東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一一.心配性な呪われ吸血鬼

「行くわよ」

 

 館中の住人全員がホールに集められていた。これから行われることは事前に皆が知っていることと言えど、ざわめきは収まることを知らない。

 世の魔力がもっとも濃くなる時間帯、満月の夜。幻想郷にある結界に乗じて内部へと転移する魔法が完成し、ついに攻め込む時が来た。

 

「これ、もしかして星の並びから力を借りてるの?」

「そうですね。割合から察するに、月の精霊を中心にそれぞれの星の精霊を一つにまとめているんでしょう」

 

 この時ばかりはフランも地下室から出て来て、俺の隣でホール中に展開されている魔法陣を眺めていた。

 俺ほどとは行かなくても、フランも長年魔法を習ってきた身である。専門ではないから完全に構成を読み取ることはできないにしても、なにを使ってどうしようとしているかくらいはわかる。

 

「……パチュリーだけで作った魔法じゃないよね、これ」

「わかりますか? これは咲夜も手伝っていたらしくて――」

「お姉さまが作る術式に似てる部分があるわ。手伝ったんでしょ?」

「む、さすがフランですね、そこまでわかりますか」

 

 幻想郷に攻め入る話があった翌日、レミリアが大図書館に訪れてあと六日で転移魔法を完成させてなどと無茶な注文もしてきたとか。パチュリーは自分と咲夜だけでは無理だと悟り、俺に協力を求めて来た。館を保護する魔法を作る片手間でいいならと引き受けて、その結果として転移魔法が今日の早朝に完成した。

 魔法は本来ならばたかが数日で作り上げられるものではない。今回は元々研究していた事柄をうまく組み合わせて半ば無理矢理に完成へこぎつけたのだ。そのために魔法はひどく効率が悪く、改良の余地は山ほどある。

 

「――――――――――――」

 

 空気が震え始めた。この場にあることを拒絶するかのごとく、館全体が揺れている。

 不安定な魔法陣に月と星の魔力が満ちた。直後、全員が宙に投げ出された――まるで眩暈のごとき感覚。

 鉄同士をぶつけた時のような甲高い耳鳴りに苛まれながら、魔法陣が一際大きく輝いた。

 視界が上下する。匂いが混ざる。床が振動する。存在が移動する。

 

「――フ、ラン。大丈夫ですか?」

 

 終わりは一瞬だった。すべての現象が幻のように消え去って、すぐに隣にいるはずの妹の安全を確認する。

 

「うん、大丈夫」

 

 周りを見渡せば、レミリアやパチュリー、美鈴や咲夜、妖精メイドたちもきちんといる。魔法陣の明かりはもうついていなかった。

 

「成功したわよ」

 

 パチュリーのそんな報告を皮切りに、周囲から安堵と感動の騒ぎが巻き起こる。

 転移に成功したと言っても未だ実感は湧かない。パチュリーに許可を取って急ぎ足で廊下に出て、窓があるところまで急いで向かう。後ろにはフランもついてきていた。

 外をガラス越しに確認して、ようやく俺もここが違う場所だと感覚的に理解する。

 館の側面、外壁を飛び越えた少し先に見たこともない妖気に溢れた山が鎮座していた。妖怪の山――原作通り、その麓の湖にある島の岬に転移したようである。

 

「今宵は満月、それに初めての引っ越しを経験した記念すべき日ではありますが……」

 

 妖精たちは移動に成功したことに歓喜していたが、問題はその後なのだ。

 これからすぐに戦争が始まる。吸血鬼たちによる侵攻が。

 

「まずは館を保護する魔法を作動しましょうか」

「私も手伝うわ」

 

 幻想郷には神に等しき能力を持つ妖怪の賢者がいる。どうせ負け戦だった。だからこそできるだけ守りに徹する。

 願わくば、最後には何事もなく異変が終わりますように。

 

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 あっという間とはこのことを指すのだろう。

 ほんの数時間前は主に妖怪の山方面で戦闘や爆発音が絶え間なく聞こえていたが、今ではそれも収まりを見せている。吸血鬼がやられているのではなく、こちらが幻想郷側の勢力を押していた。

 今になって思い出したが、吸血鬼異変が起こったのはさまざまな理由により妖怪の気力や実力が最底辺まで下がっていた時だった。新参と言えど最強クラスの力を持つ吸血鬼にとってそんな相手など敵ではない。大量の妖怪を軍門に加え、着々と侵略範囲を広げているようである。

 

「お姉さまも出るんですか?」

「ええ、まぁ。せっかくお誘いを受けたのに行かなきゃ文句を言われちゃうからねぇ」

「……正直、行ってほしくないのですが」

「レーツェル、私たちは曲がりなりにも……いえ、まっとうな吸血鬼なのよ。舐められるようなことがあってはならない。吸血鬼という種の力を知らしめなければならない」

 

