静岡県沼津市は伊豆半島の付け根にあり、雄大な富士山と青い海を同時に眺めることができる。みかんやお茶などの名産品に恵まれ、皇族ゆかりの橋のかかる中心街を持つこの市は漁港や水族館などの観光業も盛んであり十分に自然と文化の両面で豊かさを誇っている。しかしながら近年は人口流出の問題に直面していた。今にして思えば、自然、文化の豊さを享受しながらも、人口減少を抱えるこの街の性格がAqoursの特性を形作ったのかも知れない。一度は解散したものの、同名の名前と新しいメンバーを連れて復活したAqoursは、廃校寸前の浦の星の名を歴史に刻むことになる。この街が、自然、文化の賑わいと多くの人に溢れた街であれば、貪欲に誰よりも勝利へこだわったグループは生まれなかっただろう。反対に、何も特筆するものもなく人口もないような街であったならば、これほどの個性に溢れることもなかったのではないだろうか。一方では充足しており、もう一方では不足を感じるこの街だからこそ、十人十色な個性と湧き上がるような上昇志向を持った彼女たちが生まれたのだろう。
その前に、まずはAqoursの一人、津島善子、の幼なじみである俺の話からさせてほしい。どこにでもいる普通の高校生であった俺が彼女たちと出会って少しづつ変わっている話だ。
ピンク色の球体に手足が生えた生き物がビルの屋上を駆け抜けている。屋上の淵まで来るとギリギリで飛び上がり、隣のビルへと着地しようとする。その直前、空中を飛び回る鳥のような生き物に衝突し、ピンクの生き物は地上に叩き落とされた。
「今の惜しかった!」
軽快な電子音とともにテレビ画面いっぱいにゲームオーバーの文字が浮かび上がる。ある七月の休日。俺と善子の二人は仲良くゲームで遊んでいた。俺たちは幼なじみで、マンションの部屋が隣だ。俺の方が2歳年上なのだが、年齢差を感じない気のおけない仲だ。善子はコントローラーを投げ出すと両手を広げバタンと寝そべるように倒れた。
「次は俺の番な」
俺、
「俺の勝ちだな」
「だったら次はこれで勝負ね!」
苦戦したステージを俺が簡単に攻略してしまったのが悔しかったのか、善子は別のゲームでの対戦を申し出る。善子は勝てるまでいろんなゲームをやりたがる。昔からこうだ。そんな子供っぽいところが善子の魅力でもあるんだけどな。
「おう、やってやろうじゃないか」
カセットを交換し、ゲームを起動する。対戦型格闘ゲーム、ノックアウトファイター。プレイヤーがそれぞれキャラクターを選択し、コマンド入力で技を繰り出し戦うゲームだ。
「私これ徹夜で練習したの!」
「練習あるんだから徹夜はやめろって言ってるだろ」
どこからその自信が湧いてくるのかは謎だが善子はこのゲームでは俺に勝てるらしい。だったらその実力とやらを見せてもらいたいものだ。俺はお気に入りのキャラクターを選択するとコントローラーを構えて大きく深呼吸をした。
俺の操る赤いキャラクターの拳が炸裂する。善子の操る青いキャラクターの顔面をぶっ飛ばした。
「よっしゃああ!これで10勝目だな」
「なんでなのよ! 練習したのに!!」
ゲーム開始から小一時間。結果は善子の惨敗だった。寝る間も惜しんで練習した(らしい)技も俺には通用しなかった。本当に善子はずっとゲームが下手くそだ。それでも俺に勝ちたがって何度も勝負を挑んでくる。かと言って俺が手加減をすると怒る。本気の俺に勝ちたいらしい。そんな善子の子どもっぽいところが俺は大好きだ。
可愛すぎる!! 高校生の女の子がさ、ゲームで負けて本気で悔しがるんなんて。純粋で可愛すぎる。やばい、今の俺絶対ニヤニヤしてるわ。可愛すぎる。バレないように必死に口元に力を入れて画面を注視しする。ダメだ隣でギャーギャー騒いでる幼馴染みが可愛すぎる。
「俺に勝つなんて100年早いな」
「さすが我がリトリデーモン、ハデスね。」
「やめろその名前で呼ぶな」
ちなみにハデスというのは俺のあだ名だ。小さい頃はよくお互いをヨハネ、ハデスと呼び合ってた。さすがに今では善子は俺のことを早人と呼ぶが自分のことはヨハネ呼びのままだ。しかも俺をからかう時はハデスの名前を出す。まあそんなところも可愛いんだけど。
「何よ、昔はやってくれたのに」
「昔はな。今はもう高校生だ」
「むぅ、馬鹿」
ほっぺたを膨らませて俺に抗議する善子。可愛すぎるだろ。結婚してくれ。
