潮風を肌で感じながら海沿いを自転車で走る。富士山と海を同時に眺めることができるこの景色が好きだ。よくこの辺ではサイクリングをしている人もいるらしい。それにしても善子はこんな遠い学校に毎日通ってるんだよな...その浦の星も今年度で廃校。来年度は別の市内の高校と合併するらしい。浦の星、行ったことないけど地元の高校がなくなるって聞くと寂しい気持ちになる。でも他校、それも女子校に入って本当に大丈夫なんだよな...? 1時間以上かかりやっと浦の星に到着する。途中狭い道や坂道もありだいぶ苦労したがいい運動になった。校門を潜ろうとするも足を止める。待てよこの瞬間を誰かに見られたら通報されるかもしれん。善子に電話をかける。なかなか電話に出ない。何人かの生徒が校門を出入りしている。まずい見られてる。なんでこんな時に限って出ないんだ。
『もしもし』
やっとのことで繋がった。聞き馴染みのある善子の声が聞けて安心する。
「俺だ。今校門の前にいるんだけど迎え頼む」
『わかったわ。ちょっと待ってて』
程なくしてこちらに向かってやってくる少女が見えた。
「わざわざ呼ばなくても勝手に入ってよかったのに」
「いやいや1人で入ったら通報確定だろ。女子高生の視線が痛かったぜ」
善子が一緒と言ってもそれでも緊張する。普段足を踏み入れていい場所じゃないからな。校舎の階段を登り屋上に出る。
「はいそこ、遅れてるよ!」
「はいっ」
そこにはAqoursのメンバーたちがダンスの振り付け練習を行っていた。果南の鋭い声に千歌が反応する。おお、これがAqoursの練習風景か。俺に気づいたAqoursの面々に挨拶する。彼女たちもそれぞれ挨拶を返してくれる。梨子と目が合う。俺はつい目線を逸らしてしまった。
「善子の幼馴染の川田早人です。すみません急に。今日は練習の見学に来ました」
「あーあなたが早人ね! ゆっくりしてって」
そう言ったのは金髪で陽気な雰囲気を漂わせた女の子だ。彼女は確かーー
「鞠莉さん、ですよね」
「イエス! 鞠莉でいいわよ。理事長の私が許可してるんだから好きなだけゆっくりしてって」
「どうも。...って鞠莉が理事長なの!?」
つい大きな声を出してしまう。高校生が理事長ってどういうこと? ダンスの練習を仕切っていた果南も一度手を止めてこちらにやってきた。そうだ果南に言ってないことがあった。
「果南、県内の大学受かったよ。まだ本命の東京の大学はわからないけど。とりあえず大学生になれるみたい」
「そうなんだ、おめでとう! 本命受かるといいね」
「ありがとう。そう願ってるよ」
俺の合格の話を聞きつけ他のメンバーも話に加わってきた。口々におめでとうとお祝いしてくれる。その間善子は得意げに胸を張っていた。嬉しいことしてくれるじゃないか。梨子はもう既に一度合格を伝えている。だがここでもおめでとうと改めて伝えてくれた。俺は芝居みたいで照れ臭かったがありがとうと改めて伝えた。
練習の邪魔をしては悪いと思い屋上の端にある壁に寄りかかった。
「俺はいないと思ってくれ」
そう告げると彼女たちは再び持ち場に戻り練習を再開した。果南の手拍子に合わせて振り付けの確認をする。途中ずれてしまったりフリを忘れてしまうメンバーもいた。改めてこの練習を見てみると、彼女たちの凄さがわかった。普段Aqoursのパフォーマンスを見るときはただ楽しそうに見える。だがこうやって練習の風景を見ると、フリを覚えることもかなり大変そうだ。何度も同じ箇所を繰り返している。試しに彼女たちの動きを見よう見まねでやってみた。2テンポ動いたところですぐに動きが止まってしまった。いざ動かしてみると本当に難しい。
「早人くんもやるー?」
それを見た千歌がそう尋ねた。
「勘弁してくれ」
そうやって笑ってまた練習は続いた。ダンスのフリだけでなく体感のトレーニング、歌の合わせなど練習は多岐に渡った。中でもあのトレーニングは一緒にやってみたが相当きつい。プランクといって腕を曲げ肘から上とつま先を地面につけ背筋を伸ばすトレーニングだ。みんなあんな細い体でこんなきついことやってたのか。俺はすぐにへばりこんでしまう。
「もうダメ?」
果南が挑発する様に言う。
「うん、きっついわ」
「もー男の子でしょ」
そう言われると俺はちょっとだけ悔しいと思った。それで果南とどちらが長くできるか競争することにした。気合を入れるために腕をまくって地面につく。面白がって見てた曜の掛け声で2人同時にプランクの姿勢を開始した。お腹の筋肉に相当負担がかかる。
「果南さん! しっかり!」
「果南ちゃんがんばルビィ!」
