殺し屋、鎖に繋いだ嫁の為にメシを作る   作:和鳳ハジメ

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ターゲット7/嵐の前の『フレンチトースト』

 

 

 誰かが雷蔵と貴咲を狙っている、それも裏の人間ではなく表の人間だ。

 向田良美は雷蔵との血縁関係を調べる為、DNA検査を某社に依頼した、まだ結果は出ていない。

 二つの問題は解決していない、だが夫婦にとってさしたる問題でもなく。

 

(――そうだね、問題は僕が貴咲の気持ちを察していない事にある)

 

(まだまだ旦那様への理解と信頼が足りないわ、……もっと知らないと)

 

 穏やかな日曜の午後、静かなリビングにて。

 雷蔵と貴咲は、夫婦としてのコミュニケーション不足が何よりの問題だと痛感していた。

 だってそうだろう、それが不足していたからこそ先日の醜態がある。

 

(今はソファーでボーッとしてる訳だけど、テレビは付けてるけどBGM状態。――うん、この状態から貴咲が何を望んでるか考えてみようか)

 

(こういう時、二人だと何をして過ごしたらいいのかしら? ゲームでも買うべきなのかしら、それとも映画でも? けれど……この沈黙が苦ではないのよね)

 

(…………別にこういう空気は嫌じゃないっていうか、むしろ貴咲となら嬉しいんだけど。でも貴咲が暇でしかたないっていう可能性がある)

 

(手、を。……握ってみてもいいかしら。隣に座っているワケだし? でも突然すぎないかしら? でも夫婦なら普通よね?)

 

 早速、微妙なすれ違いを見せる二人。

 更に深く考え込もうとした雷蔵の右手に、貴咲はそっと己の左手を重ねて。

 瞬間、彼はビクっと肩を震わせ驚いた。

 

(え? ――手を……、どういう事?? 何の意味が……でも視線はテレビの方向だし、何か、何か変化は――)

 

(不自然じゃなかったかしら、不快だって思われないかしら? で、でも、手はそのままだし……うん、ええ、やっぱり夫婦なら自然なスキンシップなのよ!!)

 

(………………耳が少し赤い、恥ずかしがってる? それとも――――もしや怒ってる!? 気が利かないって暗に言ってる?? この状態で何かが欲しくて、それをして欲しいと催促している可能性……)

 

(っ!? へぁっ?? な、なんでそんなに真剣な目で見てるの?? え? もしかして勘違いさせちゃった? 誘ってるって思われてる?? スるのこれから? いえ問題はないけれど、そういう空気なのかしら??)

 

 途端、貴咲は首筋まで真っ赤にして。

 夜の生活の多くは、雷蔵が強引に求める事が多く。

 自分から、というのは滅多にない。

 

(ううっ、……誤解、誤解なのだけれど、でも旦那様がどうしても我慢できないって言うなら? 妻として受け入れるのも吝かではないけれど? ――でも、もう少し、こうして手を繋ぐだけというのも……)

 

(あ、そっぽ向いた。――あれ? これもしかして怒っているのでは?? い、いやでも、今日は何もしてないし……何もしてないのが問題? このまま手を繋ぐだけでも幸せなんだけど、それだけじゃ不満足って事??)

 

(み、見てるわよね、視線が突き刺さってる気がするっ、でも何もしてこないし……、もしかして、何かを要求している?)

 

(考えろ――僕なら正解を導き出せる筈だッ、貴咲は何を望んでる? きっと押し倒すのはNGな筈だ、小腹が空いたって可能性もあるかもしれない、いや違うな……、そ、そうかッ!?)

 

 互いに何かを要求している、そう誤解した二人は深呼吸をひとつ。

 貴咲はゆっくりと姿勢を戻した上で、何気なさを装って雷蔵の顔を見る。

 彼は彼女の一挙手一投足を見逃すまいと、身を乗り出して。

 

(近い……っ!? うう、でもこの真剣な目……ちょと弱いのよ、うん、でも分かるは、この次は私を誉めたり、愛の言葉を囁いたり、髪を撫でたりする筈よ)

 

(目を閉じた!! あわわわわわッ、これは怒ってるかもッ、次に目を開けるまでに何か行動に移さないとッ!!)

