東方帽子屋   作:納豆チーズV

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一二.日々に負う危うさを案ずる

 恒例行事にするつもりなのか、今年もまたパチュリーを主催として節分大会を開催した。どうやらそれが広まって各地で豆を撒いたりしている人たちが出始めたらしいが、詳しいことは知らない。その日の夜は満月が粉々に砕け、その後収束して元に戻るという現象が発生したけれど、後日『文々。新聞』を読んでみたところ、どうやらそれを引き起こした犯人は萃香だったことが判明した。皆が面白半分に「鬼は外! 鬼は外」と言うものだから不満に思って月を壊すことで脅してみたようだ。

 どうやって満月を割ったかと言えば、満月が映っている天蓋を――天を砕いたと供述しているとのこと。萃香自身の膨大な力量と『密と疎を操る程度の能力』があるからこそ可能な芸当なのだろう。

 ちなみに月を割った犯人が萃香とわかる以前にレミリアが砕ける満月を見たことで、材料があまりにも多すぎたために放り出した、ロケットで満月へ向かおうとする計画『プロジェクトアポロ』のことを思い出し、「今度こそ月に行くわよ」とのことで計画を再開してみたりしていた。主に咲夜が情報集めに駆け回っており、それ自体を案外楽しそうにしているようだったので、俺はレミリアたちが月に行く魔法(プロジェクトアポロ)を完成させるまでを末長く見守ることに決めたりした。

 そんなこんなで幻想郷らしい二月も過ぎ去って、今は花が増えて春を迎えようとする三月の季節。暖かみが感じられるようになってきた風は浴びる者に心地よさを与え、新聞が濡れにくくなったことで多くの天狗が大々的に新聞活動をし始めている。

 

「ほっ、ほっ、っととと! よっとっ!」

 

 最近はそこそこ頻繁に地霊殿へ行くようになっていたが、暇だった時に博麗神社へ向かう心持ちはなくしていない。霊夢いわく「そんなのなくていいから」とのことだけど、別に拒んでいるわけではないので定期的に遊びに訪れている。

 今日もまたレミリアとフランと一緒に博麗神社へとやって来ていて、もうどうにでもなれという霊夢の諦観のもと、二人ともは縁側でお茶を飲んだり漫画を読んだりと好き勝手やっていた。ただし俺はその中に入ることなく、神社の上空で魔理沙とスペルカードの訓練をしている。

 

「んー、やっぱり堅さよりも速さを強化した方がいいかもしれませんね。"童話『赤ずきん』"は倒されることを真髄とするスペルカードですが、スペルカードである以上は通常弾幕より強くしないといけませんし。速いとすぐに場が整いますし」

「っしょっと! これより速くできるのかっ! それは、ほいっ! 面白そうだな! っとと!」

 

 魔力で形作られた狼の突撃、その狼が液体魔力を足場にすることで飛び散る水飛沫。魔理沙がそのすべてを避けながら、にぃ、と好戦的な笑みを浮かべた。

 移動速度を高めることは可能であるが、さすがにスペルカードを発動しながら変更することはできない。魔法はちょっと改良を加えるだけでも結構な調整が必要で、即行で施せば少なからずボロが出る。鬼化魔法や月兎化魔法も別の日に手を入れて改善させているし、"童話『赤ずきん』"も同様に修正し直さなければならないだろう。

 水飛沫が格段に増大し、魔理沙がその一つを被弾したところでスペルカードを中断した。魔力狼が消え、液体魔力が空気に溶けていく。魔理沙は悔しそうな表情を浮かべていたが、自らが撃つことを封じて避けることしかしていなかったことを踏まえれば、かなりいい結果だったと言えた。

 

「いいや、まだまだだぜ。お前ら姉妹がやってる"弾幕合戦"ってのはこんなもんじゃなかった。常に死角から迫り来る弾幕を避け続けられるくらいになれなきゃ全然だ」

「ふぅむ、そうですね。感覚を研ぎ澄まして……魔力や妖力など、そういう特殊な力への感応力を鍛えるんです。死角なんてものは視覚があるから生じるものなんですから、空気にかかる圧力、空間を通して伝わってくる微弱な気配を瞬間的に察知できるようになれば、背後からの攻撃も簡単に回避できるようになりますよ」

