東方帽子屋   作:納豆チーズV

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二.引きこもり脱出計画始動

 冥界からご先祖さまがやってきては顕界を堪能するお盆という祭日まで、あと数えるほどの日しか残っていない。最高潮に達した暑さは容赦なく吸血鬼を殺しにかかってきている上に、紅魔館内部は窓が少ないゆえに蒸し暑い。

 そんな夏の真っただ中の晴れの日、俺は地霊殿にあるさとりの部屋のそばで、こいしに釣られて意味もなく天井を見上げながら、さとりが出てくるのを待っていた。『さとりを地上に連れて行こう計画』の事前ミーティングを行ってから半月ほどの時が経過しており、今日がついに計画実行の初日であった。

 がちゃり、とドアノブが回される音が耳に届き、半ば反射的にそちらへ顔を向ける。

 

「お待た……あれ。開き、ませんね」

 

 さとりの戸惑ったような声音。こいしが扉に寄りかかっているゆえに並みの力で開かないのは当然である。

 天井をぼーっと見据えたまま動かないこいしに近づき、脇腹に手を入れてひょいって持ち上げて、横に置いた。そうして障害を取り除かれた扉が勢いよく開かれ、その中からさとりが姿を見せる。おそらくは引っかかっていたものを突き飛ばそうとしていただろう彼女は、思っていたよりも簡単にドアが開いたためか「わわっ」と躓きそうになっていた。

 どうにか持ち直したさとりは俺とこいしの姿を認め、俺の心を読んで状況を把握したのか、こいしに歩み寄る。そうして彼女の額を、こつん、と拳で弱くつついた。

 

「いたたー。って、あ、お姉ちゃんいたんだ」

「いたんだ、じゃないの。いるに決まってるじゃない。待っててくれるのは嬉しいけど、扉を塞いでたら出られません」

「えへへ。そういえばそうだねぇ。ごめんねー」

 

 そうやって無邪気に謝るこいしは故意に扉を押さえていたわけではなく、本当に気づいていなくて、ただ単にぼーっとしていただけなのだろう。さとりもそれをわかっているからか、はぁ、と小さくため息を吐いて「まぁいいわ」とこいしを許す。

 

「さとり、似合ってますよ」

「へ? え、あ、えっと、その……ありがとうございます」

 

 さとりは自室で外出のための準備をしていて、俺とこいしはそれを待っていた。さとりがいつもと違うのはスリッパではなく赤い靴を履いていることと、水色のボタンがついた白いキャスケット帽をかぶっていること。

 不意打ちだったからか、さとりが頬が赤くなっているのを隠すように帽子のつばを摘まんで深く下ろす。そんなことをしても、顔の代わりに恥ずかしがっているのを主張するだけなのに。

 そんな微笑ましいものを見る俺の視線に耐え切れなくなったように、「あーもう!」とさとりが叫んだ。

 

「この帽子、ありがとうございます。私も気に入りました」

 

 開き直ったのか、今度は肌が赤みを帯びているのを隠そうともせず話を進めようとしてくる。こういうことでさとりをいじっていたらキリがないことはこれまでの付き合いで理解していたので、「どういたしまして」と答えると同時にさとりの内心に意識を向けるのをやめた。

 裁縫の修行を始めてから結構な年月が経過し、またアリスにたまに教わりに行っているから、裁縫は結構得意になってきている。キャスケットを作るのは今回が初めてだったが、なんとかうまく作ることができたようでなによりだった。

 

「……手作り、ですか」

 

 さとりが視線を上げて、帽子を見つめる。頬の緩みが喜びを確かに表していて、自然と気分が高揚した。

 こいしが唐突にそんなさとりの手を取って、続いて俺の手を取る。引き寄せられるがままに歩き出し、「ちょ、ちょっと」とさとりが慌てた声を上げた。

 

「ほら、早く行こうよ。私もう待ち切れないよー」

「え、そ、その、でもまだ実は心の準備が」

「地上に出る穴までは距離あるから、そのうちに終わらせちゃえばいいじゃん。ほら、れっつごー!」

 

 今日のこいしはずいぶんとテンションが高く、姉と一緒に出かけることを嬉しいと感じているのは火を見るよりも明らかだ。

 歩きながら困った風にさとりが俺の方を見てくるものだから、諦めてくださいと思念を送った。はぁ、とさとりは再び小さなため息を吐くのだが、その口の端はわずかに吊り上がっている。

