東方帽子屋   作:納豆チーズV

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四.新年を迎える舞踏の挨拶

 春雪異変、三日おきの百鬼夜行、永夜異変。三つの異変が詰まった忙しく騒がしかった年も終わりを迎え、幻想郷に新年がやってくる。

 相も変わらず明星(ルシファー)は太陽に勝てず、今年もまた明星の光を太陽が打ち消してしまった。いつものこといつものことと流してきたけれど、案外、太陽に力を貸している者がいるせいで勝てないのかもしれない。

 今年も太陽が勝ち、悪魔の星が負け、レミリアやパチュリーが落ち込んでいた。そんな中、フランだけは不思議そうに首を傾げていた。去年もレミリアたちがため息を吐いているのを見て、同じように疑問符を浮かべていた記憶がある。

 新年を迎える最初の日である元旦とは、夜の世界と昼の世界の戦いだ。日の出が明星の光を打ち消した場合は比較的安静な年、明星が日の出に負けなかった時は妖怪の力が強い年になる。明星――すなわちルシファーとは太陽に最後まで抵抗する大悪魔であり、すべての悪魔たちのカリスマだ。だからこそ、レミリアもパチュリーも明星が負けてしまうことに対して落ち込んでしまう。

 とは言え、四九五年もの年月を地下で過ごしてきたフランにとっては、外の世界の伝承やらはつい最近まで無縁の話であったのだ。カリスマと説明されても困惑するしかないし、妖怪の力が強くならなくても「残念だったね」程度の感想しか抱けない。実を言うと俺もそんな感じだ。前世で無宗教な日本人として過ごした記憶があるから、太陽に最後まで抗っている勇ましい者だから憧れろ、なんて言われても無理がある。アイドルみたいな存在だと考えれば、納得できなくもないが。

 ただ、まぁ、明星を崇拝するくらいならレミリア教でも開宗して広める。なにせ我が姉はかっこよさも可愛さも美しさも、その他諸々なんでも兼ね備えている、俺にとっては邪神にも等しき存在だ。

 

「レミリアお嬢さま、レーツェルお嬢さま、妹さま、お茶が入りました」

「あら、ごくろうさん」

「ありがとうございます」

 

 咲夜がレミリア、俺、フランの順番で紅茶を置いていく。フランの返事がないのは、おそらく周囲の言葉が耳に入らないほど真剣に戦いを眺めているからだろう。

 そろそろ午後に差しかかるという時間、白銀に包まれた幻想郷を太陽が爛々と照りつける中、人里でも名を馳せているという武術家が紅魔館に訪れ、美鈴に試合を申し込んできた。

 こういうことは今に始まったことではない。紅魔館が幻想郷にやって来た当初、吸血鬼だからどうしたと侵入を計ってくる輩も実は少なくなかった。そのほぼすべてを美鈴が拳法を用いて撃退したことから武術を嗜む者の間で彼女の名が広まったらしく、腕に自信がある武術家がこうして腕試しとして勝負を挑んでくることがある。

 とは言え、仮にも妖怪の美鈴は人間とは隔絶した体力の差があるため、基本的には時間制限ありの一対一の試合となる。何百年と武を磨いてきた美鈴がそんじょそこらの者に負けるいわれはなく、よほどの達人でない限りは苦戦のくの字も見せない。

 そして今回の挑戦者はその『よほどの達人』だ。歳の頃は四〇に差しかかるかというほどの男で、その動きはどこまでも洗練されており、素人目の俺からではまったくの隙が窺えない。もしも俺が戦うことになれば、一応は体のスペックでごり押しは可能だけれど、近接戦となれば何発かもらうことになるかもしれない。

 

「フッ!」

 

 男が繰り出した右の拳での素早い突きを、美鈴はうまく側面を払うことで受け流す。そのまま逆の手で掌底を打ち出し、しかし男も同様にそれを逆の手で払った。

 美鈴は、頭を狙った男の回し蹴りを即座にしゃがむことで避け、そのまま片足のつま先を起点に一回転して足払いをする。咄嗟に跳んで避けた男を見据え、空中では躱せまいと、すかさず起き上がり気味にアッパーを放った。しかしまるで予見していたかのように、それよりも先に男は動いている。