 レミリアが戦争に参加するということはあらかじめ知らされていたことだ。それでも、いざそういう時が来れば止めたくもなってしまう。

 

「それにお誘いを受けたのに行かないって言うのもダメなのよ。勝っても負けても、同族から後で疎まれることになる。それは好ましくないことだわ」

「それは、そうですが……館を守る魔法は結構な大規模で、私がいないと発動し続けなくて」

 

 つまりは俺がレミリアについて行けないことを指す。

 レミリアが直接見ていなければ不安だという俺の意図を感じ取り、口元を綻ばせた。

 

「ふふっ、私なら大丈夫よ。あいかわらず心配性ね。"紅い悪魔"はこんなところでは朽ち果てない」

「……危なくなったら、すぐに帰って来てくださいよ」

「わかってるわ」

 

 結局引き留めきれず、館から出ていく彼女を見送った。

 これでいいのか。これでよかったのか。本当は、無理矢理にでも止めるべきだったんじゃないのか。だけど、そうすれば戦争中は大丈夫でもその後に同族から……。

 考え始めれば止まらなくなる。不安がどうしても抜けない。

 ダメだダメだ、と頭をぶんぶんと横に振った。大丈夫だ。レミリアは俺の姉だ。妹の俺が信頼しなくてどうする。

 

「こんなことなら、監視魔法(ストーカー)でも開発しておくべきでしたね」

 

 嘆いても始まらない。俺は俺にできることをするだけだ。

 それに『吸血鬼異変』は原作でも起こったことである。レミリアたちがそれに参加していたかどうかは定かではなかったが、こうして戦争を行っている以上は正史でも加勢していたのだろう。

 だったらきっと大丈夫だ。レミリアは東方Projectの人気キャラクター、未来にいることが確定している。絶対にいなくなりはしない。

 半ば無理矢理にそう振り切って、今も俺の魔力を吸い取って発動している館の保護魔法の具合を見に行くことにした。

 さすがに紅魔館全体を覆う保護魔法と言うと脳内での術式では完結しないため、広いところで魔法陣を展開させてもらっている。

 いつの間にか本が増えまくって大図書館とまで呼ばれている場所につくと、宙に浮かんだ魔法陣が真っ先に目に入った。正しく発動していることを確認し、ホッと安堵の息を吐く。

 

「こんな魔法を維持し続けるなんて、あなたも大概ね」

 

 机を前に紅茶を飲んでいたパチュリーが俺に声をかけてくる。

 

「大規模ではありますが、効率性を追求していますから。妖力か魔力を持ったなにかが近づいた時だけ防御を強固にするように設定しています」

「魔力消費を最小限に抑えているってわけね。さすがはレーテだわ」

 

 傍に控えている小悪魔が新しく紅茶を淹れ、パチュリーがそれを俺に薦めてくる。

 のんきに飲み物を嗜んでいる気分ではなかったが、せっかくの紅茶を飲まないのも悪いので対面に座らせてもらった。

 紅茶を一口含み、カップを置く。静かになると、自然と出かけて行ったレミリアの無事ばかり考えてしまう。

 

「そんなにレミィが心配かしら」

 

 そこまでそわそわしていたのか、パチュリーに問いかけられるほどだ。

 

「確かにレミィは子どもっぽい言動が多いけど、決してバカというわけではないわ」

「それはわかっています。でも、心配なものは心配なんですよ。パチェはそうじゃないんですか?」

「もちろん心配よ。でも、そんなこと私が気にしてもしかたがないじゃない。たかが九〇年ちょっとしか生きていない実戦経験もろくにない魔女が、数百年も生きた吸血鬼たちが繰り広げる戦に対抗できるとは到底思えない」

 

 言っていることは正しいが、そう簡単に割り切れることだろうか。

 

「……パチェの紅茶、もう入ってませんよ」

「え、あら、本当だわ」

 

 パチュリーが口に運んでいたカップについて指摘する。

 俺を冷静にさせようと、ただ押し隠しているだけ。はぁ、と大きくため息を吐いた。

 俺だってレミリアと同じで五〇〇年近い時を過ごした吸血鬼だ。友人に気を遣わせていては面目が立たない。

 不安な気持ちがなくなったわけではないが、今は少しだけ強がりでいよう。そう思った。

 順番に思い返す。美鈴、パチュリー、咲夜を迎え入れた時のことを。

 

「私がいたのにも拘わらず、これまでだって正史通りに行ってたんです。そうですよ、今回だって……」

 

 小さく呟く。大丈夫だと、最後に言い切ろうとする。しかしどうしてもその言葉が口をついても出てこない。

 ――本当にそうか?

