バケツ節約のために生じた入渠時間をつかって書き上げました。
「……戦闘の詳細は分からずじまいということか」
「はい」
冬木市新都にある安ホテルで助手の久宇舞弥と合流した衛宮切嗣は、小学校を監視していた使い魔に取り付けられたカメラで録画した映像を検証していた。舞弥の操る使い魔には重量増を承知の上で小型のカメラを持たせているため、魔術による隠蔽も看破でき、何度でも再生できるために映像を詳細に分析することもできるという利点があった。
とはいえ、戦闘そのものは宝具と思われる陣地の中で行われていたこともあり、使い魔では宝具の中で行われた戦闘を偵察することはできなかった。小学校を包んでいた霧そのものは魔術による認識阻害効果のあるものだったらしく映像には写されていなかったが、小学校を覆う城のような建物の内部を看破することはできずじまいだった。
分かったことは、遠坂時臣がサーヴァントを率いてこの小学校を占拠したサーヴァントを撃破したということと、遠坂時臣のサーヴァントが黄金の鎧に身を包んだ男ということぐらいだ。生前の知り合いでもいない限りサーヴァントの容貌だけで真名を看破することは不可能に近いだろう。ことサーヴァントの情報に関しては収穫は殆どないと言ってもいい。
「だが、遠坂時臣に関して言えば、収穫はあったな」
切嗣に拾われ、切嗣の補助部品として育て上げられた舞弥は彼の発言の意図するところを瞬時に汲み取った。
「神秘の隠匿……そして冬木という霊地の裏の秩序を護るために遠坂時臣は行動せざるを得ないでしょう。例え聖杯戦争中であっても」
「そうだ。罠だと分かっていても、遠坂時臣という男は自らそれに飛び込むだろうな。自分自身が『誇りある魔術師』であるために」
切嗣は時臣のあり方を嘲笑する。このような魔術に誇りを持つ典型的な魔術師こそが魔術師殺しの鴨であり、同時に聖杯戦争の敗者となる。戦争に魔術師の矜持や騎士としての誇りなどといった下らないものを持ち合わせるから彼らは負ける。切嗣に言わせれば、そんなものは犬にでも食わせておけばいい代物であった。
「……それに、逆に考えると、『魔術』によるものでない破壊行為には干渉しない可能性もある。だが、これは好都合だ。神秘の漏洩に関係のない限りにおいてはバイオテロも、爆破テロも許容されうるだろう。少なくとも、ルール違反だ何だのと騒ぐ心配はない」
切嗣自身の魔術師としての技量は正直なところそれほど高いものではなく、対する標的は魔術協会から封印指定を受けるほどの能力をもった魔術師が大半だ。魔術師の慣例に則った尋常な手段をもって相対などすれば、切嗣には勝機はない。
だが、科学技術の産物である近代兵器をもってすれば切嗣でも老獪な魔術師を殺すことが可能となる。尤も、彼自身は自分の力量不足を理由に科学技術を使っているわけではない。彼が科学技術を用いるのは、それが効率的だからだ。
切嗣は毒殺、爆殺、銃殺等考えうる殺害の手段を時と場所、場合に応じて使い分ける。標的が乗り合わせたという理由だけで撃墜した旅客機や撃沈した貨客船も少なくないし、無差別テロに擬装して無関係の一般人ごと標的を爆殺したことや地下街のガス漏れに擬装した毒ガスの使用も一度や二度ではない。
フリーランスの賞金稼ぎとしての犯歴は、おそらくかの悪名高きIRAのテロ活動にも匹敵する。
また、切嗣は標的を殺害するとき一度たりとも魔術師の慣例に則った尋常な手段を用いたことはなく、常に魔術師らしからぬ下衆な戦法をもって魔術師を葬るというスタイルを貫き通してきた。
それはその方法が最も効率がよく、確実に相手を葬れるからに他ならない。おそらく、衛宮切嗣という男は時計搭最高クラスの魔術師になれたとしても、効率性を重視してこれまで通りのスタイルを貫き通すに違いない。
