一時期、幻想郷は春雪異変にて春を失った。その後に巫女たちの活躍に取り戻した春は初夏の頃まで続き、そこから次第に桜は散っていった。例年と比べればかなり春が短い代わりに、桜は鮮やかに咲き乱れていたのだが、そのことを快く思わない者もいた。
それが今は失われた人間の天敵、鬼の伊吹萃香である。幻想郷へと舞い戻ってきた彼女は宴会の回数が減ってしまったことを不満に思い、己が『密と疎を操る程度の能力』を用いて、人間や妖怪の心を萃めて三日おきに宴会をするように仕向けた。ついでにその騒ぎに乗じて同族たちを幻想郷に呼び戻そうともしていた。それが今回の異変の全貌である。
結果として、萃香の魂胆は半分成功で半分失敗というところだった。宴会は萃香が飽きるまで続けられたのだが、結局、鬼たちは地上に戻ってこなかった。もしも本当に連れ戻そうとするのならば、萃香は人を攫う必要があったのだ。
ふと、もっと早くに春雪異変を解決するように霊夢たちに促していたらどうなっていたのだろうと考えてみる。
今回の異変は春雪異変が原因となって巻き起こったものなのだから、早めに解決していれば宴会の数も満ち足りてしまって、きっと三日おきの百鬼夜行は起こらなかっただろう。
「お姉さまー、どっちが先に半分以上食べられるか勝負しようよー。お姉さまはこっちねー」
「ポッキーゲームみたいですね。でも、えぇと、やめておきましょう。もっと細い食べ物ならともかく、太巻きだと急いで食べると喉に詰まらせる可能性が大ですし」
「あー、そっかぁ……残念」
そうして萃香が異変を起こさなければ、今みたいに太巻きを食べながら豆まきを眺めていることもなかっただろう。
現在、この紅魔館では節分大会が開催されていた。それぞれ大量の豆を持った妖精メイドたちは、館中を駆け巡ってはそこら中に豆を撒いたり、誰かを見つけたならばとりあえず豆を投げてぶつけ合ったりしてそれを楽しんでいる。彼女たちの大半は、そもそも節分とはどういう行事なのかすら理解していないようである。やり方も俺が知っている節分となんだか若干違う気もしたが、これはこれで妖精メイドたちが楽しそうなのでなにも言わないでいることにした。
節分とは本来ならばもっと早い時期に行う行事である。しかし今回は春雪異変にて季節にズレが生じたため、梅雨が明けたばかりという微妙な時期でも季節の分かれ目だと言えるだろう。
きっと館中が炒った豆だらけになっているし、掃除が大変だろうなぁ――そんなことを考えながら、俺はフランとレミリアとともにエントランスホールにて、一緒に机を囲んで太巻きを食べていた。周りでは妖精メイドたちが豆を投げ合ったりしているものの、「私たちには投げないように」とレミリアが注意喚起をしているためにこちらには投擲してこない。
「ぱちぇー、細い太巻きってない? こう、喉に詰まらないような」
「それだけ細いと中身がほとんどなくなってしまって、あまり美味しくなさそうね」
俺とフランの会話を聞いてしばらく考え込んだレミリアが、近くで妖精メイドたちを眺めていたパチュリーに問うていた。そうして返された答えに「そう」とつまらなそうにしながら太巻きをパクリと口に含む。
今日のレミリアはずっとこんな感じで元気がなかった。それもそのはずで、吸血鬼は炒った豆には触れることができず、節分に参加することができないのだ。本来ならば炒った豆とは鬼の弱点であるのだが、吸血鬼も吸血『鬼』なので鬼の弱点も当てはまってしまうのだろう。炒った豆に触れると当たった部分が火傷してしまい、まともに持つことができない。それは当然ながら俺とフランも同じであり、だからこそ三人で太巻きを食べて傍観している。
せっかくの節分大会なのにこうして太巻きを食べて眺めているしかできないとなれば、レミリアがふてくされてしまうのもしかたがないことなのかもしれない。
「紅茶をお持ちしました」
「あ、わざわざありがとうございます」
「仕事ですので」
咲夜がレミリア、俺、フランの順にカップを置いていく。紅茶は匂いも味の一種のようなものだ。たまに咲夜に習っていると言えど、未だ俺では決して出せない香ばしい匂いに心を落ちつかせながら、カップに口をつける。
「やっぱりすごく美味しいですね、咲夜の入れる紅茶は」
「ありがとうございます、レーツェルお嬢さま」
ずっとつまらなそうにしていたレミリアも、これを飲む時ばかりは穏やかな顔をしている。フランも満面の笑みだ。そんな三姉妹の様子を眺めては、咲夜が小さく笑ったのがわかった。
そうしてパチュリーが若干物欲しげにチラチラと見てきていることに、完全で瀟洒なメイドである彼女が気づかないはずがない。どうやったのかトレイの上に一瞬で新しいカップが現れ、何事もなかったかのように紅茶を注いでいく。
「どうぞ、パチュリーさま」
