今にも堕ちてきそうな桜の木の下で   作:航貴

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4話 普通

『今暇?』

 

 善子からメールだ。学校から帰り部屋でぼうっとしてると、短い件名とともに地図が送られてきた。駅前の商店街にある喫茶店の地図だ。本文には何も書かれていない。要するに暇なら来てくれってことだろう。もちろんやることもなく暇をしていたので目的の喫茶店に向かう。店内に入ると奥の方にお団子頭が見えた。手前の席には誰か座ってるな。

 

「善子、来たぞ」

 

 そう声を掛けると、手前に座っていたその連れの人は、綺麗なストレートの髪をなびかせてこちらを振り返った、桜内梨子だった。梨子は俺を見ると緊張した様子で小さく手を振る。その姿を見てかわいいと思ってしまった。 

 

 これはどちらの席に座るべきだろうか。普通に考えたら幼馴染の善子の隣に腰掛けるのが無難だ。だが彼女は今奥の席に座っている。この状況なら手前にいる梨子の隣が普通だろうな。

 

「何突っ立ってるのよ。座りなさいよ」

 

 善子にそう言われ俺は反射的に梨子の隣に座る。急に座れと言われれば普通一番近い席に座るだろう。うわ梨子の隣っていい匂いするな。

 

「何の話してたんだ?」

 

「お祭りの話してたのよ。今度Aqoursのライブするじゃない? でもライブは1日目だけだから2日目一緒に行かない? って話をしたのよ」

 

 なるほど。こいつ。梨子と一緒に行きたいんだな。かわいいやつめ。善子は続けて話す。

 

「それでねせっかくだし浴衣で行こうってことになったのよ。梨子持ってないみたいだしお店に観に行こうかなって」

 

 梨子はこちらに視線を合わせずにコーヒーを飲んでいる。まあ気まずいよなあ。俺もちょっと気まずい。

 

「いいんじゃねえの。行こうぜ」

 

 このままずっと机を囲んで3人でいるのも耐えられないため早めに店を出るよう提案し、浴衣の店へ向かう。店に入ると色とりどりの浴衣が目に飛びこんでくる。

 

「これとかいいんじゃない?」

 

 善子は浴衣を次々と手に取ると梨子に当てがって楽しんでいるようだ。梨子も嬉しそうにしていてその二人を見ると癒される。ちょっと子どもっぽい善子(もちろんそこが可愛いんだけど)と大人びている梨子はバランスがいいなと思った。ここだけ見るとどこにでもいる普通の仲良しに見えるんだけどな。気に入ったものを選んだそうで、梨子は試着室に入っていく。

 

「早人くん、どうかな?」

 

 薄いピンク色の生地に花柄の模様の入った浴衣を着た梨子が試着室から出てきた。良くにあってる。名前に桜と入っている通り、まるで桜のような美しさだった。

 

「どう? 私が選んだのよ」

 

 隣の堕天使はまるで自分のように自慢げだ。俺は思ったことを言った。

 

「似合ってる。可愛いよ」

 

「...ありがとう」

 

「早人もそう思うわよね!?」

 

 梨子は小さい声ではにかんだ。そんな照れ臭そうにされると俺まで恥ずかしくなってくる。大勢の人が集まる夏祭りでは彼女の美しさは目立つだろうな。ああ、なんてダメなやつだ俺。梨子のことすっげえかわいいって思っちゃった。あんな美人で褒められるとわかりやすく照れるなんてよ。夏祭りか。帰宅後、カレンダーの夏祭りの日に赤ペンで丸く印をつけた。

 

 

 夏休みが始まった。学生で夏休みを歓迎しないものはいないだろう。もちろん俺も大歓喜に沸いている人間の1人。宿題は後でやるとして、朝から晩までゲームし放題である。夏休み3日目の午後。流石にゲームが好きとは言え丸一日ゲームをしていると飽きる。というかこれでも高3な俺は勉強しなければいけない。かと言って勉強する気も起きない。行きたい学校もなく進路は未だ決まらずにいた。モヤモヤした気持ちを吹っ切りたいのと凝り固まった体をほぐすのを兼ねてサイクリングに出ることにした。気分転換に自転車に跨り、沼津市内を駆け抜ける。太陽光線が容赦なく照らしつける中、汗が背中を滴るのを感じる。駅周辺の商店街の横を通り抜けしばらく南へ走ると右手に海が見えてくる。俺はこの海を見るのが好きだ。気晴らしには最高だ。海のある街に生まれてよかったぜ。潮風に吹かれながら道路をひたすら走り抜ける。この時間だけは考えてたモヤモヤを振り払うことができる気がした。しばらく走り西浦のあたりに入る。最近できたというカフェを見つけ寄ってみることにした。みかんジュースを購入しベンチに座る。富士山と海を同時に眺めながらジュースを飲む。うますぎる。運動して汗をかいた分冷たいジュースが気持ちいい。お気に入りの場所見つけちゃった。

