沼津で過ごす日も刻々と減っていく。俺の他にも沼津を離れる同級生は多い。そのため思い出作りに同級生たちとたくさん遊んだ。と言っても特別なこともなくただカラオケに行ったり飯行ったりするくらいだが。それでもいい思い出だった。こんな何気ない日常が実は本当に大切だったなんて気づいたのは最近だ。沼津を離れると決まってからそう思うようになった。
今日も同級生とファレミスでお喋りをしていた。閉店時刻になるとすごく迷惑そうな顔をした店員さんから退店するよう言われ、逃げるように出てきた。
友達と別れ、自宅へ向かう。やばいさっきまで馬鹿騒ぎしていたぶん、急に一人になると寂しくなるな。このまま家に帰る気になれなかったため、ちょっと寄り道をすることにした。
コンビニに寄り温かいお茶を買う。3月でもまだまだ夜は寒いな。狩野川の側に行き、お茶を飲んだ。暖かさが全身に染みる。ほっと一息をつく。夜風が顔に当たる。大人になったらお酒飲みながらこの風景眺めたいな。キラキラと光る夜景が川を照らす。東京の夜はこの何倍も明るいのだろうか。だったら寂しさを感じることもないのかな。
家族も友達も俺が大学に受かったことを喜んでくれた。だから、密かに思い悩んでいることを打ち明けることはできなかった。でも今は一人だし。ちょっとくらい弱音吐いてもいいかな。俺は近くの階段に腰掛けて一息つく。
「沼津離れたくないな」
そう呟いたその時だった。
「なにカッコつけてんのよ」
俺のすぐ隣に誰かが腰をかけた。
「うわっ! ってなんだ善子か...」
思わず大きな声を出してしまった。
「なんだって何よ」
俺の反応が気に入らなかったのか、善子はどこか不満そうな顔をしている。突然夜に知らない人が座ってきたら誰だってビビるだろう。
「なんでいるんだよ」
「ちょっと走ってたらたまたま見かけたのよ。早人こそどうしたのよ」
「俺は友達と遊んでて、その帰り」
「ふーん。それでこんなとこにいたのね。たまたま会うなんてこれも運命の巡り合わせかしら」
「いやマンション同じなんだから、そんな偶然でもないだろ」
こんな夜にも体力づくりをしているとは、さすがだな。
「あのーそれより俺の独り言聞こえてた?」
俺は祈るように聞いた。
「沼津離れたくないって話?」
あーあ。善子には聞かれたくなかったのにな。
「聞かれてたのか。恥ずかしいな」
「何よ。何も恥ずかしくないでしょ」
いやいや、最悪だよ。絶対今顔赤い。今が夜なのが不幸中の幸いだ。頼む俺の顔見ないでくれ。
「早人はいつも頑張ってたよね」
「まあ確かに受験は頑張ったけどさ」
「それだけじゃなくて」
俺はつい俯いていた顔を上げて善子の顔を見た。その時の善子の表情はいつものふざけて笑う時の顔じゃなかった。温かく俺を受け入れてくれるようなそんな笑顔だった。
「早人はさ、ずっとずっと私のこと支えてくれたじゃん。私の前ではいつも年上だからってお兄さんでいてくれたでしょ」
「お兄さんって、俺はそんな風には」
「ううん。私知ってる。だってずっと私のこと守ってくれてたじゃない。小さい頃近所の子にいじわるされそうになった時は何してんだーって怒って助けに来てくれたよね」
「そんな昔のこと覚えてないよ」
俺はそっと視線を下に向けた。本当は覚えてる。確か俺が小学校3年生で善子が1年生の時。そんな昔のこと忘れていいのに。
「私は同じクラスの子たちと遊んでて、そしたら男の子が私のことからかって。私何も言い返せなくて泣きそうだったんだけど」
そう。確か俺は善子が近所の公園で遊ぶって言うんで心配で見に行ってしまったんだ。本当は別の公園で同級生と遊ぶ約束だったに俺が無理言って善子のいる公園に行ったんだ。黙って話を聞く俺の横で善子は話を続ける。
