東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一三.舞い散る桜は儚き狂いを

 霊夢と咲夜がなにやら背中合わせで話してから、完全に形成が逆転していた。

 咲夜が一分もしないうちに妖夢を片づけ、ナイフを回収した後に霊夢とともに幽々子と相対した。そこからは目に見えて幽々子へ攻撃が当たるようになり、最終的に霊夢の"霊符『夢想封印』"と咲夜の"幻符『殺人ドール』"というスペルカードの同時使用で方がついた。

 上空で戦っていた三人が――すでに妖夢は墜落している――降りてくる。地に足がつく前から咲夜と霊夢のもとに駆け寄って、「大丈夫ですか」と声をかけた。案の定、二人とも「全然平気」「大丈夫ですわ」と平気そうだ。

 

「あらら、負けちゃったわ。最近の人間は強いのねぇ」

 

 ボロボロではあるが、幽々子も案外平然としている。扇子を口元に広げて、横目で妖夢の様子を確認していた。彼女にはえげつない数のナイフが刺さっている。

 心配して抜きにいくのかと思っていたが、「あれくらいなら平気ね」とでも言いたげに視線を元に戻した。

 

「さ、幻想郷に春を返してもらうわよ」

「わかってるわよ。この勝負だけでも十分楽しめたもの。西行妖が満開になるのが見れないのは、少し残念だけど……」

 

 言わずとも彼女が、「いざ見たくなったらまた異変を起こせばいい」と考えていることは明白だった。霊夢が大きなため息を吐いて、やれやれと首を横に振る。

 

「……ようやく暖かくなるのね。コタツとも一時のお別れだわ」

「おっしゃ、今回も無事に異変が解決したな。帰ったら宴会やろうぜ」

「すぐに春が返ってくるんだから、桜が咲いたらでいいじゃない。まだ雪が積もってて寒いし。そもそもあんたは帰る前に吸血鬼との喧嘩の約束があるっての」

「それもそうだな。で、幽々子だっけか? 春はいつ頃返ってくるんだ?」

「幻想郷全体に春を返すとなると、一か月程度ね」

 

 予想よりも遅い。一か月後となると、例年では日差しの強い夏の季節である。

 

「長いわ。もっと短くして」

「そうねぇ。一か所に春を戻すだけならすぐに終わるわよ?」

「それなら博麗神社の方から春を戻すようにしてくれる? 異変解決したんだからそれくらい許されるでしょ。早く花見もやりたいし」

「承ったわー。あ、その時はお邪魔してもいい? っていうかするわ」

「……ここを離れてもいいのか?」

「いいのよ、出ちゃいけないなんてルールはないし」

 

 さきほどまでドンパチ戦っていたというのに、ずいぶんと軽い会話だ。

 力がある者のほとんどは、どれだけ不利な状況下にあろうとも常に余裕な態度を崩さない。死の間際でさえも誇り高く、決して屈せず、命乞いなど絶対にしない。強き者としての自覚がそうさせるのだ。だからこそ幽々子が負けたのにも拘わらず、それを気にせずにいることは当然なのである。

 けれども霊夢はどうだろう。いくら勝ったと言えど、相手は強大な力を持つ亡霊だ。少なからず怯え、竦み、萎縮するのが普通である。人間が人外を相手に普段通りの姿を見せていられるというだけで十分に異常なのだ。

 ゆえに強き者に分類されるほとんどの妖怪は彼女に少なくない興味を抱く。人の身でありながら妖怪を怖がらず、むしろ同族と同等に接してくる様に、不可思議な好奇心とどことない心地よさを覚える。

 幽々子もまた同じであった。それは、こうして満開に桜が咲いている冥界から、わざわざ博麗神社まで花見に行くとまで言っていることから容易に窺える。

 

「その時は私と勝負しようぜ。今回はお預け食らったからな、霊夢も戦ったんだから私も戦ってみたい」

「望んで私に挑むのねぇ、珍しい。いいわよ、その時は存分に可愛がってあげる」

 

 魔理沙もまた人外にいつも通りに接することができる者の一人だ。それは霊夢のようにただ単に異常なほど陽気であるからではなく、人間はいつでもどこでも死んでしまうものだという思考から来ているものなのだろう。

 いつでもどこでも死ぬから、いつ死んでもいい――ではなく、そこで死ぬのなら自分はその程度、そこまでだったというだけの話。

 