 

「あれ、早人くん?」

 

 ランニングウェアを纏って走る女の子が俺の前で止まった。松浦果南。確か俺と同じ3年生だ。何度か喋ったのことがある程度であまり関わりはない。

 

「今日は一人?」

 

「うん。勉強の気晴らしにちょっとサイクリングを。松浦さんは自主練的な?」

 

 もちろん勉強なんて嘘。本当はゲームしかしてないけど、同じ3年生の前で本当のことを言うのは気が引けた。

 

「果南でいいよ。自主練ってより私も気晴らしかな。じっとしてるの苦手だし、体力つけたいから」

 

 松浦さんー改め果南は同じみかんジュースを買うと俺の隣に座った。

 

「これ美味しいね。よく来るの?」

 

「いや今日が初めて」

 

 2人でぼーっと富士山と海を眺める。贅沢な時間だ。特に話すこともなく静かな時間が流れる。先に沈黙を破ったのは果南だった。

 

「勉強って受験勉強?」

 

「うん。大学のね。果南は進路はもう決まってるの?」

 

 全く勉強していないことをバレるのが怖くて、話題を果南に向ける。

 

「私はダイビングの資格取りに海外行こうかなって。そのために色々準備することもあるんだけどね」

 

「海外!? すげえなどこ行くの」

 

「まだ決まってないけど、オーストラリアとかハワイがいいかなって。英語苦手だけど夢のために勉強してる。早人くんはどこの大学行きたいの?」

 

 志望校どころかまともに勉強もしていないことを指摘されたような気がして耳が痛い。

 

「まだ特に決まってないな。悩み中」

 

「そっか。まあ進路って悩むもんだよね」

 

 ぼんやりとしている俺と比べ果南はさっぱりしている雰囲気がある。あの青い海のように透き通った感じがした。

 

「果南は悩まなかったの?」

 

「私はうちがダイビングショップやってるから。物心ついた時から父さんの仕事見てて、気づいた時には夢は決まってたな」

 

「そうなのか」

 

「うん。ずっとダイビングやってて他の選択肢を考えたことがないんだ。だから悩むこともなかった。ごめんね、早人くんは今大変なのに人ごとみたいに言っちゃって」

 

「いやいや、ずっと一つのことを続けられるのってすごいし。それにスクールアイドルもやりながら留学の準備なんて、誰にでもできることじゃないよ」

 

 とても同い年には思えなかった。仮に自分の夢が決まったからと言ってここまでストイックになれる自信はない。俺なんてゲームのやりすぎて疲れて外出ただけだ。それに比べて果南は将来にやりたいことも、今やりたいことも明確でそれを実際にやっている。自分が情けなく思えてくる。

 

「留学の準備と部活、両方やるの大変じゃない?」

 

「大変だけど、でも楽しいよ」

 

「そうか」

 

「目の前のことをやる。先のことはまだわからないから、小さいことから始めるのが大事だと思う。小さいことでもやっていればいつかは大きくなると思うよ」

 

「小さいこと?」

 

「私だって初めはただ父さんの真似したいって気持ちだけでダイビングを始めたけど、今では夢になった。初めから仕事にしようなんて思ってなかったよ」

 

 果南は残りのジュースを一気に飲み干すと席を立った。

 

「じゃあ私行くね。またね」

 

 果南はまるで今日初めて走るかの如きスピードで走り去って行った。逞しい彼女の背中はみるみるうちに小さくなっていく。あの短時間の休憩で全回復するなんて何者なんだ...