 美鈴の胴体に蹴りを入れる。当然、そんなものは美鈴は容易に防いだ。アッパーを打つ方とは逆側でしっかりと掴み、逃げられないように固定する。しかしそれこそが男の狙いであったようで、掴まれた脚に重心を移し、逆にそれを足場と仮定することでガクンと上半身を後ろ側へと逸らす。それによって美鈴のアッパーは掠るだけに終わり、男は倒れる勢いのままに月面宙返りで自由な方の脚での攻撃を計った。

 男の脚を離し、バックステップを踏むことで美鈴がそれを避ける。互いに距離が開き、仕切り直しとなった。

 

「すごいよお姉さま! あんなの人間の動きじゃない!」

 

 ようやく落ちついたフランが興奮した様子で俺に語りかけてくる。その時に咲夜の入れてくれた紅茶に気づいたらしく、「あ、咲夜ありがとう!」と笑顔を浮かべた。

 

「二人とも、お互いが次にやることを常に予測して動いてますからね。気配、状況、状態、その他いろんなものを総合して、ほとんどは経験によって半ば反射的に最善を選んで行動している……って、前に美鈴が言ってました」

 

 思考が必要なくなるほど物事を極めて、意識していなくてもそれができるようになって、初めて達人の域に達したと言えるのではないだろうか。そして美鈴も、美鈴と戦っている男もその領域に到達している。だからこそ観戦していて楽しいし、俺たちもわざわざ真昼間にガーデンテーブルを引っ張って来てまで見に来ている。

 どんなジャンルでも、世界大会として行われるなにかは絶対に見どころがあるものだ。スポーツでもゲームでもなんでも、そういうものには絶対に観戦者が多く集まる。極限に至った、もしくは常軌を逸した物事は眺めることそのものが娯楽であるとも言え、少なからず尊敬や憧れの念を抱いたりする。

 

「すごいねー……そういえばパチェは? 私もお姉さまたちも咲夜も美鈴もいるのに」

 

 最近になって、フランもパチュリーを愛称で呼ぶようになってきている。俺とレミリアがそうしているからというのもあるが、二人が魔法のことで話し合う光景もよく見られるようになってきたため、単に親しくなったからという理由が半分以上を占めているだろう。

 

「パチェはその、運動は得意な方ではないので……それに、こういうのを見てるより魔法の研究をした方が楽しいとも言ってました」

「なんか、引きこもりみたいな発言だね」

「実際その通りなんですけどね」

 

 いつもいつも大図書館に引きこもって本を読んでいる。あそこは埃くさく、パチュリーは喘息を患っているため、健康の確認のために必要以上に訪れてしまうことがあったりもする。調子が悪い時はしっかりと休んでいるとは本人の言だが、実際にそうしているところを見たことは一度もない。

 小悪魔がついているから大丈夫だとは思うのだけれど、やはりこうして考えていると心配になってくる。

 

「今度、大図書館の掃除でもしましょうか。メイドたちの仕事が減りますし、パチェの健康にも繋がります」

「……お姉さまって、よく自分から進んであんな広いとこの掃除ができるよね。自分とは関係のない場所のことなのに」

「関係大有りですよ。もしも掃除をせずにいてパチェが体調を崩したら、打てた手があったのにって思っちゃいます。そういうことがないように、いつでも良い状態を維持しないといけません」

 

 どんな些細なことでも、どんなに低い可能性でも、起こり得ると考えられるのならば対策を講じるべきだ。あらゆることに万全な準備を整えて臨み、それでも不具合が発生した時にのみ「しかたがない」と片づけられるようになる。それ以外はすべて、自分の行動によって回避できた未来であるはずなのだ。

 

「レーツェル、それはあなたの美点だけれど、同時に欠点でもあるのよ。他人に気を遣いすぎるということは、その者の成長性や向上心を摘んでしまうことにも繋がる。今回のことを例に挙げれば、パチェの健康へ気を遣う精神を衰えさせることになるのよ。その人が一人でできること、注意してなんとかなることなら、他人が手を貸す必要はない。レーツェルはもうちょっと気楽に過ごした方がいいわね」

 

 レミリアの反論に、もっともだ、と感想を抱く。他人に手を差し伸べさせてもらってばかりでは、一向に成長することなんてできやしない。救われてばかりではずっと弱いまま、迷惑をかけ続けるだけだ。だから俺もこうやって――。

 「気をつけます、お姉さま」。「……ちょっと言い過ぎたわ。ごめんね、レーツェル」。そんな会話を交わす頃には、美鈴と男の戦いも終盤に差しかかっていた。

 男が強烈な一撃を打ち出すためか、前かがみで一歩を踏み出そうとする。その瞬間を待っていたかのように、美鈴は両手で構えを取ることで男の目を引きつけながら、極々小さな足払いをかけて相手の態勢を崩した。一秒もしないうちに立て直すことが可能だろうが、その一瞬が二人の戦いでは命取りだった。

