東方帽子屋   作:納豆チーズV

94 / 137
一五.焦がれるモノは天かヒトか

 吸血鬼として太陽は苦手ではあるけれど、春の陽気は好きな部類に入る。夏も日差しは鬱陶しいものの、妖精やらがバカ騒ぎをすることが多くて案外いいと感じていた。秋は風情があって気に入っており、冬は雨の代わりに雪が降るために出かけやすい。

 どの季節においても幻想郷はその美しさを最大限に引き出し、飽きることなくいつでもそれに魅せられるため、基本的に嫌いな季節は存在せず、どんな季節だろうとやってくると嬉しいものだ。ただしそれは季節という括りについてのことであり、季節と季節の変わり目においては俺としてもあまり好ましくない部分が存在した。

 それがすなわち春と夏の境目、梅雨の時期である。

 雨が降る回数が多く、またいつ雫が落ちてくるのか予測しづらいため、外出をしにくい。あいにくと俺は雨をやます魔法は習得しておらず、逆にパチュリーは覚えているのだが、たとえ雨の日でも庭に降らないようにする程度に留めているらしい。範囲を広げ、あまりにも使いすぎると「自然のバランスを崩す」からだそうだ。

 

「すみません。最近は地霊殿に行ける回数が少なくて……」

『しかたありませんよ、レーツェルは吸血鬼なんですから。それにしても、なんというか難儀なものですね……晴れの日も雨の日も苦手だなんて』

「だからと言って曇りの日が好きなわけでもありません。空に誘われて皆、曇りの日はテンションが一段階下がっているような感じがしますし。月と星々が窺える、雲のない夜中が一番いい時間帯でしょうか」

『なんとも吸血鬼らしい答えです』

「吸血鬼ですからね。夜の帝王なんて偉ぶってはいますが、その実、夜くらいしか威張れないだけです」

 

 今日もまた幻想郷には雨が降り注いでおり、外出することはかなわない。霖之助製のローブは日差しは完璧に防いでくれるけれど、布だけあってさすがに雨はどうにもできない。ビニール製のコートを着ていこうにも、なにか不注意があって脱げてしまったら日差しを身に受けるよりも悪い状況になってしまうし、進んで出かけたいとは思えなかった。

 梅雨の季節となると紅魔館でのんびりすることが多くなる。必然的にやれることは限られてきて、もはやさとりとこうして電話で話すことは日常の一部となっていた。

 こいしもまた電話に出てくることがあるのだが、彼女はどちらかと言うと直接紅魔館を訪ねてくることの方が多い。毎度地底に行く際にはこいしに来てもらって能力で存在感を薄くしてもらっていることもあり、わざわざ手間をかけてくれる彼女には頭が上がらなかった。

 

『ふむ……夜ですか』

「……さとり? どうかしましたか?」

『いえ、ずいぶんと前にこいしが『地上の星空はすっごい綺麗なんだよ!』と自慢してきた時のことを思い出しまして』

 

 こいしの真似が意外にうまいというか、さとりにしては珍しく声音とテンション高めの本気で再現するものだから、ちょっと吹き出してしまった。

 

『……そんなに笑わないでください。恥ずかしいじゃないですか』

「ふふ、ふふふ、すみません、すみません。そうですね、星空はいいものですよ。多くの者が静まる新月の日に多くの輝きを目にするのもまた風情があります。見慣れちゃってるので普段はあんまり気にしないんですけどね、改めて対面するとやっぱり感動しちゃいます。あ、そういえば今日は満月の日でした。お姉さまに相談してパーティでも開いてみましょうか」

 

 考え出すと止まらなくなる。魔理沙に声をかければ喜んで他の人たちにも声をかけてくれるだろうし、こちらもこちらとしてその期待に応えられるだけのものをメイドと一緒に用意したい。外にたくさんテーブルを出して、もてなしの料理を作ってワインなんかも引き出してきて……博麗神社で行う和風な月見とはまた違った、紅魔館ならではのパーティを開いてみせたい。

 そんな風に思いを馳せる俺とは裏腹に、電話の向こうからはちょっとだけ気落ちしたような声と吐息が聞こえてきた。

 

『星空に月見、パーティですか……私にはいまいち想像がつきませんね。本の文章や載っていた写真で知識としては頭の中にありますが、なにぶん体験したことなんて一度もないものでして』