 

(――――…………何も、してこないわね?? 違う? え、もしかして勘違いだった? で、でもならこんなに密着してないし、手だって繋いだままだし、……………………私から雰囲気を作る、そういう事なのね!!)

 

 ごくり、と貴咲は唾を飲み込んだ。

 雰囲気を作るとはどうすればいいのだろうか、体に染み着くほど不破で教えられた筈なのに、不思議なぐらいに思い出せない。

 一方で浮ついた雰囲気を出し始めた妻に、非常に大きな焦りを覚えて。

 

(どうする分からないッ、このままだと失望され……、いやそれは今更かもしれないけど、なら僕に出来る事は愛を――――いやまてコレだッ!! いつもは僕が強引に口説く感じだった、だが…………頭を下げて土下座して、平服して、愛を請う、これだァ!!)

 

(ううううううっ、口が開かない!! ちょっと好意を示すだけだっていうのにぃっ!! す、好きよって、それだけなのに!! なんでこんなにも恥ずかしいのよっ!! おかしい!! 世の中理不尽だわ!!)

 

(くッ、もっと怒り出してる気がする!! この状態でただ分からないと降参しても逆効果だ!! ならどうする? 聞かないと分からないのに!!)

 

 焦りに焦った二人は奇しくも同時に、重なる手の感触を思い出して。

 口に出せないなら、行動で示せばいい。

 そうと決まれば、今すぐに。

 

(――――えっ、旦那様も手を引っ張ってる? なんでどうしてっ、手の甲にキスしようとしたコトがバレてるっていうの!?)

 

(まさか被った!? 手の甲にキスして反応を伺おうと思ったのに…………貴咲もそうしようとしてる!?)

 

 ぐいぐいと引っ張られる手、夫婦はお互いを信じられないような目で見ながら引っ張り合う。

 けれど決してその手は離さずに、しっかりと指が絡み合って。

 どうすればいいのだ、ここから。

 

「あー…………その、手の甲にキスしてもいいかな?」

 

「ダメよ、私が旦那様の手の甲にキスするのよ」

 

「なるほど、引っ張り合いになる訳だね。なら……左手をくれないかな」

 

「なら、右手は貰うわね」

 

 平然とした声色だが、二人の心臓はドックンバックン激しく鳴っており。

 キスの後はどうなる、何を言う、何が始まるのだろうか。

 怖々と、恐る恐る、一時も相手の目から目を離せない。

 ――――そして。

 

「……」「……」

 

(何か言ってよ!! え? これ何が正解なの!? 怒ってはいないみたいだけど、何を求めてるか分からないッ!)

 

(ううううっ、恥ずかしい気持ちを押さえてキスしてあげたのに!! 一言あったりしてもいいでしょう!! 何を求めてるのよ!!)

 

 こうなったら、直接聞く他に道は存在しない。

 

「ごめん、何を求められているか分からない?」

 

「旦那様こそを何を求めているの?」

 

「…………あれ??」

 

「どういうコトなの??」

 

 二人は思わず首を傾げる、これはもしかしてと疑問が答えを導き出す。

 

「僕は、てっきり君に何かを要求されてるのかと。平服して愛を請うのかと思ったんだけど……」

 

「偶には、私から誘うものだと……、だってもっと旦那様を知りたいから、手を繋いでみただけなのに」

 

「つまりは……深読みしすぎた?」

 

「多分、お互いに」

 

 なーんだ、と空気が弛緩して。

 けれど両手はしっかりと繋がれたまま、不思議とキスをした唇と、キスされた手の甲が熱く感じる。

 でも、肩の力は抜けた。

 

「そっか……こうやって空回りする所が誤解を産むんだねぇ……ちゃんと口に出さないとダメなんだね」

 

