殺し屋、鎖に繋いだ嫁の為にメシを作る   作:和鳳ハジメ

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ターゲット6/昔、食べたかもしれない『焼きそば』

 

 

 以前は暇を持て余していたものだが、今の貴咲にとって昼間はそれなりに充実している時間であった。

 雷蔵の出社を、行ってらっしゃいのキスをするかどうか迷いながら見送り。

 そうしたら朝食の後片づけと洗濯物、そうしたら昼までゆっくりし午後になったら掃除だ。

 

「偶にはお買い物に行って、夕食をあの人が帰ってくる前に……ふふっ、スーパーで待ち合わせとかもいいかもしれないわね」

 

 今日は何を作るのだろうか、そう考えながら掃除機を動かす。

 少し前までの、意地を張って何もしない怠惰な日々が嘘みたいである。

 これはもう、名実ともに妻と、主婦と名乗れるのではないか。

 

「昨日は私の部屋を掃除したから……旦那様の部屋にしましょうか」

 

 ほぼ個人の物置と化しているが、二人にはそれぞれ部屋がある。

 子供が生まれたら、どちらかを空けるべきだろう。

 それは遠くない未来か、それとも。

 

「…………雷蔵は、子供が欲しいのかしら」

 

 貴咲としては、まだもう少し二人っきりで過ごしたい気もする。

 だが、子供がいる生活というのも幸せな気がして。

 不安があるとすれば、己に子育てが出来るのか、という一点につきる。

 

「考えても仕方ないわね、……最近、独り言が増えた気がするわ、一緒に居るとそうでもないのだけれど」

 

 一人が寂しい、そういう事なのだろう。

 不破に居た頃は、同じように一人の時間があっても心を無にして過ごせていたのに。

 これも夫の影響だろうか、そう思うと不思議と鼻歌すら出てくる。

 

「――――ん? 机の裏に何かあるわね」

 

 雷蔵の部屋は各所に仕事道具が巧妙にカモフラージュされている。

 ゴルフバッグの中には日本刀が、クローゼットのダウンジャケットの内側に防刃、防弾ベストが。

 机の引き出しの二重底には刀の手入れ道具、本棚の辞典にはナイフなど。

 

「これは……本? 何かの書類のカモフラージュかしら?」

 

 触らない方が良いかもしれない、彼は仕事の詳しい内容を貴咲には話さないし。

 彼女とて、知らない方がいい情報があると知っている。

 だが、これは何となく違う気がして。

 

「――――見てみようかしら」

 

 侵入者に向けたトラップの可能性もあった、だが貴咲が触れる可能性がある所に、重要な書類も罠も仕掛けないと確信がある。

 ごくりと唾を飲み込み、恐る恐る手を伸ばす。

 そうして、机の裏に落ちた本を手に取ると。

 

「…………え? ええっ!? ど、どういう事!? こういうの見るの旦那様っ!? う、嘘でしょ――――っ!?」

 

 その存在に貴咲は震えた、戦慄した、女として妻として肌が粟立つ思いだ。

 だってそうだ、その本、正確に言えば雑誌は。

 

「エロ本んんんんん!? 爆乳お姉さん艶姿・コスプレ百変化!! グラビアアイドル・AVデビュー記念フレッシュ写真集!?」

 

 そう、正しくエロ本であった。

 今時、スマホやPCなどのデジタルで隠れて楽しむ事が多い中。

 正々堂々、普通の人が買わないような18禁写真集である。

 

「う、嘘っ!? 何冊もある!? え? は? ええっ!? どどどどどどどどっ、どういう事なの!?」

 

 貴咲は激しく動揺した、だってそうだ。

 どれも同じ女優で、中には折り目がつくほど繰り返し読まれた痕跡すら。

 

「わ、私という妻がありながら~~~~っ!! 雷蔵!! 貴男という人は!! はぁ? こんな女のどこが良いんですか?? 髪も顔も胸も腰も足も肌も何もかも勝っている極上の女を毎晩抱いておいて?? その上でまだこんな物が必要だと? 旦那様はそう仰るのですか??」

 

 あり得ない、こんな事はあってはならない。

 貴咲は怒りにぷるぷると震え、雑誌を持つ手は力が入りすぎてページをぐしゃっと潰す。

 男とは性欲の生き物だ、貴咲はそう教えられて育った、その全てを受け入れるべく育てられた。

 

「私が――――、この触れる事すら、実際に生で見ることすら出来ない女に……、負けていると??」

 

 あれだけ沢山の愛を囁いておいて、首輪と鎖とつけるぐらい執着心をみせておいて。

 他の女に性的関心をもつのか、己では足りないと、或いは。

 

(嘘、なの?)

 

 ぐらりと視界が傾くような、激しい目眩に貴咲は襲われた。

 考えたくはない、こんなの只の妄想だ、だが、己という最高級の女を独占し好き放題しておいて。

 他の女に、そう、妻でも恋人でも妾でもない、会ったことすらない女に情欲を、――否、愛を。

 

(私は……遊ばれていたの? 雷蔵に? 全部……全部、嘘、だったの?)

 

 あの愛の言葉も、執着も、夫婦として少しづつ歩いている今も、全部が嘘だったのではないか。

 雷蔵の復讐はまだ終わっていなくて、貴咲が生き残ったのは彼に愛されているからではなく。

 不破の最後の生き残りとして、死ぬまで絶望を繰り返し与える為なのでは、と。

 

「し、しっかりしなさい……そんなのただの悪い妄想よ、ちょとショックだったから、悪い方向に考えてしまっただけよ――――」

 

 はぁ、はぁ、と息が荒くなる。

 視界が赤く染まる、脳が勝手に思い出してしまう。

 

(違う)

 

 助けてと繰り返される悲痛な叫びを/妹の苦痛と驚きに満ちた死に顔を/夥しい血で真っ赤にそまった廊下/燃えさかる屋敷を/その中で犯された痛みが。

 

(違う、違う違う違うっ!!)