「ちょっと休憩しようぜ」
このままでは感情が暴走しそうなので俺は一旦席を離れた。台所へ向かい冷蔵庫から麦茶を取り出す。冷蔵庫の風にあたり体と心を冷やす。冷静になるんだ俺。自分は修行僧であると思い込むことで煩悩を消すことにした。ゆっくりと目を閉じて空の境地へと向かう。何もないということがあるそんな境地へ。何も考えないで今は頭の中を真っ白にするんだ。
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だめだ。何も考えないようにしたのについ善子のことばかり考えてしまった。善子が不思議そうにこちらを見ている。俺は慌ててコップに麦茶を注ぎ善子の元へ運ぶ。
「お茶飲むか?」
「うん、ありがと」
なんだかんだ文句を言いつつもきちんとお礼は言う。善子は本当はしっかりとした子なのだ。そんなところも善子のいいところなんだ。可愛いのだけじゃなく礼儀正しい、なんていい子なんだ。
それにしても暑い日に飲む麦茶は何よりも美味いな。身体中に冷たい麦茶が染みる。夏の麦茶は酒より美味いな。酒飲んだことないけど。
「ねえ、話したいことあるんだけどいい?」
「ん、どうした?」
麦茶の美味さに酔いしれていると善子が改まったように問いかけてきた。なんだか神妙な感じだ。顔は笑っておらず、姿勢を正している。俺も姿勢を正して善子に向き直る。善子は一旦深呼吸してからゆっくりと話はじめた。
「この前クラスの子と好きな人はいるのかって話になったのね」
「お、おう」
好きな人だと!? まさか善子に好きな人がいるのか。一体どこの男を好きになったのか。善子は女子校に通ってるんだ。他に男と出会う機会なんてそうそうないはず。聞きたいことは山ほどあるがここは黙って話を聞く。
「でもね私言えなかったんだ。好きな人」
「そうか」
それ以外に言う言葉が見つからずに黙ってしまった。しかしなぜ善子は好きな人を言えなかったのだろうか。恥ずかしいからだろうか、それとも彼女のいる人を好きになってしまったのか。それかまさか俺のことを好きなんじゃないかと淡い期待を抱いたが、善子の一言でそれは打ち砕かれてしまった。
「私ね、梨子が好きなの。変かな?」
リコガスキナノ。頭の中に7文字の音だけが響く。しかし理解が追いつかない。数秒経ってからその言葉の意味が遅れてやってきた。それから漢字が当てはめられ、梨子が好きなのという言葉が浮かび上がった。そうか、善子は梨子が好きなのか。自分でもびっくりするくらい冷静だった。いや冷静でいようとしたんだと思う。多分一人だったら声をあげて驚いていた。今は目の前に善子がいる。俺を頼って相談しに来た女の子がいるんだ。俺は至って平然としたふりをしながらゆっくりと返事をした。
「変、じゃねえよ。別にいいだろ。誰が好きでも」
「そう。ありがとう」
そう言って善子は俺に向かって少し照れ臭そうに微笑んだ。ああ、ちくしょう。こんな時でも可愛い顔しやがって。俺、失恋した。ずっと好きだった幼馴染みに失恋した。悔しい。でも今は泣いちゃダメだ。歯食いしばって耐えろ。善子の相談に乗ってるのに俺が泣いたら変だろ。今は善子の話を聞くんだ。
そして善子が帰ったら、思い切り泣こう。
それから善子は詳細を語り出した。
「最初はただの友達って思ってたの。でも私の趣味にもなんだかんだいいながら付き合ってくれるし、部活の時も他の子よりも梨子と一緒にいることが多くて」
「うん」
俺は特に口を挟むことなく頷く。善子は俺のこと恋愛対象になんて思ってもなかったんだな。ダメだ。そう考えたらまた泣きそうになっちまった。堪えろ俺。
「どうしていいのかわからなくて。Aqoursのメンバーにこのこと話したら気まずくなっちゃうんじゃないかって思って」
正直何を言えばいいのかわからなかった。慰めて欲しいのは俺のほうだ。だってずっと好きだった人に間接的に振られちまったんだぞ。でもここは幼なじみとして、信頼して相談してくれた彼女のためにも頼れる男でいなくちゃいけない。
「ごめん、正直突然のことで俺も何をしたらいいのかわからない。でも何があっても俺はお前の味方だし、ずっと善子のことが好きだから」
「そう、ありがとう。私も早人が好き」
