。あの子自身がもっとも忌むべき、最悪の禁忌が」
すっ、と紫が片手を上げた。するとその先にさらに一際大きな裂け目が生まれ、紫は危険がないことを証明するかのように自分からその中へ入っていく。
ちょうど近くにいた鈴仙と顔を見合わせ、しかしすぐに、なんでこんなのと意思表示の確認を行わなければいけないんだ、なんて思ってすぐに顔を逸らした。鈴仙も同様に感じたらしい。紫が来いというのなら行くまでだ、と誰よりも先にその裂け目の中へ飛び込んだ。
目玉と色の混ざり合う狭間の場所。そこを過ぎ去って広がるのは、またしても真っ黒な世界。
そこはさきほどの倉庫空間とほとんど同じであった。空は果てが見えず、地面は足元が確認できず、地平線が曖昧どころか存在しないだろう、殺風景な景色。
だが、そこに置かれているものに明らかな違いがある。
決して見逃すことができない、狂気にまみれた産物が確かに存在している。
目を見開く。思考が止まる。
後からここにやってきた者たちも全員、目の前に広がる惨状に悍ましさの念を抑え切れないようだった。
「な、によ……これ」
渇ききった血はどこに顔を向けても目に入り、そこらかしこに数え切れないほどの肉片が散りばめられている。腕や脚など、大雑把に切り取られている部位ならばまだよかった。胃、心臓、脳などの内臓が綺麗に抉り取られたものが転がっていたり、それぞれを無理矢理引っつかせようとしたのか、腕の中から腸がはみ出しているような、およそなにが行われたのか理解したくない物体も多く見受けられる。
何度も千切るのに失敗しただろう翼の残骸、さまざまな潰れ方をしている並べられた目玉、これでもかというくらい裂いて暴いて滅茶苦茶にされたあらゆる部位の肉片。
そしてなによりも目が行ってしまうのは、銀に幾房か金が混じった髪に死んだように生気のない端正な顔立ち、私と同じ程度の身長と骨組みだけの翼――レーツェルの形をした肉塊が糸で上から吊るされていることだった。それも一つや二つではない。一〇、二〇、三〇、軽く一〇〇は越える生きていない人型が人形のように吊り下げられていた。
「これがあの子の用意した強くなるための方法、手に入れられなかった不老不死の代わり……転生魔法」
「てん、せい……まほう……?」
「あの子は自分の能力の強みをよくわかっている。一度認識した攻撃は二度と効かない、吸血鬼である己が死に絶えるほど強烈な力はそう多くない。なら、こうして予備の肉体を大量に用意すればいい。死ぬたびにそちらへ魂を移すようにして、自分が死んでしまうような力をすべて無効化していけばいい……そうすれば、いずれ敵うものはいなくなる」
なんだ、それは。
こんなものが強くなる方法? 能力を生かすための魔法?
わけがわからない。
「ど、どうやってこんな数の体を用意したんだよ。そもそも妖怪は死体をあんまり残さないって言うか……残せない、んだろ?」
顔を青くした魔理沙が震える声で紫へと尋ねた。紫は、まるで諭すように落ちついた様子で答える。
「ええ。私たち妖怪は幻想の存在だから、実在を信じられなければ存在はかなわない。それが魂の宿っていないものでなければなおさら……だからこその実験と研究なのです。散らばっている肉片は、その過程での産物でしょう。存在を維持できず消えてしまったものを考えれば実際はもっと多くの実験が行われたはず……」
「なるほど、な……禁術か。確かにこれは、さすがの私も手が出せないぜ……」
「当然です。そもそも吸血鬼の再生力なくしてはこんなことできませんわ。腕を切り取って、再生を待って、もう一度切り取って……それが内臓でも翼でも脳でも関係なく、何度も何度も研究のために繰り返し続ける。時には生きたままの自分の体をいじる。そんなこと、正気ではできない」
そう言って紫は手元に小さな裂け目を作り、小さな白い物体を手に取った。よく見ると、どうやらそれは人間の骨であるようだった。
「あっ、それ……ずっと前に霖之助さんが拾ってきた、魂の宿った跡がなかった……」
「そう。あの子はこれを、このクローン技術の産物を頼りに研究を進めた。そして、魔法を完成させた」
紫はそこまで言い切ると、ゆっくりと手を横に振った。
紫のすぐ隣に、再び空間の裂け目が生まれる。ぐにゃぐにゃと上下も左右も不明瞭な、目玉が背景という空間の気味悪さが、今の周りに広がる光景と比べると生易しいものに思えた。
