遠坂時臣は激怒した。自らが従える暴虐の王と共に、目の前にいる醜悪な汚物を取り除かねばならぬと決意した。
魔術師である彼に人道などを尊重すべきという考えは存在しないし、目の前の男が猟奇的大量殺人鬼だろうが特段の興味は持たない。彼らにとって魔術と関わらない俗世間は等しく価値が乏しいものであるからだ。
「一体何用か!?我が城から財を奪い取るつもりか!?」
バーサーカーと思しき長身の男が喚いているが、時臣の目には生前に英雄たるだけの偉業を果たしたはずの英霊の姿が醜悪な虫にしか見えなかった。時臣はバーサーカーの手駒であろう、四方八方から自分に向かってくる屍兵たちにステッキを翳した。
「
ステッキから迸る焔が半円状に広がって迫り来る屍兵の下半身を飲み込み、脚を焼失した屍兵はそのまま大地に倒れる。だが、屍兵は十や二十ではない。第一撃を耐え抜いた屍兵は倒れた屍兵を乗り越えながら標的である時臣に喰らいつこうと前進する。少年や少女の容貌をした屍兵が殺到する恐怖は、ハリウッドのホラー映画の比ではないだろう。
だが、時臣は慌てない。懐から取り出した宝石を密集した屍兵に投げつけて対処する。
「
宝石を媒介にした魔術は屍兵を文字通り一掃した。
目の前で自身の兵力を喪失したバーサーカーは、生前には当然のことのように知っていた戦力の逐次投入の愚すらも忘れているらしく、さらに周囲の悪霊を時臣に嗾ける。自身が組み敷いている少年とのお楽しみの方が最優先で、侵入者の相手など自身の宝具に任せればいいとでも考えているのだろう。だが、サーヴァントという規格外の存在を討伐すると決めて襲撃した時臣に憂いはなかった。
バーサーカーの作り出した城の周囲に悪霊が浮遊していることを掴んでいた時臣は当然のことながらその対策も既に済ませている。宝石から展開された魔方陣は時臣を包み込むように広がる。時臣を包む魔方陣に触れた悪霊は風船のように破裂し、時臣に傷一つつけることはできないでいた。
本来であれば、宝具相手に魔術師とはいえ一介の人間が太刀打ちすることは不可能なはずだ。だが、キャスターが雑兵として用いるような使い魔、ゴーレムの類の宝具であれば、一体一体はそう強くないため、魔術師の力量次第では戦えないこともない。
今回は、時臣の魔術師としての力量の高さと、バーサーカーの宝具が生み出した屍兵や悪霊の数が『
「この程度、王の手を煩わせるまでもない」
俗世間を格下として見るほどに魔術を扱うものの高貴さを信じている彼にとって、神秘の秘匿を破り魔術をこのような吐き気を催すような邪悪な趣味に使う輩が不倶戴天の敵となることも当然のことだと言えるだろう。
常に余裕を持って優雅たれとという家訓を体現するように振舞っている時臣にしては珍しく、拭いきれない不快感を表情に出さずにはいられなかった。
「随分と不愉快そうだな、時臣。貴様もそんな顔を表に出すのか」
彼のサーヴァント、アーチャーが面白いものでも見たかのように興味を示す。
「王よ、目の前の
「なんだ、貴様も腹の内を表に出すことができるではないか。いいぞ、我もそのような嘘偽りのない感情というものは嫌いではない」
「私は王の前で自分を偽っているつもりはございません、王よ」
「フン……まぁ、貴様の腹の内など今はどうでもよいが、臣がこのような陰気なナメクジに矜持を汚されたとなれば、王たる我が力を貸してやらぬわけにはいくまいな」
アーチャーの背後の空間が揺らぎ、そこに宝剣が姿を顕す。
「このような汚物の掃除に使った宝剣など、使い捨てるしかないが、これも臣たる貴様への義理立てだ。光栄に思え」
自身の手駒がやられたことに苛立ったバーサーカーが先程まで少年の解体に使用していた大斧を振りかぶり、奇声をあげながら突進してくる。その様子を横目に見ながらアーチャーは傍らに展開した宝剣を射出した。
「貴様は俺の庭にいることすら能はぬ。ナメクジはナメクジらしく陰気な影の中で死んでゆけ」
黄金色に輝く二振りの宝剣は稲光のように奔り、バーサーカーの胴を切り裂くと同時にその頭を柘榴のように派手に割った。
あっけない。時臣がそう思ってしまったのも無理もないだろう。60年を費やして準備してきたサーヴァント――それもまともに相手をすれば苦戦は免れないはずのバーサーカーとの戦いがこれほど容易いものとなれば、いささか拍子抜けだ。
いや――これでいいのだ。時臣は頭を振る。
元々圧倒的で確実な勝利を期して最強最古の英雄王、ギルガメッシュを召喚したのだ。単独行動スキルを持つアーチャークラスとして限界したのは誤算だったが、アーチャーの宝具である
他のサーヴァントもこのバーサーカーと同様に圧倒的な力を持って倒していけばいい。敵マスターとの正々堂々とした魔術の競い合いというのも悪くないかもしれないが、サーヴァントをぶつける勝負の方が分がいいのであれば、無理に魔術の競い合いに凝って敵に果たしあいを要求する必要はないだろう。勿論、魔術合戦を挑まれたのならば正々堂々と受けてたつつもりであるが。
問題はあの衛宮切嗣であるが、マスター殺しを狙われるのであれば工房に篭って姿を顕さなければいいだけの話だ。ジャンボジェットやミサイルを屋敷に突っ込ませるぐらいのことは考えるだろうが、それもアーチャーなら迎撃が可能だ。
