30分くらい右往左往してた私です。
□ □ □ Standpunkt verändert sich zu Remilia Scarlet □ □ □
夜明けが――吸血鬼にとっての一日の終わりが近づいている。
お父さまもお母さまと「おやすみ」と別れた後、私は一人で廊下を歩いていた。
頭の中に思い浮かぶのは、つい数分前まで両親としていた会話だ。
――レミリアはお姉さんなんだから、レーツェルには優しくしてあげなさい。
――あの子はいつもいつも不安そうにしています。でも、レミリアが一緒な時はとても安心した顔をするんですよ。
無意識のうちに、ギリッ、と歯を鳴らしていた。
つい一年前までは、私が一身に両親の愛情を受け取っていた。それが今はどうだ。妹ができると聞いた時は家族が増えると嬉しかったものだが、現実はただ私が孤独になっただけだった。
憤りの感情を鎮めるために、はあ、と大きく一つため息を吐く。
……ダメだ。あの子はまだ一歳。しゃべり始めて、歩き始めて間もない子ども。たった二つしか歳が違わないとは言え、されど二つだ。ムキになったって自分が情けなくなるだけ。
胸に燻ぶるどこにぶつければいいのかもわからない感情を抑えつけ、前に誰かがいる気配を感じて顔を上げる。
噂をすればというやつか。ぼーっとした無邪気な顔で窓の外を眺めている、レーツェル・スカーレット――煩わしい私の妹。
「どこをみているの?」
そう声をかけると、彼女は私の存在に気づいたようで顔をこちらに向けてきた。
私と同じ深紅の瞳。そして、明らかに違う翼膜のない翼。
そのまま近づいて、窓からレーツェルが見上げていた方向へ同じように視線を送る。
「ああ、つきか。いいわね、まんげつ」
一片も欠けていないまん丸な月は、こうして遠望していると気分が高揚してくる。しかし、どうにも白み始めている空のせいで満月の美しさが半減していた。
ああ、できれば夜明けでなく夜更けに見たかったものだ。
寝て起きた頃にはもうわずかながらに欠けていることだろう。次の満月が見れるのは、一度欠け落ちてから満ち初めて――余計に夜更けに月の様子に気づけなかったことが悔やまれる。
……それにしても、さっきからずっと見られているな。
「どうしたの?」
我慢できなくなって、月から目を離してレーツェルの方に向き直る。
「ねーねー、まんげつ、すき?」
「そうね、すきよ。あかければなおいいわ」
太陽の光を少なからず身に受けているのか、今の月はわずかに赤みがかっている。しかし、私が好きなのは沈みかけた満月の放つ程度の微妙な光ではなかった。
爛々と輝く正真正銘の紅の満月をいつかこの目で見てみたい。私はたまにそう思う。
「リボン、ずれてるよ」
レーツェルの首元のそれを調整し、続いて「ほら、ぼうしも」と斜めになって落ちかけていたナイトキャップを直す。
どうせすぐに大きくなるからと大き目の服が与えられているから、毎度見るたびにどこかがずれている。私もこの子と同じ歳の頃は背に比べて大きな衣を着ていたし、よくお母さまに「肩がずれていますよ」と直されたりもした。
「あいかわらずきれいなかみ」
帽子を直す過程でレーツェル特有の不思議な髪色に目が行って、思わず呟いてしまう。
透き通りそうなほどに綺麗な白に近い銀に交じった、幾房かの金色がかった髪。翼と同じく異様な色合いをしているものの、これに関しては両親は共通して「綺麗」だと口にする。私もそこは同意見だ。
ちょっとばかり夢中になりすぎていたのか、触られている本人がくすぐったそうだったので、小さく笑って手を離した。
「ねーねー、ありがと」
「どういたしまして」
お礼を言われて悪い気はしない。自然と笑みが浮かんでしまう。
この子が生まれる前は妹ができると浮かれていた。こういう親しげな、何気ない触れ合いがしたいという欲求が具現化された形なのだと思う。
