「行ったわね」
「うん」
早人の背中が見えなくなったところで駅に背を向ける。正直幼馴染が東京の大学を受けるって言って時はビックリしたし寂しい気持ちもした。だって物心ついた時から一緒だったんだもん。そんな彼が遠くに行ってしまうなんて。行かないで。正直そう言いたい気持ちもあった。でも言えなかった。いや言っちゃいけないんだ。そんなこと言ってしまったら彼の人生を邪魔することになる。私の大切な幼馴染。
私は不幸だった。何をするにしても。次第に私は思うようになった。自分は特別なんだ。自分が不幸なのは堕天使だからだって思うようになった。この体も名前も全ては仮初。本当は堕天使ヨハネなんだってそう思うことで、この不幸な人生を受け入れることができた。
でもその考えは自分に対してだけ有効だった。いくら私が自分にそう言い聞かせても周りはそれを許さなかった。堕天使なんていない。そんなのおかしい。堕天使キャラなんてやめな。そう言われた。でも偶然か運命か、それを受け入れてくれる人がいた。私の隣の部屋に。
早人とは幼い頃から良く遊んでいた。学年は二つ離れていたけどお互い年齢差なんて気にせず仲良くしていた。大きくなるにつれて男女で遊ばなくなったりすることもあるけれど、私と早人の関係は変わらず続いた。高校入学直後、自己紹介で失敗した私は学校を休みがちになった。早人はそんな私を見て「学校に行け」とかそんなことは言わなかった。ただいつも通り一緒にゲームで遊んでくれた。それがなによりも嬉しかった。天命の導きか、スクールアイドルに加入することになった後も彼は変わらず、親しい友人でいてくれた。スクールアイドルってちょっとした有名人みたいだから、それで特別視されちゃうこともあるんだけど彼はそんなの構わず私を堕天使ヨハネとして、そして津島善子として接してくれた。
スクールアイドルを始めてから特に仲良くなったのが梨子だった。特別な理由があったわけじゃないんだけど、なんとなく気があって話すことが増えた。それから梨子とは一緒に遊ぶことも増えた。それから自然と早人も入れて3人で遊ぶことも増えた。
『悪い。今日のお祭り行けなくなった。梨子と二人で行ってくれ』
そんな仲良くなった3人でお祭りに行こうと約束したのに。Aqoursのライブの翌日、急に早人からこんなメールが来た。一体何があったんだろう。受験生だし勉強で忙しいのかな。何かあったらどうしようと不安を抱えながらお祭りへ向かうと理由はすぐにそこでわかった。梨子は相変わらず綺麗だった。というか普段よりも増して美しかった。桜柄の浴衣に普段は真っ直ぐに降ろしている髪を一つに結んでいる。
そんな美しい梨子の表情はどこか上の空だった。私の堕天使としての直感が告げた。
「もしかして早人と何かあったの?」
私はそう問いかけると彼女は俯いて「うん」と小さく頷いた。そして詳細をぽつりぽつりと話した。
「なるほどね。それであいつ急に来れなくなったって言ったのか」
「ごめんね。私のせいでせっかくのお祭りの予定ダメにしちゃって」
「梨子のせいじゃないわ。こんなに可愛い梨子の良さがわからない早人が悪いわ」
私のその言葉には嫉妬も篭っていた。ああ、梨子が好きなのは早人だったんだ。でも今思えばそんな兆候は感じることができた。梨子と交わした会話が頭の中で蘇る。
『早人くんとは付き合ってないの?』
『ただの幼馴染よ。そんな感情はないわ』
ある練習の帰り道。梨子は突然聞いた。
『でも早人くんの話してる時の善子ちゃん、すごく幸せそうだよ』
『そりゃあね! 自慢の幼馴染だもの。でも本当にそういう関係じゃないわ』
『じゃあ早人くんに恋人ができたら...?』
その質問をする梨子は恐る恐る真実を確かめようとするようだった。私は本当に自分の思ったことを心から伝えた。
『そりゃあ嬉しいわよ。あいつにもやっと相手ができたってせいせいするわ。でもそうねーー相手にするなら梨子くらい素敵な人じゃないと認めないわ』
梨子が私の気持ちに全く気づいていない様子なのが少し悔しくて多少の嫌味も付け加えて、そう言った。
『もう、私くらいって、それどういう意味?』
それに対して梨子は、心なしか嬉しそうだった。
私は落ち込む梨子に並んで座る。川沿いでは花火を見物する多くの人で溢れかえっている。
「早人は、何か遠慮してるのかも」
「えっ」
梨子は驚いたように顔を上げた。その表情には期待とも見て取れる表情が混ざっていた。梨子の好意が私じゃなくて彼に向いているのは悔しい。でもーー 私が早人に「梨子のことが好きだ」って相談してからなんか早人は隠している気がした。もしかしたら、と思った。だってこんなに可愛い梨子に告白されたら誰だって心が動くものでしょ。
「さあね。あいつなんか遠慮してるんじゃないの。自己評価低いし謙遜しすぎるところあるから。それに」
早人は、梨子のことどう思ってるのかわからない。でも、いつも遊んでいる時悪い雰囲気はなかった。それどころかすごくいい感じだった。もしかして私のことを思って梨子の告白を断ったんじゃないわよね。でもそれじゃ誰も幸せになれないじゃない。だって梨子は私じゃなくて早人を好きなのよ。だったら、早人が梨子を幸せにしなきゃだめじゃない。私の大切な幼馴染と、大切な友達で私の好きな人のためだ。意を決して口を開いた。