「そこで早人が来てくれてそのいじわるしてた子を怒ってくれたんだよね。私その時本当に嬉しかった。私にとって運命の人はいるんだって思った」
運命の人、か。普通だったら恋愛的な方の意味で使うと思うんだけどな。まあ恋愛的な意味じゃなくても、善子のためになれたなら俺は満足だけどさ。
「それからも私が困ったときはいつも声かけてくれたし。よく遊んでくれて、私の話にも合わせてくれて、ずっとずっと早人は私のこと守ってくれたよね」
「そんな、俺は」
俺は否定してしまいそうになり口を閉じる。今はそんな謙遜はかえって失礼になりそうだった。
「あんたの悪い癖ね、自分のしてきたことの凄さに気づけないところ」
「いやすごいって俺は本当に」
本当に凄いことをしていたのか。俺は善子の役に立てたのかな。
それからしばらく沈黙が続いた。昼はこの付近を散歩している人が多いのだが、この時間はもうほとんど人はいない。俺と善子の二人きりだ。東京でもこんな感じでゆっくりできる場所があればな。
しばらく夜の静寂に浸っていると、善子が少し小さな声で俺に問いかけた。
「ねえ、沼津離れるの寂しい?」
そう聞かれて視線を向けると、そこには寂しそうに俺を見つめる1人の女の子が座っていた。大学に合格する前は、受かるかどうかが心配で東京での暮らしに対する不安は考える余裕がなかった。しかしいざ合格が決まり東京に行くことが現実となると不安という気持ちがどんどん大きくなっていった。それを善子には見せまいと隠していた。努めて明るく振る舞おうとしていた。それは俺が年上だからだし、やっぱり好きな人の前ではカッコつけたかったからだ。しかし今、俺を見つめる善子を見てそんなプライドは崩れた。ああ、なんでこんなに可愛いんだよ。カッコつけたかったのに。
「本当は寂しいよ。ずっと一緒だったもんな。離れるって思うと寂しいよ」
「私も。寂しい」
そう言った善子の顔はとても ーこんな表現が適切かどうかはわからないがー 可愛くて、女の子らしかった。
そんな可愛い善子の顔を見ていたら、自然と今までの思い出が走馬灯のように自分の頭の中を流れた。
小さい頃、母に紹介され隣の部屋の善子と知り合った。一緒に公園に行ったりお互いの家に行ったりして遊んだ。小さい子同士なんだし、喧嘩をすることもあったけど、それでもすぐに仲直りをした。小学生になると、お互いに同性の同級生と遊ぶことも増えたため、以前に比べたら遊ぶことが減った。それでも変わらず定期的に会って遊んでいた。多分、俺が高学年になったときだと思う。善子のことを可愛いと思い始めたのは。それから中学生になっても、変わらず遊んでいた。高校生になってもそれは変わらなかった。これまでの沼津での生活はずっと善子と一緒だったんだ。
「ちょっと、何泣いてんのよ」
「え」
あ、俺今泣いてるんだ。目の奥から込み上げるものを止められなかった。頰を涙が伝うのがわかる。俺、今泣いてんだ。
「うわ、マジか」
手で涙を拭う。ああ、やばいかも。
「泣いちゃいなさいよ」
寒さの中、温かい腕が俺の体を包むのを感じた。気づいたら善子の優しい腕が俺を抱きしめていた。
「は、そんなかっこ悪いこと」
「私は早人のかっこいいところたくさん見てきたんだから。ちょっと泣いたって早人がかっこいいことは変わらないわよ」
そう語りかけられた時、俺の内側から湧き出る感情が溢れ出した。俺は必死に声を出さないように、歯を食いしめた。口を強く閉じるほど、その分目から熱いものが溢れ出た。まだまだ寒さの残る3月の狩野川沿いで、俺は幼なじみの、好きな女の子の腕の中で泣いた。寂しいという気持ちを表現することができた。
「私だって寂しいわよ。ずっと一緒だった大切な人が遠くに行っちゃうんだもん」
ふと善子を見ると、彼女もまた泣いていた。あぁ、お互いに寂しかったんだな。3月の夜はまだ少し肌寒かった。