その日、海が一望できる大きな別荘に女神が光臨した。
正確な事実を言うと人、女性である。
だがそこに居合わせた者達は、美の女神かと思いこみそうになり。
「――初めまして、不破の妻の貴咲です」
「こんにちわー……って、どうしたの皆? 口開けてポカンとしてさ。あ、ヨシダの奥さん久しぶりですね!」
「うええええええええええええええ!? ちょっ!? おい!? マジか不破っ!? いや雷蔵の方!! お前こんな綺麗な嫁さん隠してたのか!?」
「ちょっとヨシダさん達!? なんで僕を囲む訳!? ああッ、貴咲!?」
「ふふっ、他の奥様達にもご挨拶してくるわね」
海が見える広い庭の中、雷蔵と貴咲はそれぞれ囲まれて。
「くぅ~~、お前があんな美人さんと結婚だなんて、そりゃあ不破を抜ける……いや失敬、深くは聞かないぜ雷蔵」
「雷蔵さん!! いや雷蔵の兄貴!! 何処で知り合ったかだけでも! いえ、どう口説いたかだけでも!!」
「素直に凄くない? あんな美人、綺麗すぎて気後れしそうなもんなのに……度胸あるわ不破さん……」
「深く聞かないのはこの業界の良いところでもあるけどね、うーん、何か視線が釈然としないなぁ??」
然もあらん、部署の新入りでエースには本当に妻が居た。
喜ぶべき事だ、何人かはヨシダの様に古くからのつきあいでもあるし。
殺し屋になんてなる者は不幸な人生続きだ、その最たる者である雷蔵の幸せは素直に嬉しいのではあるが。
「…………いや、なぁ?」「そっすねぇ……」「いーやー不破さん?」「アレはちょっと……」「なんつーか、不破にもそんな性癖があったんだなぁというか」
「皆して何ッ!? そんな生温い目で見ないでよ!?」
「だってなぁ……」
彼らは何度かのアイコンタクトの後、ヨシダが代表して雷蔵の肩を叩いた。。
個人の趣味嗜好であるし、この業界は性癖がねじ曲がっている者も多い。
だが、それでも言わなければいけない。
「一応な、昼間の健全な催しなんだから…………嫁さんに首輪と鎖つけてご登場は無いぞ??」
「ぐッ、そ、それを言われると……ッ」
「いやな、あんな美人だし独占欲が沸くのも分かるぞ? だがなぁ、こういう場ぐらい信頼しても良いんじゃないか??」
「僕の所為じゃないんですよヨシダさん! 信じてください!! そりゃあ僕が悪いんですけども!!」
至極尤もな指摘に、雷蔵は頭を抱えたくなった。
然もあらん、今の貴咲は白と黒のボーダーのシャツにジーンズのハーフパンツ。
そして麦わら帽子というスタイルであるが、特に目を引くのがゴツい革製の首輪と大きな鎖である。
――二人が来たとき、その鎖の先は雷蔵の手首に巻き付いていて。
「何を言い訳しても、今のお前は嫁さんに特殊プレイを強いる独占欲の強い旦那だ。ともすればDV夫で離婚まったナシの」
「違うんですッ、違うんですって!! でも全部否定出来ないのが悔しい!!」
雷蔵が誤解のようで誤解ではい誤解を受けている頃、貴咲と言えば社長の妹と名乗った・芽依子を中心とした女性集団に質問責めだ。
「あらあら、まぁまぁ、あの不破くんがこーんな綺麗なお嫁さん隠してたなんて……ね、ね、それ不破君、いえ今は雷蔵君だったわね。彼の趣味なの?」
「ええ、家でも付けれるんですよ」
「そんな格好で大変じゃない? 着替えるのにも一苦労しそうだけど……」
「実は普通に外せるんです、でも付けてると旦那様が喜ぶので」
あらあらまぁまぁ、と芽依子達の色眼鏡が少し離れた雷蔵に突き刺さる。
嘘は言っていない、いつでも外せるし雷蔵が喜ぶのは事実だ。
だが今日は、貴咲が付けて出ると言い張ったのだ。
(一応、ライバルが居ないとも限りないから。でもこの分じゃ不要な心配だったようね)