 

 何で、どうして、罪を犯さなかった者もいた、連れさられた無垢な赤子だっていた筈だ、彼と同じように殺しを強制させられた者だって。

 でもその全てが、貴咲ひとりが生き残って。

 

(ち、ちが――う、はぁ、はぁ、はぁ、違う、私は本当に愛されてる、愛されてるのだから……)

 

 己に言い聞かせるように繰り返す、愛されてるのだから、愛してるのだからと。

 寒い、しきたりを破った罪で雪の日に庭で正座させられているような凍える寒さが襲う。

 震える体を抱きしめて、貴咲はきゅっと目を瞑る。

 

「どうして……なんで、信じられないのよぉ……信じたいのに、どうして、なんでぇ……」

 

 早く、帰ってきて欲しい。

 こんな悪い妄想、考えすぎだって言って欲しい。

 強く抱きしめて、キスして欲しい。

 ――でも、雷蔵の帰宅時間はまだ遠く。

 

「………………電話、……そ、そう電話よ、一声、一声だけでもいいから」

 

 何度もスマホを取り落としながら電話をかけても、雷蔵には通じなくて。

 

「なんで……なんで出ないのよぉ」

 

 鈍った頭で必死に考える、もしかしたら仕事中なのかもしれない。

 邪魔をしてはいけない、でも伝言なら、会社に伝言を、同僚の誰かなら。

 貴咲はヨシダのスマホに電話し、通じる。

 

『雷蔵? 今日は有給で休みだぞ? ――あ、もしかしてサプライズで何かしたかったのかも、奥さんの事が好きで好きでたまらないって感じだからなぁ。ま、知らぬフリをしてやってくれよ』

 

(――嘘、そんなの嘘よっ!!)

 

 頭をハンマーで殴られたような衝撃、今日が有給であるなんて一言だってなかった。

 サプライズなんてある筈がない、彼は貴咲の事となると途端に分かりやすくなるからだ。

 でも、……それすら嘘であったなら?

 

「――――許、さない。あはっ、嗚呼……許さない、雷蔵、許さない許さない許さない、私に夢を、幸せな夢をみさせて、愛さてれてるって、私、愛してるってまだ…………っ!!」

 

 ぷつ、と何かが切れた音がした。

 ぐるりと何かが反転した音がした。

 裏切られた、疑念は確信に変わって、でも変わりきれなくて。

 

「今更っ、どう貴男を憎めば~~~~っ!!」

 

 貴咲の瞳が漆黒にきらめいて、体は勝手に台所に向かう。

 無意識に大振りな包丁を選び、両手で握りしめ玄関に立ち尽くし。

 ――同時刻、雷蔵は一般男性としてのカモフラージュの一貫で配置したエロ本が、とてつもない誤解と悲劇を生み出しているとも知らず。

 

「ああ、久々に苦労した感じだよ。……でも、これまでだ。ね、何で僕らを狙ってるのかな? 答えてくれると嬉しいんだけど」

 

 自宅マンションの向かいのビルの屋上にて、巨乳ライダースーツの女性の首筋にナイフを押し当てていたのであった。

 

 

 

 □■□

 

 

 

 ――雷蔵が監視に気づいたのは、野咲を連れてベランダに出た瞬間であった。

 その時は、狙撃されるような殺気が無かったので後回しにしたが。

 実際に捕まえようとしても、幾度と無く逃げられ。

 

「……殺せ」

 

「殺さなかったら自殺でもするのかい? 有給まで使って仕事いくフリしてやっと捕まえたのに、そんな事はさせると思ってるの?」

 

「チッ、出社は私を欺く偽装……答える、貴男が殺さないというなら隙を作って逃げるだけ」

 

「隙を“見て”、じゃなく“作る”か。随分と自信があるようだね? 僕が何者か知ってて言ってるのかい?」

 

 いつでも殺せる、そんな意味が込められた言葉に女殺し屋はふっと笑った。

 彼我の腕の差は歴然、どうあっても彼女に勝ち目はない。

 だが、生き残る目は残っている、そう確信して。

 

「不破を滅ぼした不破の最高傑作、殺戮人形。貴男がその気になれば私を即座に殺せる事ぐらい承知している、そうしないのは何故か。――依頼主の情報が欲しい、そうだな?」

 

「でも、簡単に依頼主を裏切るような人間が言った情報って、果たして信頼できるのかな?」

 

「私を殺しても次が送られてくるだけ、でも私としては自殺行為に最後まで付き合う義理はないと考えている」

 

「最初から失敗前提で、裏切る前提? ……いや、違うね、それ以外の目的が君にはある。そうだね?」

 

 半ば確信をもって雷蔵は問いかけた、己は最強を自負している。

 自惚れる訳ではないが、他の同業者からの評価もそうだろう。

 それ故に、雷蔵の命を狙うなんて愚かな行為の片棒を担ぐ同業者など限られていて。

 

「怨恨、或いは僕が持ってる不破の情報……、どちらもかな? でもそれなら依頼に乗るより、直接交渉した方が良かったんじゃないかな?」

 

「………………私以外の候補は、不破貴咲から先に狙うような輩だったから全て排除させて貰った」

 

