「はい、封印解けましたよ」
「ありがとうレーテ。助かったわ」
開けないと嘆いていた魔術書の封を解いて渡すと、パチュリーは嬉々としてそれを読み始めた。
その様子を横目に自分の手元に手を落とし、パラパラとページをめくっていく。タイトルは『手芸洋服の縫い方』、現在はフリルに関しての項目に目を落としている。
人間の里から持ち帰った服はきちんと全員に渡しておいた。レミリアとフラン、美鈴辺りは笑顔で快く受け取ってくれたものの、咲夜とパチュリーは残念ながら反応が乏しかった。特にパチュリー。
咲夜は「ありがとうございます」と無表情ながら普通にもらってくれた。ほとんどの時間を仕事に当てていてその間はメイド服しか着ないけれど、きちんと受け取ってもらった事実は変わらない。
パチュリーにはかなり渋られたものだ。「え? わ、私はいいわよ……レーテが着ればいいじゃない」、「サイズが合いません」。どうせ自分は滅多に外に出ないだとか今ある服だけで十分だとかいろいろと理由を並べられて、あんまり無理に差し出すのもダメかなぁと考え始めた辺りでやっと受け取ってもらえた。
「パチェは自分を着飾ったりとか興味ないんですか?」
「ないわね。そのぶん本を読むことに情熱を注ぐわ」
即答だった。パチュリーは魔法使いとしての自分に誇りを持っていて、本のそばにいる者こそ自分とまで考えている節がある。
「じゃあ、私が贈った衣服も着ないんですか? パチェが嫌なら、それでもいいんですけど」
「……はぁ。そんな捨てられた子猫みたいな目で私を見ないでよ。せっかくもらったんだからちゃんと着てあげるわ。ただ……」
「ただ?」
「……スカートが短めなのは勘弁してほしかったわね。今までこういうのしか着たことなかったし、ちょっとああいうのは恥ずかしいのよ」
こういうの、とパチュリーは自分の服を見下ろした。色合いの違う紫色、赤と青のリボンが散りばめられた寝巻き染みた衣。
見るだけで『暖かそう』と感じる服装である。夏ならばそれも飛び越えて『暑そう』となるのは確実だ。
「あ、パチェは喘息なんでしたっけ。すみません、もうちょっと暖かい感じのデザインの方がよかったですよね……」
「ちょっと寒くなったくらいじゃバテないわ。レーテはいつもいつも私のこと心配しすぎなのよ」
そうは言われても俺は喘息なんてかかったことがないから、どれだけ他人が苦しんでるかなんて想像しかできない。それを軽んじてパチュリーが倒れたりなんてしたら悔やんでも悔やみきれなくなる。
はぁ、と小さくため息を吐いたパチュリーがわずかに頬を赤らめる。
「なんなら今から着てあげたっていいから、そんなに心配しないで。レーテが思うほど私はやわじゃないのよ」
「……わかりました、パチェ。言質取りましたから」
「え?」
小悪魔さーん、と大図書館の司書的存在を呼び寄せる。
用事は簡単、この前パチュリーにプレゼントした衣服を持ってきてほしいとのこと。小悪魔とは、主であるパチュリーの居候先の主人の妹なんていう微妙な立ち位置ではあるものの、それ以前に悪魔と小悪魔という絶対的な種族の違いがある。基本的に小悪魔は俺のお願いを断らない。
了承して大図書館を出て行った彼女を見送ってパチュリーの方を向いた。
「これからは体調の心配もほどほどにしようと思います。ですから早速着せ替えしましょう」
「……はめられたのかしら、私は」
「いえいえ、パチェが言い出したことですよ?」
目元を引くつかせるパチュリーには、この後にいろいろと買ってきたものを着てもらった。
本はそんなに読み進められなかったが、パチュリーにちゃんと似合っていることが確認できてなによりだった。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
「んー、やっぱり私にはちょっと着にくいですねー」
「気に入っていただけませんでした?」
「いやぁ、動きにくいってだけですよ。たまにはこういうのを着るのも悪くないって思ってます」
翌日、時は夕方。仕事を終えた美鈴は渋ることなく前回買ってきた服を着てくれた。
いろいろと迷ったが、美鈴は普段の言動やらなんやらで勘違いしやすいけど美人風な女性なのだ。それを高めるために濃い緑色のドレスを買ってきた。
単純な作りではあるものの、それ故に美鈴の素の美しさを表に出している気がする。黙っていればまさしく貴婦人という雰囲気だ。黙っていれば。