「……先は遠そうだな」

 

 ただし鈴仙の攻撃を除く。彼女はあらゆるものの波長を狂わせてくるので、一部の感覚があまり信用ならなくなってしまう。鈴仙と戦う際は理屈でない、五感より先の第六感や第七感とも言うべきものに意識を傾ける必要があった。

 まだ続けます? という俺からの質問に、魔理沙は首を横に振る。元々は彼女が「回避訓練がしたい」と俺に頼み込んできたことから始まっており、時間が経てば経つほどに難しさを増していく"童話『赤ずきん』"で相手をさせてもらっていた。なぜスペルカード戦ではないかと問えば「一旦弾幕は横に置いといて、回避だけに専念したらどれだけ避けられるか知りたいから」とのことらしい。

 魔理沙とともに縁側の近くに降り立つと、「今帰ったぜ」と靴を脱いだ魔理沙が引き戸を開けて我が家のごとく神社の中へ入っていった。縁側で足を放り出してぼーっとしている霊夢に、追いかけなくてもいいのかと視線で問いを発してみると、「どうせお茶を入れに行っただけでしょ」と帰ってくる。人間には厳しかっただろう冬の季節が過ぎ去り、ようやく漂い始めてきた陽気に当てられたか、彼女はいつも以上にだらだらしているように見えた。

 

「おつかれさま」

「おつかれぇ」

 

 レミリアとフランが互いに視線を合わせたのち、すすぅーと二人は自分たちの間に一人分の隙間を作った。ここに座っていいよ、という意思表情であることは明白だったので「ありがとうございます」とお礼を告げて、そこに腰かけた。

 

「お姉さま、魔理沙はどうだった? 強くなってたの?」

「ええ、魔理沙が以前弾幕ごっこをやっているのを見た時よりも、明らかに。それにかなりの成長の余地があります。今後がまだまだ楽しみですね」

「ふぅん。いつかは私やお姉さま、レミリアお姉さまと互角にやり合えるくらいになるのかな」

 

 んー、とレミリアが声を上げた。俺とフラン、それからぼーっとした霊夢の視線が集まり、「大したことじゃないんだけど」と言葉が続く。

 

「咲夜も動きがよくなってきてたわね。ちょっと前までは能力に頼りすぎなところがあったんだけど、最近は能力の使いどころを見極めるようになってきてる。ああなると隙を突かれて時間を操作されるとたまったものじゃなくなっちゃうわね」

「やっぱりそういうのって幻想郷の環境のおかげなのかな。いろんな妖怪とか神とかと戦えるしー」

「むぅ、こうなると私たちも強くならないとすぐに追い抜かれちゃいますね。特訓します?」

「あんたらはそれ以上強くならなくていいから」

 

 霊夢のそんな発言に「どうしてですか?」と首を傾げてみる。

 

「だって、次に異変を起こされた時、止めるのがものすっごくめんどうになるじゃない」

「霊夢らしい答えねぇ」

「そんなこと言ってたら起こしたくなっちゃうじゃない」

「あ、私も私も」

「私も起こすぜ」

 

 戻ってきた魔理沙に「あんたは人間でしょうが」と霊夢からツッコミが入る。

 魔理沙が持つお盆の上には湯気が立ち上る急須と五つの湯呑みが置かれており、俺とは反対側のフランの隣に腰を下ろした彼女は、注いだお茶をそれぞれに手渡してくれた。

 お礼を言ってそれを受け取り、太陽の下に出ていたのでかぶっていたフードを外す。袖が邪魔だったので腕を少し上に傾け、素手で湯呑みを持っているくらいで元に戻した。

 ずずずと口に含んで、博麗神社らしからぬ作り込まれた味に、ちょっとだけ驚く。

 