「へぇ! 随分親切だね。ははぁ、最初から僕に負けて今この瞬間を迎えることさえ折り込み済みかな?」

 

「そうだ、あの依頼主の破滅は遅かれ早かれ、しかし手間が省けたのなら……交渉の余地があるのではないか?」

 

 ここで、君が勝手にやった事だと冷酷に振る舞う事もできた。

 実の所、彼女の依頼主の事など既に把握しているし。

 彼女を捕まえる前に殺し、今頃は雷蔵の依頼を受けた同僚達は社員価格で引き受け後始末をしている頃である。

 

「――知らないフリは止めようか、君も気づいているんだろう? 朝から依頼主と連絡が取れない筈だ」

 

「やはり貴男の仕業か、……となると交渉は決裂だな、殺すがいい」

 

「君の事も実は調べたんだ、ちょっと候補が多すぎて困ったけど組織には所属しておくものだね。一晩で突き止めてくれたよ。――向田良美、それともミス・ストーカーの方が良いかい?」

 

「ッ!? …………驚いたな、殺しだけでは最強を名乗れないという事か」

 

 調査によると、彼女は殺し屋ではあるが。

 どちらかというと、殺しは副業。

 専門は潜入調査で、主に裏に属する組織から情報を手に入れてくるスペシャリスト。

 

「君が狙っていた最後の不破が僕らだ、だから可能な限り恩を売りつつ接触したかった、でも恨みがあるから敵対する手段しか感情が許さなかった。……あってるかな?」

 

「はぁ…………、どうやら全てお見通しの様だ。けれどそれが故に疑問が残る。――何故、有無を言わさず殺していない」

 

 当然の疑問であった、全てを知っているならわざわざ捕まえて尋問する意味がない。

 彼の個人的な協力者に仕立てるつもりなのか、それも違う。

 あるのだ、彼にも他の目的が。

 

(こればっかりはさ、言うべきだろうね)

 

 彼女の詳細を知るに至って、雷蔵には無視できぬ情報があった。

 向田良美が裏で生きる理由、不破を恨むに値する理由。

 それは。

 

「――――家族を探しているんだって? 幼い頃に不破に浚われた誰かを、そしてその際に君の両親を殺した相手を」

 

「ッ!! そうだッ!! 私は復讐せねばならない!! 何故、赤子だった弟を浚ったのか!! 何故、私の両親が殺されなくてはならなかったのか!! その相手は誰だ!! 恨まずにいられる訳がない!! 不破であるお前達と友好的に接触など出来る訳がない!! ――――殺戮人形、貴様に私は敵わないと理解している、だが……それでも貴様と戦い殺さなくてはならない!! ああそうだッ、不破貴咲も殺してやる!! でもそれは貴様を地獄に送ってからだ!! それが叶わぬなら……」

 

「少しでも情報を手に入れて、勝てそうな誰かを探す? それとも出直して長期的に殺す方法を考える」

 

「そうだ!! 殺してやるッ、殺してやるぞ不破ァ!!」

 

 それは紛れもなく怨嗟の叫びであった、決して許さぬと誓った魂の悲鳴。

 だからこそ、雷蔵は向田良美を殺さない殺せない。

 不破の作り出した殺戮人形は、悲しそうに笑って。

 

「僕も知りたいんだ、……本当の家族を。もしかしたら貴女は――――姉かもしれない人だから」

 

「ッ!? ぁ、ぇ――――う、嘘を言うな!! 貴様は不破、その強さは一族の血が生み出したものだろう? だって次期当主として、戸籍だって!!」

 

「ああ、そういえばアイツらそんな事してたっけ。まったく古い家ってどうして見栄を重視するんだろうね? 僕は幼い頃にどこかから浚われてきた孤児さ、ただ誰よりも強くなったからアイツらが血に取り込もうとしてたけど」

 

「ッ!? ま、まさか――不破の家の女性達が不自然なまでに戸籍が無いのも、てっきり狙われないように消しているのかと思ったが…………ッ!?」

 

 長年に渡り一人で不破を調べ上げてきただけあって、彼女の理解は早かった。

 不破という家は不自然な点が多く存在していた、それは部外者である彼女には理解不能な所も多く。

 だが、雷蔵の言葉で彼女は理解した。

 

「――――徹底的な男尊女卑、そして弱肉強食。それが不破か」

 

「そうさ力こそ全て。考え方が歪で、矛盾しててさ。不破の本家の戸籍を与えられた時、なんて言われたと思う? 光栄に思えってさ、ああ、思い出したくもないよ。ま、全員殺したからいいけどね」

 

「女性は次代の子を生む母胎でしかない、その母胎ですら強さで決まり。強さの他に取り柄がある者は権力者の慰み者として育てられ、或いは……」

 

「そこまで知ってるんだね、強さもなく美しさもない不破の子はさ……殺しの練習の為の標的になるしかないんだ」

 

 だから、どこまで行っても可能性があるのだ。

 仮に雷蔵が彼女の弟でなかったとして、その弟が弱かったら練習の的として殺していた可能性が。

 仮に素質があって生き残っても、あの惨劇の日に殺してしまった可能性が。

 

「…………狡い男だな不破雷蔵。もしかしたら本当に弟かもしれない、だが弟の仇である可能性がある。だが同時に、素質があり生き延びても不破が貴様に滅ぼされた日までに死んでいる可能性だてってある。――ああ、なんて狡くて残酷なんだ、私に貴様がずっと探していた弟かもしれないって希望を抱かせるなんてッ!!」