だからこそこうしている時だけは幸福を感じる。この子があの顔を――そう、今まさに変化してしまったような顔にさえならなければ、いつだって幸せなのに。
「……どうしたの?」
生まれた頃からずっと変わらない、時折浮かべるどこまでも不安げな表情。両親の心を釘づけにする忌々しい泣き面。
両親の頼みで幾度か泣き出した彼女をあやしたこともあった。けれど、そのたびに私は両親の愛が今はレーツェルに向かっていることを再確認してしまって、いい気分ではなかった。
「えへへ」
私が問うと、レーツェルはすぐにそれを引っ込めて小さな笑みを浮かべた。
いつもいつもこの子は憎いくらいに素直だから、それが愛想笑いであることは火を見るよりも明らかだった。まるで、さきほどまでの物憂げな表情をしていた原因を誤魔化すかのような愛想笑い。
負の感情を押し隠し、不思議そうに首を傾げてみせる。
「もういっさいなんだから、あんまりむやみになかないようにね。おとうさまにもおかあさまにもめいわくがかかるから」
そして、そんなセリフを口にして瞬時に「しまった!」と反省した。
もう一歳なんだから、無暗に泣かないように――心の奥底に封じている負の感情から生じた嫌味。
お父さまにもお母さまにも迷惑がかかるから――両親の愛情を奪われたと感じているゆえに、口をついて出てしまった余計すぎる一言。
なんて情けない。相手はまだ自分の半分も歳を取っていない、言葉も流暢にしゃべられない子どもだというのに。
後悔を胸に、恐る恐るとレーツェルの顔を窺う。自分に正直で泣き虫な彼女だ。また、あの不安そうな表情を浮かべているだろうか。
しかしそんな予想は覆され、
「わかった。ありがと、ねーねー」
レーツェルは、どこまでも嬉しそうな満面の笑みを浮かべていた。
今までずっと泣きそうな顔しか見ていなくて、目の前にあるそれは今まで見たこともないほどに喜びを表した表情で、知らず知らずのうちに呆けてしまっていた。
――ああ、この子は。
あまりに正直な笑顔が純粋すぎて、自分の心の汚さが浮き彫りになったような気がした。
レーツェルはなにか、私の言葉をすごく誤解している。勘違いしている。
言葉に込められていた負の感情に欠片も気づきもしないレーツェルがおかしくて、クスリと笑ってしまった。
なんだか、今までずっと嫉妬していた自分が途端にバカらしく思えてきた。
今まで優しい姉を演出していながら、あなたのことなんてなんとも思ってなかったのに。
こんなに汚い私にどうしてそんな無垢で純真な微笑みを向けられるのか。
「レーツェル、きょうはいっしょにねようか」
要するに、私は見惚れていたのだ。心の底から私を慕ってくれる妹の、初めて垣間見た本当の笑顔に。
お父さまとお母さまは、今のレーツェルの笑顔を見たことがあるのだろうか。ちょっと目を離せばすぐに暗い表情をする彼女の、あの無邪気な微笑みを知っているのだろうか。
もしも私がそれに立ち会った第一人者だとすれば、今ここで抱いている温かい気持ちは私だけのクオリアだ。
――レミリアはお姉さんなんだから、レーツェルには優しくしてあげなさい。
――あの子はいつもいつも不安そうにしています。でも、レミリアが一緒な時はとても安心した顔をするんですよ。
未だレーツェルに対する不満が取れたわけではない。私だって三歳だ。もっともっと両親の愛が欲しいことは変わらない。
それでも、私の中に気持ちの変化があったのは確かだった。
今までは優しいお姉さんを装っていただけだったけど、これからは――。
私の提案に、ひどくご機嫌な様子でレーツェルが頷いた。勢い余って拍子に帽子が落ちるも、いち早く私が拾って、ポン、と妹の頭にかぶせる。
「いくよ」
明日からは、もっとたくさん遊んであげよう。もっといろいろなことを教えてあげよう。
そんなことを思いながら、レーツェルの手を取って自分の部屋へと歩き始めた。
□ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □