東方帽子屋   作:納豆チーズV

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八.停止せし世界の支配者

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Unbekannt □ □ □

 

 

 

 

 

 暗い雲が空を埋め尽くしていた。太陽の光は地に届かず、浄化の冷水もほんの一滴すら零れてこない。

 吸血鬼ならば、きっと口をそろえてこう言うに違いない。ああ、今日の日中はなんていい天気なんだろう。

 くるり。くるり。銀のナイフを手の中で回す。

 いつの間にか森を抜けていたのか、丘の上に立つ窓の少ない紅い館が目に入ってきた。

 何百年もの歴史を持つ恐怖の根源。武道を身につけた妖怪門番、精霊の力を借り受ける魔女、人の血を栄養とする三匹の悪魔が住まうという不気味な館。

 恐怖もない。緊張もない。少しの動揺もなく、ただ淡々とその建物へと足を進めていく。

 

「妖怪退治の……って、子ども? あなた、こんなところでなにを――――あれ? さっきまでそこに……うーん」

 

 中国風の服装を纏った妖怪が、背後で「見間違いかなぁ」なんて呟くのが耳に届いた。

 すでに私は門の中にいる。それでも誰も気づかない。誰も気づけない。

 

「すべての時間は私のもの。だからわからない、認識できない。今まさにこうして、ここに異物が紛れ込んだことさえも」

 

 歩みを進め、扉を開け放ち堂々と正面から侵入する。

 ガチャリ、と。ちょうどそんな音に、その場にいた何人かのメイド服姿をした妖精がこちらに向いて――しかし私はすでにそこにはいない。

 すべての妖精の視界外にて銀のナイフを回している。

 

「妖精のメイドなんて大して役に立たないでしょうに」

 

 吸血鬼の考えることは相変わらず理解できない。

 そんな独り言を置き去りに、悪魔を探して館の徘徊を始めた。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □

 

 

 

 

 

「……なんですか、これ」

 

 ジジ――――ジジジ……ジ、ジジ。

 そんな、まるでノイズのような耳障りな音で目が覚めた。

 寝ぼけ眼を擦りながら起き上がり、なにが音を発しているのかと辺りを見渡す。

 基本的に自室以外にいることが多いので、家具も少なく最低限のものしか置いていない。

 自分が寝ている天蓋つきのベッド。服をしまったタンス。部屋の中央には、暇だった時に作ってみただけのコタツと座布団。すぐに確認は済んだ。古いアナログテレビが発するがごとき不快な音源となり得るものは、この寝室にはなに一つとして存在しない。

 単なる幻聴か。あるいは夢の中で聞いたものだったか。

 ――ジ。ジジ。

 

「違う……」

 

 今度はハッキリと聞こえた。紙をビリビリと破くような異質な音が。

 耳を澄ます。すると、ジジジとまた耳に届いた。それは規則性がなく、しかし途切れることなく定期的に発生している。

 しばらくそうして音源を探ろうとしていたが、諦めてベッドから下りた。どうやら一定の場所からではなくそこら中から鳴っているようで、どれだけ集中してもわからない。

 扉を開けて廊下に出ると、ちょうど通りかかっていた妖精のメイドがビクリと体を震わせていた。

 

「驚かせてごめんなさい。ちょっと聞きたいんですが、今はどのくらいの時間帯ですか? 昼間とか夜中とかその程度でいいです」

「えっと……太陽が真上に昇っているくらいです」

「なるほど。ありがとうございます」

 

 礼を告げて、足早に書庫に向かって歩き出す。

 未だ断続的に耳に響くノイズの正体は一向に掴めなかった。魔法によるものかとも考えてみたが、こちとら四〇〇年も伊達に魔法を習い続けていない。吸血鬼という妖怪の中でも強力な種でもあるし、下手な魔法使いの魔法なら効かないし感知もできる。しかし、一向にそんな気配も反応もないのだ。

 もしかしたら吸血鬼の能力と俺の魔法の腕を両方超えて魔法をかけられるほどの強者によるものかとも考えたが、それならわざわざノイズを鳴らすなどわけのわからないことをしてくる理由が見当たらない。

 わからないならとりあえずパチュリーに聞いてみよう。これは紅魔館の住人の共通認識だった。

 俺も最初の頃こそは未来の知識があるからあんまり質問なんてしないかもなんて思っていたが、今では俺の中でも立派な知識人である。たまに間違った覚え方してる時もあるけれど。

 

「あら、レーツェル。どうしたの、こんな時間に」

「お姉さま?」

 

 テラスで思いも寄らぬ人物に遭遇した。今は昼間だから本来ならば就寝の時間のはずである。俺だってノイズがなければそのまま眠っていた。

 