 

「逆を言えば、それは僕も同じなんだけどね。復讐する前に調べた限りじゃさ、不破に浚われた子の家族で生き残ってるのはいなかった。……君しかいないんだよ、僕の家族である可能性がある人が」

 

「…………それを明らかにする為に、私を生きて捕らえた。そういう事か……」

 

「殺し合いをするのはさ、僕らに血の繋がりがあるかどうか検査した後でもいいと思わないかい?」

 

 雷蔵の提案はとても魅力的に思えた、もし彼の言葉が本当ならもしかすると、もしかするかもしれない。

 だが同時に、向田良美の半生を捧げた全てが終わる瞬間になるかもしれない。

 知らなければ、今まで通りに恨みを力に生きることが出来る。

 ――――けれど気づいてしまった、彼の肩が微かに震えている事を。

 

(…………同じ、なのかもしれない)

 

 不破に恨みを持ち、外から復讐と狙っていた向田良美と。

 不破に恨みを持ち、内から復讐をやり遂げた不破雷蔵。

 もし弟ではなく彼女が浚われていたら、どちらも同じ事をしたかもしれなくて。

 

「――――はぁ、私の負けだ。貴様の好きなようにすればいい。結果がどうであれ、もう命は狙わない…………不破雷蔵、貴様は両親の仇討ちをしてくれた可能性もあるのだからな」

 

「貴女の決断に感謝を、――じゃあこのナイフはもう必要ないね」

 

「ありがたい、ついでと行ってはなんだが質問がもう一つある。……何故、不破貴咲と結婚している? 何故、彼女を殺していない。まさか色香に迷ったとは言うまいな?」

 

「実の所、それに近いかな? 自覚はなかったんだけどね、子供の頃から貴咲が気になってたみたいなんだ。……無理矢理結婚してから気づくなんてバカな話なんだけどさ」

 

 自嘲と共に出された台詞に、姉かもしれない存在は「んん??」と首を傾げた。

 今、とても変なことを聞いた気がする。

 よくよく考えてみれば、不破の長女である貴咲と、浚われ育てられた孤児ながら当主に望まれる雷蔵は複雑な間柄であろう。

 だがしかし、無理矢理結婚と確かに聞こえて。

 

「…………変な事はしないと誓うから、不破貴咲に会わせてくれないか?(もし弟が殺し屋だけじゃなくて女性の敵になっていたら、私はどうしたらいいんだッ!?)」

 

「あ、いいねそれ。他人の目から見れば、僕ら似てる所とかあるかもしれないし。――家族にさ、お嫁さんを紹介したかったんだ。お墓の場所も知らないから何もできなくて……」

 

「貴様さえよければ、今後私は姉として振る舞い力になろう」

 

「気持ちはありがたいけど、それは本当に血の繋がりがあるって判明してからかな」

 

 そうして二人は、雷蔵と貴咲の住むマンションへ赴いたのであったが。

 扉を開け、そこに居たのは。

 

「――――――へぇ、そう、そうなの、そうなのですか旦那様? ふふっ、あははははははははははッ!! ああ、愚かでしたっ、貴男なんかに騙された私が愚かだったのですね? 仕事と偽って有給を取り浮気に出かけ……挙げ句の果てに、浮気相手を連れ込むなんて………………殺してやる!! 殺してやるわ雷蔵おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 修羅と化した女が、激しい憎悪を瞳に宿す般若が。

 世界一美しい女が、血の涙と包丁を握りしめ待ち受けていたのであった。

 

 

 

 □■□

 

 

 

(なんでこうなってんだよおおおおおおおおおおおおおお!?)

 

 家に帰れば修羅がいた、この世でもっとも美しい鬼がいた。

 向田良美を連れて帰るのだから、多少の言い争いは覚悟していた。

 だが、これはいったい何なのか、有給の事もバレているし最悪の誤解をしている。

 

「お、落ち着こう貴咲ッ!? 何か誤解があるんだって!!」

 

(――もしかして私はピンチ? この凄く美しい人から浮気相手だと認定されている?)

 

「誤解? 誤解ですかこの浮気者?? ――誰よその女!! そんな、そんな~~~~っ、誰よ貴女!! いくら旦那様が言い訳しようと私の目は誤魔化せないわっ!! だいたいなんなの? その大きな胸は!! それに――――目元なんて妙に雷蔵に似ているし!! は? 何? 旦那様はご自分に似ている女性が趣味だったんです?? ええ、ええ、この血の繋がりを感じさせるレベルで似ている女と同じ顔にしろと? ふふっ、やっぱり……、まだ貴男の復讐は終わっていなかったんですね? この旦那様と妙に似ている女と同じ顔に整形しろと? 散々誉めて持ち上げておいて私の唯一の取り柄である美しさを心ごと陵辱する気なのね!!」

 

 雷蔵のお腹を今にも刺しそうな勢いでまくし立てる貴咲に、彼は恐怖すら覚えたが。

 だが今の言葉には気になる所がいくつもあって、その前に誤解を解かなければならない。

 

(――最悪、一度は刺される覚悟で!! 下手に無力化したら絶対に拗れるでしょこれ!!)

