「お待たせ。待たせちゃってごめんね」
「いや全然待ってないよ」
沼津駅の前で携帯をいじっていると、桜色のワンピースを着た少女がやってきた。結局、梨子と遊びに行くことになった。善子からあんな相談をされたわけだし普通なら断るべきだった。でも断われなかった。本当は行きたいと思ってしまった。この日は特に行く場所は決めておらず沼津駅の周辺をぶらぶらすることになっていた。
「梨子はどっか行きたいところあるの?」
「この辺ちゃんと見たことないし早人くんのお勧めの場所に行きたいな」
「東京に比べたら大したものないと思うけど」
東京から来た人でも楽しんでくれそうな場所はどこだろうか。俺は少し考えて一番初めに頭に浮かんだ場所を案内することにした。伊豆半島を流れる狩野川。沼津市内ではうちの近くを流れている。2人でゆったりと川の辺りを歩く。てかこここの前告白されたところだったわ。まああの時はじっくり歩くこともできなかったしちょうどいいか。真夏の太陽は俺たちを容赦なく照らし続けていて歩くだけでも汗が背中を伝うのを感じた。
「早人くんはこの辺よく散歩するの?」
「うん。この辺歩くと癒されるんだ」
不意に梨子に顔を覗き込まれ思わずたじろいでしまう。今まで梨子と会う時はいつも善子を入れて3人で遊んでいた。その時は特に何も思わなかったのだが改めて見てみると梨子は美少女だ。クラスでも Aqoursのファンはいるし梨子を可愛いと言う人もいる。見れば見るほどこんな綺麗な女の子と2人で歩いていることが不思議だ。
「早人くんの好きな場所に来られてよかった」
梨子はそういうと楽しそうに川沿いを歩く。いくらお気に入りの場所とは言え、ただ普通の川を歩いているだけだ。なのにこんなにも喜んでくれているなんてむしろ申し訳ない気持ちになった。
「こんなんでいいのか」
不安になって梨子に聞いてみる。
「うん、早人くんと一緒にいられればなんでも嬉しいよ」
これでよかったのだろうか。本人が喜んでくれているのならいいのかもしれない。
それから俺たちは駅前の商業施設に来ていた。そこにはレストランやゲームセンターなんかもあって休日には学生や家族連れでいつも賑わっている。そこのファミリーレストランで食事をすることになった。
「こんなことでいいのか。東京にはもっとおしゃれなお店とかあるんじゃないのか」
「私は早人くんとお出かけするだけで嬉しいから。それに沼津の街好きよ。東京とは違った良さがあるし」
「どんなところが?」
「うーん、東京より落ち着いてるし、どこにいてもゆっくりできるところかなあ」
東京には何度か出かけたことはある。しかし少し歩くだけでどこにでもお店があるし娯楽施設もそこら中に充実している。こんなに楽しい場所があるのかと何度来ても感心させられたものだ。
「俺にとっては東京の方が魅力的だけどなあ。なんでもあるし退屈しないだろ。将来は東京に住みたいよ」
「確かに東京は便利だし、いいところもあるよね」
俺は東京に憧れがずっとある。仲良くしてくれていた部活の先輩も大学進学で東京に行ってしまった。やはり進学や就職で沼津を離れる人は少なくない。地元を離れるのは寂しいけど、いつかは東京に行ってみたい。高校生になってからそんなふうに考えることが多くなった。
「そういえば早人くんは忙しくないの? 受験勉強もあるのに、ごめんね急に呼び出しちゃって」
「全然。どうせ暇だったし」
この時、俺は胸に異物がつっかえたような気持ちになった。それを取り除きたくてモヤモヤしてしまった。でもそんなこともできず、ただ何も気にしていないぞと言うフリを続けた。
食事中はずっと他愛もないことを話していたと思う。学校のことや、梨子の東京での話などが聞けて楽しかった。本当に大した話じゃないんだけど、友達と話す時って大体こんな感じだよな。食事が終わった後はバスに乗って港へ向かった。ここはスイーツのお店や、海鮮料理のお店が多く並んでいる。結構若い人や家族連れも来ている。そこで有名なプリンを食べた。深海をイメージしたゼリーが乗ったプリンだ。こうやって女の子と一緒にスイーツ食べてると、周りからはカップルっておもわれてるのかな。確実にあの時告白されてから梨子のことを意識しまっている。善子の気持ちを思えばこんなことはしている場合ではないのに。俺は幼なじみ失格だ。
夕方になって梨子が帰る時間となった。明日もAqoursの練習があるし家も遠いため早めに帰るそうだ。俺は遠慮する梨子を押し切って帰りのバスについてきた。梨子の住む内浦の方までは結構お金がかかるのだ。高校生には痛い出費だが女の子をこんなところまで1人で帰らせるわけにはいかない。結局梨子も俺の押しに負けて同行を許可してくれた。一番後ろの席に2人で腰掛けバスに揺られる。
「私ここの海が好きなんだ」
梨子は俺に気を使っているのかやたらと沼津の街の雰囲気を褒めてくれる。別に褒めたった何も出せないけどな。ぼんやりと駿河湾を眺めながらバスの揺れに身を任せる。確かに海は綺麗だし好きだけど。それからしばらく沈黙が流れた。いつもは善子もいるしあいつが何か騒いでいるから無言になることもない。しかし今は梨子と2人だけでちょっとだけ気まずかった。沈みかけた夕日が海の表面に差し掛かり広大な紺碧を赤く染め上げる。バスが淡島を過ぎた頃に梨子が思い口をゆっくりと開いた。
「この前の話なんだけどさ」
