普通は夏の夕焼けから   作:巻波 彩灯

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第1話:廃墟と夕焼け

 空気は既に焼け焦げ、どこまでも拭えない暑さが肌にまとわりつく。日は暮れ始めているというのに、涼やかさというのは一切現れる気配はない。夏だからという言い訳で流すにしても、いささか暑すぎる。

 

 喧嘩終わりの身体を労わるように仰向けに倒れて煙草を吹かしているが、太陽の容赦ない光に温められた地面はやたら熱い。我慢せず上体を起こしてもいいが、何だか負けた気がしてずっとに寝転んだまま。

 

 一体いつになったら普通の学生生活を送れるんだろうか。あちらこちら傷んでいる廃墟の天井まで緩やかに立ち昇る紫煙(しえん)を見送りながら、中学時代から続く疑問が思い浮かぶ。もうかれこれ二、三年ぐらいは喧嘩に明け暮れ、煙草で後味を拭うという日常を過ごしている。

 どうも俺は普通とは疎遠(そえん)らしい。何かとつけて問題に巻き込まれ、拳で解決できてしまった。中学を卒業する頃には、すっかり喧嘩と煙草だけが青春の日々。

 

 だからって悲観的になるつもりはない。そもそも普通ってのは、人の匙加減で変わってしまい共有できないものだから。

 便宜上用いられている普通は、七割あるいは八割近しい経験が折り重なってできる。さらに折り重なったものの中から同じような割合で生まれるのが常識。だが、同一ではないため、結局は人との(へだ)たりがどれだけ薄いかによる可変的なものにすぎない。

 

 枠にはみ出るのは、実に簡単すぎる世の中。いくら変化して寛容な態度を見せる常識も普通も受け入れられる幅は狭く、俺みたいな不良と呼ばれる連中はあっけなく相容れることができなくなってしまう。いや法の下で守られている部分はあるけれど、真面目に学業や部活に打ち込んで青春を謳歌する彼彼女らと比べて許容の範囲外に出てしまっていると言った方が正しいか。

 

 いずれにせよ、今の俺にはその問いに対する答えは持ち合わせていない。ただ言えるのは、俺は追い出されて当然だということ。誠実に勉強や学生生活に向き合っている者たちが偉く、俺のような人に暴力を振るい煙草まで吸っている奴に世間の風当たりが厳しいのは当たり前だ。

 

 別に現在の生き方に絶望している訳ではないが、そろそろ勉学に励みたいところ。まだ高校入学して数ヶ月で出席日数のことを考えなければならないのは、あまりにも頭が痛すぎる。卒業どころか進級さえ怪しいのは、普通の学生ならあり得ない。

 

 煙草の火が中腹ぐらいまで差しかかってきた頃、誰かが近寄る足音が聞こえる。思考を現実に戻しながら上体を起こすと、白いセーラー服を(まと)った女学生がこちらの顔を見つめていた。「あの……大丈夫ですか?」心配そうに揺れる朱鷺(とき)色の瞳、ふんわりとどことなく上品さを感じさせる出で立ちは殺伐としたこの場所に似つかわしくない。

 

「ああ、平気だ」煙を口から吐き出しながら、無難な答えを返す。「でも、顔痣だらけですよ?」もちろん人に殴られているから健常な様相ではない。彼女の問いかけは然るべき疑問の提示。

 

「これは一種のペイントだ」心配されるのは面倒だから、適当な返答で誤魔化していく。「じゃ、触っても痛くない?」流石に(だま)されてはくれないか。「いや痛い。だから、触らないでくれ」諦めて現状を素直に告げる。

 

 残念ながら俺の痛覚はちゃんと仕事しており、何もしていなくても()れていると訴えかけていた。しかし、ほぼ日常茶飯事のことだから痛みはもう気にしていない。でなければ、口の中を切ったのにも関わらず煙草を吸うことなんてしないのだから。

 怪我の状態を聞いた彼女は分かりましたと首を縦に振り、立ち上がって周囲を見回す。普通、もっと心配するんだけどな……まあ、鬱陶しいだけだからあっさり手を引いてくれるのはありがたい。

 

「お前はここに何しに来た?」興味は彼女の真意に切り替わる。いや元々疑問に思っていたことを口に出せたと言うべきか。不良のたまり場と呼ぶに相応しい物騒な場所に、何の変哲もない女学生が一人でのこのこやって来たのか、気にならない方がおかしい。

 

「心霊スポット探索です」

 