 

 ならば、言うべき事は決まっている。

 

「……聞いてくれ貴咲」

 

「ふふっ、あはははははっ!! 言い訳ですか旦那様?」

 

「彼女は向田良美、先日から僕らを監視し命を狙ってた殺し屋であり…………、僕の姉かもしれない人だ」

 

「――――へぇ、お上手な冗談ですこと。でもそんなもので私は騙されません、ふふっ、旦那様のお望みは何ですか? ああ、もしかしてこの方と一緒に閨で抱かれろと? ―――― 反 吐 が で る !!」

 

 このまま心中せんと、血の涙を流し顔を醜く歪めるさますら美しい。

 雷蔵はいっそう焦り、良美は思わず見とれてしまったが。

 女殺し屋は一歩前に出て、貴咲を睨んだ。

 

「答えろ不破の女、――21年前に貴様達が浚った男の子がいた筈だ。一緒にいた両親は殺され乗っていた車ごと崖から落とされ事故として処理された」

 

「…………その弟が雷蔵かもしれなくて、不破の恨みで私達を狙っていた、ふふっ、その嘘を突き通すのですか? 貴女も気を付けた方がいいですよ? 復讐の道具――、いえ、そういう事ですか雷蔵。嗚呼――私へ復讐したい女と情を交わし、貴男への愛を抱いてしまった私を絶望の淵に突き落とすと、ふふっ、そうなのですね??」

 

 ぽたりぽたりと大粒の涙が、頬を伝って床に落ちる音がした。

 はらはらと風に乗って消えてしまいそうな儚さと、狂気を孕んだ愛憎が雷蔵と良美に突き刺さって。

 だが良美とて引くわけにはいかない、これが不破でたった一人残された女の末路かと、愛に狂ってしまった――。

 

「――羨ましいな、不破貴咲。貴女はそんな風に狂えるのか。一人の男に対しどこまでも純粋で」

 

「哀れみですか泥棒猫、さぞ気分が良いでしょう……私こそがたった一人残った不破。貴女の憎しみをぶつける先なのですから」

 

「違う、本当に羨ましいんだ。それは……私には選べなかったから。両親を殺されまだ赤子だった弟を奪われ、復讐する事しか選べなかった私はどんな愛も受け入れ、愛する事が出来なかったから」

 

「………………貴女は――」

 

 雷蔵がハラハラと見守る中、二人の女は見つめあった。

 もしかして、本当に、貴咲の中に疑念が産まれる。

 目の前の彼女は、どこか寂しげで、けれど本当に羨ましそうに。

 

「――向田良美さんと言ったかしら? 貴女は雷蔵が弟かどうか確かめに来たと?」

 

「そうじゃないかもしれない、でも……もう貴方達以外に不破は存在しない。私に残されたたった一つの手掛かりなんだ。違ってもいい。ただ――区切りが欲しい」

 

 その時、貴咲は良美に奇妙なシンパシーを感じていた。

 不破という家に人生を握られていた自分、不破という家に人生を狂わされた彼女。

 似ている、何も出来ずに終わってしまった悔しさと安堵、そして……、やり場のない怒り、憎悪。

 

(この人が言っている事は――本当なのかもしれない)

 

 だが。

 問いつめなければいけない事は残っている、貴咲のプライドに関わる重要なことが。

 

「――――そう、失礼を言ったわ向田さん。それで旦那様?」

 

「も、もう大丈夫? 正気に戻ってくれた? 誤解はとけたかい?」

 

「旦那様の部屋に隠されていた、黒髪ショートカットで爆乳の女性の卑猥な本の事ですが。――納得のいく説明をお願いできますか? ふふっ、彼女の事は分かりました、けれど浮気の件はまだ解明されていませんわ?」

 

「え? 何のことそれ?? うーん? どういう事?? ごめん、エロ本の事も分かんないし、浮気の誤解も理解できないんだけど??」

 

 雷蔵は必死になって思いだそうとした、彼の部屋にそんなものがあっただろうか。

 

「まだ言い訳を続けますか!! ――あはっ、私を無理矢理に妻にして!! 毎夜しつこく愛を囁いて!! そうして私に愛されていると夢をみせておいて、取り上げて嗤うつもりでしょう?? ええ、ええ!! 私を一生飼い殺しにして復讐心を満たす玩具にする為に、愛してるフリをしているのですよね?? …………許さない、嗚呼、私の心に夢をみせて、なんて残酷なんでしょうね旦那様は!!」

 

「なんでそんな勘違いしてるの!? 誤解だって全部君の誤解だよ!! 僕は浮気してないし、君しか愛していない!!」

 

「――――待った、少し気になる所がある」

 

 夫婦の諍いに、良美は待ったをかけた。

 彼女の言葉に、同じ女として聞き逃せない所がある。

 

「答えろ不破雷蔵、――貴様は不破貴咲を陵辱した上で暴力をふるい無理矢理妻にしていると?」

 

「え!? そっちに味方するのかい!?」

 

「当たり前だ、彼女は憎き不破の血が入っている。……だが、彼女は家の罪に何も荷担していない、それどころか被害者といってもいい。――そんな彼女を、貴様は復讐の為に弄んでいると?」

 

「向田さん、……いえ良美さん、分かってくれますか!!」

 

「不破に恨みはある、だが――家の罪を娘にまで要求しない。答えろ殺戮人形、お前はなんで不破貴咲を己と結婚させた」

 

 嘘偽りは許さない、たとえ死が待ち受けても良美歯己のルールに従うつもりであった。

 その事は、雷蔵にも痛いほど伝わり。

 

(身から出た錆って、こういう事なんだね!! うん!! どうしよう!!)

 

 正直泣きたい、最愛の妻が妙な誤解をしているし。

 姉かもしれない人は、彼女の側に立っている。

 最悪なのは、貴咲が雷蔵の愛を信じきれない原因を雷蔵自身が作ってしまっている事だ。

 

「答えろ、不破雷蔵」「答えて旦那様」

 

(ううッ、考えろッ、何か、何かある筈だ! 過去は変えられない僕らの始まりは間違いだらけだった主に僕のせいで!! でも――今は違う、貴咲を愛してるって心から言える!!)