「早人は梨子のこと好きじゃないとか、他に好きな人がいるって言ったの?」
「それは...」
「言ってないんでしょ。だったらわからないじゃない」
あーあ。私の恋終わっちゃった。悔しい。歯を食いしばらないと涙が溢れそうになる。でも今はこの表情は見せちゃダメ。何やってんのよ。なんで好きな人の恋応援してんのよ。家に帰ったらひっそりと泣くとするわ。
梨子は未だ私の言うことを信じられないと言った顔をしていた。このまま2人がすれ違う姿は見たくない。もちろん、梨子が私を選んでくれないのは悔しい。でも早人にだったら負けてもいい、譲ってもいいとそう思った。
「もしも早人に彼女できるなら梨子じゃないと嫌だわ」
「本当に?」
まだ一押しが足りないみたいだ。早人もそうだけど梨子も本当に自己評価低いわよね。自分が魅力的だってことを全くわかってないんだから。私はいつまでも態度を変えない梨子を焦ったく思った。
「梨子ほど素敵な女の子はいないわ! だから私は早人の相手は梨子がいいの!」
「善子ちゃん... ありがとう」
梨子は照れながら嬉しそうな顔を隠せていなかった。ああ、本当に私の恋終わっちゃったんだ。それがやっぱり悔しくてさっきの言葉には私の本音をぶつけてしまった。本当に梨子より素敵な子って今後私の人生に現れるのかしら。
花火大会も終わりしばらくすると人の流れもだいぶ落ち着いてきた。ちょうど千歌と曜たちもお祭り来ていたみたいで、千歌のお姉さんが車で迎えに来てくれるとのことで梨子も一緒に帰って行った。私の家は会場から近いため歩いて帰る。お土産のりんご飴を持って早人の家の前に立つ。やっぱり帰ろうかと家の前を行ったり来たりしてしまう。梨子は早人のことが好き。その事実を知ってからは彼に会うのが気恥ずかしかった。一度自分の家のドアノブに手をかけて足を止める。やっぱり行こう。私の恋が実らないんだったら、私の好きな人の相手は私の大切な人であってほしい。これは私のわがまま。
ああ、私って本当に運が悪いのね。
そう心の中で呟いてから早人の家のチャイムを押した。
お祭り以来、早人と会う回数は日に日に減っていった。今まであまり勉強をしてる素振りは見せなかったけど、最近はよく勉強をしているみたいだった。ずら丸から聞いて驚いたんだけど、早人は図書館でよく勉強もしててそこでずら丸と仲良くなっていたらしい。ずら丸の態度、見てればわかるわ。ほんっと私の幼馴染って罪よね。梨子はと言うとピアノの大会で東京に行った時、偶然早人と遭遇していた。私もお見送りに行ったからそこでびっくりした。早人は東京の大学を見学に行くみたい。東京か、すごいな。幼馴染が遠くに行ってしまうのは寂しいけど、それでも彼がやりたいことなら応援したい。直接早人と話すことはなくても心の中ではずっと彼を応援していた。なんだか応援してるわよとか言うのも気恥ずかしいし。
「早人のこと、どうなの」
練習の帰り道。ずら丸と2人になったところで早人の話題を持ちかけた。ただ気になって聞いてみた。すると彼女は手を振って大袈裟に否定した
「どうって何もないよ。ただの図書館仲間」
「...そう」
そう否定する彼女からはそんな風には見えなかったけど。きっと花丸のことだし、出るに出れないのだろう。私は梨子と早人がくっつけばって思ってたけど、花丸も早人を好きなら話は変わってくる。どちらでも早人の選択をただ尊重したい。無理に彼女を動かすことはできないけれど、ただそっと背中を押すくらいはしてもいいよね。
「早人のこと好きって人他にもいるかもね」
「えっ」
花丸は不意をつかれたように、呆気に取られた。
「だから、早くしないと取られちゃうわよ」
それから帰ってきたのはーー無言だった。花丸は何も言わなかった。前に作曲をしていた時、花丸は「無という存在がある」なんて難しいことを言っていた。ねえその無言には無があるの? そんなこと聞けなかった。全くみんな他人のこと考えてばかりね。まあ私もなんだけど。
「早人くんとはしばらく会うの辞めることにしたんだ」
翌日。学校からの帰り道にずら丸はそう言った。
「なんでよ」
「練習も忙しいし、早人くんの勉強邪魔したくないから」
「...そう。別に邪魔なんてならないと思うけど」
「ううん、大事な時期だから」
そう言う花丸は何かすごく遠慮するように申し訳なさそうな顔をしていた。見たことのある顔だった。
「早人じゃなくて、あんたはどうしたいのよ」
「まるはーー」
ずら丸は少し視線を泳がせてから答えた。
「秘密ずら」
そう言って花丸はずんずん前に歩き出した。ああ、なんで私の周りはこんな人たちばっかりなんだろう。でもそれは自分も同じ。
「ちょっと待ちなさいよ」
私は早歩きになって彼女に追いついた。彼女の横顔はどこか遠くを見ているようだった。私はただ黙って歩いた。それからずら丸はいつものように学校の話や、最近読んだ本の話をした。それがずら丸の選んだことなら私はもう何も言えないのよ。ただ彼女の横を一緒に歩いた。