 特に物怖じすることなく、彼女は返答する。「ここに日に日に壁が赤くなる廃墟があるって聞いて、来たんですけど……」閑散とした室内を見回していた朱鷺色の双眸(そうぼう)とぶつかった。悠然(ゆうぜん)としながらもどこか寂しげで、なおかつ大人びている不思議な眼差(まなざ)し――現実味を帯びていないような存在感がある彼女に興味が湧く。

 

「そんな噂、どこで流れたんだ」

 

 どうして荒廃した建物内までやって来たのか、噂を辿るという形で問いかけながら観察する。瞳と同じ色のふわりとした髪、地元近辺で最も有名なお嬢様校に通っていることを示す白のセーラー服。ざっくばらんな短い金髪と薄汚れたカッターシャツで今を生きている俺と違う世界に住んでいることは明らかだ。

 

「人づてで聞いたものなので、詳しいことは分かりません」

 

 あっさりと首を横に振り、彼女は知っていることだけを口にする。「ただここが昔、惨殺(ざんさつ)事件が起きた場所だって聞いただけです」何だ、心霊系や恐怖体験系が好きなだけの女学生か。

 どこにでもいるような好奇心溢れる物好きで落胆(らくたん)した反面、安堵(あんど)して胸を()で下ろす。無意識下に目の前にいる彼女がこの世のものではなかったのならどうすればいいのか、何も考えついていなかった恐怖があったのだと今思い知る。

 

「こんなところ、不良の巣窟だぞ」

 

 正直、過去にどんな悲惨(ひさん)な事件が起きていようと今現在ここで喧嘩を繰り返す俺からすれば、どうでもいい話だった。「赤くなる原因も、俺たちが毎日のように喧嘩しているからだ」これが真実なのかは分からないが、真相の一つではあるだろう。現にいくつかの新鮮な血が壁に付着している。

 

「霊的なものではなく、現実的なものだったんですねー」

 

 納得したように頷き、真っ直ぐこちらを見つめたまま質問を投げかけた。「ってことは、あなたの顔はそれが原因?」物分かりが良くて、本当に助かる。だからこそ面倒を増やしたくない。

 

「その通りだ」

 

 流石にこの顔の惨状(さんじょう)を見られている上に、察せられている以上は隠す必要もないのは明白。「巻き込まれなくて良かったな」危険な好奇心に釘を刺すように強く告げる。「だから、こんなところ二度と来るな」

 

(きも)(めい)じておきますー」

 

 返ってきたのは、受け止めたのかか流しているのか分からないほどに緩い答え。今度は喧嘩の現場でも見物しに来るかもしれない、彼女ならあり得そうだと思える予感があった。きっと心霊や恐怖を探って好奇心を秘めつつも穏やかな日常を送っている女学生だと知っても現実味のない存在感が拭えなかったのだろう。

 

 話が一段落したタイミングで、彼女はまた部屋を一瞥(いちべつ)する。「それにしても夕日が入ると、結構部屋の中が赤く見えますよね」つられて室内を観察すると、確かに壁だけでなく床も天井も夕暮れの陽光によって、赤く変色していた。「まるで血みたいに」彼女の言う通り、惨劇(さんげき)を起きたかのごとく真っ赤に染まってるようにも見え、これなら怨霊(おんれい)がいそうな噂が流れてもおかしくはない。

 

 今まで見てきた場所なのに、今さらになって新しい発見。彼女の観察力に感心し、「もしかしたら本当はこれが理由かもな」思わず怪奇に対して心が躍ってしまった。いや俺は喧嘩する場所としか捉えなかったが故に、視野が狭くなっていたのだと改めて認識する。

 

「だとしたら、意外とロマンティックな現象ですねー」

 

 果たして(おもむき)のある場所と言えるかどうかは分からない。何せ惨殺事件の噂が立っている場所で、しかも噂通りに赤く染まっている部屋がある。

 けれど一つだけ言えるのは、喧嘩よりも遥かにロマンティックな理由だということ。今日からはそれが真相だと信じよう、その方が何倍も普通に見えるから。

 

「かもな」適当に相槌(あいづち)を打って、話題を切り替える。「にしても、よくお嬢様がこんな寂れたところに立ち寄ったな?」

 

「別にお嬢様って訳じゃないですけど」

 

 特に気を悪くすることもなく、平然とした様子で彼女は言葉を継ぐ。「ホラー研究会に所属していますので」なるほど、さらに彼女が訪ねてきた理由が見えてきた――本当に心霊や怪奇が好きな女学生だと過ぎないのだと。「あ、あと、私は広町(ひろまち)七深(ななみ)って言います」別に求めていた訳ではないのに、何故か自身の名前まで明かした。