善子は少しだけ目を潤わせながら俺に向かって笑った。俺の言った好きと善子の言った好きは意味が違う。でもそれでいいんだ。ずっと小さい頃から善子は俺のことを兄みたいに頼ってくれてたんだ。俺は彼女の期待に応えるために全力で恋を応援してあげなきゃいけないんだ。その恋が上手くいくかは分からなくても。
相談を聞いた後、俺たちはひたすらゲームをした。お互い考えがまとまらず何を話せばいいか分からなかったからだ。ひたすら俺は画面の中の善子の操るキャラクターをボコボコにしまくった。でも何を言うかは分からなくても、何をするかはもう決まっていた。ただ彼女の恋を応援するだけなんだ。夕日が空を赤く染めるまで二人でゲームを楽しんだ。きっと俺たちは大人になってもこうやってゲームするんだろうな。
「今日は話聞いてくれてありがとね。少しだけスッキリした」
「おう。いつでも話聞くからな。頼ってくれよ」
「うん、ありがとう。お邪魔しました」
俺が手を振ると善子も小さく手を振ってドアを閉めた。去り際に小さく「ありがとうハデス」と聞こえた。その呼び方は辞めようね。それから俺は部屋に戻るとベッドの上に寝転んだ。今日はただゲームをしただけなのに、すっごく疲れた。ただ天井を見上げて時間を過ごす。今日こそは勉強しようと思ったのに。考えすぎて頭がパンクしそうだ。こんなときは寝るのが一番だ。目をとじて何も考えないようにする。だんだんと意識がなくなっていく感覚がする。さっきまで考えていた悩みを考える気にもならない心地よさが頭の中に広がる。俺はそれに身を委ねて眠った。
心地よい時間は不意に破られた。枕元においていたスマホからの着信音で叩き起こされる。いったい誰なんだと少し苛立ちながら画面を覗くとなんとびっくり。そこには件の女の子の名前-桜内梨子-と表示されていた。善子の話聞いた後なので緊張してしまう。俺は一度深呼吸をしてから電話に出た。
「もしもし、どうしたの?」
「あ、早人くん? 今ちょっと時間いいかな」
「大丈夫だけど」
そんな電話があって沼津駅前へ向かった。うちから沼津駅へは歩いて十分程度。しかし一体何の用事なんだろう。梨子とは善子を通じて知り合っていたし、善子を入れて三人で遊びに行ったことは何度もある。しかし二人きりで会う事はこれまで一度もなかった。しかも善子からあの話を聞いた日に呼び出されるなんて今日は本当に奇妙な日だ。駅前に到着するとすぐに梨子は見つかった。赤みがかった長いきれいな髪は目立ち、人の多い場所でもすぐに見つけることができる。
「お待たせ」
「は、早人くん。ごめんね急に呼び出しちゃって」
俺が声をかけると梨子はいつもよりよそよそしい態度で応えた。
「家近いし平気。それでどうしたの?」
「あのね、少し話したいことあるんだ。今からちょっと散歩しない?」
「ああ、いいよ」
沼津駅前には商店街があり多数のお店で栄えている。生活に必要なものは大体ここで揃う。商店街を通り抜け、中央公園を通り狩野川沿いを二人で歩く。すれ違う男たちが梨子のことを目で追っている気がする。今まで善子のことばかり考えていたので気がつかなかったが梨子も善子に負けないくらい可愛いんだな。行き交う人が梨子のことを見たあと、俺の顔をじろじろ見るのが居心地悪く感じた。こんな美人と一緒にいるのがこんな普通の男じゃな不釣り合いか。
夏の夕日を浴びながら、セミの声の響く狩野川を歩く。さっきから梨子が一言も話さない。どうしたんだろう。俺が梨子の方を見ても視線は合わせてくれないし何か考え事をしているようにも見える。きっと俺に相談したいことがって呼び出したのだろう。なかなか話始めない梨子に代わって話題を振った。
「なあ、なんか相談したいことでもあるのか?」
「え、あ、うん。そうなんだ。あのね」
なんだか今日の梨子は少し様子が変な気がする。梨子が急に立ち止まる。俺はすぐに止まれずに更に二歩先に歩いてしまってから立ち止まる。ずっと俺から目を背けてきた梨子が俺の目を見た。決心したように真っ直ぐな目線で。梨子の頬が赤く染まっていた。でもそれは夕日のせいではないと思う。なぜかって? 梨子が次にいう言葉のおかげでその理由が分かったんだ。
「早人くんのことが好きです。私と付き合ってください!」
ああ、梨子の目って綺麗なんだな。俺のことを見つめる彼女の目を見てそう思った。
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