「これに手を出せば保護魔法が発動する。この世界はあの子の手の内にあるから、そうなったらもうおしまい。大人しくここを去るしかない……さて、改めて問いかけます」
紫が私たちを一人ずつ順に見据えた後、一旦目を閉じ、しばらくしてすっと開いた。
「あなたたちに、レーツェル・スカーレットを助けようとするだけの覚悟はある?」
これほどまで狂気に満ち溢れたものを見て、彼女の心に巣食う闇の深さを知って、それでも立ち向かえるだけの意志があるのか。
首を横に振るようならこの先のことには関わらせない。紫がそういう考えでいることはすぐにわかった。
瞼を下ろす。思考してみる。
けれど、覚悟はあるのかという問いかけに悩むことはなかった。
私は間もなく瞼を上げた。
「むしろ強まったわね、連れ戻したいって思いが。こんなバカげたことをしてる妹を叱ってあげないと……抱きしめてあげないと」
レーツェルがどれだけ私たちのことで思い悩んできたか、両親や義理の母、フランのことを抱え込んできたか。私は今、ここでそれを正しく垣間見た。
正直――恐ろしかった。悍ましかった。鳥肌が立った。
痛々しかった。
それでも、だからこそなのだ。
だからこそ、そんな負の狭間から大切な妹を救い出さなくてはならない。
強く、強く。なによりも強く。
「覚悟なんて、とっくに決まってるわ。どんなことがあってもお姉さまを助けてみせる。その思いは今も変わらない」
フランが胸の前に手を置いて、真剣な顔で紫を見据える。私にとってそうであるように、フランにとっても、レーツェルという存在はたった二人だけの姉妹なのだ。
フランもきっと私と同じ気持ちでいる。私もまた、フランと同じ気持ちでいる。
「そうですね。レーツェルから、染まり切れもしない狂気を引っぺがしてあげないといけません」
「うんうん。欲しいのはレーチェルの体じゃなくて、レーチェルの全部だもん」
さとりやこいしも相当にレーツェルを大事に思ってくれているようだった。その迷いのない声に、思わず私の頬も緩んでしまう。
霊夢が魔理沙と顔を見合わせ、くすりと笑みを漏らした。
「ま、そうよね。ここまで来たからには引き返すなんて選択肢は最初からない」
「こんなくだらない研究してる時間があるんなら、この前見つけた新しいキノコを使った研究でも手伝ってほしかったぜ」
「レーツェルお嬢さまの甘すぎる紅茶の味は、忘れたくても忘れられませんわ」
咲夜もまた小さく笑っていた。三人ともこの状況で笑顔になれる辺り、周りに影響されて前向きな言葉を口にしているわけではなさそうである。それぞれがそれぞれの思いをもとに、自分の気持ちを吐露していた。
「レーテはあいかわらず気負いすぎるのよね。私もいい加減怒ってもいい頃じゃないかしら。もっと家族を頼ってもいい、って」
「なんていうか、すごいですよねこれ。でもこんなの見たくらいでレーツェルお嬢さまへの気持ちに変わりはありませんよ?」
パチェは呆れたように、美鈴はぐっと拳を握りしめ。両者とも、真剣な表情で前を見ていた。
「お腹空いてきたなぁ。早くレーツェルと一緒にご飯食べたいわ」
「……はぁ。ほんと、しかたがないやつねぇ……」
のんきに助けてからのことを想像するルーミア、ため息を吐く鈴仙。どちらもレーツェルと向き合う意志に変化はないらしい。
誰もがレーツェルを連れ戻すことから逃げるつもりはない。むしろ、それがもっと強力で確実な思いへと昇華した。紫はそんな私たちに再度一人ずつ視線を送り、満足そうに頷いてみせた。
そうして紫が覚悟のことを問う直前で作り出していた空間の裂け目へと消えていく。ついて来なさい、と手招きを残して、ここから去っていく。
あの裂け目の先は、幻想郷の、紅魔館の中へと繋がっているのだろう。
右手を胸の前で強く握る。
覚悟はあるか。紫ではなく、今度は心の中で自分で自分に問いかけてみた。
私の『答え』は昔から、ずっと変わらない。
絶対に助ける。もう一度、必ずあの子の笑顔を手に入れる。
「行くわよ」
意を決し、紫の残したこの空間の出口へと飛び込んだ。
視界が切り替わり、ほんの数秒だけ紫製の気持ち悪い空間を通り抜け、やがて床に足がつく。
そうして辺りを見渡して、たどりついた場所がホールではないことに気がついた。
そこは地下の迷路を抜けた先、フランの部屋である地下室であった。