「お互いに、人間関係が得意という訳ではないですからね。夫婦であることですし……ええ、ちゃんと口にしないと」

 

「うん、なら言うけど。こうして君とただ手を繋ぐ時間って幸せだ。なんでかな、それだけなのに幸せなんだ」

 

「…………私も、悪くないわ。旦那様とこうしてゆっくり過ごすのが。言葉もなく、手を繋ぐだけの時間が……、そ、その……い、愛おしいと思うのよ」

 

 隠しきれない恥ずかしさが滲みでた妻の言葉に、夫は目を輝かせて歓喜した。

 嗚呼、と感嘆がもれる。

 自分たちは、もっと愛し合えるとすら思えてくる。

 

「愛してる……君も愛してくれていると、そう自惚れてもいいのかな? あんな始まり方をしたけれど、僕らは愛し合えているって、そう思っていいのかな?」

 

「………………好きに、解釈してくれていいわ。でも覚えておいてくれると嬉しいの。いつか貴男の子を孕んで、産んで、幸せな夫婦で、家庭で、今の先にある幸せを貴男となら築いていけるって信じたい――いいえ、信じてるってコトを」

 

「嗚呼――――今、それが聞けてとても幸せだよ貴咲…………」

 

「旦那様……」

 

 二人の顔が近づいて、瞼がそっと伏せられて。

 彼我の距離が、ゼロになろうとした瞬間であった。

 くう、と小さな音が一つ、続いてぐぅともう一つ。

 

「――――あははッ、ごめん、もうオヤツ時かな? ちょっと小腹が減ってきたみたいだ」

 

「わ、私も同じだから、ええ…………一緒にオヤツでも作りますか?」

 

「そうだね、それもいいね!! 何作る??」

 

 貴咲は少し考えた後、賞味期限が明日の食パンが残っているのを思いだし。

 

「――――フレンチトースト、いいと思わない?」

 

「フレンチトースト!! いいね! じゃあ作ろう!!」

 

 二人は仲良く、おやつを作る事にしたのであった。

 

 

 

 

 □■□

 

 

 

 

 お揃いのピンクのエプロンを着て台所に立った二人は、手分けして材料を取り出した。

 フレンチトーストに必要な材料は、そう多くはない。

 早速並んだ材料達に、雷蔵と貴咲は顔を見合わせ笑いあう。

 

「よーし、材料の確認からいこうか」

 

「食パン、卵2個、砂糖30、牛乳150、バター15、今回はこれね」

 

「お、レシピを見ずに言えるなんて得意料理?」

 

「ふふっ、旦那様に作って上げてもいいかなって。少し前にネットの動画で予習してたのよ」

 

「ほほうッ!! 嬉しいよ貴咲!!」

 

 愛する妻が己の為に、手作りのお菓子を。

 雷蔵は胸に熱い何かがこみ上げてくるのを実感した、これが幸せか、夫婦か、己はなんと果報者なのか。

 どうやってこの幸せに報いるべきか、夫として今、できる事とは。

 

(完璧に準備してみせる!!)

 

 スッと意識が切り替わる、仕事の時よりスムーズに。

 どんなに難しい標的を殺す時よりも早く、正確に、確実に、今の雷蔵は正しく機械。

 誰かを殺す機械ではなく、調理の準備をする機械である。

 

「準備は任せろぉ!!」

 

「はやっ!? え? ちょっと旦那様!? 気持ち悪っ!? なんでそんなに――って、ああっ、ちゃんと計って!! そんな適当に……!!」

 

「――準備、完了ッ!! 安心してよ貴咲、今まで培ってきた経験を生かせば秤なんてなくても正確な量を計れるさ」

 

「どこまで人間辞めてるんですか旦那様?? ――――うわ、本当に全部1グラムの狂いもなく用意されて……!?」

 

 どうやったら、こんな神業ができるのか。

 冷蔵庫からバターと卵と牛乳を取り出し宙に投げたかと思えば、いつの間にか卵の中身がボールに移され殻は生ゴミ入れに落下。

 牛乳パックは一回転し適量が計量カップへ、残りを一滴もこぼさずパックは掌で弾かれ冷蔵庫の元あった場所へ。

 

(それに加えて、バターもジャストで小皿にある……えぇ……?? 三つ同時に全部こなしたって言うの??)