視線を海から梨子に戻す。梨子の頬は窓から見える駿河湾のように赤く染まっていた。膝と膝が触れ合う距離に梨子が座っている。そんな至近距離から彼女の美しい顔を見ると心臓がドクンとはねた。
「返事はやっぱり聞かせてほしいな。急がなくていいからいつか聞きたいです」
そういって梨子は少し視線を逸らした。夕方のバスの中には学校帰りの学生や仕事帰りの社会人でごった返している。この状況を見たものなら誰もが羨む立場にいるのだろう。こんな状況にいて返事に悩むものなどほとんどいないだろう。
「それとね今月の夏祭りに、Aqoursでライブすることになったの。早人くんに見にきてくれると嬉しいな」
「わかった。見にいくよ」
結局仲良くお出かけして次にライブに行く約束までしてしまった。何を楽しんでるんだろう。そうこうしているうちに梨子の家までついて行ってしまった。帰りのバスが来るまでで家に寄って行かないかと呼ばれてしまったが流石に断った。親にでも見つかったら気まずいどころの騒ぎじゃないからな。
梨子と別れた後、バスが来るまで近くの海岸で時間を潰していた。じっとしているのこともできないのでひたすら海岸を行ったり来たり歩く。今度も返事をせず保留にしてしまった。俺はどこまでもクズなのだろうか。答えを出さなくてはいけないのに。
近くにカフェがあるが今日はお休みみたいだ。特にここでやることもない。ただ海辺を行ったり来たりするのもすぐに飽きてしまい海辺に座り込む。海を眺めていると自分の悩みが小さく感じると言う言葉を聞いたことがある。だが今の俺はただ海を眺めても頭の中を同じ悩みがぐるぐると回っていた。
「おーい! 早人くーん!」
はあとため息をついたとき、背後から元気で明るい声が聞こえて振り向いた。そこには蜜柑色の髪色をしたAqoursのリーダー、高海千歌が手を振って立っていた。俺が手を振り返すと彼女は走ってこちらにやってくる。
「千歌か。練習?」
「えへへー。ランニングしようかなってね。そしたら早人くんいたから来ちゃった」
そう言って千歌は俺の隣に腰掛けた。バスはまだやってこない。ちょうど良い機会なのでずっと気になっていたことを聞いてみることにする。
「千歌はさ、なんでスクールアイドル始めようと思ったの?」
今のAqoursは千歌が発起人となって始まったのだ。自分とほとんど歳の変わらない彼女はなぜこうもエネルギーがあって行動に移すことができるのかずっと知りたかった。高校3年生にもなって進路も決まらずに悩んでいる自分とは対照的だ。千歌はスクールアイドルを始めた経緯について教えてくれた。
「私ね普通なの」
アイドルを始める奴は普通じゃないと思うのだが、突っ込みたくなる気持ちを我慢して話を聞く。
「水泳が得意な曜ちゃんと違って私ってずっと普通だなって。ずっとモヤモヤしてなの。でね秋葉で偶然μ’sに出会ったんだ。これだ! って思った。私と同じ普通の高校生があんなすごいことやってるのに憧れたんだ。私もμ’sみたいになりたいっておもったの」
「普通、ね。それでμ’sみたいになれたの?」
「まだまだだよ。μ’sと私たちの何が違うのか今でもよくわからない」
そう言って千歌は海の彼方を眺めていた。μ’sは伝説のスクールアイドルと呼ばれているらしい。μ’sとAqoursの違い。それは俺にもさっぱりわからない。それでもAqoursは十分にすごいグループだと思うんだけどな。一個下のはずの千歌は俺よりも随分と大人に見えてかっこよかった。千歌が普通だったら俺はなんなんだよ。普通以下じゃないか。メンバーを集めて、作詞もやって。すごいな、と思う気持ちとともに少しだけ彼女のことが恐ろしくも見えてしまった。千歌は何かを考えるように海を見ていた。その先を見つめる瞳には何が映っているのか。
そう言えば。曜が言ってたが、千歌は梨子の告白の件を知ってるんだったよな。ついでに疑問に思ってたことを聞いてみることにした。
「梨子のことなんだけど」
「おお! 梨子ちゃんのことなら何でも聞いて! なんでも答えちゃうよ!」
あんなことやこんなことってどんなことだよ。梨子のプライバシーはどこへ行ったんだ。
「俺が聞きたいのはー」
そこまで言葉が出るがその先に詰まってしまう。
「なにー? 何でもいいんだよ」
好奇心に満ちた子どもみたいに俺の顔を覗き込む千歌。くっ恥ずかしいが白状するしかない。
「梨子は俺のどこを好きになってくれたのかなって」
「なーんだ。そんなことか」
千歌は少し呆れたように小さく笑った。
「そんなことって俺結構気にしてるんだぞ。作曲もできてピアノも上手くてアイドルもやってる梨子が、何で俺みたいな普通の人を」
「早人くんは普通じゃないよ」
「普通だよ。特技も何もないし」
「ううん。普通じゃないよ。少なくとも梨子ちゃんにとっては特別だから」
「特別ってどんな」
「それは私からは言えないよ」
その時の千歌の表情はさっきまでと違い、笑顔のない真剣な眼差しだった。
そんな話をしていると帰りのバスがやってきて千歌とはお別れした。バスに揺られて1人窓から見える景色を眺める。行きと違って帰りの景色は随分と暗くなっていた。暗く広がる海はまた一段と闇を飲み込んでいるように見えた。その闇を見て吸い込まれるような感覚に陥った。今頃あの堕天使は何をしているんだろうと、そんな疑問が不意に頭に浮かんだ。
そういえば千歌も普通にタメ口だったな...いいんだけどね? 一応年上だからさ気になtちゃってさ、いや別に全然気にしてないけどね?