 

 問題はどうそれを示すかだ、妻と姉かもしれない者は雷蔵を睨みつけて答えを急かす。

 悠長に考えている暇などない、力付くで制圧するのは最悪の選択。

 なら、これしかない。

 

「――――ふぇっ!? だ、旦那様!?」

 

「貴様、何のつもり――――ええっ、え?? ちょっとッ!?」

 

「僕が貴咲を犯して監禁して、無理矢理結婚したのは本当だ。でも確かに愛してるんだ、僕には君しか見えない、君以外の女なんていらない、でも言葉で信じて貰えないなら――――僕は脱ぐ!! 全裸になろう!! さぁ、僕は抵抗しない!! 浮気が本当だと思うならその包丁で刺せ!! 向田さんも僕の貴咲への愛が信じられないなら殺すといい!! でも殺したなら貴咲も後で殺して欲しい!! 貴咲は僕の妻だ嫁なんだ女だ誰にも渡さないッ!!」

 

「あああああああああっ、もう!! どうして旦那様はノーガードで愛をぶつけるのよ!! 私達の始まりが間違いだらけなのは何も選ばなかった私にも責任があるかもしれないけど!! そんな事をされて絆されない訳がないでしょうが!!」

 

「――――理解した、ただの痴話喧嘩だなこれは」

 

 ため息を一つ、向田貴咲は秒で納得した。

 雷蔵と貴咲には彼女の知らない過去があって、きっと複雑な愛情で繋がっているのだろう。

 だが、それでも愛して、愛し合ってしまったから誤解も避けられない。

 

「リビングで待たせて貰うから、痴話喧嘩を終わらせてから来てくれ。話はそれからだ」

 

「だいたい旦那様はいつも~~」「貴咲だって――ッ!!」

 

 夫婦喧嘩が始まって一時間、暇すぎて良美がソファーで寝そうになってしまった頃。

 ばつが悪そうな顔をして、夫婦はリビングにやってきて。

 良美は雷蔵が服を着ていた事に安心したが、その首筋に真新しいキスマークがあるのには気づかないフリをした。

 

「あはは、ごめんね向田さん。お見苦しい所をみせちゃって」

 

「本当に申し訳ないわ、みっともない所を見せて恥ずかしい限りよ」

 

「…………いや、事情は何となく察する、理解もする

、二人にとっては必要な事だった。――所で、今回の夫婦喧嘩の発端と思しきエロ本については?」

 

「ほら、一般人を装う為に部屋をカモフラージュしてるんだけど。その中にエロ本を配置してたのをすっかり忘れてて……、ほら、貴咲は最高の女性だからさ。それがエロ本だって意識すらなかったんだ」

 

「もう、妻を誉めても何も出ませんわ。ええ、でも私も自覚したわ、自分で思うより嫉妬深くて重い女だって」

 

「…………まぁ、解決したなら何よりだ」

 

 口元に笑みを浮かべた彼女に、雷蔵も貴咲もほっと胸をなで下ろして。

 

「じゃあ、僕は今から晩ご飯の買い物に行ってくるから。二人で話しててよ」

 

「……夕食までには帰ろうかと思っていたのだが」

 

「良美さんは旦那様のお姉様かもしれないのでしょう? 例え違っていても、お友達になりたいわ。ね? お嫌かしら……」

 

「………………分かった、ご好意に甘えよう。色々と聞きたい事もある」

 

 そうして雷蔵が近所のスーパーへ出かける一方、良美は貴咲に問いかけた。

 先程からずっと気になっていたが、我慢していたのである。

 

「ところで貴咲さん、さっきは私と雷蔵が似ていると言っていたが……」

 

「あらお恥ずかしいわ、よく覚えていらっしゃるのね。感情に任せて言葉をだしてしまって、穴があったら入りたい気分よ」

 

「だからこそだ、損得抜きで出された言葉だからこそ気になる。――そんなに私と雷蔵は似ているのか? 実の姉弟も同然、同じ顔とまで言っていたが」

 

 貴咲はあらためて向田良美を観察した、あの瞬間は色眼鏡で見ていたとはいえ。

 

「…………似ているわ、眉の形とか、目元とか、良美さんは普段あまり感情を出さない方かしら? いえ感情を殺している顔なのかしら。――ええ、似ているのよ、雷蔵が殺戮人形になる前の頃と」

 

「そこまでか? 性別の差、年齢の差もあるだろうが、自分の顔を思い出しても似ているように思えないのだが」

 

「そうね、――ご両親の写真とかは残っていないかしら。それがあるなら確信をもって似ていると断言できるのだけれど」

 

「写真か……小さいがコレでどうだ?」

 

 良美は胸元から、ロケットペンダントを取り出して見せる。

 そこには二枚の写真があった、一枚は両親がが並んで写った。

 もう一枚は四人が全員揃った、幸せそうな家族写真で。

 

「か、可愛いっ!? え、この赤ちゃんが雷蔵!?」

 

「その可能性がある、今のところはそれだけだな」

 

「うわぁ、ええ~~、良美さんもご両親の面影があるのね。はぁ……良美さんの顎のラインはお父様似ね、でも目元はお母様譲り、眉もお母様みたいな。――ああ、お母様の方が背が高いのね、体格もいい……何か運動をしていらしたのかしら。へぇ、もし本当に血のつながりがあるなら、雷蔵は全体的にお母様似で、良美さんはお父様似、そして個々のパーツは似通っていると」