ダイヤとルビィが果南に声援を送る。やばい。そろそろ2、30秒経つか? 腹筋がきつい。隣の果南をチラリと見る。果南は俺を見るとニヤリと口角を上げた。嘘だろ、まだ余裕なのかよ。しかも完全アウェーだよな。千歌と曜も果南に頑張れと楽しそうに声を送っている。俺の味方はゼロかよ。そう思ったとき意外な援軍が現れた。
「早人! ファイトー!」
鞠莉が俺を応援してくれた。おおっ全然喋ったことないのにありがてえ! でももう腕がプルプルしてきた。
「早人、勝ちなさい! リトルデーモンでしょう!?」
「早人くん、が、頑張って!」
「負けちゃだめずら」
鞠莉に続いて善子、梨子、花丸も声援をくれる。これは負けられないな。でもごめん、もう無理っぽい。俺は上げていた膝をつくとぐったりと屋上に倒れ込んだ。完敗だ。
「負けました」
素直に負けを認めた。果南は得意げな顔で満足そうに笑った。やっぱりすごいわ。これも日々のトレーニングの賜物か。
「負けてるじゃないの」
「いっやめろっ そこやばいって」
善子は俺のお腹をツンツンつついてなじる。今お腹はやばいって。しょうがないだろ普段あんまり運動しなんだし。それを見てみんなが笑った。
「善子ちゃん、早人さんと本当仲良いんだね」
ルビィちゃんがどこか憧れるように目を輝かせている。
「善子とはずっと一緒だからね」
「いいなあ。ルビィにも早人さんみたいなお兄ちゃんいたらなあ」
ルビィちゃん... 嬉しいこと言ってくれるじゃないですか。俺もこんな可愛い妹がいたらなあ。そんなルビィちゃんの後ろから黒髪の少女が鋭い眼光で俺を睨んでいるのを見てヒヤリとした。確かあの人は黒澤ダイヤさん。ルビィちゃんのお姉さんだよな。まずい、これ以上ルビィちゃんに近づいたら何かが起こる。
「練習、いいのか」
「そうだね。みんなーそろそろ練習再開するよ」
果南に呼びかけに応じ各々練習へと戻る。梨子が持ち場に戻ろうと俺の目の前を通り過ぎたその時
「えい」
梨子が人差し指で俺の腹を突いた。思わず声を出してしまう。梨子は下を向いて颯爽と立ち去った。善子にやられるのと梨子にやられるのじゃ全然違うな。率直に言って恥ずかしい。一瞬頭が真っ白になってしまう。まさか梨子があんなことするなんて。俺はしばらく梨子のことを自然と目で追ってしまった。
歌の練習中も、楽しそうに歌うと言った雰囲気は感じさせつつもところどころ止めて音のずれなどを調整していた。今のアカペラでも十分美しい曲だが、本番ではこれに衣装やダンス、伴奏もつくのだ。きっともっとすごいものになるだろう。一通り通しで歌ったところで、また一度休憩になった。すると果南が水筒で水分補給をしながら俺の横に座った。
「どう、練習を見学した感想は?」
果南は水筒をマイクに見立てて俺に向ける。
「正直、こんな厳しいとは思わなかった。もちろん頑張ってるってのは知ってたけどさ、ここまでとはな」
「そうだよね。みんなよく頑張ってついてきてくれてるよ」
果南は他のメンバーを見つめ自慢げな表情をした。その視線に気づいたのかダイヤがこちらにやってきた。
「何の話ですの」
「想像より練習キツそうでびっくりしたって話だ。もっと早く知れたらな。アイドルって楽しそうだなって思ってた。申し訳ないな」
それを聞いてダイヤは少し笑いながら俺の隣に座った。さっき睨まれたのがすっげー怖いんだけど、今はまるで何事もなかったかのようにしている。妹のこととなると豹変するんだな。
「ですがアイドルが辛そうにしていたら観客は楽しめません。ですからステージ上ではアイドルは楽しそうに見せなければいけないのです」
そうなのか。勝手にAqoursを上に置いて自分はダメだった自己嫌悪に陥っていたあの頃が懐かしく思えてくる。彼女たちだって努力なしにこの立場を手に入れたわけじゃない。
「果南、ダイヤ。善子が本当にお世話になりました」
一年生同士で楽しそうに談笑する善子を見て俺はそう告げた。
「いえ私たちこそ善子さんには救われていますわ」
「そうだね。善子ちゃんがいると雰囲気明るくなるし」
「そう言ってもらえて嬉しいです」
休憩中の彼女たちはほとんど学年の違いを感じさせることなく戯れあっていた。ここだけみるとどこにでもいる普通の高校生だよな。
「最後に善子たちの練習見れてよかった」
俺の最後という言葉に果南が反応する。
「そっか。東京の大学に受かったら沼津離れるんだよね。じゃあダイヤと一緒だ」
「えっダイヤも東京行くの?」
「ええ、秋葉原の大学に推薦を頂きましたので」
生徒会長とスクールアイドルをやりながら推薦ももらうなんてこの人何者だよ...てか今秋葉原って言った?