「私にはもったいないくらいです。わざわざありがとうございます、レーツェルお嬢さま」
「日頃のお礼ですよ。ほとんど毎日仕事してるのにろくな給料も恩返しもできなかったんですから、本当ならこの程度じゃ払えないくらいです」
「レーツェルお嬢さまは本当に律儀ですねー。そんなに気にかけてくださらなくて大丈夫ですよ、仕事と言っても昼はよく寝てますし」
「……前々から思ってたんですが、美鈴は主人の関係者によくも堂々とサボってる宣言ができますね」
「周知の事実じゃないですか」
「自分で言いますか」
それでも門番の仕事ではないはずの庭の管理などもやってくれているのだから文句の言い様はない。
「でも、こんなの私にはもったいない気もしますね……門番として活動する時はこんな服装できませんし、私、咲夜さんと同じで基本的に仕事してますし」
「あ……美鈴に気を負った様子がなかったので、仕事ばかりさせてしまいましたね。すみません、休みが欲しいならいつでも言ってください。お姉さまにかけ合いますから」
「気になさらないでくださいよ。門番だって私が好きでやってることなんですから」
「咲夜にも同じように言ってあるんです。美鈴も、私に教えてくれればすぐに休日くらい作ってあげますから」
「そうは言っても咲夜さんは咲夜さんですし休みなんて取ってないでしょう? 私も平気ですよ。本当にやりたくてやってることですから。それに、単にこのドレスを着る機会が少ないのを残念に思っただけです」
はにかみ笑いを見せる美鈴。彼女は俺以上に律儀だから、こういうことを本心で口にしているのだと感覚的にわかった。
始まりはレミリアの思いつき、完全に無理矢理だったのに、今はここまで思ってもらえてる。
「本当に、いつもありがとうございます。美鈴には数え切れないくらい助けられてます」
「そんなの私だって、って! ちょ、え!? なんで涙目になってるんですかー!」
あぁ、ごめんなさい。もうすぐレミリアが起きてくる時間帯だ。美鈴の前で泣いている光景なんて見られたら、妹思いな彼女によって今日の美鈴の睡眠時間はなくなってしまう。
ゴシゴシと目元を擦りながら、慌てる美鈴を眺めて心の中で小さく笑った。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
昨日に続いて、次は咲夜に試着してもらうことにした。もちろん半ば強引に連れて来て、場所は俺の部屋である。
彼女に上げたのは藍色のワンピースドレスだ。いろいろと考えた結果、咲夜はなんとなく手間がかかったり動きにくかったりする服装が苦手のような気がした。
なにせ妖精メイドたちと違ってメイド服のスカートが短めなものを履いている。本人に聞けば「いざ戦う時に動けるようにするため」とか返ってきそうだけれど、基本的に彼女に守ってもらわなくてもレミリアや俺、フランは強い。要するに彼女は自らの好みで軽装を選んでいるのだと判断した。
「……着やすいですね」
「似合ってますよ」
「ありがとうございます」
ほんの少し表情に戸惑いの色が窺える。着るのが嫌だという風には見えない。遠慮しているのか、恥ずかしがっているのか。もしくはどちらもか。
「咲夜は紅魔館で一番若いですからね。個人的には自分を着飾ることに一番気にかけてほしいものです」
「いや、まぁ、ですが私はメイドなので」
「そんなの知りません。今度、私服で仕事してもいいようにお姉さまにかけ合っておきますから」
「……レーツェルお嬢さまはあいかわらずですね」
あいかわらず変なことに熱心になる。咲夜の瞳がそう告げていた。
「迷惑でしたか?」
「そんなことはありませんが……」
「が?」
「いえ、なんでもありませんよ。本当に気に入ってますわ」
いろいろと言いたいことがあったけれど飲み込んだという感じである。困惑を映しながらも嬉しそうにする咲夜の表情は確かにわかったから、それについて問いただすつもりはない。
「今日一日その服装で仕事をするとかどうですか?」
「わかりました」
「え、渋らないんですね」
「レーツェルお嬢さまのことですから、どうせそういうことを言い出すなんてわかってましたから」
なにもかもお見通し。ならば本気で断れば俺が簡単に引き下がることも知っている。その上で引き受けてくれるわけだ。