「……地底にずっといるから、ですか」

『それもあります。でも一番の理由は、私を好いてくれるような人間や妖怪がいないことですよ。誰にだって嫌われてしまうから大勢で騒ぎなんてできませんし、ましてやその中に混ざることなんて……すみません、愚痴になってしまいましたね。忘れてください』

 

 できるだけ俺を安心させるような、無理に笑いを浮かべている姿が目に浮かぶ声音で、忘れてくださいなんて言われても。

 

『寂しくはありませんよ。今の私にはレーツェルがいます。あなたと友達でいられるだけで十分……いえ、それ以上です』

「私なんて、そんな大した妖怪じゃ」

『大した妖怪ですよ。あなたがあなたのことをどう思っていても、私にとってのレーツェル・スカーレットは、これまで見てきたなによりも大した妖怪です。だって、こんなに私を心地いい気分にさせてくれるんですから。お恥ずかしい話なんですが、実のところ、私はいつもレーツェルとこうして電話で話すことを楽しみにしてるんですよ』

 

 ちょっとだけ上ずった声。素直な感謝が込められたそれぞれの言葉が耳を通し、胸に届き、全身に響き渡っていく。

 さとりは俺に対し絶対に嘘だけは吐かない。それは俺の心を読んでいるという後ろめたさや責任感から来ているのかもしれないし、単に彼女自身が自分に素直なだけなのかもしれない。どちらにしても、今のすべてをさとりが本気で言ってくれたことは確かだった。

 強く拳を握る。かつて抱いた『さとりのため、俺になにが為せるか』という思いが再度湧き上がり、全身を巡る血流が心にまで染み渡っていくような感覚を味わった。

 今ここで言うべきことは。思考し、決意し、瞬時に『答え』を導き出す。

 

「さとり。私とこいしと一緒に、地上に出てみる気はありませんか?」

『……お気持ちは嬉しいです。でも、すみませんが私は』

「お節介かもしれません。ありがた迷惑かもしれません。でも、さとりの力になりたいんです。私がいればさとりの心を読む能力を封じることができます。こいしがいれば、いつでもさとりを周りから認識させなくさせることだってできます。これだけできれば……私以外の誰かと友達になることもできるかもしれません。いつか皆で騒ぎ合うパーティに参加できる日を迎えることができるようになるのかもしれません。だから……」

 

 ここで退いてはいけない気がした。知り合って一年も経っていないこんな俺をあんなにも大切に思ってくれるさとりに対し、俺自身が納得できるお返しを為せる機会は今思いついた事柄より他にないのだと。

 荘厳なる満月を、瞬き合う星空を、在るがままに生きる自然を、種族など関係なく紡がれる多くの縁を。

 心を読む能力を持ったがゆえに本来持ち得るべき幸せを失ってしまったさとりに、人並みの境遇くらいは味あわせてあげたいと感じた。それはおそらく憐憫ではなく、同情ではなく、『答えのない存在』程度が享受してしまっているものをさとりが体感したことがないということに対する、罪悪感と使命感、そしてなによりもの感謝の念。

 それは俺がフランに抱いているものにも似た、幻想郷の、地上の美しさをさとりに見せたい――見せなければならない。

 

『その話の為には、まずはこいしの許可が』

「私からお願いしておきます。事情を説明すればこいしなら頷いてくれるはずです」

『……灼熱地獄の管理があります。閻魔さまに任された仕事ですから、こればかりはどうしようも』

「それなら私から閻魔に話しておきます。幻想郷の閻魔とは一応私も知り合いですから」

 

 正直、映姫とはあまり仲がいいとは言えないというか、説教をされそうなのでできるだけ会いたくはないのだけど……背に腹は代えられない。

 どんなに理由づけしても俺がさがらないことを理解したらしいさとりが、受話器に向かって小さく息を吐いたのがわかった。俺に呆れたか、鬱陶しく思ったか、それともまた別の感情か。ほんの少し申しわけなさが湧き起こってきた。

 

『……すみません。断るのに他人や境遇を理由にするなんて、私らしくないことをしてしまいました』

「気にしないでください。それで、やっぱり……」

『いえ――その話、私に受けさせてくれますか?』

 

