東方帽子屋   作:納豆チーズV

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Kapitel 5.月夜の須臾を永遠へ
一.過去を尊ぶ百本の足


 百足(ムカデ)蜈蜙(ムカデ)蜈蚣(ムカデ)蝍蛆(ムカデ)。それを指す単語はいくつもあれど、呼び方は一切変わらない。

 ムカデとは祖先にもっとも近い形で足を受け継いできていると言われている節足動物だ。他のものたちが「必要ないから」と足を退化させていく中、ムカデだけが無数の足数を保って長い年月を生き続けたのである。前世では「あんなに足があって意味なんてあるのか」と考えたりもしていたが、よくよく考えてみれば陸上動物における尻尾だって大した意義はない。先祖の備えていたものが地味に役割を果たしているために退化しなかったなんて話は生物学ではごまんとある話だろう。

 そしてムカデは百足と呼ばれてはいるが、実際的には一〇〇を越える足を持つ者も多くいる。そしてそんなあまりにも多い足の数ゆえに、江戸時代頃には「客足が多い」という縁起物として扱われることもあったらしい。

 他にもムカデにはさまざまな伝承や俗信が残されている。

 昔話には、藤原秀郷という男が攻撃のまったく通らなかった大百足に対し、武神である八幡神へ祈りを捧げて矢を放つことで、それをようやく倒したというものがある。こんな話があるのだから、もしかすれば幻想郷にも大百足に相当する妖怪がどこかにいるかもしれない。探す気にはなれないが。

 良き伝説を探してみれば、軍神と財宝の神、七福神の一柱として知られる毘沙門天の使いがムカデという話もあったりする。なぜムカデなのかと言えば、これは「たくさんの足のたった一足でも歩調や歩く方向が違えば、前に進むのに支障が出てしまう。困難に向かうためには皆が心を一つにする必要がある、という教え」だとか「絶対に後ろに下がらないという特性が軍神に合っている」だとか、結構いろいろと説があるようだ。現代では「毘沙門天と言えば虎!」と言った風潮があるけれど、あれは毘沙門天が初めて現れたのが寅年、寅日、寅刻だったというだけの話で、本来の神使はムカデだと囁かれることが多い。その割に虎の像が多いのは、まぁ、ムカデは見た目がアレだからしかたがないだろう。

 しかしこれにまた面白い話があり、毘沙門天のムカデは一部の地域ではネズミ除けとして信仰されることがあったのだ。ネズミはムカデを嫌うなんて伝承から来たらしいが、これのなにが面白いのかと言うと、中国ではネズミが毘沙門天の使者として信仰されているのだ。つまり同類を拒んでいると言っても過言ではないことになる。地域が違うのだからアリなのかもしれないけれど、こういう辺りを毘沙門天自身はどう捉えているのだろう。

 ――前置きがとても長くなった。ここからが本題である。

 昔はともかくとして、現代ではムカデなんてゴキブリと並んで嫌われる最凶の節足動物だ。その間接や足の多さ、見た目のグロテクスさはもちろんとして、うねうねと動き回る姿はゴキブリのカサカサ移動と同等の気持ち悪さを催させる。というか毒があるものもいるし、正直ゴキブリよりもたちが悪い。あんなのが好きなどとほざくのは変人しかいない。

 

「ひ、ひぃ! きゃ、ちょ、うぇえ!? なっ、みょ、みょるなぁ!? うぅ、る、るーみぁああ……!」

 

 なにを主張したいのかと言えば、俺はムカデが大の苦手である。見るだけでぞわっとしてぶるってなって、意味不明なことを口走りながら全力逃走を図り、机の角に小指をぶつけて悶絶してしまうくらい苦手である。

 というか人間にムカデが苦手じゃないやつなんているのだろうか。いたらしかたない、そいつは間違いなく疑いようもなく確実に変態だ。訴えてやる。裁判長も俺を勝たせてくれるだろうから、そのままムカデまみれの刑に処してしまおう。そうして俺のもとに来るムカデをできるだけ減らしてくださいお願いします。切実に。

 ……こんな風に脈絡もなにもないわけのわからない思考へ突然シフトしてしまうくらい混乱するほどには、苦手意識を抱いている。

 

「あーもう、そんなに引っつかないでよ。歩きにくいなぁ」

「ご、ごめんなさ、ひぃ!? る、るみゃあ」

「はいはい、どっか行ってねー」

 

 俺の肩に落ちてきたムカデを、一緒に歩いているルーミアがひょいと摘まんで放り投げる。これまでに何度も同様のことが行われており、いい加減彼女も慣れた様子だ。

 

「吸血鬼なのにビビりすぎなのよ、レーチェルは。この程度どうとでもなるじゃない」

「レ、レーツェルです……ほ、本当にごめんなさい。あと、ついてきてくれてありがとうございます。すごく助かってます……」

「聞き飽きたわー。でも、ここまで頼られて悪い気はしないかなぁ。歩きにくいけど」

 