 

 その瞬間、貴咲は気づいた。

 三つ同時にではない、全部だ。

 砂糖も食パンも用意されてる、夫は五つの事を同時かつ一秒もかからず完了したのだ。

 

「…………はぁ、じゃあタッパーを用意して」

 

「オッケー」

 

「それから、食パンの耳を切っておいて。私は卵液を作っておくわ」

 

 諦めの境地に達した貴咲は、卵と砂糖を混ぜて卵液を作り始める。

 砂糖が卵に全部とけるまで混ぜたら、後はパンを浸せば準備完了だ。

 

「へぇ~~、卵液は半分先に入れて、パンを入れた後に残りをかけるんだ」

 

「これで冷蔵庫で30分、少し待ちましょう」

 

「どんな味になるのかなぁ、フレンチトーストを食べるの初めてだから楽しみだよ!!」

 

「実は好きなスイーツの一つなの、旦那様も気に入ってくれると嬉しいわ」

 

 うっかり忘れてしまいそうになるが、お嬢様として育ち、権力者の女になるよう教育を受けた貴咲と違い雷蔵の食生活は悲惨の一言だ。

 

「…………これから、色んな物を一緒に食べましょうね」

 

「うん、一緒に作って食べよう! あー、早く30分たたないかなぁ……、待ち遠しい……、――――――あ」

 

「どうかしたの旦那様?」

 

「いや、君に話さなきゃいけない事があったのを思い出したんだ」

 

 深刻な顔をしだした夫に、妻は思わず可愛く小首を傾げて。

 その仕草に雷蔵は思わず抱きしめたくなったが、ぐっと我慢した。

 パンが卵液に漬かるまで三十分もある、この機会に話してしまうべきである。

 

「驚かないで聞いて欲しいんだけど……僕らを狙う奴がいるんだ。このマンションの部屋も監視されてる、今もね」

 

「ああ、そういう事もあるでしょうね。犯人は誰? 三剣(みつるぎ)の連中? それとも藤堂? どちらもかしら」

 

 三剣、藤堂、どちらも裏社会で名を馳せた古い家であり。

 不破と並んで、業界の一角を支配する一族だ。

 この三つの家は昔から仲が悪く、不破が滅亡した今、残党である雷蔵と貴咲を狙っても不思議ではない。

 

「あ、そっちじゃないよ。だって僕が復讐した後にどっちの家の当主にも直々に話をつけてきたからね。僕が生きてる限りは手出ししてこないよ」

 

「…………何をしたかは聞かないけれど、随分と大胆な手を打ったのね」

 

「ま、色々と交換条件はあったけどね。僕は強いから」

 

「旦那様がそう言うなら信じるわ、――なら誰が私達を狙ってきているんです?」

 

 当然の疑問だった、三剣と藤堂が手を出してこないなら余程の愚か者以外は狙ってこないだろう。

 そして、その手の輩なら雷蔵は真っ先に滅ぼしてる筈で。

 

「もしかして、良美義姉さんが雇われていた所の残党かしら?」

 

「そっちも手を回してるから安全は確保されてる、……今回はね、どうやら表の人みたいなんだ」

 

「表の? え? 何故? 普通の人が私達になんの用があるの?」

 

「良美さんやゴトーにも動いてもらって調べて貰ってて、今は結果待ちさ」

 

 少なくとも公的な権力者が組織だって動いている訳ではなく、裕福な個人である事が確定している。

 良くも悪くも不破の全てを燃やし尽くしてしまった事が原因で、二人と犯人の繋がりを発見するのが困難で。

 

「……こういう時、普通なら警察を頼るのが正解なのでしょうね」

 