 

「う、うむ? そう言ってくれると良くも悪くも期待してしまうな」

 

 目を輝かせ、興奮すらしている貴咲の姿に気圧されながら。

 良美は心が浮ついていくのを感じた、同時になんて残酷なんだろうと。

 

(これで違っていたなら、私は立ち直れるのだろうか……)

 

 例えDNA検査をしても、結果をみない方が幸せかもしれない。

 けれど、もし彼が弟ならこれ以上に幸せな事はなくて。

 

(――――そう、か。もう潮時なのだな)

 

 全て、全て終わったのだ。

 本当の意味で復讐する相手はもういない、両親の仇は彼が討ち果たした。

 考え得る中の最悪、弟が生きていて不破という悪に染まっていた、というケースはもう存在しない。

 

(もしそうであっても、……きっと彼が私の代わりに殺してくれただろう。もう二度と、不破による私達のような被害者は出ない。もし彼が弟でも)

 

 不破の代名詞ともいえる殺戮人形、血も涙もない殺すだけの兵器。

 雷蔵はそんな存在には見えなくて、否、見えないではなく確信していた。

 もし本当に彼が兵器なら、己は今、この場で彼女と話していない、この考えは正しいと信じている。

 

「本当に……彼が弟なら嬉しい」

 

「ええ、私も貴女のような方が義姉なら嬉しいと思う。――もし違っても、姉のように親しくしてくれるかしら?」

 

「そうだな、……そろそろ引退時だ。近くに引っ越すのも悪くはない」

 

「本当!? 嬉しいわっ!」

 

 もし良美と弟が普通に育って、そしてお嫁さんとして彼女を連れてきたなら。

 同じように、彼女と話せていただろうか。

 きっとそうだろう、向田良美が欲しかった光景はここにはあって。

 

「――ああ、そういえば今晩のメニューは何だろうか。ここに来る前に盛大な鬼ごっこをしたのでかなり空腹だったのを忘れていた」

 

「…………残念ながら私も知らないわ。ふふっ、でも大変だったでしょう。でも凄いのね雷蔵と鬼ごっこが出来るなんて。そんな人がいるなんて初めて聞いたわ。それも血の繋がりの証明かもしてないわね」

 

 女殺し屋の声は少し震え、目尻にはうっすらと涙が浮かんで。

 貴咲はそれを指摘せず、見なかったように振る舞う。

 三ヶ月前、貴咲が不破の全てから解放された様に、良美もまた、たった今解放されたのだと察したからだ。

 ――啜り泣く声が部屋に響く、彼女の震える手を貴咲はそっと握って。

 

「…………雷蔵が貴女を強引にでも妻にした理由が分かった気がする」

 

「もしそうなら、良美さんも好きな人を監禁するような事はしない方がいいわ」

 

「くくっ、違いない。とても気をつけよう、夫婦喧嘩で全裸で説得などしたくないからな。――――いや待て、そういえば父と母が喧嘩した時、何故か父が全裸になって謝罪の言葉を繰り返していたような思い出が……?」

 

「そんな所まで重なるのっ!? もう検査しなくても家族でいいんじゃない!?」

 

 血のなせる業なのか、もしそうなら恐ろしい話であると貴咲がある意味身震いした瞬間であった。

 ガチャと玄関の扉が開く音がし、脳天気な声が響いてくる。

 

「ただいまーー、いやぁ待たせたね。僕もお腹減ってるからさ、すぐに作っちゃうよ!」

 

「手伝うわ、何を作るの?」

 

「ふふーん、今日はね……焼きそば! 目玉焼きが乗ってるやつ!! しかも今回は――、じゃじゃーん! 屋台のお店で使うような透明パックも買ってきました!!」

 

「…………それ、意味あるの?」

 

 わざわざ屋台風にして、いったい何の意味があるのか。

 貴咲はとても不思議であったが夫が楽しそうにしている以上、特に止める事もせず。

 当の雷蔵は、何も気にせずに買ってきた材料を台所に並べ始めた。

 

「青ノリと鰹節、それから麺のセット! たぶん、おそらく、この手の麺の筈なんだ僕調べでは」

 

「これって普通にスーパーで変えるやつよね? それがどうしたの? 食べれるならいいけれど……」

 

「まぁまぁ、答え合わせは後で、さ、作ろうか! 袋の裏の通りにすればいいだけだしね」

 

「目玉焼きはトースターで焼いておけばいいわね」

 

 二人が調理に取りかかろうとした瞬間、良美は声をかける。

 貧乏性とでも言うのだろうか、今の彼女は客人である事は確かなのだが。

 ただ待っているだけなのは、どうも落ち着かなくて。

 

「手伝おう、三人ですればもっと早くなる」

 

「ええ是非、一緒にしましょう良美さん!」

 

「お客さんなんだし待っててくれてもいいんだけど、貴咲がそう言うなら手伝って貰おうかな」

 

「ではキャベツを斬るのは任せてくれ、何、これでも刃物の扱いは同業者より得意な方なんだ。流石に雷蔵には敵わないがな」

 

 その言葉に貴咲は「んん?」と思わず首を傾げて、だってそうだ。

 刃物が得意だからと料理にも応用しようとするその姿は、どうにもこうにも見覚えがありすぎて。

 然もあらん、隣の夫は負けじと人参を手にとる。

 

「ほう――勝負するか? 先程は負けたがコッチでは負けないぞ? 本格的に殺し屋を始める前は有名店から料理人としてスカウトが来た私に勝てるかな?」

 

「包丁捌きには自信があるようだね、でも僕が殺すだけが能の男とは思うなよ? ――刃物であるなら何だって扱えるし、標的がなんであれ斬ってみせるさ」

 

「…………私、何を見せられているのかしら? ああ、目玉焼きの用意だけしておきましょうか」

 

「「いざ――勝負!!」」

 

 貴咲が匙を投げる中、二人の勝負は一瞬で終わる。

 雷蔵の絶技の前には、人参は即座に短冊切りに。

 

(ふっ、スピードではこちらの上――ッ!? なッ、そんなバカな!?)

