大学生活にもある程度慣れてきた6月のある金曜日。Aqoursのライブを見に沼津へ行く日の前日。今日は塾でいつものように授業をした後、三者面談があった。俺と、担当生徒の山岸さん、そして山岸さんのお母様だ。小学校、中学、高校で3者面談を生徒側として受けていたけど、先生側ってこんなに緊張するんだな... 俺は普段の山岸さんの成績や頑張りについてお母様に説明した。入塾したばかりのことは宿題をやってこないこともあったものの、最近では毎度やってきてくれる。質問もよくしてくれるし、山岸さんは頑張っている。最近彼女は変わってきている。山岸さんのお母さんは俺の話を聞いててから満足そうに語り出した。もちろん、初めの頃宿題をやって来なかったってことは黙っておいた。
「由花はずっと勉強嫌いで困ってたんですけど、最近は塾から楽しそうに帰ってくるんです。この前なんか川田先生なら頑張れそうって言ってて」
側で話を聞いていた山岸さんはすごく恥ずかしそうだ。俺もちょっと照れてる。ちなみに由花は山岸さんの下の名前だ。
「そう仰っていただいてとても嬉しいです。私も山岸さんから質問をもらって学ばせていただくことも多いです。私は高校生の頃、勉強をさぼっていた時期もあるのであまり人のことを言えたものではないのですが、少しでも山岸さんが頑張れるように、お手伝いをしていきます」
「そういうところが由花は安心できるみたいです。先生も勉強一筋じゃなかったから、由花の気持ちわかってくれるみたいで」
そうか、あの時の経験があるからこそ山岸さんに寄り添えているんだ。二人の女の子との会話を思い出した。一人は花丸ちゃん。花丸ちゃんが自分に自信が持てないと悩んでいた時、「そのままの花丸ちゃんでいいんだよ」と励ました気がする。自信のない子が一生懸命頑張っている姿に背中を押されると俺は感じたからだ。で、二人目は果南。あの時、果南が沼津を旅立つ日に、果南から「早人だから背中を押せる人がいる」って言われた。今、俺は俺だからこそ山岸さんの力になれているのかもしれない。
「恐れ入ります。山岸さんは、最近は授業はどうかな?」
「正直、まだやりたいこととか、ないです。勉強もそんな好きってわけじゃないですけど、解ける問題が増えて勉強嫌だなって気持ちは減りました」
それを聞けて、俺はほっとそた。まだやりたいことも決まってなくても、今やるべきことが見つかったなら、それだけでも随分と気持ちは楽になるはずだ。俺だって受験生の時、将来やりたいことが決まっていたわけじゃないし今でも同じだ。でも、この大学に行ってみたいと思えてそこに行くために勉強を始めた時はフワフワしていた気持ちが落ち着いた。だから、山岸さんも少しずつ前に進んでいる感覚を持てたなら、よかった。この日の三者面談が終わった後、塾を後にする山岸さんの後ろ姿はちょっとだけ、前よりも大きく、頼もしく見えた。
翌日の土曜日。俺は沼津へ向かうため東京駅から新幹線に乗り込んだ。特に夏休みシーズンでもないため比較的車内は空いていた。座席に座るとパソコンを立ち上げる。アルバイト先の塾長から、受験生が息抜きに読めるような記事を書いてほしいと言われ、ちょっとしたブログみたいなのを書くことになったのだ。うちの塾では毎月、先生たちが輪番で記事を書いているのだが、今月は俺の担当になったのだ。先生によっては受験と全く関係ないことを書いている人もいるんだけど、それはそれで受験生の息抜きになるならいいのでは、と許されているようだ。なんでもいいよと言われたもののせっかくだし、受験生を励ます文を書こうと、キーボードを打っていている。一応最後まで書けたし、改めて読み直そうと初めから文章を読み直した。
『受験と登山
こんにちは。今日も勉強お疲れ様です。講師の川田です。
皆さん、志望校はもう決まりましたか? まだの方もいるかと思いますが、人それぞれ目標や行きたい大学は違うと思います。
僕が受験生の時は、高3の夏まで、志望校が決まらず、ずっと勉強をサボっていました。正直やりたいこと決まっておらず迷っていましたが、ある部活を頑張っている友人を見て自分も何か頑張ってみようと思えるようになりました。そうして少しずつ、具体的な目標はないまま勉強をしました。志望校を決めたきっかけは、オープンキャンパスです。明確に将来の夢が決まった訳ではなかったのですが、オープンキャンパスに行った時、その大学の大きな建物、たくさんの学生、体験授業の面白さに引き込まれました。
今はどこへ向かっているのかわからなくても、とりあえず今やりたいと思った道に進むのも一つの手かと思います。
目的がはっきりと定まっていなくても、どんな道にもそれぞれの道があります。なんとなくかっこいいから行きたいとか、授業が面白そうだから行きたいみたいな理由でもいいと思います。
だから、他の人と比べる必要もありません。どんなに高い目標を持っている人も、曖昧な目標を持っている人も、それぞれの道を歩めばいいんだと思います。
先日大学のサークルで高尾山に登りました。道中はお団子やアイスクリームを売っている店や、神社などがあり楽しかったです。高尾山は初心者向きの山と言われています。高尾山よりも高く険しい山はあります。でも、高尾山には高尾山の良さがあるのです。富士山やエベレストにはない高尾山の良さがあるんです。
だから、自分の志望校を誇りに思ってください。どんな理由でその学校を選んでも、卑下する必要はありません。他人の目標と自分の目標を比べる必要もないのです。皆さんは皆さんの受験という道を歩いてください。
来年の春に桜が咲くことを祈っています!』
改めて見返すとちょっと恥ずかしい。書いている時は夢中で書いていたけど、これ生徒たちが読むんだよなぁ。でも自分の伝えたいことは事実だし、これで一人でも生徒が勇気づけられれは、満足だ。
それにしても。最後の締めの一文だけが、気になる。
来年の春に桜が咲くことを祈っています!