 

 果南より少し遅れてジュースを飲み終えた俺は自転車に跨り元来た道を戻った。俺の今できることは何だろうと考えながら走った。家に着くとゲームの続きをやる予定を急遽キャンセルし数学の問題集を開いていた。数学苦手なんだよなあ。数字見てるだけで頭痛くなってくるし。でもこのままいつもみたいゲームをするのも気が引けた。目の前の小さなことをやる。果南の言葉が頭から離れなかった。なんというか、果南の言葉がちょうど迷っていた俺にとっては、迷いから救ってくれる光に見えたんだ。まるでずっと暗いトンネルを歩いていた時に一筋の光が見えた気分だった。とりあえず、難しい問題は後回しにして簡単な問題から解くことにした。

 

 

 

 

 

 予想以上に一つの問題に時間がかかったものの、何問か解き終えることができた。こんなたかが数問解いたところで、飛躍的に成績が上がるわけでもないが自分に力で解き終えたことで達成感で胸がいっぱいだった。今まで何もせずにダラダラしてた分、少し勉強しただけで気分がよかった。今日果南と話して、少しだけ自分のやるべきことが見えた気がする。

 

 

 それから勉強を少しずつやる夏休みが始まった。もちろん休憩にゲームを挟みながら。行きたい大学が決まったとか、そんなことはない。でもただなんとなくこのまま何もせずに過ごすことが嫌だった。小さいことでもいいからやってみようって思った。もちろん世間で想像される受験生ほど勉強はしてない。でも今の目標も何もない俺にとってはそれだけでも十分だった。そんな感じで勉強を続けているとあっという間にAqoursの登壇する夏祭りの日となった。夏祭り1日目。この日はAqoursのステージということで多くの観客が押し寄せていた。俺は昼過ぎから会場に向かいなんとか席を確保することに成功した。ちなみ今日の曲の内容は知らされていない。善子に聞いてみたのだが内緒ということで教えてくれなかった。まだかまだかと待ち侘びながら焼きそばを頬張っていると、会場にアナウンスが響き渡った。

 

『お待たせいたしましたー! 本日のメインイベント。浦の星女学院スクールアイドル部 Aqoursによるステージです!!」

 

 観客席からおおっと歓声があがる。近年のスクールアイドル人気は凄まじいらしく席の後ろにも立ち見の観客が大勢いた。ステージを見るとそこには着物をアレンジしたような衣装を着た9人の少女たちが並んでいた。善子は...いた! 白と水色を基調とした衣装だ。普段と違う装いをしている女の子って本当に可愛いよな。まあ善子は普段から可愛いけど。

 

 和楽器のような音と共に静かにステージは始まった。激しい曲ではなく夏祭りにぴったりなゆったりとした曲だ。狩野川から打ち上がる美しい花火を背景にAqoursのパフォーマンスは行われる。

 

 

 

 

 ふとずっと目を逸らしていた彼女に目がいった。桜色の衣装を身にまとい、花の形をした飾りを頭につけている彼女に。彼女は俺にキモチを伝えてくれた。東京からやってきて、作曲もピアノもできる、誰もが振り返る桜のような美しさを兼ね備えた女の子。そんな完璧な女の子、桜内梨子には俺はきっと----

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パフォーマンスは大盛況で幕を閉じた。曲が終わると観客は拍手喝采で大騒ぎだ。もちろん俺も。というか若干泣きそうになった。このライブを見て、やっと決心がついた。自分のどうなるかなんてわからないけど、自分のやるべきことははっきりとした。

 

 翌朝、俺はバスに乗り内浦方面へ向かっていた。高校生のお小遣いには手痛い出費を払い、目的の場所へ向かう。浜辺に座って海を眺めていると背後から足音が聞こえてきた。

 

「お待たせ。ごめんねわざわざこっちまで来てもらって」

 

「いや、こちらこそ急に呼び出して悪い」

 

 現れた梨子はやはり可愛かった。昨日のあのステージに立って多くの観客を沸かせていたまさにその本人が目の前に立っているんだ。昨日のことが夢のように感じられる。昨日の曲を思い浮かべる。

 

 

 

 人の気持ちは時に人を傷つけてしまうこともある。それでもこの気持ちは伝えなければいけない。

 

 俺にキモチを打ち明けてくれた、大切な幼馴染のことを見捨てることなんて出来ない。俺は善子の幼馴染として、ヨハネのリトルデーモンとしてできることをしたい。

 

「梨子。この前の返事を言いに来た」

 

「...うん」

 

 梨子はさっきまでの照れ臭そうな表情から一気に硬直した表情へ変えた。

 

「ごめん。梨子とは付き合えない」

 

 そう俺が告げると、彼女は手で顔を覆い隠しながら涙を流した。桜の花びらは春風に吹かれて地に落ちても依然として美しいように、梨子は泣いた顔も綺麗だな、と思ってしまった。

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