「……ええ、いただくわ」
言葉は少なめだけれども、案外満更でもなさそうだ。期待していたことがバレないように無表情を心がけようとしているみたいだったが、そもそもバレていたから紅茶を出されている時点で意味がない。俺や咲夜から微笑ましい視線を送られるのみである。
実のところ、この節分大会を企画したのもパチュリー・ノーレッジだった。
彼女は三日おきに宴会が行われるという異変の最中、伊吹萃香と対面していた。というよりも霊夢や魔理沙、咲夜や妖夢等の多くの面々が元凶として萃香にたどりついていたのだが、その中でもパチュリーには鬼の印象が強く残りすぎたらしい。
自信があった精霊魔法がまるで通じなかったことが不本意だったのか、なによりも相性を重視する精霊魔法使いとしてうまく弱点を攻めることができなかったことが不満なのか、ただ単に敗北したことが相当悔しかったのか。そのどれもが正解かもしれないし、また違うなにかが正しいのかもしれない。なんにせよ、パチュリーが萃香をひっそりとライバル視し始めたということは事実である。
そしてその萃香打倒のための第一歩が豆をぶつけ合う節分大会なんていうのもまた、この紅魔館らしい。
「そういえばうちの門番は? あれには今日は非番って伝えておいたはずだけど」
「あれなら、妖精たちに混じって豆を投げ合って遊んでますわ。ほら、そこに」
咲夜が指差した先に、得意げな表情で三人の妖精からの炒った豆を避けている美鈴の姿があった。相手が手を休めた隙を狙ってヒュヒュヒュッと豆を投げ込み、三人の額にドストレート。妖精三人がくるくると回ってバタンキューしたのを確認し、美鈴がガッツポーズを取った。とても楽しそうである。
「……レーツェル」
「わかりました」
要件を言わずともレミリアが望んでいることはわかっている。俺もちょっとイタズラしたい気分だったのでちょうどいい。
再度美鈴が妖精たちと対面したのを見計らって、影の魔法を行使する。目前に豆が迫っているというのに意気揚々と余裕綽々な美鈴。彼女が動こうとした直後に、その両脚を周囲の影で縛った。
「えっ!? い、いたぁっ!?」
最初に一人の妖精が豆を当て、それが好機だと思ったのか、周囲の妖精も互いを当て合うのをやめて集まってきては、美鈴に集中砲火する。今まで好き勝手やってくれたお返しだ! とでも言うかのごとき勢いだった。
ここでレミリアが初めて面白そうに口の端を吊り上げる。節分大会に参加できないから、皆が当て合っているのを見る――否、調子に乗っている輩が失墜するのを眺める。吸血鬼も悪魔の一種だから、そういう意地悪なことが大好きなのだ。
「ひ、ひどいですよぉ、レーツェルお嬢さまぁ……」
しばらくして、なんとか妖精たちの軍団から逃れて来た美鈴が近づいてきて俺に文句を漏らした。
「いえいえ、参加すらできない私たちの前であんなにはしゃいでいるのが悪いんです。それに美鈴に仕返しできて、皆満足そうな顔してますよ?」
「ううぅ……レーツェルお嬢さまは悪魔です。いつもは優しいのに、今日は悪魔です」
「元々悪魔です」
それでもちょっと悪い気はしたので、また今度仕事の最中に紅茶でも差し入れしてあげよう。こんなことでいちいちお詫び等と言っていたらキリがないし、逆に気を遣わせることになるから、あくまでさりげなくだけれど。
紅茶を入れる練習になる、それも人に飲ませるとなれば気合いも入る、さらには美鈴も喜んでくれる、と良いこと尽くしだ。
「レミリアお姉さまー、ちょっといい?」
「なに? フラン」
「そっちの太巻き取ってぇ。手が届かないわー」
「はいはい。これでいいのかしら?」
「うん。お礼にこっちの太巻き上げるー」
「ありがたくもらうわ。それにしても、あなたもレーツェルも楽しそうねぇ、見てるだけなのに」
頬杖をついたレミリアがそう呟いて、フランから受け取った太巻きをモグモグとする。そうして数秒後、急に目を見開いてゴホゴホッ、と。喉に詰まったというよりも予想外のものを口に入れてしまったせいで咳込んでいる感じだった。
レミリアが太巻きを口から離して、鼻を押さえながら憎々しげにフランを睨む。視線を向けられた当の本人は、微妙に楽しそうに口の端を吊り上げつつ、長女に取ってもらった太巻きを悠々と食べていた。
「……フラン。これ、なに」
「具が全部わさびのやつ。一つだけ混ざってたの。とりあえず本当にわさびかどうか気になったから、お姉さまに食べてもらおうかなって」
「自分で食べなさいよ! っていうかなんでそんなものが……まさか、パチェ?」
「………………………私はなにも知らないわ」
「今の間はなにかしらねぇ……!」
素知らぬ顔で通そうとするパチュリーに、レミリアがぷんぷんと怒り出す。豆まきに参加できないからこうして恵方巻きを食べているのに、その中にハズレのようなものが混ざっていれば、それは怒ってもしかたない。