あの雷蔵の妻という事で、大歓迎してくれている社長の妹・芽依子を筆頭に。
それぞれ裏家業の旦那に、長年連れ添っている妻である。
男性陣ほど貴咲の美貌に注目せず、むしろ雷蔵が悪い女に騙されないか目を光らせている節もあって。
「――私の旦那様は、皆様から愛されているのね」
「わたし達も日の当たらない道を歩いてきたから、特に雷蔵ちゃんには多かれ少なかれ助けられた事もあるしね。特にウチの兄なんか雷蔵ちゃんがいなきゃ何回死んでることか……」
「そうそう」「ま、敵も多いけど味方も多いのよね雷蔵クンは」「彼が殺して来たのは極悪人も多いから、間接的にでも助けられた子が多いのよ」
「そう、なのね……」
彼女たちの言葉は、貴咲の胸へ驚きと共にするっと入ってきた。
不破では彼に対する感謝の言葉などなく、殺しの報酬だってまともに払われていたかも危うい。
貴咲が繰り返し使える豪華な道具であれば、雷蔵は使い捨て前提の安価な道具であって。
「この分なら会社でも上手くやれて――――、ちょっと待って芽依子さん。今日集まった中で、毒を使う人はいるのかしら?」
「え、何いきなり? ――毒薬使う人って居たかしら?? だいたい皆、銃とか刃物だと思うけど……。全員が全員、戦う人でもないし」
芽依子達の注目を集める中、貴咲は周囲を見渡しながら鼻をくんくんと動かす。
――不破貴咲は殺し屋ではない、殺しの才能が無かったからだ。
だがそれは、訓練をしなかった理由にはならなくて。
(一見すると無味無臭、ええ、多分……痺れ薬の類かしら?)
権力者の妻、妾、そういう役目を期待されて作られた道具に必要不可欠な事。
それは己や夫への暗殺の警戒、及びその対処。
当然、貴咲にもそれは仕込まれており。
「雷蔵、来て」
「――――君が呼んだなら地の果てまでも」
「うわっ!? いきなり雷蔵ちゃんが現れた!?」
「あれっ!? 何処行った雷蔵!?」
彼女が静かに呟いただけで、即座に現れた雷蔵。
その光景にヨシダ達も芽依子達も、思わず混乱して。
だが、今は彼らを落ち着かせている場合ではない。
「“居る”わ」
「なるほど、出てきたら殺そう。――でもゴメン、今は包丁しかないから同時に狙撃されたら三回ぐらいしか持たないかも」
「…………三回も全員を守れるのね?」
「うん、そういう事。勿論、爆弾があったら君しか守れないから悪しからず」
この場を襲撃しようとしている誰かが居る、二人の会話でヨシダ達もそれに気づき。
彼らが慌ただしく動き出す中、貴咲は雷蔵を護衛に用意されていたバーベキューの食材を一つ一つ調べていく。
「お肉ではないわね、海鮮……違う、こっちの方から匂った筈だけれど」
「焼きそばの麺とかデザートのマシュマロ……え、バーベキューってマシュマロ食べるの??」
「それは後で、…………氷っ、雷蔵っ、ロックアイスから痺れ薬の匂いっ!!」
「他には?」
「…………うん、仕込まれてるのはそれだけ。でも念のために全部廃棄した方が良いかも――」
誰が何のために、全員が顔を強ばらせる中。
突如として、パチパチ、パチパチと拍手の音がする。
雷蔵がそちらへ向くと、そこには。
「サプラーーーーイズ!! お見事だよ不破の奥方!! 見事このワタシのドッキリを見破った!! うーん、良い女捕まえたじゃあないか雷蔵!! マイフレンド!!」
「え、これ君のドッキリだったの?? ちょっと趣味が悪くない? 社長でしょ??」
「は? 社長!? じゃあ、この人が――」
「そうさ!! このワタシこそがゴトー・クリーニングサービスの栄光なる二代目!! 後藤恭二朗!! ――初めまして不破貴咲、そして許さんぞ不破貴咲ぃ!! 貴様と雷蔵が結婚してからワタシとの友情の時間が減ってしまったじゃないか!! どちらがより雷蔵のパートナーに相応しいか白黒つけてやるぅ!!」
