東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一〇.美麗なる冥の世界

 激しく飛び回ったためか、霊夢と魔理沙は軽く息を吐いた。相手方の二人プラス一人を撃ち落とし終えたのを確認し、魔理沙は即座に俺たちの方に振り返ってくる。

 

「どうだっ?」

「五八秒……ギリギリですね」

「よし! やったな霊夢!」

「私は最初から一分もかからないって言ってたでしょ?」

「でも五八秒なら時間に制限をつけたからこそ一分以内に倒そうとして、やっと成し遂げられたようなものだよね。やっぱり提案して正解だったわ」

 

 なんにしても早めに終わったことは僥倖だ。早く咲夜を追いかけることができるし、霊夢と魔理沙は体が温まったので次の勝負を全力で戦えるようになった。

 改めて四人で巨大な扉へと向き直り、その門前へと近寄っていく。四本の柱と六芒星の陣は結界の役割を果たしているようで、その大きさと相まってどうにも普通には開けそうになかった。

 

「咲夜のやつはどうやって通ったんだろうな」

「たぶん、結界を乗り越えるかくぐるかしたんじゃないの。必ずしも扉の中を通る必要はないみたいだから」

 

 結界を観察する魔理沙とフランがそんな会話を広げる中、霊夢が無造作に門に近づいていくのが視界の端に見えた。危ない、なんて制止をかける暇もなく、彼女は六芒星に手を伸ばす。

 直後、ガラスの割れるような激しい音とともに六芒星が砕け散った。

 

「あら、消えちゃった」

 

 それは消したの間違いだと思う。

 

「こんな厳かな結界も見境なしに破るか。私たちは今まさに結界を壊さずに入る方法について話し合ってたってのに」

「触っただけで破れるような弱い結界を張ってる方が悪いのよ」

 

 霊夢と魔理沙が暴論を交わしている間に、六芒星を失った影響で門が独りでに開いていく。真っ暗な景色が続く奥に桃色の光が見え、それが桜のものであると気づくのに時間はかからない。

 春の暖かさがこもっていながらも、どことなく冷たい風が吹きすさぶ。ここから先は自分たちがいる場所とはまったく別の世界だと、生物としての本能が告げていた。

 

「さて、気を引き締めていくか」

 

 魔理沙の言葉を合図に一人ずつ門を通っていく。霊夢と魔理沙の後にフランを連れて入り、しばらく進んでその光景と雰囲気に圧倒された。

 そこら中には注連縄を巻かれた木々が点在し、どれもにこれでもかというほどの桜が咲き乱れている。未だ昼だというのに空は薄暗く、しかし光もないのにどういうわけか視界はひどく明瞭だ。どこに目を向けてもおかしな文字が書かれた木札が地面に突き刺さっており、それに負けず劣らずの量の白い人魂――動植物の気質の具現、幽霊がそこらを闊歩している。

 白い塊が、木に張りついていた。地面のスレスレを白い塊が漂っていた。上空でもそれはまた群れを作って飛んでいた。けれども生き物ではないそれらは音を発することは一切なく、静けさに包まれた世界は恐怖を通り越して一種の美しささえ連想させる。

 

「ここ……やっぱり冥界? すごいところに来ちゃったね、お姉さま」

「そうですね。気をつけてください。本来なら、この世界に来る行為そのものが死の意味合いを持つことになっています。生きたまま冥界に来た以上、殺されても文句は言えませんよ」

 

 フランは最強種の悪魔、吸血鬼だ。そう簡単に殺されるわけがなく、今の注意は主に前を歩く二人の人間へと贈ったものである。

 霊夢と魔理沙は、珍しいものを観察するように辺りで鎮座している大量の幽霊を、これまたこちらも珍しげに眺めながら悠々と飛んでいた。むしろまるで見たことがない静かな世界と、長いことお預けにされていた春の情景に調子が上がっているようだった。

 

「異変解決に危険はつきものよ。あんたの姉にも殺されそうになったしね。そんなことより、私たちが目指すのはあそこよ」

 

 軽く流して霊夢が指差したのは少し先にある滅茶苦茶に長い石の階段――その行先に窺える和風の屋敷である。遠すぎて大きさのほどはわからないが、洋風である紅魔館よりも広そうだ。もっとも、紅魔館は咲夜の能力で内装がとてつもないことになっているので、あまり見た目は参考になりはしないけれど。

 

「さっさと行くわよ。遅くに行ってあいつが死んでたんじゃちょっと後味が悪いからね」

「……そうですね。咲夜のことですから大丈夫だとは思いますが」

 

 階段の方に進み、それをたどって和風の屋敷へと急ぎ気味に向かっていく。

 静かな美しさを誇る冥界に来たためか、少なからず警戒を巡らせないといけないためか、霊夢と魔理沙の口数が減った。咲夜のことを気にしていて俺とフランも積極的にしゃべろうという気は起こらず、ただ淡々と飛ぶようになっている。

 ふと、辺りを見渡してみた。どこに目を向けても白い人魂が飛び交っており、彼らの発する怖気の冷たさが春の陽気さと相まって、どこか神秘的とも言える雰囲気を作り出している。