「さぁ、そろそろ帰りましょうか。約束通り、お茶をお入れいたしますよ」

「わぁっ、楽しみ! ……って、その前に魔理沙と決闘! お姉さまに謝らせなきゃ! えぇと、待っててくれる? 咲夜、お姉さま」

「ええ、当然ですわ」

「もちろん私も待っていますが、弾幕ごっこは冥界を出てからですよ。あんまり長居するわけにもいきませんし」

「うんっ」

 

 咲夜には、おそらく自覚がある。妖怪が強き者としての自覚を持つように、彼女には吸血鬼のメイドとしての誇りを抱いている。幽々子へ挑む時の口調からそれが強く感じられた。

 霊夢も魔理沙も咲夜も、本当に変わった人間だ。でも、だからこそ人間なのだ。人間だからこそ、その短い生の中でありとあらゆる生き方に在ることができる。

 

「そうそう、レーツェルだったかしら」

 

 幽々子が不意に話しかけてくる。ちょっと警戒しかけて、しかし霊夢たちがいつも通りにしているのに俺が身構えているのも変だなと、すぐにそれを崩した。

 

「なんですか?」

「正直に言っちゃうと、漂う気配やらでわかるのよ。おそらく私はあなたに敵わない。どれだけあなたの力量を見定めようとしても、そこからはなにも感じられないわ。すべてを受け入れる大きさも、信念を貫こうとする強さも、誇り高き忠誠も、無垢をやめた純真さも――そう、なにもね」

「強さがわからないのに、勝てないと思うんですか?」

「わからないんじゃなくて、ないのよ。だから私はあなたには勝てないと感じるの」

「よくわかりませんけど……私は、『答えのない存在』ですから」

 

 正体不明(わからない)ではなくて、(ない)。それはどうしようもないくらいに大きな、決定的な違いだ。俺がそのことに気づけたのは自らの過失ですべてを失った後だったけれど。

 

「死は誰しもに平等に訪れるわ。だから、今は見えないその終わりも……いずれあなたの命も私が手に入れる。すべての生は私のものよ。ふふっ、楽しみが増えたわねぇ」

「それは、私に対しての宣戦布告ですか?」

「好きにとってくれて構わないわ。あとはー、今回はお預けだったから、また今度私と戦いましょう? もちろん弾幕ごっこでね。それもまた、一興だわ」

 

 それくらいならいくらでも引き受けよう。こくりと頷いた反応に、幽々子は機嫌よさげに扇子を閉じた。

 

「さて、早速春を戻しにかかりましょうか。妖夢、妖夢―、起きなさーい」

 

 妖夢のもとにゆったりと歩み寄っては、耳元でその名を呼び始める。妖夢の体には無数のナイフが刺さった痕跡が残っており、服も赤く汚れて痛々しい。人間ならばとっくに息絶えているであろうほどの大怪我、さしもの半人半霊も動けはしない。

 事実、幽々子の呼びかけには「う、うぐぅ……ご、ご容赦を……ぉ……うぅ!」という苦悶のうわごとしか返ってこない。早めに休ませて回復に専念させた方がいいのは明白だった。

 

「それじゃ、帰りましょうか」

「そうだな、帰るか」

「ええ、そうね。戻りましょうか」

「魔理沙、決闘。忘れてないよね」

 

 とは言え、こちらのメンバーはそんなことを欠片も気にしたりなどはしない。むしろ、これ以上ここにいると春を戻す作業とやらに付き合わされる。そう直感し、さっさと帰ろうとするほどだ。ここまで来ると清々しいくらいの潔さだ。

 ちょっと待ってくださいと引き留めて、幽々子と妖夢のもとに駆ける。

 

「あら、帰るんじゃなくて?」

「その前に治療していきます。立つ鳥跡を濁さず、です」

 

 倉庫魔法で取り出した、己の血が入った小瓶。蓋を開けて中身を浮かび上がらせて、両手でパンッ。再生の力を妖夢へと送った。

 見る見るうちに傷が塞がっていくさまに幽々子が目を丸くする。いや、目を丸くしたのは別の理由か。

 

「その魔法、あなた自身にはなんの意味もないものでしょう?」

「そうですね。もともと私の血ですし、分解して再生の成分だけを残すなんて他人に回復させる時以外は使わない錬金術です」

「他人のためだけの魔法……それも悪魔が、ね。聞いてた通り、本当に変わった吸血鬼ねぇ」

「今日だけで何回言われたんでしょう、って考えちゃうくらい言われます」

 

 治癒が終わった。今まで苦しげに歪んでいた妖夢の表情が、スースーと寝息を立てる穏やかな寝顔へと変化する。

 

「……やっぱり、今日は休ませてあげようかしら」

「意外に優しいところもあるんですか?」

「意外は余計」

 