これだと、合格しさえすればという響きがある、ように見えた。もちろん志望校に受かってほしいが、受かるだけが全てじゃない。
彼女たちのことを思い出す。思い出すと言っても、思い出さない日はない。こっちにきてから毎日曲を聴いている。塾のバイトで思うように授業ができず悩んでいる時、大学の課題に追われている時、Aqoursの曲を聴くといつも励まされるんだ。
彼女たちは、結局は学校を存続させることはできなかった。でも、最終的な目的は達成できなくても、彼女たちの進んだ道は輝いていたと思う。だから、ブログを合格祈願で締めることにちょっとだけ抵抗があった。例え受験に失敗したって、それから何か見つかるはずなんだ。
俺は最後の一文を消した。
パソコンをパタンと閉じ、窓の外を眺める。東京の街をとっくに通り過ぎ、海が見えてきた。新幹線だと沼津まで1時間くらいなんだけどなあ。でも大学生には交通費が痛すぎる。さすがに頻繁に帰るのも難しいのだが、こうやってたまに帰ってくるからこそ見える景色もあるのだろう。一度沼津を離れてから海を見ると新鮮に見える。ああ、海っていいな。三島駅に到着すると、新幹線を降り、在来線に乗り換える。三島から沼津はすぐだ。おお、この空いている車内を見るだけで帰ってきたって感じがするな。東京の電車ってすごく混んでるから、いつもより電車が広く見える。沼津駅に近づくと、車窓から見える景色を見てなんだか気持ちが落ち着く。たった2ヶ月ぶりに帰って来ただけなのに、沼津で過ごした思い出がぶわーっと蘇る。やっぱり俺はこの街が好きだ。
沼津駅に到着し、電車を降りる。ホームから長い駅内を歩く。早く彼女たちに会いたくて自然と足早になる。俺は彼女たちから大切なことを学んだ。どこに向かっているのかわからなくても、前を向いて一歩踏み出せばきっとその道は間違いじゃない。どんな結果になるのかわからないし、期待どおりの結果がやってこないかもしれない。今が最高の気分じゃなくても、いいんだ。もしかしたら今は最悪な気分かもしれないし、時には進んだ道を後退することもあるだろう。進んでいる実感がない時もあるかもしれない。でも大丈夫。一歩踏み出せば、必ずその分だけ進んでいる。そしてその歩んだ道は、他の誰でもない自分だけの道になってるから。だから、たった一歩でもいいから踏み出せばいいんだ。道は必ず続いてる。
改札前に来ると、すぐに可愛い堕天使と桜のような美しい少女が見えた。
「善子、梨子」
名前を呼びかけると、彼女たちは明るく笑顔を向け「おかえり」と暖かく迎えてくれた。改札を抜け、「ただいま」と返す。俺の道はまだまだ続いていくし、この先どこに向かうのかわからない。でも、今確実に言えることは、きっといつかこの歩んだ道を振り返った時、その道は堕ちた桜の花がいっぱい敷き詰められて、輝いているはずだ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
感想いただけると幸いです。
この作品は2018年ごろに途中まで連載していたのですが、続きが思い浮かばずに消してしまったものです。2024年の春頃にまた書こうと思い続きを書いたものの、これも途中までで止まってしました。ですが今年2025年になり、Aqoursのフィナーレライブがそろそろやるので、せっかくだしこの作品を完結させよう!と思い、一念発起して書き終えました。少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。