 不安、心配、懸念……違う。これはそんなものではなくて、一種の直感だ。

 かつて二回、俺はこれを味わったことがある。それはいつだった? そのせいでなにが起こった?

 思い出せ。でないとなにか、取り返しのつかないことに――。

 

「ッ、今のは……!」

「レーテ?」

 

 一瞬だった。一秒にも満たないその瞬間、保護魔法の強化が発動した。

 攻撃されたわけではない。俺の保護魔法は感知した妖力や魔力の分だけ強化するようにできている。保護魔法が反応したのはほんの微量、しかし紅魔館全体に反応を示したのだ。

 

「ちょっとレーテ! どこに」

 

 パチュリーの静止を無視して大図書館を飛び出した。急いで外が見える窓まで駆け出して、館に起こった異常のもとを探し出す。

 それはすぐに見つかった。

 太陽が空に鎮座していた。ついさきほどまで深夜とも言うべき時間だったはずなのに、どういうわけか今は昼なのである。

 日差しがガラスを超えて俺に達し、ほんの少しずつ皮膚が灰と化していく。

 こんなことができる妖怪なんて一人しか思いつかない。賢者――神にも等しき力を持つという妖怪、八雲紫(やくもゆかり)。昼と夜の境界でもいじったのか?

 

「でも……」

 

 八雲紫はとても聡明な妖怪であるはずだ。その頭脳は星が星を食らう時間さえも一瞬で求められるほどだと前世で聞いたことがある。未来では吸血鬼は幻想郷のパワーバランスを担う種族として存在しているし、レミリアやフランはその代表的な者たちだった。日差しも弱らせるだけでそのまま始末するつもりはなく、すぐに夜に戻してくれるはずだ。

 ――本当にそうか? だからレミリアは無事だと確信を持って言えるのか?

 言い切れない。正史では生きていたから大丈夫――俺はなにか大きな見落としをしている。さきほどまで俺はなにを考えていた? 美鈴やパチュリーたちがうまくいったから、今も歴史はきちんと原作へ向かっていると?

 ――バタフライ効果(エフェクト)。最初は蝶の羽ばたきのように小さな揺らぎが、長い年月を経ることで無視できない大きな歪みへと変わっていく。

 俺がいるせいで今回の戦争に参加することになったのではないか。あるいは俺がしていたなにかが原因で正史がわずかに狂い、今はそれが大きな歪みに転じているのではないか。

 たとえば、四八〇年近く前に攻め入って来た妖怪の大軍を俺が圧倒した時の武勇が知れ渡っていることで、この戦に誘われてしまっているとか。

 そもそもレミリアは、本当に吸血鬼異変に参加なんてしていたのか? なによりも八雲紫は、本当に吸血鬼を全員生かして残しておいたのか?

 

「『そんなに心配しなくても大丈夫よ。それに私はそこまで熱心に戦うつもりもないわ。紅魔館には守らないといけないものもいっぱいあるしね』……でしたよね」

 

 しっかりと覚えている我が姉の言葉。頭の中で反芻すればするほどに、彼女を信じたい気持ちと同時に、愛しさとあの日の誓いが俺の中によみがえってくる。

 なにがあっても絶対に大切なものを守り通す。人間よりも人間らしい願い。妖怪よりも妖怪らしい欲望。

 大好きだからこそ強引に被った狂気の仮面がある。今もなお続く自ら課した呪いと、表情を殺した理由がある。

 

「あぁ、本当、私はすっごく心配性みたいです」

 

 さっきまで強がりでいようと決めたはずなのに、もう揺らいでいる。どうしようもない。母と父とその眷属を失ったせいで、どうもこういうことには弱いようで。

 背後でパチュリーが追いついてきたのを感じ取り、ゆっくりと振り返った。

 

「パチェ。お願いがあります」

「……はぁ、しかたないわね」

「まだなにも言ってないのですが」

「あなたがいない間、紅魔館は私が守るわよ。外の様子を見る限り、どうせ戦はもう終わりそうだから大丈夫よ。正直私も勝てるとは思ってなかったわ」

「……行ってきます」

「レミィのこと、よろしく頼むわ」

 

 窓を開け放つ。余計に強さを増した紫外線が俺を容赦なく焼いてくるが、構わず外へと飛び出した。

 『光の翼』を発動し、音速には届かない程度で妖怪の山へと向かう。空から個人を判別できるギリギリの速度だった。

 考えることはただ一つ。

 

「『お姉さまとフランは、私が絶対に守りますから』」

 

 あの日の約束はなにがあっても違えさせるつもりはない。二度も経験したことを三度も繰り返させやしない。

 なにも失わないために狂気を手に入れたんだ。そのためだけに俺が存在しているんだ。

 大好きなお姉さま。どうか、俺がたどりつくまで無事でいてください。


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