 やがて地霊殿の玄関にまでたどりつき、「いってきまーす!」と大声で告げるこいしに続いて「いってきます」「おじゃましました」とさとりと俺が言葉を残す。怨霊の管理はお燐に任せてきたとのことで、よほど長い間外出し続けてさえいなければ問題はない。

 少し歩いたところでさとりが唐突に立ち止まり、どうしたのかと俺とこいしも同様に足を止めた。

 

「……家の外に出るのも久しぶりなのに、いきなり地上に行くことになるなんて……でも、それもいいかもしれません」

 

 地霊殿を振り返って、そんなことをさとりが呟いた。こうして家の外に出て、改めて感慨にも似た思いが湧き上がってきたのだろう。

 こいしがさとりの視線の先に躍り出て、えっへんと胸を張った。

 

「お姉ちゃん! いざって時は地上の先輩の私とレーチェルが守るから安心してね!」

「私はレーツェルですけどね」

「ふふっ、ありがとうございます。止まってしまってすみません、行きましょうか。地上に」

 

 さとりの言葉に俺とこいしがほぼ同時に頷いて、今度こそ地霊殿に背を向けた。トンッ、と地を蹴って飛び上がり、こいしの能力で人の目から隠れながら旧都の上空へと身を投げる。

 旧都の明かりを物珍しげに眺めているさとりがすぐそばにいるからか、俺もこいしも飛行する速度を自然とさとりに合わせて落としていた。それにさとりが気づいて申しわけなさそうな顔をするのだけど、こうした景色に心躍る人が他にいると、すでに見慣れたはずの光景さえ面白いものに思えてくる。

 だから辺りを見て楽しむぶんにはいくら時間を使っても構わない。そんな風に俺が考えると、さとりは小さく頭を下げつつも、遠慮なく旧都を楽しそうに見やり始めた。薄暗いゆえに灯篭の火がとても目立ち、そしてそういう光だけが明かりとして機能しているさまは、地上の光に慣れた俺を異世界へと迷い込んだかのような心地よい不可思議な錯覚に陥らせる。

 飛ぶ速さはいつものそれと比べるまでもなく遅いのだけど、気持ちが高揚している時の体感時間とは普段の何倍も早く感じてしまうものだ。気づけば地底の出入り口となる大穴はすぐそこにまで迫っており、さとりは少々名残惜しそうに旧都を振り返っていた。

 大穴と旧都を結ぶ橋の上を通りすぎ、穴の中に突入する。最初は斜め上に続いていたそれも段々と急なこう配を見せ始め、最終的にはただ真上へと続くだけの、飛行能力がなければ入ることも出ることもかなわない奈落へと化した。

 おそらくは土蜘蛛だろう、膨らんだスカートをはいた少女。桶の中に身を潜めた少女。その他結構な量の妖精の横を気づかれずに通りすぎ、地上の光が見え始めてきた辺りで、俺は脱いでいたフードを深くかぶるようにした。

 上昇するにつれて視界に光が、辺りの岩肌がはっきりと見えるようになってくる。さとりは待ち望んでいるかのように口を噤んで空を見上げ、俺とこいしもそれに引きつけられて無意識に天を仰いでいた。

 そうしてついに奈落から飛び出ると、爛々と輝く太陽とほんの数個の白い雲が浮かんだ青空が俺たちを出迎える。ちょっと目玉が蒸発しかけて反射的に顔を背けてしまったが、さとりは目を見開いて、その大空に見惚れていた。

 固まったさとりの手を引いて、近くの地面に着地をする。ぽーっと空を見上げるさとり、それを上機嫌に眺めるこいし。俺はフードの隙間に手を入れて、頭の横につけていた狐の仮面を外していた。

 

「……すごい、ですね。なんというか……こういうのが、爽快、という気持ちなんでしょうか」

 

 ようやくさとりの口から飛び出た第一声がそれだ。いつでも見れるような晴天にここまで魅了されるのは予想外だったけれど、それも当然か。これまで生きてきた中で地上にいたことがあるのかは定かではないが、何十何百年と久しぶり、もしくは初めてこの晴天を仰ぐのだ。

 これだけでここまで興味を持ってくれるとなると、いつか大蝦蟇の池に行けた時などはどんな反応をするか見ものというか、その時のことを想像してしまうのを抑え切れない。

 しばらくそうしてさとりは首を傾けて空を見上げていたが、さすがに太陽の光で目がやられてきたのか、目元を擦りながら顔を下ろした。帽子で影を作り、早々な視界の回復を図る。