 え? と、思わず声を上げてしまう。

 

『正直に言えば、地底を出ることは怖いです。でも、それと同時に楽しみだって気持ちも……こんなに私によくしてくれるレーツェルの住む世界を見てみたい。こんな情けない私のためにいろいろしてくれるような、不思議なあなたの世界を。今、ちょうどそう思ったんです』

「いいん、ですか?」

『はい。それに、レーツェルになら私を任せられる。私の心を任せることができる。だから、私からもお願いします。どうか私を、地底から地上に連れ出してくれませんか?』

 

 それは願ってもない返事だった。『こいしに自慢されっぱなしだとちょっと悔しいですからね。あ、あとこいしにお願いとか、閻魔さまに談判とかはいりませんよ。こいしには私から言っておきますし、少し地霊殿を離れたくらいで怒られなんてしないでしょう』。

 俺はその場で頷いた。それは、さとりには見えはしなかっただろう。だからこそ「わかりました」と続けて口にする。俺からのお願いを己が望みにしてくれたさとりに、お礼の気持ちを込めながら了承の言葉を送った。

 

「それなら、これからゆっくりと計画を立てて行きましょう。少しずつ、少しずつ地上に慣れて……いつか月見や星空の観賞を、一緒に」

「はい。楽しみにしています。これからよろしくお願いしますね、レーツェル」

 

 その後はたわいのない会話を繰り広げて、電話を切った。

 受話器をもとの場所に戻し、静かに顔を上げ、天井を見据える。これでよかったのかと、この選択は正しかったのかと。

 この行動が原因で、さとりがこいしのように第三の目を閉じてしまう『答え』に繋がってしまわないだろうかと。

 

「……怖がってちゃ、いけません。いえ、違いますか」

 

 フランを初めて外に出す時だって不安でいっぱいだった。それでも狂気に対するそんな気持ちをどうにか抑え込み、真摯に向き合ってくれた彼女を信じて地下室の外に連れ出した。

 今回だって同じだ。もしも新しい苦痛に対面したとしても、さとりならきっと堪え切ることができるのだと、彼女を信じるのだ。

 怖くない。なにも怖くない。頬に手を添えて、それが無表情であることを確認すると、すぅーっと心が落ち着いてくるのを感じた。

 最善手を打ち続ける。できるだけさとりが心に傷を負わないよう、できるだけ彼女が地上を好きになってくれるよう。

 ――もしもすべてが失敗してしまったら、しそうになってしまったなら?

 そんなこと考えてちゃいけない。さとりを信じると決めたのなら、失敗した時なんて考慮すべきではない。

 もうこれ以上今日はこのことで悩むのはやめよう。せっかくの満月の日なんだから、早くレミリアにパーティを開きたい旨を話しにいかないと。

 立ち上がり、振り返って電話機を見つめ、すぐにその身を翻した。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Standpunkt verändert sich zu Satori Komeiji □ □ □

 

 

 

 

 

 はぁ、と小さなため息を吐いて、受話器を電話機のもとへと戻す。

 今この時、私の中にある感情は大きく分けて三つであった。一つは期待、一つは恐怖、一つは落胆。

 レーツェルやこいしに支えられて地上に出向き、そのとても美しいだろう光景を味わいに行くなんて願ってもないことだ。少なからず、いや、多大なる期待を抱いてしまうのはしかたがないことであり、ちょっと妄想するだけでも胸が弾む。

 それでもそれとは別に、新たな世界に行くことに対する恐怖もあった。出会う人すべてに嫌われて、嫌悪感を目の当たりにして、もう全部嫌になってしまうのではないかと。

 そして最後の一つは、そんな、レーツェルやこいしを信じ切れていない自分に対する落胆だ。適当に理由をつけて断ろうとしてしまった弱い私に対する失望の念だ。

 レーツェルの能力はこれまでの付き合いで一度、教えてもらったことがある。『答えをなくす程度の能力』と名づけたそれは、この世に起こり得るすべての現象に対する結果、すなわち『答え』をなくすことができるのだと言う。聞いた当時は、それを使えば私に心を読まれることも防げるのにと、一切そんなことをしようともしないレーツェルに感心と好意を強く抱いたものだが、今はそのことは関係ない。