 美鈴の正拳突きが男の顔面一歩手前まで迫り、ピタリと止まる。それに合わせて男の動きも停止し、数秒後には両手を上げて降参の意を示した。

 美鈴の勝利。パチパチと、フランが拍手をして健闘をたたえる。

 

「聞き及んでいた通りの強さ……それなりに自信はあったのだが、私では到底及ばぬか。突然の手合いに応じてくれたこと、心より感謝する」

「いえ、私にとってもよき訓練の相手となりました。紅魔館に攻め入ろうとするのなら全力を持って止めさせていただきますが、手合わせならば、いつでも全力を持って出迎えさせていただきます」

「それはいい。ではまたいずれ、これからも精進を続けたのちに全力を持って挑ませていただこう」

 

 あの礼儀正しい人、誰? とフランが微妙そうな顔で美鈴を指差す。いや、確かにいつものほほんとしてるけど、同時に常日頃から律儀な性格だ。ましてや自分の在り方とさえ言える武術で競い合った相手に、試合直後の語り合いで無様なところをさらしたりはしない……はずだ。

 男が去るのを見送って、ふぅ、と美鈴が大きな息を吐いた。それから「勝ちましたよー!」と歓喜の感情をあらわにしながら俺たちのもとに駆け寄ってくる。「あ、いつもの美鈴」とフランが漏らした。

 

「おつかれさまです。さすがは美鈴ですね。武術家同士の試合なら百戦錬磨です」

「そんなことないですよ。今の勝負だって結構ギリギリでしたし、私の至らぬところが身に染みてわかりました」

「では、それを克服すれば一〇〇を越えて一騎当千ですか? 今の自分が及ばぬものが自覚できるということは、もっと強くなることができることと同義……って知り合いの鬼が言ってました。がんばってください」

「もちろんです。レーツェルお嬢さまからもらった魔法も、まだ使いこなせていませんから」

 

 足場を作る魔法――これはもはや美鈴専用の魔法と言ってもいい。俺は『光の翼』があるから空中戦で不憫を感じたことはないし、足場なんてあったら逆に動きにくい。一応は扱えるが、使わない方が強いのだから使用することがない。

 

「勝っちゃったのね。残念だわ。もしも負けたら、館周り五〇〇周とかさせようと思ってたのに」

「え……? お嬢さま、冗談……ですよね?」

「あら、これまで私が冗談を吐いたことが一度としてあるかしら?」

「滅茶苦茶ありますけど……」

 

 いじめると反応が面白い、とレミリアは美鈴をよくからかっている。どれもこれも本気で言っているわけではないが、要求を果たせなければ怒ったフリをしてさらにからかう。悪魔だけあって、悪戯とかそういうことが大好きなのだ。

 そしてこの館にはそういう輩しかいないので、律儀で真面目な美鈴が一番とばっちりを受ける。パチュリーからも、咲夜からも、フランからも。たまに唐突に俺に泣きついてくるものだから相当だ。そうして美鈴をからかった人物をちょっと叱ったりすると皆しゅんとなって大人しくなって、数日後にはいつもの調子を取り戻して美鈴に悪戯をする。もうどうしようもない。

 

「見直しちゃったわ。美鈴、意外にすごかったんだねぇ」

「ふっふっふ、そうですか? いやぁ、やっぱり褒められるのはいつだって気分がいいですね。妹さまもちょっと習ってみます? 太極拳とか」

「えー、めんどくさい。あと見直したって言ったけど、ドヤ顔で胸を張られて腹が立っちゃったから前言撤回する。やっぱり美鈴は美鈴ね。すごいけどすごくない」

「え? どういう意味ですかそれ?」

 

 こうやっていつもからかい、からかわれる。フランに翻弄され、美鈴の頭上にいくつもの疑問符が乱立していた。

 

「そうね、私も今回は褒めてあげる。もしも侵入されたら妖精たちでは止めるのが難しかったでしょうし、私が相手をすることになってたはずですもの」

「え? 咲夜さんどうかしたんですか? なんかいつもと態度違い過ぎて怖いです」

「…………あら、ごめんあそばせ。手が滑って、あなたの足元にナイフが」

「ひゃいっ!? す、すみません咲夜さんっ!? じょ、冗談ですー!」

 