 

「お姉ちゃん大げさー。晴れの日はいつもこんなんだよ? さすがに私もこれだけじゃ感動しないもん」

「そうなんですか? でも、いいじゃないですか。綺麗なんですから」

 

 いくら見慣れていようとも、その言葉を否定することだけはかなわない。こいしは目をぱちぱちと瞬かせた後、「そうだねぇ」とさきほどまでのさとりのごとく空を仰ぎ見た。

 

「さとり、ここに来る途中にも妖怪とかのそばを通りすぎたはずですけど、その」

「大丈夫ですよ。私が嫌なのは、私に対する嫌悪感の心を読み取ってしまうことです。心を読むこと自体は苦痛ではありません。いつもレーツェルの心を読ませていただいていますしね」

「……そういえば、私の心を見て、さとりは嫌な気持ちになったりはしないんですか?」

 

 俺がなにかを考えることで意図せずしてさとりを不愉快な気分にさせてしまうのは、なんだか申しわけない。

 恐る恐るそう尋ねた俺をさとりは第三の目で見つめてきては、小さく吹き出した。

 

「それ、心を読まれる側が考えることじゃありませんよ。私が言うセリフです。レーツェル、私に心を読まれることを鬱陶しく思ったことはありませんか?」

「あるわけないじゃないですか、友達ですし」

「即答ですか。同じく、私もありません。そもそも心を読むことは仮にも私の種族としての能力ですから、よほどのことがない限りそれ自体を嫌になったりはしませんよ。安心してください」

 

 さとりが俺に嘘を吐いたことは一度もない。微笑みかけてくれる彼女の告げたそれを迷わず信じ、「よかったです」と息を吐く。

 

「お姉ちゃん、レーチェル、そろそろ行こうよー」

「そうね。空はいつでも見ることができるのだし。それではレーツェル、案内をお願いしてもいいですか?」

「もちろんです。今回行くのは、ここから一番近い林でしたか」

 

 まずは地上の空気に慣れるということで、こいしの能力で気配を消しつつ、とりあえず近場を出歩くことになっていた。回を重ねるごとに徐々にこいしのサポートをなくし、普通に出歩くようにしていくつもりだ。

 いずれは博麗神社等にお邪魔したりして、その際は俺の能力で心を読めなくして相手を不快にさせないようにしつつ、さとりにも普通の会話を楽しんでもらう。そうして交流を広げ、俺がサトリとしての能力を封じたままという条件はあれど、いつかはさとりに宴会に参加してもらう。それがこの計画のとりあえずの最終目標だった。

 

「こいし、頼りっぱなしですみません」

「『そういう時はありがとうですよ』!」

「ああ、レーツェルの真似ですか。そうですね、ありがとうございます、こいし」

「えへへー」

「え、なんでこいしのモノマネ一発でわかったんです?」

「わかりやすすぎますから」

 

 褒められたのか、呆れられたのか。どちらにせよ、さとりの中ですでに俺の性質が確立していることは確かだ。すでに一年近い付き合いになるので、俺も段々とさとりの性格を把握してきている。

 林へ足を進めながら、ふと、こいしと手を繋いでいるのとは逆の手に目を向ける。そこには穴から出てきては必要ないとして外した狐の仮面が握られており、しばらくはかぶることはないからということで、魔法で倉庫にしまった。

 同時に、そういえばさとりには俺の吸血鬼姿を見せたことがなかったと、人間化魔法を解いた。翼が生え、体の内側から霊力が消え去る。おそらく瞳は本来の紅さを取り戻していることだろう。

 

「……骨組みだけの、翼?」

 

 さとりが目を見開いて俺の背に目を向けてくる。俺の心が読めるはずなのにここまで驚かれたことに逆に俺も驚愕を覚えたが、よくよく考えれば当然か。いちいち自分の容姿なんて考えやしないし、考えていなければさとりはそれを読み取ることはできない。

 なんとなくパタパタと動かしてみた。翼膜がないゆえに、そんなことをしても飛べる要素など一ミリもないのだが。

 

「フランの見た目は私の心象を通して知ってましたよね? 私もフランと同じで、吸血鬼の中でも突然変異的なアレでして、膜がないこんな形の翼を持ってます」

「ふむ……スタイリッシュな形ね。かっこいいですよ」

「……そう、ですか?」

 