そこには、眉目秀麗で線の細い男が。
雷蔵の親友を名乗る、どことなく軽薄そうで男色そうな会社社長の姿があった。
「――それと話がある雷蔵、奥方と一緒でいいから中で話そう」
深刻な顔をする恭二朗に、二人は顔を見合わせて頷いたのであった。
■□■
別荘の扉が閉まった途端、貴咲にとって予期せぬ出来事がおこった。
件の社長がしゃがんだかと思えば、それだけではなく。
「すまない!! 本当ーーーーにッ!! すまない雷蔵!! 貴咲さん!!」
「あ、やっぱり……」
(ええっ!! どういう事なの!?)
それは見事な土下座だった、綺麗で華麗で、深い謝罪を感じさせるそれ。
貴咲は驚きに目を見開いたが、雷蔵としては納得しかなく。
然もあらん、恭二朗の額に冷や汗が浮いていた事を見逃さなかったからだ。
決して、暑さによる汗ではない。
緊張からくる汗、その上で彼の体中の筋肉もどこか強ばっていて。
彼との関係が深い雷蔵は、いくつかの事態にあたりをつける。
「久しぶりですね社長、それとも恭二朗の方がいいかい? 話したい事があるんだろ?」
「旦那様?」
「ごめんね貴咲、コイツ、焦ると大袈裟に誤魔化す癖があるんだ。友情云々は本心じゃないよ」
「うおおおおおい、雷蔵?? そこまで説明されるとワタシはどうしたらいいだよ!! そりゃあ、咄嗟に作り出した台詞としては微妙だった事は認めるけども!!」
「恭二朗、君ねぇ。そういう所が命の狙われ易さに繋がってるって反省してる? 今回は違うんだろうけどさ」
夫の、仕方ないなぁ、というニュアンスの響きに貴咲は表情に出さずとも驚いて。
そんな気安い雰囲気、己の前以外でも誰かに見せるのかと。
(――バカね、私ったら)
こんなに独占欲が強い女だっただろうか、悩みたくなったが今はそんな事より。
「ああ、そういえば言ってなかったね。恭二朗とはヨシダさんより古い中でさぁ」
「その割に、ウチに入ったときヨシダを頼ったよな。そこはワタシに頼るべきだったんじゃないか?」
「え、ヤだよ。君に頼むと贔屓して分不相応な役職につけるだろう? 僕が得意なのは下っ端として殺すだけなんだから」
「何となくは察していたけど、そちらの説明より大切な事がないかしら?」
貴咲のジトっとした視線に、恭二朗はようやく土下座から立ち上がって。
襟元を正した後、実に困った顔をして頭を下げた。
「ウチの妹が本当ーーーーに、スマン!!」
「妹……えっ、芽依子さん!? は? 何で彼女がそんな事を??」
「あーー、やっぱりかぁ……」
雷蔵は納得顔だが、貴咲としては飲み込めない。
だって先程は実によくしてくれたし、夫の職場の女性陣や奥様方に紹介して貰ったし。
そういう事をする女性には、とても見えなかったからだ。
「身内の恥を晒すよう……というか恥なので恥ずかしいのだが。芽依子は雷蔵にご執心でな、一度フられているのだが……」
「諦めてなかったと? でも、彼女から敵意は感じませんでしたけど……?」
「あ、それ僕も気になった。てっきり直接なにかしてくるんじゃないかと警戒してたんだけど」
「ああ、それ多分。貴咲さんが美しすぎて目的忘れてたんだわきっと。アイツ、綺麗なのに弱いからなぁ……」
心底頭が痛いと深くため息を吐き出す恭二朗に、二人は苦笑しかない。
「本当にスマン、どーせ雷蔵に痺れ薬でも飲ませて寝取るつもりだったんだろ。今回はお爺さまを味方につけて発覚が遅れたんだ、ま、言い訳だな。後日ちゃんと謝罪するから今日はもう少し協力してほしい」
「協力? 芽依子ちゃんを捕まえてくればいいのかい?」