確かに、時計搭にその名を轟かせるロード・エルメロイのような魔術師と凌ぎを削り、遠坂家が5代に亘って培ってきた力を存分に振るって勝ち抜くことで聖杯を手にしたいという願望はある。
しかし、自身の満足感など遠坂家5代の宿願に比べれば小さいものだ。流石に衛宮切嗣のような外道に落ちてまで聖杯戦争の勝利を狙うつもりはないし、魔術師としての倫理を破るつもりはないが、それ以外の手だったらどんな手でと厭わずに使うべきだろうと時臣は考えていた。
「さて……用は済んだはずだぞ、時臣。まさかこれ以上我にこのような薄汚いところにいろとは言うまいな?」
目的を達した以上、この場所に留まることを我慢する理由はないとアーチャーは考えているようだ。既にバーサーカーの宝具である建造物は消滅しているのだが、バーサーカーの造り出した惨状はそのままに残っている。
それが気に食わないのだろうか?それとも、小学校の貧乏くさい雰囲気が気に食わないのだろうか?暴君の価値観など全く分からないが、ここに留まっていてはアーチャーの機嫌を損ねるだけだと判断した時臣はすぐに退散することを選んだ。
「滅相もありません……」
本音を言えば、この場に残る児童の記憶を操作しておきたいところだったが、それは聖堂教会のスタッフにもできることだろう。どうせ一人で全校生徒の記憶を操作することはできないのだから、ここは全て任せてしまっても問題ないだろう。
だが、一つだけ、自分の手でやらなければならないことがあった。聖堂教会のスタッフにも可能であるし、そもそも必要不可欠なことでもない。これは遠坂家の者としてのけじめなのだから。
「さて……少し待ってくれないか、そこの君」
何食わぬ顔で小学校の校門に向かっていた茶髪の青年を時臣は呼び止める。あの場所にいたことや、微かに感じる気配から彼が魔術師であることは間違いないだろう。
「え~と、俺のことですかぁ?」
人畜無害そうな笑顔を浮かべながら青年は振り返った。
「そうだ。二つ聞くが、君は何者だ?見たところ小学生の教諭ではないだろう。そして、君はここで何をしていたのかな?」
「え~と、雨生龍之介っす。職業はフリーター……ここにいるのは、悪魔召喚の儀式?ってやつをしてみたら本物がきちゃって、悪魔さんに連れられてきたからなんですよね~。おじさんも悪魔さん連れてるっぽいし、事情はわかるでしょ?」
「……そうか。では、その返り血は何だね?」
時臣は真っ赤に染まった龍之介の服装を指摘する。
「あ~、これ?これはほら、あの悪魔さんが食い散らかすもんで、飛び散った血がついちゃったんだよね~」
龍之介の口ぶりや、彼自身を観察したところでは、彼が魔術師としてサーヴァントを召喚した可能性は低いだろうと時臣は判断した。おそらくは、何らかの方法で魔術について記された資料を入手して実践したところ、偶然持ち合わせていた魔術回路が反応しサーヴァントを呼び寄せたというところか。聖杯戦争に参加する意思はなかったのかもしれない。
ただ、聖杯戦争に参加する意思がないからといって今この青年を放置するということもできない相談である。はぐれサーヴァントが発生した場合、この男にも再度令呪が与えられてマスターになる可能性があるからだ。
自らのサーヴァントを御しきれずに神秘の隠匿を脅かすほどの事件を引き起こした前科がある以上、龍之介が再度サーヴァントを保持することは聖杯戦争の一参加者としても、冬木の地を治めるセカンドオーナーとしても絶対に認められないことであった。
「そうだ、それよりもおじさんに聞きたいことがあるんだけどさ、あの金色のお兄さんも、うちのレェ伯爵もなんかハリウッドも真っ青のスッゲェことしてるじゃん!!やっぱあれって悪魔の力だよね!?おじさんは詳しく知らない!?」
「……さて、どう説明したものかな。長くなるが、構わないかい?」
言葉を口にするのと同時に、時臣は暗示を龍之介にかける。魔術回路が偶発的に開いただけの一般人が、人生の全てを魔術の研鑽に費やした男の暗示を防げるはずもない。暗示を受けた龍之介は焦点の合わない虚ろな目を浮かべ、その場に崩れ落ちた。
時臣は龍之介に倒れた龍之介に歩み寄り、その心臓にステッキを当てて呪文を紡いだ。
「
ステッキの戦端に備え付けられた宝石が一瞬煌き、同時に龍之介の身体が電気ショックを受けたかのように反射的に跳ね上がる。この瞬間、雨生龍之介の心臓は強制的にその活動を停止させられたのだ。
――これでいい。後はこの男がこの事件を引き起こした犯人として検挙され、小学校でおきた猟奇的無差別児童殺傷事件としてこの一件は全て処理される。児童の記憶操作は聖堂教会のスタッフに任せればいいだろう。
龍之介を始末した時臣はアーチャーに向き直り、頭を下げる。
「王よ、お待たせして申し訳ありませんでした」
「……」
アーチャーは口を閉ざしたまま時臣に無機質な目を向けて一瞥し、霊体化した。アーチャーの姿が消えたことを確認して時臣はようやく頭を上げ、内心で嘆息する。敵サーヴァントを一体屠り、聖杯戦争は完全に動き出したと言えよう。