 大抵は『変な翼』と一蹴されてきた。パチュリーには「レーツェルの背中は堅いのよね。主に翼が」とまで言われるし、何気に好評価をもらえたのは初めてだったかもしれない。

 

「あら、照れてるんですか?」

「て、照れてません」

「私に隠し事はできませんよ?」

 

 俺にからかわれることが多いからか、いいネタを見つけたといわんばかりにさとりが言葉で俺をいじってくる。サトリとしての力でどんな感情を抱いているかは明白なはずなのにわざわざ聞いてくる辺り、なかなかに意地が悪い。

 こんな精神状態で心を読めるさとりと言い合いをしても勝てるわけがない。一度大きく深呼吸をして、どうにか胸の内を落ちつかせる。無意識に上がっていた体温を下げるようにして、冷静に冷静に、と頭を冷ましていく。

 

「ほら、こいし。こいしはレーツェルの翼のことどう思ってますか?」

「んー、変な翼だよね」

「ふっふっふ、こいしに意図的に人を褒めるなんて芸当ができるはずありません! 無駄ですよさとり!」

「あ、でもねぇ、この翼使って飛んでる時のレーチェルってすっごいんだよ? もうなんていうか、ゴォー! って感じでびゅんびゅんって! 赤くて白い光の粉をまき散らして、目で追うのもやっとな速さで飛んでて……ちょっと見とれちゃったなぁ」

「だ、そうよ。ちなみに知っての通り、こいしには意図的に人を褒めるなんて器用な芸当はできません。つまりは素直な感想ね」

 

 今までさんざん変だと称されてきたからか、正直翼の形状にはあまり自信がないというか、わずかにではあるがコンプレックスに近いものも抱いてきたような気もする。それは褒められ慣れていないということであり、さとりに続いてのこいしからの純粋な評価に、なんだか二人の顔が見れなくなって視線を逸らした。

 大きく息を吸って、吐く。さっきと違って気分は落ちつかないし、「どうかしましたか?」「どうしたの?」なんて二人の声を聞くたびに体温が余計に上がっていく。意識しすぎなのはわかっていたが、初めて向けられた好意的な言葉に胸から顔にまでのぼってくる熱を抑え切れなかった。

 なにせ五〇〇年近くこの翼を生やしたまま過ごしてきたのだし、『光の翼』は困った時にいつも使ってきたから、それなりに愛着がある。

 

「ありがとう……ございます」

「ふふ、どういたしまして」

「んー? なにが?」

 

 本気でわからないという風に首を傾げるこいしの手を、「なんでもありません」とぎゅっと握り返す。

 首を少し曲げて、改めて自分の背から生えたそれを見やった。根元の黒い部分から何本もの赤い骨が伸び、一対の翼を形成している。

 かっこいい、見とれた。二人の言葉を思い出すと、動かそうと意識していなかったのに、ぴくぴくと翼が震えた。

 

「気合いを入れて案内します。大船に乗った気持ちでいてくださいね」

「はい。でも、のんびりでお願いします」

「大船になんて乗ったことないけどねぇ」

 

 林に足を踏み入れた。地霊殿の中庭とはまた違う自然が溢れた場所に、さとりはきょろきょろと物珍しげに視線をあちこちに向ける。

 妖精が開けた場所でなにやら集まっていた。はぐれの幽霊がふらふらと空を漂っていた。ミンミンとやけにセミが騒がしかった。木の根元では、リスが追いかけっこをして遊んでいた。そんなのどかで平和な風景はどこまでも居心地がよく、今日一日ずっとここに留まっていてもいいかもしれないとまで思いかけてしまう。

 そしてなによりも、目を輝かせてどんな些細なものにさえ興味を示すさとりを見ていると、心の底から、連れて来てよかった、なんて思いが湧き上がってくる。案内をするこちらも自然と温かい心持ちになり、こいしもまたご機嫌な調子だった。

 今日一日でさとりの地上への不安を消してしまおう。それから次回は玄武の沢にでも連れて行って、迫力のある滝を見せてあげよう。

 どんな反応をするのかな。どんな笑顔を見せてくれるのかな。膨らんでいく想像が止まらない。

 さとりを地上にまで連れ出してきてよかった。不安ばかりだった頭の中が、段々と和らいでいくようだった。


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