「いや、それはコッチが責任をもってするしアイツにも責任を取らせる」
「では私たちは何を?」
最悪、バーベキュー会場を血に染める想定をしながら問いかけた貴咲に。
恭二朗は歯を光らせ、ニマっと笑って告げた。
「――二人には思う存分イチャついて欲しい」
「え?」
「どういう事です恭二朗さん?」
「二人の仲に付け入る隙がないと思わせるぐらいに、イチャイチャして欲しいんだ」
顔は軽薄でも真面目なトーンに、二人は顔を見合わせて。
そんな事で、何とかなるのだろうか。
「アイツの事はワタシが一番理解してる、どうか信じてイチャイチャしてほしい。――ケジメは取らせる」
「…………分かった、君がそう言うなら僕らはイチャイチャしてるよ」
「旦那様がそれでいいなら、私は受け入れるだけだわ」
「恩に着る!! あ、この別荘は今後いつでも使ってくれていいから!! じゃあワタシは芽依子の所に行ってくるよ!! 結婚おめでとう!! でも雷蔵、ワタシとの時間を作ってくれると嬉しいぜ!!」
そう言うと、身内に苦しむ若社長は足早に去っていき。
別荘の中には、雷蔵と貴咲が取り残される。
二人は顔を見合わせると、はぁ、と同時にため息を一つ。
「…………じゃあ、そこのソファーに座って打ち合わせでもする?」
「ええ、イチャイチャしろって……そんなの経験ないから具体的に分からないものね」
「もしかしたら無意識にしてるのかもだけど、意識してってなると、何がイチャイチャなのか分からないよねぇ」
外に戻る前にひと休憩と、新婚夫婦がリラックスしながら相談を始めた一方。
(~~~~っ!! な、なによアレ!! 見せつけてくれちゃってぇ!!)
芽依子は落ち着きを取り戻したバーベキュー会場にて、グラスを傾けながら苛立っていた。
まったくの不覚、不意打ちであった。
まさか、まさかあんな。
「…………綺麗な人だったな、貴咲さん」
一目見た瞬間、負けたと思った。
来る前はあんなに怒り狂っていたのに、彼と結婚するのは自分だと。
ずっと、兄を介して紹介して貰った瞬間から。
(一目惚れだったんだけどなぁ……)
あの恐ろしい程に無機質な瞳に、自分が幸せにしなければと思ったのだ。
十年、もう十年も片思いしフられ続けていて。
でも、諦めきれなくて。
「完敗したって、こういう事なのかな」
無理矢理にでも奪い取ってやると、略奪愛だと意気込んだ癖に。
見惚れてしまった、彼の妻の美しさに。
彼女とて美しさには自信があった、だが井の中の蛙だと思い知ってしまった。
「ううっ、悔しい……悔しいよぉ」
二人が会場に現れた時、既に芽依子は敗北を悟ってしまったのだ。
それが何より悔しい、だってそうだ。
彼を幸せにするのは自分だと、自分だけだと思ってたのに。
「ズルいよ、あんな幸せそうにに笑ってさ……わたしには一回も見せてくれなかったのに」
笑っていたのだ、あの殺戮人形だった雷蔵が、楽しいこと、嬉しいこと、普通の幸せなど何一つしらないといった風だった彼が。
何より甘く、幸せそうに笑っていたのだ。
その上、彼女は芽依子の想像以上に愛されて。
「あ~~あぁ、兄さんに怒られるだろうなぁ……、お爺さまにも不甲斐ないって怒られるぅ……、でも、あ゛あ゛~~、なんでわたしじゃないのよぉ!!」
世界で誰よりも雷蔵の事を愛していたつもりだった、一方通行でも時間をかけて分からせてみせると。
結婚なんて寝耳に水だ、そんな素振りなんて欠片もなかったし。
不破に入り込んで、婚約者から奪う算段もついていた。
「あんなポッと出の美人……ううっ、勝てる訳ないじゃないあんな美人!! しかもわたしの超好みだし!! 出来るなら仲良くしたいし側でずっと眺めていたいし!! ――――あ、痺れ薬回収しないと、まだ間に合…………いや、兄さんがサプライズって言って誤魔化した時点で…………うううううう!!」