「ただ、明日はもちろんメイド服でやらせてもらいますわ。この服ではあまりナイフを隠せるところがないので」
「ナイフを隠すことを想定した服なんてありませんよ」
レミリアから許可をもらい、俺たちが就寝するまでの時間は本当にそのままの恰好で過ごしてくれた。
レミリアの面白そうなものを見る目と、パチュリーの意外そうな視線、太陽が昇る前の朝早くに起きてきた美鈴からの感心の眼。それらを向けられるたびに咲夜は身じろぎをしていたけれど。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
最後はもちろんスカーレット三姉妹である。レミリア、俺、フランに買ってきたものは色違いのお揃い物だった。
ゴシック・アンド・ロリータ、通称ゴスロリ。正確には、服飾屋から買ってきた時はそこそこの洋服でしかなかった。気合いを入れてフリルなどさまざまな改造を施した結果としてゴスロリっぽくなった。
まだ服を一から作ることはできないけれど、本を参考にそれくらいのことならばなんとかできた。
あざとく狙いすぎかと思ったが、最早狙いまくろうと開き直ってがんばった。
「……どうかしら」
「かっこいいです。さすがお姉さまです」
レミリアのそれは黒を主体として白い装飾を施している。たまに見せるカリスマ性をさらに向上させるために黒を選んだわけだが、フリルやらなんやらで結局可愛さが前面に浮き上がっていた。もちろん目論見通り黒でかっこよさのパラメータも上がっているけど、可愛さに比べればせいぜい一〇パーセント程度である。
ありがとう、と微笑む姿は完全に天使だ。悪魔だけど。
「お姉さま、私は?」
俺の袖を引くフランは、レミリアとは逆に白を主体として黒の装飾を施した。対称的にしたかったということもあるけれど、フランのステータスは完全に可愛さに極振りされている。それを高めるなら黒よりも白でいくしかない。
「もちろんフランも似合ってますよ。とっても可愛いです」
「……も?」
「ん、フランだからこそ似合ってるんですよ。なんと言ってもフランのためにしつらえたんですから、たとえ同じ服でもフラン以上に似合う人はいません」
「……むふっ。お姉さまもすっごく似合ってるよ。本当に」
最後は俺なわけだが、ぶっちゃけ自分のことはよくわからなかった。レミリアとフランは対称にしたので自分の色に迷い、最終的に自分の好きな二色で作ることにした。
主体は一番好きな色、個人的に見ていて一番落ち着く水色だ。俺は色は数多くあれど結局は心が安らぐ色が一番だと考えている。装飾は二番目に好きな鮮やかな桃色。前世の子どもの頃は胃袋が宇宙のピンクボールが主人公のゲームや桃が大好きだったので、いつの間にか同じ色が好きになっていた。
ちなみに三番目は普通にかっこいいからという理由で黒だ。今回は自分の色に組み込んでいないが。
「確かにレーツェルは掛け値なしに似合ってるわね……」
「そうですか? ありがとうございます」
「お姉さま、あんまり嬉しくなさそう」
「いえ、もちろんフランとお姉さまに褒めてもらえて嬉しくないわけじゃないんですけど……自分のこととなると、どうにも素直に受け取れないと言うか、自分のことだからわからないというか」
「もったいないわねぇ。本当に今のレーツェルはすっごく愛らしいのよ? あなたが人間だったら迷いなく首筋にかじりついちゃうくらいに」
「愛らしい、ですか」
「そうよ。だから自信を、ってフラン!」
急に飛びかかってきたフランを受け止めると、チクリと首筋に痛みが走った。顔を横に向けると、俺の首筋に八重歯を突き立ててご機嫌に破顔している妹の顔がある。
レミリアがかじりついちゃうなんて言ったから、「同じ吸血鬼でもこんなことしちゃうくらいには似合ってるよ」とフランは主張しているのだろう。長年一緒に生きてきた感覚で言いたいことはなんとなくわかる。
レミリアに引き離されるまでずっと俺に抱き着いたままだった。ほんのちょっぴり、真面目に血を吸われたことに気づいてることは口にしないでおこう。
「えへへ、ごめんなさい。お姉さま」
「いいですよ。お姉さまとフランのおかげで自信が持てた気がしますから」
少なくともお世辞ではないことはしっかりと伝わった。それだけで十分だ。
こうして今日もかけがえのない平和な時間が過ぎていく。日常は、なんでもないからこそ愛おしい。