「ちょっとパチェに用がありまして。幻聴が聞こえるというか……妖怪にかかるような病気なのかと勘繰っているんですが。お姉さまはなぜこんな太陽の出ている時に?」

「私の方はなんだか妖精たちが騒がしいから起きてき……って、幻聴!? びょ、病気!? レーツェル大丈夫なの!?」

 

 シュババ、と吸血鬼の身体能力を十全に生かした速度で近寄ってきては即行で俺の額に手を当ててくるレミリア。病気がある時は熱が出るってパチェから教わったんだろうけど、妖怪は精神由来の病気しか罹らないから熱は出ませんよ。

 心配そうに俺の顔を覗き込んでくる彼女を、今のところは全然問題ないと伝えて落ち着かせる。

 

「本当に大丈夫なの?」

「幻聴以外は本当になんにもありませんよ。だから、その幻聴の原因究明と解決のためにパチェを訪ねるんです」

「それなら私もついてくわ! 謎探しなんてあとあと!」

 

 レミリアは俺の手を握ると先導して歩き始めた。俺以上に俺のことを心配しているみたいで、なんだか胸が暖かい変な気分になる。

 いくばくか進んだところで、「そういえば」と今さっきのレミリアのセリフを思い返した。

 

「謎探しってなんのことですか? 妖精が騒がしいなんてことも言ってましたが」

「え? あぁ、屋敷の扉が触っていないのに開いていたり、誰もいないはずなのに廊下を誰かが歩く音がしてたとかわけのわからないものよ」

「なんですかそれ。妖精の誰かが『認識できない程度の能力』にでも目覚めたりしたんでしょうか」

 

 なんて言ってみるも、妖精は自分の由来する自然現象に合った能力しか持ち得ないのでありえない。

 

「あるいは誰かが時間でも止めてるのかもね。まぁそんなことはどうでもいいわ。今はレーツェルの……レーツェル?」

 

 急に足を止めた俺を不思議に思ってか、レミリアが不思議と心配を合わせて二で割ったような表情で振り返ってきた。

 時間を止める。確かに、それなら扉を気づかずに開けることもできるし、見られる直前に時間を止めて廊下を歩く音だけを残すなんてことも可能だ。普通なら絶対にできない所業でも、俺はそれを実現してしまう人間を知っていた。

 今は一九九五年。原作において十代後半と公言していた彼女は、当然生まれている。

 

「見つけたわ」

 

 不意に響く聞いたことのない冷たい声――走るノイズ。

 気づいた時には目の前でレミリアが銀のナイフに全身を滅多刺しにされていた。数瞬前まで五体満足でいたはずの彼女が突然に、認識する間もなく。

 当の本人であるレミリアが瞼をパチパチとさせながらその肉体に刺さる刃物を愕然と見下ろし、「え?」と一言。

 倒れかけるレミリアの体を支え、声が聞こえた方向へ振り返る……フリをして、すぐに前を向いた。

 

「あら、見つかっちゃった」

 

 そこにいたのは、ボロボロな黒いローブを纏う一〇歳にも届かない体躯の少女であった。

 あまり手入れされていない無造作に垂らされた長めの銀髪に、見る者を闇に引きずり込むような淀んだ青の瞳。左手には銀のナイフを持っており、時折くるくると回している。

 俺が知っている彼女の見た目とずいぶんと違う。子ども時代だということもそうかもしれないが、汚れた服装と暗い内面を匂わせる見た目が拍車をかけていた。

 東方Project、紅魔館最後の住人にして唯一の人間、名を十六夜咲夜。いや、この名前はレミリアがつけたものらしいから、この時点ではまた違うものか。

 

「こんな年端もいかない人間に、この私が……?」

 

 レミリアが自分の傷から赤い魔力を放出し、その身に刺さっていたナイフを全部落とす。同時に血が溢れ出した。すぐさま治そうと魔力を巡らせたようだが、銀が効いているのか再生が異様に遅い。

 キッと睨むレミリアを意にも介さず、銀髪少女は首を傾げながら俺の方を向く。

 

「というか、二人もいたのね。そっちの金銀の方は気づかなかったわ」

 

 どうせここの吸血鬼は全部殺すから同じだけど、と付け足してくる。

 

「ずっとお姉さまの近くにいたんですけどね」

「どっちでもいいわ。あなたの時間も私のもの。どうせあなたも刺されたことを認識できない。今度は、二人同時に私のナイフを受けてみる?」

 

 なんて言って、彼女はこれ見よがしに片手で指を鳴らす姿勢を取った。

 そんなことしなくても別に能力を行使できるだろうに。時間を止められるだろうに。

 レミリアとともに身構える俺をあざ笑うかのように口の端を吊り上げ、銀髪の少女はパチンと指を鳴らした。

 ――ジジ。

 

「…………え?」

 

 しかしなにも起こらない。

 どういうわけか、信じられないものを見たかのように、時間を止めた張本人が目を見開いて俺を直視してくるだけである。

 