 彼女の名を知らなくても不便ということはなく、もう二度と会わないと思えばむしろ不要なもの。どういった意図で名乗ったかは、落ち着いた表情から読み取ることはできない。

 

 気づけば煙草の火は根本まで迫り、コンクリートの床に強く押し当てて消火する。そうだ、何故違和感を感じなかったんだ。彼女が喧嘩と煙草で青春を謳歌している普通じゃない男子学生と会話していることに。

 

「あのー、どうかしました?」覗き込むように彼女――広町が俺を見つめる。「私、変なこと言っちゃいました?」余裕ありげな表情は相変わらずだが、心なしか朱鷺(とき)色の瞳が不安そうに揺れていた。

 

「ああ、変だな」正直に返答し、「俺みたいな不良と普通に会話しているのが」先程心づいたことを告げる。冷静に考えて見れば、普通に生きていれば接する機会なんてないだろうに。

 

「え? あなたと話すのは普通じゃないんですか?」

 

 心底驚いたように広町は目を大きく見開く。俺もそうだが、彼女も疑問に思わなかったらしい。二人揃って、認識がズレていたのか。

 

「俺は喧嘩と煙草で青春を過ごしているんだ」

 

 何事もなく話していたお互いに対して呆れながら、改めて俺という人物を簡潔に語る。「どう見ても危険極まりない存在だろ」一応学生らしく制服は着ている奴が、顔を痣だらけにしながら煙草を吸っているんだから、怪しくない訳がない。

 

「私には普通に見えるんですけどねー」

 

 どこで普通に見えるんだ。お前の目の前には未成年喫煙をやっているんだぞ。「普通って難しいです」確かに普通というものは難しいのは同意するが、流石に眼前の現実ぐらいは容易に見極めてくれ。

 

「あ、そういえば、まだあなたの名前を聞いていませんでした」

 

 思い出したかのように、ぽんと拳を手のひらに置いて、今度は不安に揺らぐことなく真っ直ぐな眼差しを向ける。「良ければ、あなたの名前を教えてください」首を横に振っても相手は気にしないだろうが、向こうがタイミングはともかくとしてしっかり名乗っているのだから、俺も名前を言わないと失礼だな。

 

「俺は戸越だ」

 

 広町がフルネームで言ったのにも関わらず、口から出たのは名字。「あれ、普通は全部名乗るのでは?」当たり前のように言及される。だが長らくまともな自己紹介の場を設けられてなかった反動か、名前まで言うのが面倒のような気恥ずかしいような奇妙な感情が胸中に渦巻く。

 

「名字だけで十分だ」結局名字で呼ばれるのが一番気楽だと感じ、そのままごり押す。「それに親しくもない奴には、名字だけで呼ぶのは普通だろ?」

 

「なるほどー」

 

 合点がいったように、広町は頷く。「戸越さんって、普通が分かるんですね」またとんちんかんなことを口にしているが、こいつの興味の対象が分かってきて面白くなってきた。

 

「いや分からない」

 

 ただ残念なことに、普通とは何かという問いに対して今の俺も明確な答えを持ち合わせていない。「ただ普通じゃないことなら分かるってことだ」少なくとも誰かと殴り合って、煙草を吹かしている学生は普通の学生生活を送っているとは言えないのは確か。

 

「それって、普通が分かっているのと一緒じゃないですか」

 

 いたずらな笑みを浮かべて、広町はまた指摘を入れる――普通がどんなものかは知っているということは、間違ってはいないのかもしれない。「もし良ければ、広町にも普通を教えてください」しかし頼む相手を間違っているのは火を見るより明らかだ。

 

「普通、俺みたいな奴に教えてもらうことじゃないぞ」何度も言うが俺は喧嘩と煙草で青春の日々を送る人間、どう見ても適任者は他にいるはず。「もっとまともな奴に頼め」

 

「戸越さんだって、普通の人だと思いますけど?」

 即答されて、口を閉ざす。どうも広町の普通と呼ぶ基準が未だに掴めていない。だからこそ、彼女への興味が尽きなかった。

 

「……分かった」

 

 これは諦観(ていかん)からの了承ではない、好奇心に駆られた承諾。「ただし俺も分からないことがあるから、教えるんじゃなくて探すのを手伝う」俺の言葉を聞いた瞬間、彼女は嬉しそうに破顔してありがとうございますと礼を告げる。適当に返事をしながら考えていたのは、広町七海という少女が何を普通と呼ぶのか、如何にして普通を求めるのか――覿面(てきめん)にいる相手の正体を知りたいという危険な好奇心による疑問だった。

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