「え、秋葉原ってもしかして秋葉大学ですか?」
「そうですけど...」
「俺もその大学受けたんですよ」
まさかつい身近に秋葉大学に行く人がいるとは。高校のクラスメイトにはいなかったのにこんなところで出会えるとは。
「まあ、そうだったのですか。こんな偶然あるのですね」
「まあまだ結果待ちですけど」
「じゃあダイヤと早人は同じ大学かもしれないんだねえ」
受かってたら、の話だけどな。ついつい自分のことで頭がいっぱいだったが、果南達3年生も最後なんだよな。というか1、2年生にとっても3年生と過ごすのは最後だし浦の星で過ごすのも最後か。
「果南は結局どうするか決めたの?」
「私はオーストラリアに行くことにしたよ」
オーストラリアか。確かにダイビングとかそういうの盛んな印象あるな。
「きっと海も綺麗なんだろうな」
「うんうん、早人も夏休み遊びにおいで。案内してあげるよ」
そう言って果南は楽しそうに笑った。そこには別れに対する寂しさや未練などは感じられなかった。
「寂しくはないのか」
「んーまあね、全くないって言ったら嘘になるけど。でも今はそんなこと考えてる暇ないでしょ。まずは優勝しなきゃ」
「そう思えるのは果南の強みだな。ダイヤは?」
「私は...寂しいですわ。学校もなくなってしまいますし」
ダイヤは屋上から見える海を眺める。青い海と青い空。このダイヤにとって見慣れた風景もきっとあと数える程しか見れないのだろう。
「でも。この学校の名前を残すと決めたのです。ラブライブに優勝して。それが私たちのできることです」
その時のダイヤはすごく、カッコよかった。優勝できるといいな、そう言いかけて止める。
「決勝必ず見に行くよ。楽しみにしてる、Aqoursのファンとしてね」
「うむ。期待してて」
「一番のAqoursをご覧になってください」
それから果南とダイヤはみんなの元へ戻っていき練習を再開した。果南の振り付けやフォーメーションの確認を行なっている。これが本番ではどうなるのか。決勝のライブがますます楽しみになった。
夕日が海に姿を隠しあたりも暗くなり始めた頃果南の呼びかけで練習は終了となった。
「じゃあ今日はこれでおしまい。お疲れ様。早人くんもありがとね」
「こちらこそ、お邪魔させてくれてありがとう。みんなの練習見れてよかったよ」
各々荷物を抱えて屋上を後にする。俺はもう一度屋上からの景色を一望した。青い海やみかん畑が一面に広がる。遠くの方には富士山が顔を出している。
「おーい、もう閉めるよ」
「ああ、今行く」
曜に呼びかけられ、慌てて校舎内へと入った。
「景色見てたの?」
彼女たちの最後尾を歩く曜と自然と並ぶ。
「うん、いい景色だなーって思ってさ」
「だよね。私も好き」
名残惜しさを感じ屋上への扉を一瞥してから俺と曜は階段を降りた。
「じゃあ私、鍵返してくるから」
階段を下った所で曜はそう言うと手に持った鍵を見せた。下駄箱へと向かっていく善子たちとは反対の方へ歩いていく。
「私も行くー」
すると千歌は曜を追いかけて行った。俺も何故だか、恐らくこの学校の中に入るのは今回が最初で最後だからか、曜と千歌の後ろをついて行ってしまった。
「俺もいいか、ちょっと学校の中見たいし」
「うん、見てってくれると嬉しいな」
千歌はそう言って嬉しそうに笑った。きっと千歌もこの学校が大好きなんだろうな。この時間に教室にはもう誰もいない。夕日が教室に差し込み机や床を赤く照らしていた。
「教室、入ってみてもいいか?」