「あ、魔理沙。あんたこれ棚の奥にあった茶葉使ったでしょ」

「ああ、それが一番高そうだったからな」

「高いのよ。もう、これは私一人でのんびりする時に飲もうと思ってたのに……」

 

 道理でおいしいわけだ。すっと過ぎ去る苦みと温かさ、コクがあるゆえに飲むたびに胸の内に満足感を作り出し、ほぅ、と小さく息を吐きたいくらいのぽかぽかとした気分になれる。

 値段が高めの茶葉を使われたことが不満だった霊夢も一度湯呑みに口をつけると段々と頬を緩ませていった。温かい飲み物を静かにすすると不思議と心が落ちつくもので、霊夢が「まぁ、今回だけは許してあげる」と魔理沙に漏らす。

 とは言え、魔理沙のことだから、こう言ってもらえることを見越して一番高い茶葉を選んできたのだろう。事実、「どういたしましてだぜ」と答える彼女の口元はニヤついていた。

 

「あー、そういやレーツェル」

「なんですか? 魔理沙」

「最近は昼に行っても館にいないことが多いよな。あの、えーっと……閉じてる変な三つめの目がある妖怪とつるんだりしてるのか?」

「あ、もしかして私を訪ねてたりしてました? それならごめんなさい、無駄足にさせてしまって」

「そんなことで謝られても困るぜ。それに、本を借りに行った際に『あんまり見かけないな』って思っただけだ。本気で用があるなら夜に行くからな」

 

 魔理沙が肩を竦め、「で、どうなんだ?」と問いかけてくる。

 

「その通りですよ。忘れてるみたいですけど、あの妖怪の名前は古明地こいしです。この頃はこいしとその姉のさとりのところにお邪魔させてもらうことが多いですね。河童のバザーで買った電話機……遠くにいる者同士でも会話ができる道具で話したりもします」

「ああ、レーツェルは外の世界の道具に詳しいんだったな。前にアリスが拾ってきた鉄クズを直したりしてたし。それなら河童の作った道具もちゃんと使えるか」

 

 私にはまったくわからん、と魔理沙は両手を頭の後ろに回し、体を倒して縁側の天井を見上げた。

 詳しいと言っても外の世界に行けるわけでもなく前世の知識頼りな俺は、何十年も経てば無知も同然になってしまうだろう。だからこそ今のうちに活用させておくに越したことはない。

 

「……私その話、初耳なんだけど」

「え? いえ、外の世界の本とかよく読んだりしますから、それで道具の方は普通にわかるというか」

「そっちじゃないわ。その、こいしとかさとりとかいう知り合いのこと」

 

 そういえば、話す機会がなくてレミリアには一度も言ってなかった気がする。霊夢や魔理沙、フランがさも当然のことのように聞き流していたからか、レミリアはずいぶんと困惑した表情をしていた。

 さとりが心が読める妖怪だなんて言ったら心配されると思うから、そこは聞かれない限りは言わないようにして……なんて考慮しつつ返答をする。

 

「ちょっと前にできた、地底の妖怪の友達です。紫にお願いしてある程度人間に化けられる仮面を作ってもらったりして、家の方にお邪魔させてもらったりもしてます」

「ふぅん……って、地底? そこって旧地獄だから怨霊がたくさんいるって聞いてるんだけど。危なくないの?」

「怨霊はいますけど、問題ありませんよ。さとりやこいし、それから二人のペットが守ってくれますし、それにいざという時は能力で乗っ取られないようにしてちょちょいのちょいです」

 

 できるだけ心配させない風に答えてみたが、やはり妹が危ないところに行っているという感覚は抜けないらしい。若干の不安を瞳に宿らせ、じっと俺を見つめてくる。

 

「本当に平気ですから。私は最強種の悪魔、吸血鬼……お姉さまの妹です。それに怨霊にはきちんと近づかないようにしてますし、さとりかこいし、そのペットのいずれかにいつも一緒にいてもらうようにしています」

「……そう。それなら、いいんだけど」

 