どうしてこうなってしまったのだ、世の中上手く行かない事だらけだ。
やけ酒してもとてもじゃないが酔いきれない、酔える筈もない。
それでもと、瓶ビールに手を伸ばした瞬間であった。
「――――追い打ちっ!?」
芽依子の視線の先には仲睦まじく串を手に取り、何かを焼こうとしている二人の姿があった。
■□■
「そういえば、さっきマシュマロがどうとか言ってなかったかしら?」
貴咲のその言葉で、二人の行動が決まった。
まだ何も食べてないのにデザートとは、と思わない事もなかったが。
雷蔵としては好奇心に勝てず、貴咲としてもそれを作るのは初体験なので浮かれ気味である。
「実はマシュマロって初めて食べるんだよ、生でも美味しいって聞くけど焼いても美味しいものなの?」
「こういう時のデザートとして定番らしいわ、味に期待してもいいんじゃない? ――ふふっ、ちょっとワクワクするわね」
貴咲はバーベキューコンロ脇の食材置き場を、ざっと見渡して数秒思案する。
「マシュマロにクラッカー、チョコ、……ああ、スネアにするのねコレ」
「スネア?」
「バーベキューで定番のお菓子って所よ、じゃあ作りましょうか。コンロの網を退けてくれる?」
「オッケー、……うーん、隣の網に乗せておけばいいか」
わざわざ網を外して、何をするのだろうか。
興味津々といった雷蔵の前に、貴咲は串を差し出して。
「はい、マシュマロ刺して」
「なるほど、直火で炙るんだね!」
「そうよ、でも一つだけ。おかわりはまた焼きましょう」
「出来立てを食べたいもんね、いやー、どんな味になるのかなぁ……!!」
妻がやっているのと同じく、雷蔵は串の先端にマシュマロを一つ刺す。
炎に近づけて炙り始めると、途端、香ばしい匂いが漂ってきて。
そのままでも美味しいのではないか、否、絶対に美味しいのであろう。
「確か、火が強すぎると中が溶けないって話だったわ。それでいて外はこんがり焼かないといけない……」
「となると、炭火の赤くなってる付近で焼くんだね」
「弱火でじっくりと、くるくる回しながら。というのがコツらしいわ」
二人は目を輝かしながら、マシュマロを焼いていく。
同僚と奥様方の談笑が少し遠く、波の音と共に潮風が。
その中で、炭火のパチパチという音が耳に残って。
(……こういう時間が来るって、思いもしなかったなぁ)
(いいわね、こういうのも――)
(不思議だな、ワクワクした気分とゆったりとした気持ちが両立するなんて)
(きっとそう思えるのは、多分)
貴咲は少し視線をずらして隣の雷蔵をみた、彼はとても穏やかな顔で笑みを浮かべている。
きっと己もそうなのだろうと、そしてそれが心地よくて。
くる、くる、くる、くる、マシュマロが火の上で回る。
「いつか……、いえ、何でもないわ」
「ええ~、気になるんだけど?」
「大したことじゃないわ、ただ少し、…………いつか、いつか私達に子供が出来たとき、家族でこうする事が出来たら幸せだろうなって」
「…………うん、そうだね」
そんな普通の幸せが、自分達にも訪れるのだろうか。
貴咲はそう思ってしまって、口に出さないことも出来た。
けれど、言葉にしたい、そう思ってしまって。
(惚れた弱みって言うけれど、――負けてしまったのね私は……)
くすりと口元が緩んだ、なんて心地よい敗北だろうか。
最初は絶対に惚れることなんてない、そう思っていた。
心からの笑顔なんて絶対みせないと、一生恨み続けると。
(我ながら簡単ね、ふふっ、権力者の妻だなんて最初から向いていなかったのだわ)