「しかし、如何に神秘の隠匿に関係ないとはいえ、聖杯戦争の運営に支障をきたすと判断されれば、教会側も何らかの手段を講じる可能性があります」
舞弥が聖杯戦争の監督役を務める聖堂教会の対応について指摘する。
「いや……おそらく、住宅街での毒ガステロや、ビルの一つや二つの倒壊なら許容範囲だろう。今回の一件を見る限り。多少派手にやってもあちら側が事後処理をしっかりやってくれるみたいだからね」
切嗣は今朝タバコと百円ライターと一緒にコンビニで購入した新聞を取り出してベッドの上に放りなげる。その一面には、『小学校で爆発。教師3名を含む58人死亡』『被疑者らしき男はその場で死亡』などといった記述が並んでいる。
記事によると、被疑者と思われる男が授業中の冬木市の新都小学校低学年のクラスに侵入、爆弾を投げて児童多数を殺傷したとされている。また、逃げようとした児童を持ち合わせていた刃物で斬り殺したとある。
「……爆発物と刃物を併用した無差別殺傷事件ですか」
「数日はマスコミ関係者が押し寄せて面倒なことになるだろう。だが、魔術協会や聖堂教会は新聞社やテレビ局の上層部にもパイプがある。1日2日で大掛かりな取材活動は収まるから、聖杯戦争への影響は最小限度になるはずだ」
「では、マスコミが引き上げるまでの間は大規模な破壊工作は自粛すると?」
「他のマスターの連中もマスコミがウヨウヨしている状況で逸りはしないだろうから、こちらとしても慌てる必要はないさ」
切嗣はそう言うと、ベッドに腰を降ろした。
「舞弥、町の調査資料を見せてくれ。しばらくどの陣営も動かないだろうから、その間に冬木の土地について再度確認しておきたい」
モラトリアムが生じたからといって、切嗣のやるべきことは変わらない。最も確実で最も効率よく得られる勝利、それこそが彼の獲得すべき勝利に他ならないのだから。
雨の降る深山町、その一角にある小さな集会所に喪服に身を包んだ人々が集まっている。沈痛な雰囲気に包まれた集会所の奥に安置された棺には、幼い少女が眠っている。だが、その棺の窓は閉ざされており、彼女がどんな表情を浮かべながら眠っているのかは窺えない。
だが、少女が目を覚まして起き上がることは二度とないことは確かであった。少女は一昨日自宅にて四肢を切断され、首を胴から分かたれた姿で発見された。死後2日ほど経過していたそうだ。
朝の報道番組によると、その猟奇的な殺人方法から警察は昨日新都の小学校で起きた無差別殺傷事件の被疑者が犯人の可能性が高いとして調べを進めているそうだ。その手口から、ここ数日冬木市で発生していた猟奇的連続殺人事件との関連も指摘されている。
そして今日は、警察の司法解剖が終わった彼女とその家族3人の通夜だ。集会所には彼女の突然の訃報を聞いた親戚や近所の人々が集まり、彼女たちの死を悼んでいた。
「コトネ……」
通夜に参列している人々の中に小さな身体をした少女がいる。彼女の名は遠坂凛。コトネのクラスメートであり、学校でも親しく接していた。
彼女は事件が発生する数週間前から父親の言いつけ通りに冬木から離れていたが、彼女はコトネの訃報を知るや否やすぐに母に駆け寄って通夜にいきたいとせがんだのだ。当然、今冬木市が危険な状態にあることは言うまでもない。彼女の母親は凛が冬木に戻ることを許さなかった。そして決して冬木に行ってはならないときつく言い聞かせた。
だが、彼女の母親は自身の娘の行動力と頑固さを理解していなかった。凛は母の目を盗んで滞在していた母の実家から抜け出し、公共交通機関を乗り継いで冬木に戻っていたのだ。通夜の会場も新聞で確認していた凛は迷わずに通夜が行われている集会所に辿りついていた。