 とにかくやることはやった。幽々子たちに背を向けて、待っていてくれた四人のもとへ足を進める。

 今回の異変は無事に終わった。これならば俺やフランが介入しなくても、おそらく無事に終わっていただろう。それもそうだ、でなければ原作など存在しない。

 次の異変は二か月後だが、おそらくそちらはあまり注意しておかなくても大丈夫だろう。異変を起こす理由が理由なのでむやみに誰かを殺したりなんて興が冷めることはしないと思うし、なによりも霊夢がいる。彼女の『力』があれば、何事もなく異変は終幕を迎えるはずだ。

 

「また会いましょう、"狂った帽子屋"」

「……それも聞いたんですか。紫はおしゃべりですね。またねですよ、亡霊のお姫さま」

 

 とは言え、やはり少しは気にかけておこう。またなにかの不注意で大切なものを失ってはたまらないのだから。

 

 

 

 

 

 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □

 

 

 

 

 

 ザァ、とそよ風が木々を揺らす。舞い落ちてきた桃色の花びらが、ちょうど手に持っていた盃の中に落ちた。

 なんとなく見上げてみると、おそらく晴天だろう日差しは立て掛けた桜色の日傘によって遮られている。影の魔法を使うなんて無粋だし、のんびりするのにフードなんてのもなんとなく落ちつかない。せっかくの花見なのだから、できるだけ心地のいい環境でいようとするのは当然だ。

 次に辺りを見渡す。少し遠くでは妖夢が咲夜に食ってかかっていて、その近くでレミリアと幽々子が互いに薄暗い笑みを浮かべながら盃を交わしている。ちょっと離れたところではプリズムリバー三姉妹が曲を演奏し、チルノとその他妖精たちがそれに乗ってワイワイと騒いでいる。自分の背後に目を向ければ、なにやらパチュリーとアリスがにらみ合っていたり。

 花見の席ということで、他にも羽目を外している妖怪たちが多かった。そしてそのほとんどが霊夢が今まで会ってきた妖怪である。

 

「もうそろそろ呼ばれるようになったんじゃないですか?」

「なにがよ」

「妖怪神社、って」

「…………べ、別にまだそこまで言われてるわけじゃないし……」

 

 左隣に座っていた霊夢が俺から視線をそらして、盃を口に傾ける。ああ、やっぱり人里で噂になってるか。それもしかたない、今この博麗神社で楽しんでいる者のほぼすべてが妖怪だ。そして俺もその一人。

 

「そんなことよりレーツェル、あんたもっと飲みなさいよ。せっかくの酒の席なんだから」

「そうですね」

 

 前世では俺は学生で、二〇歳になるまでお酒は禁止だった。とは言え今世ではすでに五〇〇年近い時を生きているし、明らかに二〇歳になんてなっていない霊夢がお酒を幸せそうに飲んでいるくらいだから、幻想郷ではお酒に関してのルールは少ないのだろう。なにも気にする必要はない。

 そうして盃に入っていたお酒を飲んで、入っていた花びらが唇に当たった瞬間に、ふと前世の知識が頭をよぎる。

 

「桜の花びらには毒があるとか聞いたことがあるんですよね。眉唾ですけど」

「気になるんなら研究してみるといいぜ。ま、仮にあっても人間にすら効かん弱いものだろうな」

 

 霊夢の左隣に座っていた魔理沙が答えた。そこまで気になるものではないし、実際に魔理沙の言う通りであろう。霊夢や魔理沙がここまで生きてきていることがなによりの証拠だ。

 魔理沙はあの異変後、すぐにフランと戦って、そして健闘はしたものの最終的に敗北した。怒ったフランが普通に強かったことも要因の一つだが、意外にも魔理沙が案外乗り気ではなかったことも挙げられる。謝罪に関しては、元々俺自身がそんなに気にしていなかったこと、魔理沙も桜がなくなった不満から衝動的に反論していただけだったこともあって、穏便に終わった。現在は魔理沙とフランの仲は元の通りに回復している。

 

「それにしても妖怪神社の巫女さんや、ちょっと前と比べてずいぶんと賑やかになりやしたなぁ」

「なに魔理沙、そのしゃべり方。あと妖怪神社言うな」

「そうだねぇ。人間の参拝客来てる? 信仰心たまってるー?」

 

 俺の右隣で、少々頬を赤らませてお酒を口にしていたフランが面白そうに問いかける。姉妹だけあって、こういう、わかっていながら相手の傷を抉ろうとする意地悪さはレミリアと似ていた。