道具として作られたのに、それすら失格で。
今は何より、それが嬉しい。
きっと全ての恨みを忘れることは出来ない、許すことは出来ない。
(でも……、憎悪を燃やし続けることは別ってなんで気がつかなかったのかしら)
絆されたと言えばそうなのかもしれない、でも、それでもいいと思ってしまったのだ。
一緒に食事をする度に、空腹が満たされる度に、心も満たされていって。
こんなに幸せでいいのだろうか、二人の今は夥しい血と犠牲の上に成り立っている。
(殺して、殺して、ずっと殺してきてさ、僕はてっきり何も手に出来ずに、一人孤独に死ぬものかと思っていたけど)
惚れた弱み、と言うべきだろう。
彼女を妻にできた事が、今こうして寄り添って過ごせることが何より嬉しくて。
(人殺しだけしか出来ない僕も……誰かを愛せるんだなぁ)
命を奪うことへ後悔も憂いもない、そんなの今更だ。
けれど、不安でもあったのだ。
奪うだけの自分が衝動にまかせて貴咲に愛していると言っても、本当に愛しているのか愛せているのか。
(そんなこと、気にしなくても良かったんだね)
不破という一族に人生を奪われ敗北の道を歩いていた、復讐の先に取り返せた物は何もなかった。
あったのは、夫婦とも呼べない冷たい何かで。
でも、それは当然だったのだ。
(一緒に何かをして、一緒に過ごして、僕と貴咲で。きっとこれまでは一方的過ぎたんだ)
料理を作り始めても、作るのは主に雷蔵。
先日、貴咲もおにぎりと作ってくれたが代わりに己は何もしていなくて。
今、初めて、二人で料理をしてる二人っきりで過ごしている気すらする。
「――――結婚しよ?」
「ふふっ、バカね。もう結婚してるわよ」
「そっか……ああ、そうだったね。きっと普通の人は結婚前にこういう気分になるんだろうなぁ」
「いいじゃない、普通の人じゃないもの私達。――これから幾らでも普通の人になれるわ」
事も無げにそういった妻を、雷蔵は強く抱きしめたくなって。
「…………あ゛ーー、今すぐ君を抱きしめたいよ」
「へぁっ!? い、今料理中なんだから後でっ、――――ほ、ほら、きつね色に焼けてきたんだからそろそろよ」
「え? あ、ホントだ。次はどうするの?」
「次は、……あっ」
しまった、と貴咲は呟いた。
クラッカーにチョコを乗せて、マシュマロを挟まなければいけないのに片手が塞がっている。
でも悩むことは無い、一人じゃない、今の二人は夫婦なのだから。
「クラッカーを用意するから、チョコを乗せて」
「そういえばソッチの用意してなかったね、オッケー。この板チョコを……ヨシッ」
「じゃあその上にマシュマロを置いて――」
「――そしてその上からクラッカーでサンドして、串を抜いたら…………完成! へぇ~~、これがスモアかぁ」
匂いを嗅いでみると、こんがり焼けたマシュマロの甘く香ばしいと、その熱で溶け出すチョコの甘い匂いがした。
二人の口の中に、涎が溜まる。
今すぐ食べなければ美味しさを逃がす、雷蔵と貴咲はニマっと笑い合うと。
「「いただきます」」
スモアに思いっきりかぶりついた、すると。
「ん~~~~っ!! んまっ!!」
「いいわね、うん、――美味しいっ!」
「クラッカーの塩気がチョコとマシュマロの甘さを引き出してるって言うのかな。くぅ~~、もう一個食べたいっ!」
「サクサクとしたクラッカーの食感に、どろりと溶けたチョコ、そしてマシュマロのカリふわでトロっとした感じが……――――よし、もう一個たべましょう」
夫婦は頷きあうと、今度は二つずつスモアを作り始める。
今度は、事前にクラッカーとチョコの準備を忘れない。
思わず童心に帰る夫婦を、見つめていた芽依子は。
(あんなの反則でしょお~~~~~~!?)