 怨霊は妖怪の天敵だ。それが闊歩する空間にいるというのだから、どんなに安全だと口にしたところでレミリアが見せる憂いの色は消えてくれない。どうしたものかと悩む気持ちと一緒に、しかし大事にされていることがわかって胸が暖かくなってくる。

 それが冷めないうちに湯呑みを口元に運び、喉を通した液体で熱さをさらに付け加える。全身がぽかぽかと熱気に包まれたような錯覚が駆け巡り、そのままレミリアの手を握った。

 

「絶対に大丈夫ですよ。なにがあっても怨霊になんて乗っ取られません」

「ん……そう、ねぇ……あー、もう! 妹に気を遣われているようじゃ姉失格だわ。わかった、わかったわ。レーツェルの言うことだもの。ちゃんと信じる」

 

 レミリアは首をぶんぶんと勢いよく横に振って、無理矢理に不安感を払ったようだった。

 

「でも、そのさとりとこいし……うーん、さとりが姉の方なんだっけ。今度そのさとりって方と、電話機とやらで話させてもらえない? せめて危険なところでレーツェルを守ってくれるっていう妖怪がどんななのか把握しておきたいから」

「わかりました。さとりにそう伝えておきます」

 

 もう気にしない! と自分に思い込ませるごとくお茶を勢いよくあおるレミリア。喉に詰まったのか、目を力一杯に閉じてゴホゴホと咳をし始めたので、その背中をさすってあげた。

 涙目になっているレミリアからのお礼に「どういたしまして」と答えつつ、ふとレミリアに向けている方と反対側の肩に重さを感じて、目線だけをそちらに向ける。すると眠そうに目を半分閉じたフランが力なく俺に寄りかかっているのが目に入り、彼女の手元のお茶が零れそうだったので、どうにか落ちる前に受け止めた。

 のんびりしている時にお茶で体が温まり、眠くなってきてしまったのだろう。ゆっくりと上げた手でゴシゴシと目元を擦ったフランが、自身が持っていた湯呑みを俺が支えていることに気づき、「あ……」と申し訳なさそうな声を上げた。

 

「気にしないでください。そのまま寝ちゃっていいですよ。でも、これは危ないので預かっておきますね」

「うん……ごめん、なさ…………あり、がと…………」

 

 すっ、と瞼が完全に閉じられる。フランの指を一つずつ丁寧に湯呑みから引きはがして、それを邪魔にならないところに置いた。

 その時にふいと霊夢の様子が視界の端に映る。彼女もまたお茶と三月の陽気に当てられていたか、とっくに目を閉じて静かに寝息を立てていた。

 

「……私たちも寝ます?」

「ふふっ、そうね。そうしましょうか」

「ああ、たまにはこういうのもいいかもしれないな」

 

 三人で顔を合わせて、クスクスとあまり音を立てないようにして笑い合う。レミリアと魔理沙は湯呑みをできるだけ遠くに置いてその場に横たわり、俺はフランに刺激を与えないようにして隣に寝かせた後、二人と同じようにした。

 かすかに起きていたのか、フランの手が宙をさまよって、俺の手を見つけるとぎゅっと握り締める。その瞬間に口の端がわずかに吊り上がったのが窺え、こんなことで喜んでくれるならと俺もまた握り返した。

 

「おやすみなさい、お姉さま。魔理沙」

「ええ、おやすみ」

「ふはははは、お前らが寝たら墨と筆で顔にイタズラ書きを」

「したら殺すわよ」

 

 レミリアの返答の声音が完全に本気のそれだった。ぶるりと震えた魔理沙は「大人しくしてるぜ……」と目を閉じる。

 俺もまた瞼を下ろした。視界が暗闇に支配され、しかしその色は真っ黒というわけではない。明るさが瞼の血管を透過し、赤みを追加しているのだろう。

 元々こうして寝るのにちょうどいい温度と陽気だったこともあり、すぐに睡魔はやってくる。

 おやすみ、と。もう一度、今度は心の中だけで呟いて、意識を完全に落とした。


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