 

 だが、コンマ1秒遅れて完成したキャベツのその切り口に彼は戦慄した。

 己は思い上がっていた、この腕さえあれば料理人にすら転職可能だと。

 だが。

 

「あり得ない……確かに包丁で斬っているのに手でちぎったような断面ッ!! それでいてフライパンで焼いた時に適度な食感が楽しめるように微調整されているッ!!」

 

「なんでそれが理解できるの旦那様? また料理漫画でも読んだの? 最近特にハマってるわよね?」

 

「ふッ、これが殺し屋と料理人の違いというものだ雷蔵。確かに君の腕は凄い、早さも鋭さも世界一だろう――だがそれは、殺しの中でだ。『斬るのではなく、調理する』この違いが理解できなければ上にはいけない」

 

「違いが分からないし上を目指す必要があるの??」

 

 貴咲が理解不能と首を横に振る一方、負けた……と膝から崩れ落ちる雷蔵。

 何故か良美は師匠面して、精進する事だな、ともっともらしく頷き。

 

「折角だ、ここからは任せて欲しい。――久しぶりに料理人に戻る時が来たようだ」

 

「姉さん!! なんて頼もしいんだ!!」

 

「雷蔵? まだ気が早いわよ??」

 

 そうして彼女は見事な手際で焼きそばを作り上げ、雷蔵が透明パックに盛りつけ。

 最後に貴咲が、青ノリと鰹節と目玉焼きを乗せて完成である。

 ならば後は食べるだけ、と三人は食卓についたのだが。

 

「――所で旦那様? 屋台風にした理由って何なの?」

 

「ああ、それは私も気になっていた」

 

「うーん、思い出さないかい貴咲? まぁすっかり当時をすっかり忘れていた僕が言える事じゃないかもだけど」

 

「忘れていた? 不破にいた頃の一番辛い時だったから、私との初めての思い出を忘れていたやつかしら?」

 

 二人にそんな過去が、と良美はとても詳しく聞きたくなったが我慢した。

 きっと屋台風にしたのは、貴咲に対する愛情の現れ。

 それを邪魔するほど無粋ではない、と静かに微笑んで。

 

「これはね、君と出会った時に一緒に食べた屋台の焼きそばの再現なんだ」

 

「旦那様……」

 

「僕らは何もかも間違って繋がったけれど、でも、中には綺麗な思い出だってあって、……上手く言えないけどさ、何だって喧嘩しても、何度だって仲直りして進もうよ。もう、全部終わったんだから、過去が追いかけてくる時もあるけど、僕らなら乗り越えていけると思うから。――昔の思い出も、これから作る思い出も、幸せに、大切にしていこう」

 

「……………………はいっ!!」

 

 やはり羨ましい、と良美は心の中で呟いた。

 この二人には己の知らない過去があって、それを現在進行形で乗り越えて幸せな家庭を作ろうとしている。

 

(もし普通に育っていたら私も……いや、よそう。過ぎ去った時間にもしを求めても恨み辛みが増すだけだ)

 

 目の前の夫婦のように、どんなに不器用でも新たな一歩を踏み出すのだ。

 随分と血塗られてしまった手だが、そんな手でも再び料理人として歩めるかもしれない。

 

(何だったら、裏の人間をターゲットにした小さな飲食店をするのもいいかもしれないな)

 

「……じゃ、食べようか」

 

「ええ、頂きましょう」

 

「「「いただきます!」」」

 

 三人が食べた焼きそばは、とても普通の味だった。

 どこにでもある家庭的な、夜店で食べれる味もそうであろうと思わせるような安心する味。

 和やかな雰囲気の中、食事が終わり休憩もそこそこに良美は二人の家を後にした。

 

「…………検査の結果が楽しみだ、ああ、でも信頼できる所に頼まないとな」

 

 どんな結果であっても、今なら受け入れられる。

 良美は夜空を見上げ、少し欠けた月を眺めた。

 そういえば、両親と弟を乗せた車が崖から転落したと知らされたのも今日の様な月夜で。

 

(――――私に監視? いや複数ある、二人の部屋も見ている? 馬鹿な、何処の誰が、そんな情報は網に引っかかってないし全部潰した筈だ)

 

 まだ引退は少し早いかもしれない、良美は頭を切り替えて。

 

(……………………動きが妙だな、まるで見つけてくれと、これでは素人では――――素人? では……裏の人間ではない?)

 

 表の人間が二人を狙う理由は何だ、表が相手なら雷蔵とて命の扱いは慎重になるだろう。

 つまり、後手に回るかもしれない。

 

(姉かもしれない者として、ああ、調べておくか、可能なら根回しして対処……その前に連絡しておくべきだな、恐らく無用であろうが)

 

 夫婦として普通の幸せを目指す二人を、どうか助けたまえ。

 不破の凶行を知って以降、祈るのを止めた神という名の運命に彼女は祈ったのだった。

 

 

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