「でも僕たちのような人種は頼れない、それに今の所、普通のサラリーマンを杜撰な監視をさせてるだけなんだ」

 

「そのサラリーマンの所属は?」

 

「バラバラさ、ネット経由で探偵会社のバイトを請け負ったらしい。その探偵会社もダミーらしくてね」

 

 調査は難航している、夫の表情はそう伝えていて。

 

「随分と回りくどく、そしてお金を持っている、……何にしても気味が悪いわ」

 

「ホント面倒な話だよねぇ、なまじ一般人だから迂闊に殺せないし拉致って尋問もできないし。ま、後数日あれば丸裸って所だろうけど」

 

「はぁ、買い物に出るのすら注意が必要そうね」

 

「何が目的か分からない、――だからさ、デートしてみないかい?」

 

 脈絡のない提案に、貴咲は瞬きをひとつ。

 いったい夫は何を言い出すのだろうか、デート、それは確かにしてみたいけれど。

 そんな事で、いったい何になるのだろう。

 

「デートは解決してからの方が安全ではなくて?」

 

「そう? 僕がいるなら安全さに変化はないでしょ」

 

「……確かに、旦那様なら仮に狙撃されても対応できそうですものね」

 

「狙撃って独特の殺気があるから対処が楽なんだよね、ま、目的としては敵の炙り出しさ。デートしてイチャイチャしている所を見せて、出てくるなら捕まえて、出てこないなら調査結果を待って突撃訪問するさ」

 

 なるほど、と貴咲は納得した。

 彼女とて多少の心得がある、表の人種であるならば屈強な男に襲われても無傷で逃げおおせられる。

 そして、最強のボディガードがあるのだ。

 

「ふふっ、じゃあデートしましょうか。楽しみにしてるわ」

 

「やった! じゃあ明日にでも映画かピクニックに行こう! それともこないだのバーベキューの時の別荘を借りるのもいいなぁ」

 

「二人っきりで海を楽しんで、夜はゆっくり別荘で過ごすというのも悪くないわね。夜は部屋を暗くして映画を見るの」

 

「いいねいいね! うん、そうしよう!!」

 

 明日の予定は決まった、二人はあれやこれやと話し合い。

 すると、あっという間に三十分は過ぎ去る。

 ならば後は、フレンチトーストを焼くだけだ。

 

「――あ、飲み物を忘れてたね。コーヒーと紅茶どっちがいい?」

 

「なら私が烏龍茶をいれるわ、焼くをお任せしてもいいかしら旦那様?」

 

「勿論さ、君の指示通りにバッチリ焼き上げてみせるよ!!」

 

「なら、準備を再開しましょうか」

 

 にこにこと笑いあうと、二人は楽しそうにそれぞれの作業に向かったのであった。

 

 

 

 

 □■□

 

 

 

 

 曰く、フレンチトーストを美味しく焼くコツというのは。

 

「――ええ、そう、バターは溶けてしゅわしゅわしてきたわね? なら弱火でじっくり焼くの」

 

「フチが色づいたら焼けてる証拠、フライ返しで裏返して同じように焼く、だったね」

 

 貴咲がお気に入りの花柄のティーポットに烏龍茶を用意している隣で、雷蔵はフライパンと睨めっこ。

 早く焼けないものか、そう思うと同時にこの待っている時間がとても楽しくて。

 ちらりと隣を見れば、妻も鼻歌交じりで茶葉を準備しており。

 

「そういえば知らなかったよ、君がそんなに烏龍茶が好きだったなんて」

 

「実はね、最初は優香の趣味だったのよ。あの子がいれた暖かい烏龍茶がとても美味しくて、ええ、私も好きになったの」

 

「明日はお茶屋さんにも行くかい? 近くにあるかな?」

 

「それなら丁度、駅前に行きたかったお茶屋さんがあるの、――ふふっ、着替えだけじゃなくて色々持って行こうかしら」

 