 時間は夜、今いる場所は霧の湖近くの林であった。なぜルーミアと二人でこんな場所をわざわざ彷徨い歩いているのかと言うと、ちゃんとした理由がある。

 事の経緯は三か月ほどさかのぼることになる。萃香が舞い起こした異変、三日おきの宴会よりも前の話だ。

 とある日の夜、俺はなんとはなしに歩いて人里に向かおうかと思い至った。人里にはいつも行ったら警戒されまくるので月に一回くらいしか訪ねないようにしているが、滅多に行かないのならば滅多にしない行き方もいいんじゃないかと考えたのだ。なにせ博麗神社に行く時などは普通に飛んでいくために、常に眼下に木々がある。隣に自然を感じながら歩くのもいいかもしれない……と思っていたのだが。

 その日の帰り、ムカデが落ちてきた。それで、奇声を上げて逃げた。

 その時のことを思い返しながら次の月も、しかし二度もないだろうと林に足を踏み入れていた。そうして今度は初っ端からムカデが三匹も上から落ちてきたのだ。もちろん逃げた。

 本当に偶然かと疑いながら、次の月も林に入り込んだ。今度は先月みたいに入った瞬間に、なんてことがなかったのでちょっとばかり安心して足を進めて――やっぱり落ちてきた。そうして即座に逃げ出した時に偶然ぶつかったのがルーミアであった。

 事情を軽く説明してみると、彼女はその現象を妖怪のしわざだと断定した。さらにはあまりにも怯える俺に気を遣って、その妖怪を一緒に探してくれると進言してくれたのだ。俺のルーミアへの親愛度ゲージがうなぎのぼりである。今度絶対になにか恩返ししようと固く心に誓った。

 そして彼女の推測もまた正しかった。妖怪の居場所を探るためにわざわざ飛ばずに林の中を歩いているのだが、いつも以上にムカデがうじゃうじゃうじゃうじゃと。しかも落下してくる時は必ず俺にピンポイントという状態で、これが妖怪のしわざでなかったら俺はあまりにも不運すぎる。

 

「それにしても、見つかりませんね」

「そんなに遠くにはいないと思うわ。レーチェルの力のほども理解できないような大したことない虫の妖怪だろうし、レーチェルを驚かして楽しみたいなら、近くで見ているか虫の報告をすぐに聞けるようにしてるはずだもん」

「えぇと、どうして大したことない妖怪なんですか?」

「吸血鬼にわざわざちょっかいを仕掛けるなんて、その実力も見極められないくらいの低級妖怪しかありえないわ」

 

 それじゃあ魔力を解放して威圧したら出て来ます? と問うと、それをやったら逃げられるだけじゃない? と返ってきた。

 

「あー、でも、一度そうやって力の差を思い知らせたら虫を送ってきたりしなくなるかも」

「それじゃあ早速……」

「ん、ちょっと待ってー。レーチェルの前に、私からやっていいかなぁ」

「え? 狙われてるのは私ですよ?」

「いいからいいからー。私がやれば、きっと犯人も堪忍して出てくるわ」

 

 ルーミアの妖力では威圧するには足りない気もするけれど……結構自信があったようなので、それならと任せることにする。

 俺が頷くとルーミアは立ち止まって、いつもしている両手を広げるポーズを改めて取った。そして彼女が深呼吸した途端、視界が真っ暗に染まる。

 これは妖力ではない。ルーミアが備える『闇を操る程度の能力』による暗闇の空間だ。

 

「今の私の出せる限界に闇の侵食を広げてみたけど、どうかなぁ。釣れるかなぁ」

 

 ルーミアが呟いて数秒後、少し先の方からどこか慌てたような声が聞こえてきた。おそらくそれがこれまでずっと執拗に俺を狙ってムカデを送り込んできていた犯人の声なのだろう。急に目の前が見えなくなったのだから混乱するのは当然である。

 

「ところで私も見えないんですけど、ルーミアが犯人のところまでエスコートしてくれるんですよね」

「え? なに言ってるのよ。わずかな光もないこんな空間で目が見える生物なんて、いるわけないじゃないの」

「……そんな当たり前みたいな雰囲気で言われても、その」

 

 ルーミアが発動した能力なのに、その本人さえ前が見えないとはどういうことなのか。それって本末転倒ではないのか? と思いながらも、はぐれないように手を繋いで、慌てた声のする方へと歩んでいく。

 さすがに慣れているのか、ルーミアの足取りはとても軽やかだった。数歩進むごとにゴンッと木にぶつかったりしていたようだが、本人はそんなことは気にも止めない。数十秒も歩き続ければ声の主のすぐそばにたどりついたようで、ルーミアが歩みを止めた。

 そこまで来て、ようやく彼女は広げていた闇を元に戻した。暗闇しかなかった世界に月明かりが差し込み、俺とルーミアと今回の元凶を映し出す。

 そこにいたのは俺たちと同程度の身長しかない子どもの妖怪だった。

 緑色のショートカットに同色の瞳、頭には虫らしい二本の触覚がある。白いシャツの上に甲虫の外羽根にも似た燕尾状に分かれたマントを羽織り、紺のキュロットパンツを穿いていた。見た目は一応女の子であったけれど、もしも男の子と言われても普通に信じてしまいそうなくらいには中性的な顔立ちと服装をしていた。

