金色羅刹
銀色夜叉
【1】凶兆
鴉が鳴いている。
不吉な鴉である。実害もある。
奴はここ数ヶ月この紅魔館の庭を荒らし回っている不届き者だ。
恐ろしいことに知能が高く、奴は必要以上の狩りはしない。奴にとっての必要最低限と思われる量の食物――野菜や草花など――を食っては姿を隠すことを繰り返している。奴は庭の景観を破壊しない程度の狩りしかしない。その様を見ていると紅魔館との共存を望んでいるようにすら思える。
妖獣の類なのであろう。恐らく普通の鴉ではないのだ。
だから、見逃して捨て置くことも選択肢の一つなのである。
少なくとも、十六夜咲夜以外の館の住民は見逃す方針を取っているらしかった。
咲夜はどうしてもこの現状に耐えられなかった。
他の館の住民達がその鴉の駆逐を諦めていることを含めて、現状の全てが不気味で堪らなかったのである。
庭に出てその鴉と出くわす度に小さな違和感が積もっていく。
何故、お前のようなモノが私達の庭にいるのだと。
「咲夜」
だから、今日は館の主であり、咲夜の主人たる、レミリア・スカーレットに直訴に来たのである。
レミリアは困り顔をしていた。
レミリアが自ら命を降さぬのであれば――
「そういう訳ですので、私の独断であの鴉を討伐させて頂きたいのです。問題があるのならはっきりと教えて頂きたいのですが」
咲夜は敢えて強情に出た。耐えられぬ違和感ではないが厭な物は厭なのだ。
「何故そうもあの鴉を厄介がるの? 珍客なんてこの館には幾らでもいるじゃない。妖精に、魑魅魍魎に、虫に人間、その中に今更鴉一匹増えたところで何も問題はないわ」
「それは――そうなのですが」
そう、言われてしまえばそうなのだ。咲夜も理性的に考えれば判る。鴉一匹程度紅魔館全体にとっては何の問題にもならない。自然の営みの範疇だ。人間のエゴでそれを妨害するなど烏滸がましいと言えよう。
ソレはあくまで咲夜が何故か抱いてしまった小さな違和感であり、何故か見過ごせなかった小さな違和感なのだ。
だからきっと、これは咲夜一人の心の問題なのであろう。それは判る。判るのだが、この違和感の正体を掴まないことには咲夜も止まれないのである。
あの鴉は、紅魔館にとっての――なんなのだ?
きっと、咲夜一人だけ、その結論を得ていないのだ。
何故自分はそこまでしてあの鴉との関係性の正体を断定したいのか、それすらも咲夜には判らない。何故あの鴉が気になってしょうがないのかが判らない。
不可解なまでに異常な存在感があの鴉にはあった。ソレはあくまで咲夜に対してだけの精神的作用だと思われた。他の住民や来客があの鴉のことを気に掛けている様子はないことからの推測である。
自分はどこかおかしくなったのだろうか、とすら咲夜は思っている。深刻な悩み――という程ではない。たかが鴉一匹追い払えば解消される筈の悩みだからである。
あの鴉は。
「最近顔色が悪いと思ったわ。そういうことだったのね」
あの、鴉は――
「何か、私の変調に心当たりでもありますか。それはあの鴉に起因するものでしょうか」
「気付いているでしょうけど、あの鴉は普通の鴉ではないわ。妖獣よ。それも中々厄介な種類の」
「私は――あの鴉に魅入られているのでしょうか。呪われている、とか」
「説明しにくいわ、かなりね。個人的には貴方とあの鴉には適切な段取りで接して貰いたいのよ。あの鴉が側にいる生活にゆっくり慣れて貰いたかったんだけど、難しいみたいね」
レミリアは眉間に手を当てて黙り込んでしまった。
主人を深く悩ませた為、咲夜の心も落ち込み、黙らざるを得なかった。
ややあって、レミリアが咲夜を制すように片手を挙げた。
「専門家を呼びます、段取りの専門家を」
「段取りの専門家、ですか」
「陰陽師――って言うらしいわ」
「陰陽師?」
館の本の虫から聞いたことがある人種の名だが、咲夜は実際には出くわしたことはない。
「貴方は多分その陰陽師に色々勉強するように言われるから、耐えて欲しいのよ。あの鴉とうちの館、かなり訳ありでね、しかも本来は小娘である貴方が聞かなくてもいい種類の話よ。永いのよ。永い歴史があるわ」
幼い咲夜がまだ知るべきではない種類の縁がある、ということだろう。咲夜は叩いてはいけない扉を叩いてしまったのだ。
「その永い歴史を学んであの鴉を理解する為に、段取りの専門家が必要であると」
「出来るなら第一人者の〈シンギョク〉さんに出っ張って貰いたいところだけど、まあ無理でしょうね。出来るだけ腕のいい人を探すわ。お得意様ということで優遇してくれるといいのだけど」
〈シンギョク〉――という名の時点でもう聞き覚えがない。
ここから先は咲夜の知らない世界の話だ。
レミリアがペンを走らせて手紙をしたためる様を、咲夜は見守っている。