 もともと今日来た武術家の男は美鈴との手合わせが目的で訪れたようなので、侵入される危険性は皆無に等しかった。それは咲夜もわかっているはずで、つまり彼女は遠回しに美鈴の強さを褒めていたのだ。それを戦々恐々とした態度で返されては当然怒る。

 黒い笑みを浮かべる咲夜と、突如つま先から一センチもない近くに出現したナイフ。武術なんてあったところで時を止められれば為すすべはなく、当然、普通に怖い。

 

「でも、ちょうどいいですね。美鈴の試合も終わりましたし、せっかくテーブルを用意したんですから、パチェを呼んで外で昼食にしましょう。今はそうしたい気分です」

「あら、名案ね。そういうわけで咲夜、一秒前にお願い」

「一秒以内じゃないんですね。いやまぁ、一秒以内では無理なんですが」

 

 瞬きをする頃にはとっくに咲夜の姿が消えていた。レミリアの命令通り、パチュリーを呼びに行ったのだろう。

 

「美鈴は新しいテーブルの準備をしなさい。ここには私たちの分しかないんだから、新しいものを。一分前に」

「もう終わってますよ」

「なに? まだ準備できてないの? もう一分経ったわよ? 今までなにしてたのよ」

「いちゃもんすぎます……」

 

 美鈴もまたレミリアに命じられ、館の方へと走っていく。それで帰ってきた時にはまた「五分も過ぎてるわよ」等と、レミリアに叱られる未来が見えた。理不尽すぎる。いつものことだけど。

 レミリアが満足そうな表情で紅茶を口に運び、そういえば一度も飲んでいなかったと俺もカップを手に取った。ちょっと冷めてしまったが、十分においしい。さすがは咲夜の入れた紅茶だ。

 

「フラン、幻想郷での……いえ、地下室の外での生活には慣れた?」

 

 レミリアの唐突な問いに、フランがこくりと頷いた。

 

「美鈴もパチェも優しいし、霊夢と魔理沙も面白いわ。あ、紫もね。言うことはいっつもわけわかんないし胡散臭いけど。ルーミアとも結構遊んだりしてて……なにより、お姉さまがよく助けてくれるもん」

 

 ここで言うお姉さまとは、おそらく俺のことだ。フランは基本的に俺のことを「お姉さま」、レミリアのことを「レミリアお姉さま」と呼ぶ。俺を呼ぶ際に名前が頭についていないのは単に言いやすく、俺の方が呼ぶ回数が多いからだ。

 楽しそうに語るフランを見やり、「そう」とレミリアは目を閉じた。

 

「でも、もう慣れてきたようなら、あんまりむやみにレーツェルを頼らないようにね。大好きなお姉さまに必要以上の迷惑はかけたくないでしょう?」

 

 ――もういっさいなんだから、あんまりむやみになかないようにね。おとうさまにもおかあさまにもめいわくがかかるから。

 一瞬、デジャブが脳裏を駆け抜けた。姉が妹に対して放つ、言い聞かせるような二言。

 俺は前世の記憶が魂に刻まれているからそれを忘れることは決してないが、しかしこの世界での経験は忘却することができる。だというのにこの頭は、生まれて間もない頃の言葉なぞよく覚えているものだ。

 それだけ大切な記憶だと、冷たい海の底から声が聞こえてくる。

 

「うん。それはそうだけど……なんだか今日のレミリアお姉さま、説教ばっかりだね」

「たぶんあれですね。いつものんきな顔してる美鈴が妙に礼儀正しくてフランに見直されてましたから、同様に姉の威厳を取り戻すために真似しようとしてるんです」

「あー、なるほどねぇ。なんか子どもっぽい」

「ち、違うわよっ! 特に理由なんてないからっ!」

 

 咲夜と美鈴が戻ってくる頃には、頬を赤らめて顔を逸らすレミリアと、そんな彼女をなぐさめる俺とフランという構図ができ上がっていた。やがて昼食の用意ができたという報告が入った時にはレミリアはあからさまに嬉しそうな顔をしており、「やっぱりちょろい」とフランが小さく漏らす。

 地や木などに積もった雪が日を受けて輝き、それが幻想郷により一層のおとぎの光景を生み出していた。目を見張るような伝説はなくとも、そこにはなによりも美しい情景が広がっている。

 新年、あけましておめでとう。ちょっと遅いそんな挨拶が、幻想郷から聞こえた気がした。


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