 俺はこの妖怪に見覚えがある。原作にも出てくるキャラクター、蛍の妖怪リグル・ナイトバグ。『(むし)を操る程度の能力』も持っているし、このリグルがムカデ事件の元凶と捉えて間違いないだろう。

 

「よ、よかったぁ。このままなにも見えなかったらどうし」

「なにがよかったんでしょうか」

 

 最早犯人確定なのだから情けは無用だ。問答無用で魔力を解き放ってリグルへ集中させ、威圧する。

 リグルが目を見開いて顔面蒼白で冷や汗をダラダラと流し始めたが、今回ばかりは気を遣ってやれる余裕はなかった。

 

「あなたに一つ、いいことを教えてあげます」

「な、なんでしょうか、蝙蝠さま」

「二つになりました。一つ、私は吸血鬼です。そして二つ目は……」

 

 影の魔法を発動し、逃げ出そうとしていたリグルを拘束する。夜だからこの程度は造作もない。

 無理矢理に顔をこちらに向かせて、二つ目の教訓を彼女に投げた。

 

「今後も私にムカデを差し向け続けるようなら、こうなります」

「え? きゃ、ふ、はっはは、ぬ、ふふ、ははははははははぁー!? ちょ、や、やめ……ふ、ははっ!?」

 

 影で猫じゃらしを形作り、脇やらなんやらを容赦なくくすぐりまくる。とにかくめいっぱい笑わせまくる。

 くすぐりの刑。罪悪感を抱かずに行使でき、相手を傷つけず、さらには笑いと苦しみの両方を提供することができる素晴らしい刑罰である。

 とりあえずそれを三〇秒ほど続けた後、問いを投げてみた。

 

「なんで私を狙ったんですか?」

「ふ、ひぃ、ひぃ、ははははっ!? だ、だだだって、ふふっ、わ、私のか、かわいい虫た、たちを、ははっ、ふぅうう!? す、すっごい怖がるんだ、もん! ちょ、ちょっとイタ、イタズラし、しようかなぁって! ふふふはふふ!?」

「それは申しわけありませんでしたね。でも私、本当にムカデだけはダメなんです。ゴキブリなら『あー、ゴキブリかぁ。殺虫剤切れてるし、洗剤でいっかぁ』で対処できるんですが、ムカデだけは無理なんです。わかりますよね? とってもわかりますよね?」

 

 ルーミアから「かわいいって言ってたじゃない」なんてツッコミが入ったけれど、気にしない。

 ちなみに紅魔館にゴキブリは出ないため、洗剤云々は前世の話になる。どちらでもいいけど。

 

「わ、わか、わかったからぁああ! ひ、ひふふ、こ、これ、や、やめ……!?」

「二度と私にムカデを差し向けないと約束しますか?」

「もももちろん! ふふっ、ははは! す、するする!」

「今度博麗神社の宴会に来て、それを楽しむと約束しますか?」

「え? あ、ふふはははははは!? ちょ、ちょ、待っ、どういう!?」

「しますか?」

「する! するから、するからもうやめてぇ!? げ、限界ぃいい……」

 

 それならいいと、影による拘束とくすぐりをやめる。リグルがドサリと落ちて動かなくなったが、俺の中には達成感でいっぱいだった。

 トテトテと倒れる蛍に近づいたルーミアが、つんつんとリグルをつつく。どうやら気絶しているようで、ピクピクと痙攣していた。

 

「レーチェルはムカデ、苦手なんだよね」

「そうですよ」

「でも、ドサクサに紛れて宴会に誘ったね」

「この妖怪自体はムカデじゃありませんし、人数が増えるのはいいことですから」

「……やっぱりレーチェルって、どこか変だなぁ。吸血鬼としての尊厳を傷つけられたんだから相応の報いだとか普通ならいろいろあるのに」

「相応の報いも、仕返しも、今したじゃないですか。それに『昨日の敵は今日の友』、幻想郷では常識みたいなものでしょう?」

「うーん、でも、やっぱりレーチェルはおかしいわよ。わざわざ自分に迷惑をかけてきた相手を誘うなんて私ならしないもん。そこがレーチェルのいいところなのかもしれないけどー」

 

 と言われても、これが性分なのだからしかたがない。しかし気絶するまでくすぐるなんて、ちょっとやりすぎだったような気もする。次の宴会ではおわびにこちらから酌をしに行こう。

 この後、ルーミアを連れて紅魔館に戻って少しの間だけ遊んだ。吸血鬼は妖怪であるために、究極的に言えば睡眠は必要ない。しかしそれは本当に究極的な話だ。紅霧異変以降は夜に寝て昼に活動をするという生活をしているし、今回はムカデの件もあって疲れて、やはりちょっと眠かったのだ。そのことを察して、ルーミアも早々にお邪魔しましたと出て行ってくれたのだろう。

 次の宴会の時におわびをしなくちゃいけない相手が一人増えたなぁ、なんて思いながら、ベッドの上で布団にくるまって目を閉じた。

 …………そういえばムカデの元凶退治に夢中で、人里行くの忘れてた。

 最後に考えていたことは、そんなことであった。


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