 上機嫌の妻を見ていると、とても幸せな気分になって。

 贅沢を言うなら、誰かに狙われていなければよかったのに。

 いったい、誰が何の目的で狙っているのだろうか。

 

「………………うん、そろそろかな」

 

 よいしょ、と彼はフレンチトーストを裏返す。

 素人目ではあるが、とても理想的に焼けているような気がして。

 香ばしく甘い匂いが台所に漂い、とても食欲がそそられる。

 

「やっぱり便利ね、電気ポッドって。つくづくそう思うの」

 

「あー……、不破ではそういうの禁止だったもんねぇ……あれ何だったんだろうね、ご飯を炊くのにも竈だったし」

 

「とにかく時代錯誤な家だったわね、ええ、私たちの子供にはそんな苦労はさせたくないわ」

 

「同意するよ、でも土鍋でご飯を炊くのは覚えて欲しいっていったら感傷かな?」

 

 懐かしむような言葉を、妻は笑い飛ばさなかった。

 灰になって当然の家だった、だが良い思い出もあったから。

 その一部だけでも、と思うのは彼女も同じで。

 

「私も同じ考えよ、でもそれ以外は普通に育てたい」

 

「あ、それは僕もまったく同じだ。ある程度は強く育って欲しいけど、殺し屋とかなるべきじゃないからね」

 

「教育方針が一致して嬉しいわ、では勉学の方は?」

 

「大学を出てくれたらって思う、僕は小学校すら通ってないからね」

 

 貴咲としても、大学に行きたくても行けなかった身だ。

 我が子には、そんな想いはさせたくない。

 それはそれとして、彼女はふと気になって。

 

「ところで旦那様? その……勉強はどこまで出来るの?」

 

「自慢じゃないけど期待しないで欲しい、ああ、子供に教えられるように勉強すべきだねぇ……教えてくれるかい? 一応、中学ぐらいの知識はある筈なんだけどさ」

 

「ふふっ、なら一緒に勉強しましょう。きっと楽しいわ」

 

「うん、君と一緒なら楽しそうだ。――っと、出来た!」

 

 未来に思いを馳せている間に、フレンチトーストは完成した。

 雷蔵はそれを皿に移し、貴咲が仕上げだと言ってその脇にホイップクリームを絞る。

 最後にフォークとナイフを用意すれば、楽しいおやつタイムだ。

 

「「いただきます!!」」

 

 二人はまずは一口と、小さく切り取ってフォークを刺す。

 貴咲はまず匂いを堪能し、雷蔵は口に運んだ。

 

「ああ、堪らないわね……この砂糖が焦げた香ばしさと、牛乳と卵の甘い匂いが好きなのよ」

 

「んぐんぐ、ああ、口の中で溶けてしまいそうなぐらい柔らかくて、暖かくて、甘さが体全体に広がっていくっていうのかな? ああ、……美味しい!!」

 

「ふふっ、気に入ったみたいね。じゃあ私はホイップクリームをつけて――――美味しい!」

 

「こんな美味しい物を食べてこなかったなんて、うん、人生損してた。ああ、なんでこんなに美味しいんだろう!!」

 

 もう一口、もう一口を二人はフレンチトーストを頬張る。

 途中で烏龍茶を飲み、口の中をリセットするのも忘れない。

 

「へぇ~~、あったかい烏龍茶って美味しいんだねぇ……」

 

「中々良いでしょ? 冷たいのより匂いが強く感じられて好きなのよ、ああ、……胸に染み渡るわぁ」

 

「もぐもぐ、成程。ホイップクリームで甘さを足すのもいいものだね」

 

「実はその為に、少しだけ砂糖を減らしているのよ。……今度はバーナーを買ってきて、キャラメリゼに挑戦するのも悪くないかもね」

 

 このフレンチトーストがもっと美味しくなる可能性があるらしい、その事に雷蔵は目を丸くして。

 料理とは、なんと素晴らしいことか。

 食べる手が止まらない、だがあくまでオヤツとしての量。

 

「…………もっと食べたいなぁ」

 