あんなに幸せそうに寄り添って、片時も離れたくないという雰囲気が出ている。
二人の姿を微笑ましく思い、他の者達はそっと別のバーベキューコンロを使い。
パートナーを連れてきている者は、当てられたようにイチャイチャし始めている。
(うわぁ、うっわぁ…………、何よ、何なのよ、本当に新婚夫婦じゃない、付け入る隙……何処??)
敗北だ、戦う前から負けている。
二人がこの場に現れた時に悟るべきだった、その時点で媚薬入りの痺れ薬の入った酒を回収すべきだった。
何より、芽依子が負けているのは。
(………………美味しそう)
見ていると食べたくなっている、きっと美味しいだろう。
だが理解してしまう、一人で同じ物を食べても単に甘いだけだ。
仮に首尾良く雷蔵を奪えたとしても、同じ美味しさにはならないだろう。
(きっと……あの二人だから)
芽依子は知らない、殺戮人形と呼ばれた雷蔵がどの様に育ったかを。
その妻である貴咲にことだって同じだ、彼女が不破の長女であった事だけしかしらない。
不破が今、壊滅状態にある事しかしらない。
(わたしは、子供だったんだわ)
いい歳した大人であるのに、恋に恋して盲目で、行動が幼かった。
それが今、はっきりと分かる。
己が彼の妻になっても、同じ顔をさせられないだろうと。
(…………謝らないと)
きっと二人は己の所行を知っているだろう、でなければ兄と別荘の中で話さない。
謝って許されるかなんて分からない、でも謝らなければいけないのだ。
そうでなければ、彼へを愛していた日々を汚す事になってしまうのだから。
「――――ごめんなさい!!」
三個目は流石に多いか、と考えていた矢先。
いきなりの謝罪に、雷蔵はまばたきを一つ。
貴咲と言えば、ふんわりと笑って。
「お一ついかが?」
「え……、そ、そんな私は――」
「いいのよ別に、何もなかったし気持ちは理解できるもの」
(そういうモノなの??)