千歌と曜はうん、と頷く。ドアを開き中に入る。窓の外をみるとそこには小さな校庭と緑の木々が見えた。これといって何かがあるわけではないが、落ち着いていてすごくいい感じだ。俺に続いて曜と千歌もやってくる。
「こんな静かだと勉強集中できそうだな」
「そーなんだよ、この教室が落ち着くんだ」
「リラックスしすぎて千歌ちゃんよく寝てるけどね」
「もう、それは秘密でしょ!」
ごめんごめんと笑う曜と本気で怒ってるわけでもない千歌。彼女たちが毎日楽しく学校に通っているのが想像できた。
みんなを待たせてはいけないので教室を出て職員室へと鍵を返却しに行った。職員室にはまだ先生が何人かいて俺は怒られるんじゃないかと思ったが特に何も言われなかった。鞠莉って本当に理事長だったのか。それから先生に挨拶をして下駄箱へ向かう。
「ね、やっぱり早人くんって梨子ちゃん好きでしょ」
廊下をゆっくり歩いていると突然曜にそう尋ねられた。俺は答えにつまる。何か言おうとすると俺ではなく千歌が焦って曜の袖を握って止めた。
「ちょ、ちょっと陽ちゃん!
「千歌ちゃんも気になるって言ってたじゃん」
「そうだけど...」
言葉を詰まらせる千歌に代わって曜は俺へと詰め寄る。
「梨子ちゃんすっごくいいだよ。この機会逃したら後悔すると思うなぁ」
「わかってるよ。でも...」
「でも、何?」
「なんでもない」
曜に対して俺は子供っぽい返事しかできなかった。それ以上曜は何も言わず千歌も黙っていた。受験に集中しようとそのことはずっと忘れていたつもりだった。だが受験も終わり時間もできた今はまたそのことを考えてしまう。
「梨子ちゃんと早人くんお似合いだよ。じゃなきゃ私が梨子ちゃん貰っちゃうから」
靴を履き替え外に出る直前、千歌がそうつぶやいた。何か返事をしようと千歌の方を見ると、千歌は走って俺たちを待つ善子たちの方へ駆けて行った。
「お待たせー!」
何事もなかったかのように走る千歌に続いて曜も走る。あんな練習したのにまだ走る体力あるのか。俺も小走りで彼女たちに追いついた。
「鞠莉。今日はありがとうな。本当に来れてよかった」
「そんな改まらないで。いつでもウェルカムよ」
とは言え女子校に何度も来るわけには行かないだろう。俺は機会があれば、と返事を保留にした。皆バスに乗って帰るらしくバス停の前でたむろしている。ふと梨子がこちらを振り向くのが見えた。夕焼けのせいかほんのり赤く頬を染めた彼女はその一瞬を写真で収めたいほど綺麗だった。思わず視線を逸らしてしまう。
「そういえば、千歌たちと何の話をしてたの?」
「まあ色々だよ」
自然と鞠莉からも視線を逸らしてしまう。気まずい。俺の回答が気に入らなかったのか鞠莉は本当に?と疑ったような視線で俺を見つめる。そんな見つけられるとちょっと怖いんだが。逃げ出したい所で運良くバスがやって来るのが見えた。助かった。
「じゃあ俺自転車だから」
そうみんなに告げると彼女たちはそれぞれ挨拶してくれた。俺が自転車に跨ると鞠莉が近づいてきて耳元で囁いた。
「本当の気持ち、言わないと後悔しちゃうよ」
「えっ」
「私はそれで大切な人とすれ違っちゃったから」
大切な人それが誰とは果南やダイヤのことなのか。その話の詳細を聞こうとしたが鞠莉はバスへと颯爽と乗り込んでしまった。じゃあねと手を振る彼女たちを見送り自転車に跨る。バスはどんどん先に進みやがて見えなくなる。俺は少し漕ぐスピードを上げると市街へ向かってまっすぐ進んだ。