「ふふっ、これ以上食べると夕飯に響くからダメよ。御馳走様でした」

 

「残念だけど仕方ないか、……御馳走様!!」

 

「じゃあ明日のデートの予定を、もっと詳しく――」

 

 貴咲が言い掛けた瞬間だった、ぴんぽーんと呼び鈴の音が。

 二人はアイコンタクトで、来客予定を確認する。

 しかし雷蔵にも貴咲にも心当たりはなく、荷物が届く予定もない。

 

「僕が出るよ、なんだろう新聞とかかな?」

 

「新聞だったら断ってね、テレビとネットで購読してるので十分だから」

 

「へぇ、そういうの使ってたんだね。僕は職場で読んでるから気が付かなかったよ」

 

「便利よねスマホって、旦那様に買って貰うまで優香が触ってるのを見るだけだったから新鮮だわ」

 

 スマホを取り出し、満足そうに撫でる妻をもっと見ていたかったが。

 来客の対応をしなければならない、いったい何処の誰が来たのか。

 雷蔵は襲撃も想定し、インターホンの通話ボタンを押そうとしたその時だった。

 ――ガチャ、と音がしドアが開いて。

 

「ふおおおおおおおおおおおおお!! ここが我が貴咲の住まう部屋か!! なんて狭苦しい!! ボクならばこのような貧乏暮らしなど――」

 

「ちょっと!? 誰だよ君ッ!! 土足で入ってきた上に、我が貴咲? 貴咲は僕の妻だ!! 名を名乗れ無礼者!!」

 

「はっ、貴様こそ我が貴咲と勝手に結婚した無礼者ではないか!! ボクが誰だと思ってる!! あ、貴咲さん!! 貴女の最愛の婚約者、長谷部重定が参りました!! ささっ!! どうぞ我が屋敷で婚礼をあげましょうぞ!!」

 

「――――――えっと……、どなたですか?」

 

 二人の家に文字通り土足で入り込んだ侵入者、大柄だがひょろひょろとし。

 不健康な青白い肌をした、顔だけは整った男。

 

(長谷部……重定? え? 誰? どなた? というか無礼すぎない?? 土足で入り込んだ挙げ句、狭いとかなんとか――――)

 

 あまりにも突拍子のない出来事に、貴咲の脳味噌はフリーズ寸前だ。

 だが、侵入者の名前をどこか聞き覚えのあるような気がして。

 

「ねぇ貴咲、ぶん殴って叩き出していいよね? ちょっと僕、キれそうなんだけど??」

 

「慎重にして旦那様、この人、どこかの御曹司よ」

 

「ああ、そのスーツ高そうだもんね。でも似合ってないなぁ……、スーツに着られてるって感じ」

 

「誰か止めなかったのかしら、この無礼で常識知らずでセンスゼロの勘違い男。というか婚約者? 知らないわよそんな人なんて」

 

 何かの間違いではないだろうか、貴咲が嫁ぐ予定だった男は老年で太っていて、大臣職も経験のある人物だった。

 どう考えても、目の前の男には繋がらなくて。

 

「ああ、ボクは悲しい!! でも責めないよ、仕方のない事さ……ボクの貴咲。君は名目上、父の後妻として嫁ぐ予定で何も知らされてなかったのだからね!! それを何だいそこの横入り男!! お父様が味見した後でボクに渡される筈だったのに、勝手に貴咲を奪って結婚するだなんて!! 返せ!! 貴咲はボクのだぞ!!」

 

「…………ね、殺していい? 監視もコイツでしょ」

 

「そうね、後始末には私も頭を下げて回るから、旦那様の好きになさって」

 

「くっ、なんて事だ……この男に洗脳されたんですね貴咲さん! だがもう安心してください、ボクの愛で助け出してあげますからね!!」

 

 どうやったら、こんな恥知らずで常識知らずの盆暗に育つのだろうか。

 着ている物からして、少なくとも裕福な育ちである筈なのに。

 勘違い男とは、この男にこそ相応しい言葉に思えた。

 

