『悪い。今日のお祭り行けなくなった。梨子と二人で行ってくれ』
善子にメールを送ると携帯の電源を切り、代わりに日本史の教科書を開いた。今までの授業をまともに聞いていなった分、過去を取り戻すように教科書の用語を暗記する。暗記なんてもともと得意じゃないけど、こればっかりは時間をかけてやるしかない。大事な部分はノートにまとめ教科書を読み進める。途中で眠くなったときのためにコーヒーを飲みながら続けた。暗記するだけの勝負だと思っていたが、以外と理解も大事そうだ。内容を理解できないと暗記もできない。わからない部分もノートにまとめ今度先生に聞くことにしよう。夏休みはまだ始まったばかり。失った時間は戻ってこない分、今からでもやれることをやるんだ。
「目の前のことを、やるんだ」
あの日、果南に言われたことを思い出して自分を奮い立たせた。正直志望校も決まってない。何をしたいのか。自分が何になりたいのかもわからない。俺と同世代のAqoursがあんなに頑張っているのを見て、俺は何もしていない自分が恥ずかしく思えてきた。でも何をしたらいいのかわからない。だったら目の前のことを今はやるだけだ。今俺にできることは勉強することだ。ついさっき俺は梨子を振った。彼女はそのせいで涙を流してしまった。俺は彼女を傷つけたんだ。だが俺に何かしてあげらることもない。梨子には俺のことは忘れて幸せになってほしい。だからずるいだろうけど、俺も梨子を忘れさせてほしい。あのとき二人でデートをしたことや善子も入れて三人で遊んだ経験は間違いなく俺にとっての輝かしい思い出だ。でもその思い出にはそっと蓋をして今は勉強に逃げさせてほしい。祭りの準備で騒々しい外を窓から横目に見ながら、教科書に描かれた歴史の世界に意識を向けた。
「あんた善子ちゃんとお祭り行かないの?」
夕飯の時間。母と父の三人で食卓を囲っていると不意に母からそう尋ねられた。
「部活の友達行くんだってよ」
「あら、振られたのね」
「はいはい、振られましたよーだ」
振られた(ことになっている)俺をなじる母に対し父は何も言わずに味噌汁をかき込んでいる。男同士やはり俺の気持ちわかってくれるのか。と軽く感動した。ま、振られてねえけど。
夕飯を食い終わった俺は再び自室に戻り勉強していた。今度は大嫌いな数学だ。できる問題からやろうと言うことでやっているものの、簡単な問題でも時間がかかってしまう。うーんどうするべきか。ひたすら問題を解けばできるようになるのかそれともやり方が悪いのか。そんなことを考えて頭を捻っているとどん! と何かが破裂するような音が聞こえた。
「ちょっと、早人! 花火!」
びっくりした! 母が部屋のドアを開けて入ってきた。息子が勉強してるのになんだその態度は。勉強に集中したかったところだが、息詰まっていたところだしこのまま続けても花火の音が気になって進まないだろう。おとなしく母に従ってベランダに出る。うちのマンションは狩野川沿いに建っている。ラッキーなことに花火をウチから拝むことができる。父と母と俺の家族揃って花火を見上げる。しかしこうやって家族で花火を見るなんて何年ぶりだろう。小さい頃は俺と善子の両親もいれて一緒にお祭りに行ってた。それがだんだん大きくなるにつれて善子と二人だけで行くようにもなったんだっけ。
「うわー綺麗!」
母が綺麗だ綺麗だと叫ぶ中俺と父の男衆は何も言わない。ただ黙って花火を見ている。そう言えば花火どころか家族でどっかに行くことも最近では少なくなっていた。いつもゲームをするか友達と出かけることが多かった。たまにはこうやって家族で過ごすのもいいもんだな。と花火を眺めながらしみじみと感じていた。
善子は今頃梨子とうまくやってるだろうか。考えないようにしていたのに結局あのことを思い出してしまった。
花火も終わり今年の二日間の花火大会は幕を下ろした。風呂から出た後、自室でスマホを眺める。昨日のAqoursのライブを誰かがネットにあげていたらしく、その動画を再生する。やっぱり改めて見てみるといい曲だな。夏祭りにぴったりの曲だ。9人のパフォーマンスを見つめる。
何やってるんだ俺! ついつい梨子ばかり目で追ってしまう。意識しないようにしようとすればするほど意識してしまう。どうしたものか。
「早人ー。善子ちゃん来たよ」
またもや母親がノックもせずにドアを開け俺の部屋に入ってきた。男子高校生の部屋にノックもなしに入ってくるデリカシーのない母に呼ばれ玄関に向かう。玄関には浴衣を着た善子が何やら抱えて立っていた。くっ浴衣の善子も可愛すぎる。髪をいつものように伸ばしてはおらず後ろで束ねている。いつも違う女の子の髪型は本当に反則なんだよなあ。
「おう。祭り行ってきたか」
「おうじゃないわよ。何よ急に来れなくなったって」
「ごめん。まあこれでも受験生だし色々やることあるんだよ。許してくれ」
善子は御機嫌斜めな様子でほっぺたを膨らませる。怒った顔も可愛い。
「それで梨子と行けたのか?」
「うん。ちゃんと行けたよ」
「どうだった?」
「それはもうすっごく楽しかったんだから。来なかったことを後悔なさい。それとこれ、お土産」
お土産を手渡され受け取る。ビニールで包まれたそれは俺の大好きなりんご飴だった。
「りんご飴か。ありがとう」
「それじゃあね」
善子はやはり不機嫌なのかあっさりと帰ろうとする。ドアノブに手をかけたところで俺は言うべきことを思い出し声をかけた。
「あのさ、この前のことなんだけど」
「この前?」
「そう。この前のあれ」
「あれって、あのことね」
「そう」
あれとはもちろん梨子のことを好きだと打ち明けられたあのことだ。ここからじゃ会話の内容は親には聞こえないだろうけどそれでも口に出すのは恥ずかしかった。
「あれから考えたんだけど、俺は色んな好きがあったほうが面白いと思う。堕天使が好きな人もいれば、ダイビングが好きな人もいるし、泳ぐのが好きな人もいる。もちろん、ピアノが好きな人も。だからAqoursっていいんじゃないかなって。昨日のライブ見て思ったんだ」
善子は不意を突かれたように呆然としていた。何も言えずに固まっている善子に俺は続いてこう語りかけた。
「もしもさスクールアイドルが全員が堕天使キャラだったら面白くないだろ? 色んな好きがあるからスクールアイドルはいいんじゃないの。だからさ、いろんな好きがあった方がいいよ」
そう言うと善子は安心したように笑ってこう答えた。
「うん。ありがとう」
その時の善子の表情は何かを受け入れたのかすごく安心しているように見えた。
「リリーの浴衣すっごく可愛かったのに。いっぱい写真撮っちゃった」
「そりゃあよかったな。その...好きな人の浴衣見れてよ」
「反応うすっ! 興味ないの?」
善子は携帯を見ながら不機嫌そうに言う。
「ないってわけじゃないけど...」
「もういいわ。ハデス。あんたには写真見せてあげない。一生冥界でうろたえればいいわ」
善子は携帯をしまうと「お邪魔しました!」とリビングの両親に聞こえる声で勢いよく飛び出した。こんな時まで礼儀正しいやつめ。でもなんでそこまで不機嫌になったのかこの時の俺にはわからなかった。あとその呼び方は辞めようね?