 レーツェルの能力があれば、人の心なんて見なくても済む。こいしがいれば無理に人と付き合う必要はなくなってくる。それを理解しているはずなのに、ただ嫌われることだけを怖がって、流れるがままに提案を拒絶しようとしてしまっていた。

 私が嫌だったのは自身に向けられる嫌悪感を第三の目で読んで、気分が沈んでしまうことだったはずだ。決して嫌悪感を向けられること自体ではない。嫌悪感なんて私に限らず、心を読めないすべての生命であろうとも向けられながら生きているものなのだ。

 

「怖がることをクセになんてしていたら、いけないわね」

 

 これまでずっと地霊殿に引きこもって生きてきた。人の心を読み、己が精神が腐りゆくことを忌避し、すべてを拒んで歩いてきた。

 レーツェルは私とこいしを繋ぎ、その他すべての安らぎをくれた大恩人である。そんな彼女を信じずして誰を信じるというのだろう、今ここで勇気を絞り出さずにいつ出すというのだろう。

 私もそろそろ強くなろうとしなければいけない。地上の星が見れたこいしを羨ましいと感じて、私も同じように天を仰ぎたいと思った。レーツェルがパーティを開くことを楽しそうに話していたものだから、そこに混ざれない自分に対する不満を抱いた。提案を受ける理由なんて、お願いをするわけなんてそれで十分じゃないか。

 レーツェルとこいしが手を貸してくれる。なにも心配はいらない、する必要はない。

 

「……よ、予習くらいはしておきましょうか」

 

 そうやって自分を安心させようとしてもやっぱり少なからず怖いことには変わりなく、いそいそと自室の本棚から地上に関する本を探し始める。

 そんな自分にまたしても落胆の心を抱きかけたが、今のこの行動は逆に言えば、地上に出るということを前提にした行動なのではないかと。

 そんなことを思うようにして、どうにか負の感情を押し込んだ。そうしてその分、地上への期待を大きく膨らませることにした。

 レーツェルが住む場所はどんなところだろう、こいしが見たという景色はどれほどまでに綺麗なのだろう、いつか私も大勢と騒ぎ合える日が来るのだろうか。

 レーツェルがいればそれもいつかは可能になる気がした。彼女になら、すべてを任せられる気がした。

 

「信頼……しすぎでしょうか」

 

 すでに友達という括りでは説明し切れないくらいに心を許してしまっている。およそ親友と呼んでしまってもいいほどに。

 レーツェルは私をそんな風には思っていないだろう。ただ、多くの友達のうちの一人。それでも私にとっては唯一の友人だから。

 左胸の前でぎゅっと右手を握り締め、早く梅雨の季節が終わってレーツェルとたくさん会えるようになりたい、と。そんな思いを抱きながら、地上に関しての書物を探し続けた。

 

 

 

 

 

 □ □ □ Ein Standpunkt wird wiederhergestellt □ □ □




今話を以て「Kapitel 7.深層に沈む真相の洞観」は終了となります。
前回の「Kapitel 6」の最終話の後書きでは『二年先の「東方儚月抄」と「東方風神録」が始まるまでの話が「Kapitel 7」となります』なんて言ったものでしたが、すみません、あれは嘘でした。
本当なら今の段階で二年分が終わっていたはずなのですが、思っていたより話数が多く続いてしまったので、章を一年ごとに分けることにしました。

さて、ここぞとばかりにさとりに関する話が多く出てくることからお気づきの方もいるかもしれませんが、さとりは物語の重要キャラの一人です。
実はこの物語を書き始める当時は「Kapitel 4」辺りから出そうと考えていたものでしたが、なにを間違ったか「Kapitel 7」まで引き延ばされ、ようやく出せたという歓喜のもとに不自然なほど出番を増やしまくりました。
「Kapitel 8」では異変のない二年のうち、残りの一年を書いていきます。

そろそろというか、こいしとさとりの登場が物語の折り返し地点です。このまま予定通りに行けば「Kapitel 10」辺りには一応完結を迎えられると思われます。
……予定通りに行けば。
さとりの登場を数章ぶん引き延ばし、二年を一章ぶんに収めるはずだったものが二章に分けることにした者の言葉ですので、あまり信用はできません。
これからもどうかよろしくお願いいたします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。