「もう喋るなよ君、あの世で後悔するんだね」

 

「ほう? 暴力に訴える気か? ボクにそんな事をしたらママが黙っていないぞ? ま、もう手遅れだがな」

 

「――手遅れ? 貴男、何をしたの?」

 

「よくぞ聞いてくれた我が貴咲!! この男を懲らしめる為に銀行に手を回して口座を封鎖して貰った! このマンションも買い取ったから今すぐ出て行って貰う!! ああ、服ぐらいは持ち出していいぞ? 間男とはいえ大火事で全て焼けだされた貴咲に住むところを与えた恩ぐらいはあえて買ってやろう」

 

「………………まいったね、こりゃ」

 

 彼の言葉を信じるならば、彼自身は親の七光りとはいえ、彼の家が強大な権力を持っている。

 しかも銀行を動かせる、となると限られてくるが。

 残念な事に、雷蔵が持つ情報にはその中に長谷部という家名はなく。

 

(政治家か大企業の私生児、しかもかなり気に入られているって所かな? 長谷部っていう名字はそのママとやらの名字だろう)

 

 それが正しかった所で、この部屋を追い出され、しかも銀行口座が封鎖されているとなると詰み確定である。

 もっとも、それは雷蔵達が一般人であったならば、だ。

 盛大にため息を出すと、彼は長谷部に問いかける。

 

「…………ちょっと聞くけどさ、不破を何だと思ってるのかい?」

 

「不破? もうすぐ貴咲の名字は長谷部になるんだ何を気にする事がある」

 

「ならもう一つ、君のお父様とやらは? なんで今になって貴咲を浚いに来たんだい?」

 

「フン、キミから助け出すと言え。……パパは少し前に亡くなった、それがどうした? ボクはパパがいなくても全てを手に出来るんだママもうそう言ってる!! さぁ、観念して貴咲を渡せ! 否! ボクと一緒にいこう貴咲! キミを幸せにするよ!!」

 

 長谷部がそう言いながら貴咲の腕を掴もうとした一瞬、彼女は逆に彼の腕を掴むと。

 大輪の花が咲くような笑顔を向けて、勢いよく長い足を振り。

 

「――――死んでもごめんだわっ!!」

 

「おっ、あっがぁっ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」

 

「うわっ、モロに入ったね今の。男として同情……はしないか、うん、いやダメすぎるコイツ」

 

「ふんっ、私の全ては旦那様のもの! 誰が貴男となんか結婚しますかっ!! ――行きましょう旦那様!」

 

 長谷部重定に強烈な金的をくらわせた貴咲は、肩を怒らせて歩き出す。

 雷蔵はその隣で手を握り、二人とも悶絶し床に転がる彼には目もくれない。

 平和で平穏な生活は、突如として壊された。

 

「んじゃあ……気を取り直してさ、今からデートでもしよっか」

 

「ええ、そうしましょう。たかが部屋を追い出されて口座を封じられたぐらい、私たちなら平気ですもの」

 

「なら一度、僕の会社に寄ってからにしよう。――嗚呼、この大馬鹿野郎にどうやってやり返そうかなぁ」

 

「復讐計画を練りましょう旦那様、徹底的にやるのです、ええ、あはっ、うふふふふっ、私達の愛の巣を土足で上がり込んで追い出してくれた罪、地獄で後悔させてやりますわ!! …………一応殺さずにっ!!」

 

「それが一番難しいんだよなぁ、殺さないって面倒だよなぁ……」

 

 これが悪人や、裏に属する人種だったら何の心配も躊躇もせずに殺したのに。

 殺し屋は殺すが仕事だ、しかし無闇矢鱈に殺す訳ではない。

 そこには、不文律というものが確かにあって。

 

「なんにせよ、貴咲と一緒なら僕はどこでも幸せさ」

 

「ええ、私もよ旦那様……」

 

 二人はとても素直に、そしてごく自然に微笑みあったのであった。

 

 




ではでは、続きは後日です。
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