即座に許した妻に、夫は首を傾げたくなったが我慢する。
芽依子は差し出されたスモアを前に逡巡し、おずおすと受け取って。
気まずそうに口に運ぶ様子を、貴咲は微笑ましく見守った。
(ま、ある程度の毒なら私達には効かないし。そもそも今回みたいに事前に察知できるし)
正直な話、奪われたって奪い返せる自信はあるし。
それ以前に、雷蔵という男が彼女以外に靡かない自信がある。
とはいえ、芽依子の行動には同調してしまう事もあって。
「…………美味しい?」
「もぐもぐ…………――っ!! はいっ!! 美味しいです!!」
「そう、よかったわ」
でも貴咲は何も問わなかった、きっと己が同じ立場なら同じように形振り構わず雷蔵を求める。
今なら、それが確信できる。
でも譲ることなんて出来ない、彼からの愛を、己の愛を自覚してしまったから。
「あ、あの……わたし……」
「絶対に譲ってあげないわ、でも逃げも隠れもしない。――愛に命を賭けるならば、向かってきなさい」
「ッ!? き、貴咲ッ!?」
「貴咲さん――――!!」
愛の言葉も同然の台詞に、雷蔵は目を丸くして驚き。
芽依子は嗚呼と、感嘆を漏らした。
格が違う、女としての格が違いすぎる。
(きっと、もしわたしが先に結婚していても……)
この女性に雷蔵は心を奪われていただろう、そんな考えすら浮かぶ。
勝てない、美貌も、スタイルも、心も、何もかも勝てない。
爽快な敗北感と共に、新たな感情が沸き上がって。
「……師匠と呼ばせてください貴咲さんっ!! 雷蔵クンの事は諦めます。気づいたんです、貴咲さんじゃないとダメなんだって、それに気づいたんですわたしに足りないものは――――」
「へぁっ?? ちょっ、芽依子さん!?」
「まだ雷蔵くんの事は諦めきれないけど、でもそれ以上に貴咲さんを尊敬しますっ!! 師匠っ、わたしを女として上に導いてください!!」
「うーん? 一見落着なのかなぁ??」
貴咲にキラキラした目を向ける芽依子と、そんな彼女の姿に戦意を挫かれて困惑する妻。
雷蔵とて当事者の一人で、何かを言う権利があるだろうが。
何故か、口出ししてはいけない気がして。
「――――スマン、全てを任せてしまって」
「あ、恭二朗」「居たの兄さん?」
「居たの? じゃないっ!! 散々迷惑かけて、これで一件落着だと思うなよバカ妹よ!! お前はこれから一ヶ月海外で無給で過酷な現場に放り込むからな!!」
「う゛う゛っ!? ぐぅ、つ、謹んで受け入れるわよ!! わたしは目標が出来たんだからね!! 二人のような夫婦になるって、雷蔵クンより愛せる男を見つけるって!!」
目標を高らかに叫ぶ芽依子に、恭二朗は頭を抱え。
「それはそれ、これはこれだ!! さぁ来い、今からじっくりお説教だ!!」
「ぐぇっ、襟、襟伸びちゃうから自分で歩けるから!!」
「迷惑かけたな、今日はまだまだ楽しんで行ってくれマイフレンド!! そして奥方よ!! ――とっとと歩け!!」
「あー、程々にね恭二朗?」「ふふっ、たっぷり絞られていらっしゃい」
夫婦それぞれの言葉で騒がしい兄妹を見送って、再び彼らは二人っきりになった。
「――――どうする? まだスモア食べる?」
「そうね……、もう何個か焼いたらアッチのヨシダご夫婦の所に混ざらない?」
「いいねそれ、ヨシダさんには特にお世話になってるからなぁ。僕の口からしっかり紹介したいんだ、自慢の妻ですって」
「ふふん、人前で妻をどれだけ誉めても何も出ないわよ」
そう言いながらも貴咲の表情は明るく、まんざらでもないと雷蔵には思えた。
二人はそれから、皆とバーベキューを楽しんで。
その帰り道、自宅へと後数分の距離にさしかかった時であった。
「――――ああああああああああああっ!! 先輩!? 先輩ですわよね!! お久しぶりですわ先輩!! 最近、連絡がつかなくて――――」
「ちょっとお嬢!? いきなり走らないでくださいよ、それに叫ぶなんて……」
「あれ? 知り合いかい貴咲?」
「…………もしかして、優香? どうしてこんな所に」
そこには、大学生ぐらいの年齢の女性とスーツを来た男性が。
貴咲の中学からの後輩、八条グループのお嬢様である優香とその護衛の姿があったのだった。
あ、言い忘れてましたがいつも通りハッピーエンドです。