 ムッ、と口を尖らせた霊夢が、俺とフランを交互に指差しては大きく口を開いた。

 

「あんたらのせいだっつーの!」

 

 ――ああ、そういえば、忘れていたことがあった。

 

「霊夢、魔理沙」

「……なによ」

「なんだ?」

 

 二人を手招きして、耳を貸すようにジャスチャーで告げる。霊夢は訝しげに、魔理沙はなにか面白いことでもあるのかとでも言いたげな表情だ。

 

「咲夜を連れて、幽々子のもとに行ってください。それから冥界で今起こってることとか聞いてきてください」

「なんで?」

「わざわざ私たちに行かせるってことは、なにかあるのか?」

「はい。異変の時、霊夢が冥界と顕界の門を無理矢理こじ開けたせいで、今は巷に幽霊が溢れ返ってますよね。夜に花見を開いた時もしょっちゅう見ますし」

 

 門の前にあった結界に霊夢が触れて、扉が開いた。その影響で冥界の妖怪が普通に外に出てこれるようになったのだ。現在は幽霊たちが大量に、それこそ紅魔館の近くまで漂ってくるくらいには幻想郷に溢れ返っている。今年の夏はずいぶんと涼しくなりそうだ。

 気まずそうに目を背けた霊夢が、「そ、それがどうかしたの?」とお酒を飲みながら聞いてきた。

 

「幽々子はそれの修理を知り合いに頼んでいるんです。まぁその知り合いは今は寝てるので全然直されてないんですけど、些細な問題です」

「あんまり些細じゃない」

「まったくだな」

 

 毎度彼女は冬になると、冬眠だとか言って寝っぱなしになる。それも寒さや暑さなんて彼女の前では大して意味をなさないだろうから、ただ単に寝ていたいだけなのだろう。

 妖々夢の本編は幽々子を倒して終わりだ。それでも霊夢たちが紅霧異変の時にレミリアの後にフランと戦ったように、異変のほとんどにはオマケや補足とでも呼ぶべきシナリオが存在する。そして今回はそれが、八雲紫と八雲藍との遭遇だ。

 

「些細な問題です。ということで、その知り合いに関してのことで幽々子が困ってるかもしれません。というか主に妖夢が困ってます」

「ふぅん。で、どうして私たちに行かせるの? レーツェルが行けばいいのに」

「異変解決は人間の仕事ですから」

 

 意訳『私が行っても意味がないんですよ』。適当に他の理由も付け足すと、あんまり納得していない風であったが、二人とも立ち上がって幽々子の方に歩いて行ってくれた。その背中に、ちゃんと咲夜に声をかけるようにも言葉を投げておく。

 

「冥府の結界の修理ができるくらいの妖怪って……紫のことだよね、お姉さま」

「そうですね。あの三人も、そろそろ知り合っておいた方がいいと思いましたから」

「うーん、なるほどねー。あー、紫って"境界の妖怪"より"胡散臭い妖怪"の方が断然わかりやすいと思うんだ。胡散臭さの塊みたいな妖怪じゃない?」

「言えてます。ピッタリですよ」

「でしょー」

 

 少し前までは、こうしてフランと一緒に外で花見をしている光景なんて欠片も想像したことがなかった。地下室で静かに過ごす彼女の姿しか考えたことがなかったのだ。

 フランは外に出たいと言ったあの日から今日に至るまで、ずっと約束を守ってきている。俺の言うことは全部ちゃんと聞くし、『イイコ』であるように心がけて、あれ以来ワガママも全然言わなくなった。

 それでもたまには一緒に寝てほしそうに袖を引っ張ってきたり、自分のやりたいことを主張することはあるけれど、あれはワガママじゃなくて甘えてきているだけ。

 ふと思う。俺は彼女に奪ってしまった世界を返すことができただろうか。フランに、『日常』を。

 ――そんなはずはない。ここに至るまで何百年の時がかかった。そもそもの話、己が過失でなにを犯したか、俺は忘れたのか。

 

「お姉さまー」

 

 ……これ以上こんな暗いことを花見の席で考えることは無粋か。盃を傾けて、中のお酒を飲み干した。

 桜が咲き誇る光景は多くの人を引きつける。舞い散る桜はとても優美で、淑やかで、まるでなにかを誤魔化すように。

 

「なんですか? フラン」

 

 首を傾げて反応を示すと、フランが上機嫌にいろいろなことを話し始めた。酒が入っているからか、いつもよりおしゃべりなような気がする。

 こうして今日もまた、平和に一日が過ぎていく。


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