 この世界には太陽も月もない。フードを外して、永遠に輝きを灯さない薄暗き天空を見上げた。太陽がない以上は朝でも昼でもなく、ならば夜なのかと問われれば月がないのだから夜には足り得ない。ここは時間の概念が曖昧な深淵の空間、寛容にすべての終わりを受け入れる静かの世界、冥界だ。太陽は生の恵みを与え、月は闇夜を照らして人々に道筋を示すと同時に妖怪の力を増幅させる。それがない天空とは、死者が仰ぐのにもっとも都合がいい、言ってしまえば『冥界の空』という一種の時間や空間の概念なのかもしれない。

 だとすればあの空の向こうにはなにがあるのだろう。俺たちがいた世界と同じく宇宙が広がっているのか、深淵だけが続いているのか、そもそも向こうなんて存在しないのか。

 

「お姉さま、この音」

 

 フランの発言を耳に、そんなくだらない思考はすぐに打ち切った。「音?」と首を傾げつつ、吸血鬼の感覚を澄まして聴覚に意識を向ける。

 ――キ、ィン。

 かすかながら、確かに聞こえた。金属と金属を打ち合わせたかのような甲高い音。何度も連続して耳に届き、何者かが金属製の武器で戦闘を行っていることが容易に想像できる。

 フランと顔を合わせ、頷き合った。

 

「少し先に行っています」

 

 霊夢と魔理沙にそれだけ告げて、フランと一緒に加速した。俺は少しばかり『光の翼』を解放し、フランは片手の平から魔力を放出して推進力へと変える。

 すでに三分の二は登り終えていた階段をさらなる速度で駆け上がり、十数秒もすればそれも終わっていた。少し勢いをつけすぎて上から見下ろす形になってしまう。

 眼下にあるのは、階段を上る前から見えていた非常に広い屋敷だった。至るところに桜の木が咲き誇っていて、しかしそれらとは比べ物にならない大きさと美しさ、威圧感さえ誇る不可思議な桜が奥の方に窺える。花は咲いてはいるものの、他の桜と違って満開ではなかった。おそらくはあれが八雲紫でさえ手に負えなかった封印されている妖怪桜、西行妖なのだろう。

 

「お姉さま、あそこ」

「……見つけました」

 

 階段が終わった地点から屋敷の入り口である両開きの扉まで続く石床。飛行せず、その上で刃物を用いて近接戦闘を繰り広げている二人がいた。

 一人は探していた人間、完全で瀟洒なメイドこと十六夜咲夜である。人間が持ち得るものとしては最高峰に位置する『時間を操る程度の能力』を保有する彼女は、涼しい顔で――しかし目は真剣に、相手方の攻撃を紙一重で受け流しては避け続けていた。

 そんな咲夜にイライラしたように連撃を叩き込み続けているのは、当然ながら見たことのない、白い人魂を近くに控えさせた少女である。咲夜とはまた違う滑らかな銀髪はボブカットに整えられ、カチューシャのように黒いリボンを巻いていた。必要以上に幼さを感じさせる童顔には深い青の瞳で、冥界の住人だからか肌が白い。白のシャツに青緑色のベスト、膝に届く程度のスカートはどうにもある程度機動を重視しているという印象を受けた。

 剣術を得意とする半人半霊、原作にも登場する者の一人、ここの屋敷こと白玉楼の庭師、魂魄妖夢。

 腰に備えた二つの鞘は片方が長く、片方が短い。仕掛けている攻撃はほぼすべてそこから引き抜いたであろう二本の刀で行われており、それを銀のナイフで軽く捌いている咲夜は何気に凄かった。

 

「『斬れぬものなど、少ししかない!』……だったかしら? 斬れるにしろ斬れないにしろ、ちゃんと相手を斬る軌道で振るわなきゃ意味がないわよ?」

「あなたこそ、防御ばかりしてないで攻撃でもしたらどう? それとも私の攻撃に対処するのでいっぱいでなんにもできない?」

「あら、面白いことを言うのね。あなたの時間も私のもの、時間が足りなくてなにかができないなんて感覚は生まれてこのかた一度も味わったことがないわ」

 

 ギャリンギャリンとお互いの刃物で火花を散らし、しゃべりながらも激しい近接戦闘を繰り広げている。こんな場面で声をかけては邪魔になるだけだと判断し、フランを連れてゆっくりと少し離れたところに着地する。

 自分の剣撃を防ぎ続ける咲夜を見て埒が明かないと思ったのか、妖夢が一旦大きく距離を取った。その際に咲夜が何本かナイフを投擲するものの一瞬で叩き落としていた。

 

「あなたは、縮地という技をご存じですか?」

「うちの門番に聞いたことがあるわね。確か、一〇〇〇里の距離さえ一瞬で縮めることができるんだったかしら?」

「え、あー、たぶんそれは別の縮地。私が言っているのは似ているけど違う技、相手との距離を一瞬で詰める技よ。それを見せてあげるわ」

「一瞬で、ね。速さで私に勝負を挑むなんて無謀ねぇ。それに相手に気づかれずに動くのは私の専売特許よ? あ、そうだわ、点数をつけてあげる。そこそこ高めにつけてあげるから、遠慮なく来なさい」