「あれ、え、どうして」

 

 ジジ。ジ、ジジジ。ジジ。

 俺はようやく、耳に届くノイズが未来の十六夜咲夜による能力行使により発生しているものだとわかった。

 

「……金銀の……あなた、何者?」

 

 理解できない。そんな感情を彼女は瞳に映している。

 何者と言われても俺にはなにがなんだかサッパリだった。

 

「ただの吸血鬼で……強いて言うなら、変な音が聞こえてるだけですが」

「変な、音? 違う、違う違う。あれ、あれ? どうして? ねぇ、なんで……なんであなたは、時間を止めると存在が消えるの?」

「え?」

 

 予想もしない答えに、問われたこちらも首を傾げてしまった。

 ジジジ。またノイズが走る。

 

「ダメ……ダメ、ダメ。なんなの? 時を止めたら、あなたが私の世界から消え去る。どこにいたのかすら、どうしてかわかんなくなる……なに、なんで? どういうこと? 時は確かに私のものなのに、あなたはいったい……どうしてあなたの時間は、私の手に――」

 

 瞬間、銀髪少女の周囲を赤色の弾幕が埋め尽くした。

 半ば反射的に横を向くと、会話している間に傷を完治させたらしいレミリアが獰猛な笑みを浮かべていた。

 

「そう、時間を止められるのねぇ。でもこれならどうかしら。大した隙間なく作ってみたわ。お前、そこから抜け出したりできる?」

「…………はぁ。もういいわ。殺すなら早くして」

 

 弾幕に囲まれた銀髪少女は、お手上げとばかりに両手を上げて降参のポーズを取った。

 

「潔いのね。死ぬのが怖くないみたい」

「怖いわよ。でも、捨て子として産まれて、吸血鬼を殺すために育てられて、同族にさえ時間を操る力のせいで疎まれて……どうせ私の最期なんて、こんなものってわかってたから」

 

 淀んだ瞳が暗さを増して、その手に握っていた銀のナイフが床に落ちた。

 

「絶対的だと思ってた私の世界に縛られない変な存在もいる。それだけわかっただけで、冥土の土産には十分(じゅうぶん)よ」

 

 もう言うことはないとばかりに銀髪少女は瞼を閉じる。立ち姿が早く殺してくれと語っていた。

 なんとはなしに、どうするのかとレミリアの方を見る。彼女はなにかを考え込むように首を捻っていた。俺が見ているのに気づいて顔がこちらに向くと、当然ながら自然と視線が合う。

 

「……はぁ、なんだかパチェの時にも似たようなことがあった気がするわね」

 

 レミリアが銀髪少女を囲っていた弾幕をすべて消した。

 相手の少女も瞼を開いて自分の現状を確認し、混乱した表情を隠し得ないようだった。

 

「その時を操る力、このまま殺してしまうのはとても惜しいわ。かと言って、せっかく今は私がその命を握っているのに人間に返すのも癪……」

 

 レミリアは一歩ずつ近づいていき、銀髪少女の目前で足を止める。

 

「十六夜咲夜」

「え?」

「十六夜とはほんの少し月の欠けた日のことよ。咲夜はすなわち、その昨夜……つまりは満月を指している。あなたにその名前を授けるわ。だから、私のもとで働きなさい」

「名前? 働、く?」

「生かしてやる代わりに妖精たちに混じってメイド仕事に従事しなさいって言ってるのよ。成果を残せば相応の地位だって上げるわ。どう? 名案じゃない?」

 

 最後の「名案じゃない?」は咲夜の名を授けた少女にではなく、俺に対してのもの。

 あいもかわらずレミリアは俺の気持ちを読み取るのに長けているようだ。表情をなくしているはずなのに、どうして「殺してほしくないけど人間のところに返したくもない」と思っていたのがバレたのか。

 やはり姉は偉大な存在である。

 

「…………了解、しました。もうこの際、飯が食べられるならどこでもいいわ。どうせ私に選択権はないし」

「ふふっ、よろしくね。十六夜咲夜」

 

 一時はどうなるかと思ったものの、どうやら無事に事態は収束したらしい。

 すでに銀髪少女こと咲夜に戦闘を継続させるような緊張感はなかった。とりあえず、小汚い服装を見て綺麗な衣服を用意してあげようと思い立つ。

 原作ではメイド服を着てたし、仕事もメイドだから妖精たちにも渡してあるメイド服でいいだろう。

 

「って、それよりレーツェルをパチェのとこに連れて行かないと!」

「え、ちょ、お姉さ」

 

 レミリアが、そんな風に考えていた俺の手をバッと取って走り出す。もう音の出どころも病気じゃないことも判明したのに。

 本気で焦っている様子の姉にそんな言葉は口に出せなくて、小さくため息だけを吐いた。

 とりあえず、ポカンとした咲夜の表情が印象的だった。


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