とは言え俺たち吸血鬼に限らず、紅魔館の住民が悪戯好きなのは今に始まったことではない。なにせ悪魔の館である。ここではメイドをしているが、妖精だって元来は悪戯好きな存在だ。
ちなみに美鈴だけは除く。彼女がおそらく紅魔館唯一の常識人であろう。
「フラン、もしかして」
「最初から気づいてたわ。お姉さまには食べさせられないしねー、それならレミリアお姉さまでいいかなって」
「……ありがとう? でしょうか。えぇと、でも、あんまりお姉さまに悪ふざけしちゃいけませんよ?」
「もちろんよ。今回のはただのスキンシップだわ」
スキンシップでわさびしか入っていない太巻きを渡されるレミリアがちょっと不憫だ。
そんな彼女も一通り鬱憤を吐き終えたらしく、「口と鼻が痛いわ……」と呟きながら再び頬杖をついた。さすがにあんなものを食べさせられてはもう太巻きを食べる気力もないようで、なにもせずボーッと遠くの方を見つめているだけである。
「さっき見てるだけなのに楽しそう、ってお姉さまは言いましたね」
「うん? まぁ、言ったわね」
「きっと楽しいんですよ。こうして皆で騒ぐのは、それだけで楽しいに決まってます」
「…………まぁ、そうねぇ。そうかも、しれないわね」
ほんの数年前までは、この中にフランというピースが欠けていた。美鈴や咲夜、パチュリーや妖精メイドたちと集まった時、俺とレミリアはきっと意識しないうちにフランが地下室で一人寂しく膝をかかえているような姿を夢想していたのかもしれない。そうしてどこか後ろめたい気持ちを抱いていたのだと思う。
けれど今は、こうして本当の意味で全員がわいわいと過ごせている。こうして六人で集まって、周りで妖精メイドたちが豆を投げ合って遊んでいる――こんな光景はつい最近手に入ったばかりのかけがえのないものだ。誰にも奪わせない、汚させない。原作の知識にこれを害する者はほとんどないけれど、用心するに越したことはないだろう。
「……それでも、こんなんじゃまだ足りないのよ」
「お姉さま?」
「なんでもないわ。そんなことより、妖精たちの投げ合いを見てたら似たようなことがしたくなってきたわね。レーツェル、スペルカードで遊びましょう?」
「今日は合戦じゃないんですね。もちろんいいですよ」
席を立ってレミリアと対峙すると、自然と周囲の視線が集まってくる。妖精たちも手を止めてこちらの様子を窺ってきていた。
ふと、さきほど小声でなにかを言っていた時にレミリアが浮かべていた表情を思い出す。
それは真実とも見間違いとも判断し切れない、ほんの一瞬だけの思いつめた顔だった。どこか寂しそうに、苦しそうに、まるで自分の大切なものの欠けたパーツを取り戻したいと願っているかのように。
きっと錯覚だ。そう言い聞かせて、作り笑いを浮かべる。
仮に錯覚でなくても、俺がなすべきことは一つとして変わらない。彼女が困っているのなら、前に進めないのなら、『レーツェル・スカーレット』としてその障害をなくしてあげるだけだ。その道中で自身がどれだけ傷つこうが、どうせ俺は『答えのない存在』。レミリアが無事ならばなんら問題はないし、いくらでも代えが効く。
――お姉さまとフランは、私が絶対に守りますから。
この胸に刻み込んだ始まりの言葉を思い出しながら、心より慕う姉へと向けて言の葉を放つ。
「お姉さま、大好きですよ」
「……ええ、私も、大好きよ」
互いの弾幕が空間を埋め尽くした。咲夜の能力で拡張されているため、館内でもそれなりに弾幕ごっこはできるようになっている。
長女の真っ赤な魔力と次女の赤白い魔力が美しき空の軌跡を描き、やがてそれぞれが衝突して光を散らした。隙間を抜けて飛んできた弾を飛んで避けつつ、新たに弾幕を生成して展開する。
妖精たちの歓声の中、フランが俺を応援する声が鮮明に耳に届いていた。さらに耳を澄ませば、先の影で脚を取った件があってか、美鈴がレミリアの方に声援を送っていることがわかる。パチュリーや咲夜は悠々と勝負の行方を見守っているようだ。
「"神槍『スピア・ザ・グングニル』"!」
「"光弓『デア・ボーゲン・フォン・シェキナー』"」
――未だ『答え』はなくしたまま、その身を縛る枷だけが増えていく。
今話を以て「Kapitel 4.新たな日常は緩やかに」は終了となります。
妖々夢はサクッと終わらせようと思っていたのですが、予想以上に長引いてしまいました。次回以降はもっと効率よく進められたらと考えています。
「Kapitel 5」はほんの少し日常の話を入れた後、永夜抄へと移る予定です。妖々夢の反省を生かしていきたいですね。
あくまで予定なので狂う可能性は大きくありますが、次回からもどうぞよろしくお願いいたします。