「余裕そうにしていられるのもそこまでよ…………ふう。行くわ」

 

 呼吸を落ちつかせた妖夢は、じっと咲夜を見据えながら両手に持った二本の刀をゆっくりと腰だめに構えた。彼女自体がまるで一つの冷たい凶器だという雰囲気を纏っている。

 不意に、そんな妖夢が動き出した。片脚を前に出し、地面を踏む――瞬間、彼女はすでに咲夜との距離を詰めていた。

 それはまさしく一瞬と呼ぶべき速さであり、何百年と『光の翼』を練習することで音速さえ越える速度に慣れた俺の目でも、捉えるのはやっとであった。

 こんな速さに人間である咲夜が反応できるのか。咄嗟に影を操る魔法で妖夢に散らばった闇を集めようとするが、一秒の一〇分の一さえも軽く凌駕する時間内に拘束を実行できるはずがない。

 『光の翼』でも間に合わない。マズい――そう思った直後、これまでで一番甲高い金属同士がぶつかった音が鳴り響いた。

 

「なっ、んで……!?」

「動きが単調、自分の視界が追いついていない、攻撃の後に硬直……三〇点ね。出直してきなさい」

 

 二本の刀が咲夜の首と胴を斬り裂く直前で、同じく二本の銀のナイフで阻まれていた。簡単に、しかも正面から対処してみせた咲夜に驚いたのか、妖夢が目を見開いて体を固まらせた。

 その隙を見逃す咲夜ではない。刀を大きく弾いた彼女は、妖夢の胴へお返しとばかりに鋭い後ろ回し蹴りをお見舞いした。ぐぅ、と呻きながら吹っ飛んでいく相手へさらに銀のナイフを一気に投げられるだけ投げる。いくつかは防がれたようだったが、攻撃を食らったばかりですべてに対処はできない。何本ものナイフがグサグサと容赦なく突き刺さった。

 血まみれで伏した妖夢と、悠々と佇む咲夜。勝負あった。咲夜が指を鳴らすと同時に妖夢に刺さったり周囲に飛び散ったりしていたナイフがすべて消え失せ、咲夜がフランの目の前に立っていた。

 

「こんにちわですわ、レーツェルお嬢さまに妹さま。さきほどは助けようとしていただいたようでありがとうございます」

「いえ、咲夜一人でどうとでもできたみたいですから。それにそもそも間に合わなかったですし……どうやってあれを見切ったんですか?」

「こんにちわー。そうそう、気づいたら二人とも競り合ってた! 私にも見えなかったのにどうやって?」

「最近は能力の局所的使用にもチャレンジしていまして、私の中の時間だけを急速に速めてみました。ただ、体は普段通りにしか動かないので違和感がひどかったですわ。普通に周囲の時間を遅くした方が有用そうね」

 

 そんなことよりお二人はどうしてこんなところへ? と咲夜が問いかけてくる。

 

「私とフランは霊夢と魔理沙の付き添いです。そろそろあの二人は冬を終わらせたいみたいですから」

「あら、そうでしたの。それなら私と同じですわね。そろそろ茶葉が切れそうなので次の季節に移ってもらいたくて私も来ましたの。レミリアお嬢さまに命じられたことも理由の一つにありますが」

「咲夜の紅茶はすっごく美味しいよねー。今日も帰ったら入れてくれる?」

「もちろんですわ、妹さま。レーツェルお嬢さまのぶんも入れておきましょうか?」

「あ、お願いします。できればお姉さまのぶんもお願いします」

「了解いたしました」

 

 しかし間に合ってよかった。これ以上先に進ませていたら、この異変の元凶に咲夜一人で挑ませてしまうことになっていた。

 今も、咲夜が対処していたからよかったものの、本来ならば死んでいてもおかしくない。またなにか大切なものを失いかけていたのだと思うと、どういうわけか胸が痛くなってくる。咄嗟に展開できる防御魔法を用意、または致命傷を弾く魔法を込めたなにかの道具をプレゼント――とにかく、今後は二度と同じことがないように対処法を確立しておかなければならない。

 

「ところで翼の方は出ているようですが、太陽は大丈夫だったのですか?」

「……そういえば……えっと、焦げてないですか?」

「焦げていても、ここに来るまでに回復してしまっているはずです」

 

 それもそうだ。でもおかしな感覚はなかったし、おそらくローブがなんらかの魔道具で翼の方もどうにか守ってくれたんだろう。霖之助の仕事は完璧らしい。

 妙なところでもいつもと大して変わらぬ他愛もない会話をしていると、視界の端に紅白の巫女と黒白の魔法使いが映った。石床の上に倒れている魂魄妖夢を不思議そうに眺めた後、キョロキョロと辺りを見渡してこちらに気づいたようだった。


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