だが、彼女と同じ小学校の制服に身を包んだ参列者は彼女以外に二人ほどしかいない。クラスメイトが突然亡くなったという事実はまだ精神的に未熟な子供達にとっては相当にショッキングなもので、猟奇的な殺人の犠牲になったということもあって子供達は程度の差はあれどその多くが精神的に不安定な状態にあるらしい。
昨日の新都の小学校襲撃事件も合わさり、カウンセリングを必要とするほどに心が痛めつけられている生徒も少なくない。まだ昨今の連続殺人事件の詳細が分かってないこともあり、子供をつれて夜の街を出歩くことを控えている親もいるらしい。
終電までは2時間ほどしかないという時間的な制約だけではなく父の言いつけを破ったという負い目も感じていたし、冬木市に長居することの危険も子供ながらに理解していた。だからコトネとのお別れを終えたら彼女はすぐに冬木を去るつもりだった。
勿論、小学生が一人で通夜に来ていれば目立つため、同伴者がいないことを咎められた。だが、凛は小学生らしからぬ知恵を働かせて『母は自分をここに送り届けた後に、新都に向かった。友人の息子の通夜があるらしく、コトネの通夜が終われば自分は母の車で一緒に帰ることになっている』と釈明した。
彼女の言葉を否定する根拠もなく、彼女が同年代の小学生よりも大人びている堂々とした態度をしていたこともあり、通夜の出席者は彼女の言い分を信じて通夜に参列することを許したのである。
「凛!!」
集会所に凛の母、葵が到着したのは、凛が集会所に到着してから40分後のことであった。自分を呼ぶ声に気がついた凛は声の持ち主である母の下へと向かったが、黙って家を抜け出した負い目のあるため、いざ母の前に来ても母の顔を正面から見ることができずにいた。
「あの……お母さ」
意を決して顔をあげた凛だったが、彼女の言葉は葵の平手打ちによって遮られた。おとなしい母らしからぬ突然の行動に凛はしばし放心してしまう。そして、葵は放心する凛を今度はやさしく抱きしめた。
「……お父様の言いつけを守らなければ駄目じゃないの。心配させないで……」
凛は自身を抱きしめる母の腕が振るえ、その眼に光るものが浮かんでいることに気がつく。
――母は自分を心配して探し回っていたのだ。クラスメイトとの別れを涙一つ浮かべずに過ごしていた凛はここで初めて涙を浮かべる。心配をかけさせたことへの後悔、言いつけを破ったことへの罪悪感、コトネの棺の前では隠していた感情が一度に溢れ出す。
「ごめんなさい、お母様……ごめんなさい、ごめんなさい……」
少女は人前で初めて、年相応に声をあげて母の胸の中で泣いた。
通夜を取り仕切っていたコトネの親族の方にも謝ってから凛と葵は集会所を後にした。雨の降る中で二人は路地を抜けて葵が路上駐車した車道に向かう。だがその途中、強い風が吹いて葵の傘が大きく揺れて彼女の視界を塞いでいた傘を大きく逸らせた。
その時、葵は雨の降る中でビルの屋上に直立不動の状態で立っている男の姿をその目で見た。夫の弟子で拳法の達人でもあるという、言峰綺礼という神父よりもしっかりとした体格をしているように見える。容貌からすると、東洋人であることは間違いない。
ただ珍しいほどにしっかりした体型をしているだけのありふれた東洋人の姿が気になり、葵は歩みを止めて自身に当たる雨粒にも気を取られずに男の姿を見つめ続けていた。
「お母様?濡れてしまいますよ?どうしたのですか?」
しかし、彼女は足元からかけられた娘の言葉で我を取り戻し、慌てて傘を自身の頭上に戻して娘に向き直った。
「何でもないわ、少し疲れただけだから」
そう言うと葵は娘の手をとり、再度歩き始めた。傘を少し傾けて男が立っていたビルへと視線を移すが、既に男の姿は消えていた。
遠坂葵は終ぞ、男の視線が向いていた先には遠坂の屋敷があったことに気がつかなかった。当然のことながら、ビルの屋上からは遠坂時臣の自室の窓がよく見えることも彼女には分からないことであった。
次回からは聖杯戦争が再開しそうです。