広町と出会って、数日後――俺はまた例の廃墟までやって来た。今度は喧嘩をするためではなく、彼女との待ち合わせ。授業を受けた放課後に誰かと合流して何かを楽しむのは、実に普通の学生生活らしくて望んでいた日常。
全く涼しくなる気配を見せない夕暮れ時、煙草一本でも吸っていようかと思った矢先に相方が姿を現す。「お待たせしました」相変わらず身だしなみは整っており、あどけなさが残る顔立ちには緩やかな笑みが
「別に待っていない」取り出そうとした煙草の箱をひっそりとしまい込み、平静に答える。「それで今日も心霊スポット巡りか?」目的は何も聞かされていない。どこへ行くかは、広町の気分次第――ただ俺よりも普通ではない場所をより知っていそうな彼女なら、きっと何かきっかけを得る在処へ行くはず。
「違いますよー」今回も怪奇を求めるだろうという安直な見当は外れた。意図を読み取らせる気なぞないような
ただし俺たちの見つけた普通は他者にとって普通ではない、共有できない可能性もある。果たして他人との溝を埋める普通が見つかるか
行くあてが分からぬまま、小さな背中をゆっくり追う。
「ここが今日の探索スポットか?」適当に辺りを見渡す。どの店にも誰かしら客がいるようで、寂れてはいないありふれた商店街の様相が見て取れる。
「そうですけど、ちょっと違います」
学生やら社会人やら主婦やらとすれ違いながら、広町は淡々と歩いていく。「このお店に広町が今気になっているものがあります」彼女が足を止めて指差した方を見れば、俺が子供の頃からはあるような年月を重ねた本屋が建てられている。さしておかしなところがある訳でもないし、いくら普通とズレている奴でも本屋ぐらいは訪れるだろう――俺は全く行かないが。
何事もなく自動ドアを通り抜けると、程よい広さの店内に大量の本が整然と並べられていた。恐らく本屋として浮かべるイメージとして、一番考えやすい形をしているのではないだろうか。過不足がない書籍の山を
堅苦しい表紙の文庫本が積まれていた場所から、コンビニで見慣れたイラストや写真の表紙が置かれているスペースへ切り替わった丁度のタイミング。広町は棚に目を向け、進行を停止する。何を見つけたのだろうか、つられて同じものを見てみると「……ファッション雑誌?」俗世間と接点が少ないから詳しいことは分からないが、写っているモデルや書いてある広告の文字からして女子高生向けのファッション誌らしい。「やっぱりそういうのには興味あるのか?」
「うーん、ファッションに興味がある訳じゃないですね」
隣を目を配ると彼女は少しだけ首を傾げた後、淡々と理由を話す。「今人気があるものとか流行っているものが知りたいって感じです」テレビやネットではやはり限度はあるからな、雑誌の購読も頷ける。「話題に乗り遅れちゃうと大変なので……」最後辺りはしぼんだような語勢になり、心なしか広町の表情も翳りが見えた。
「お前も人並みに苦労してんだな」
あっさりと言い返すが、心のどこかで落胆していたかもしれない。思っていたよりも彼女は普通だと。孤立を怖れることは誰しもが抱える至極真っ当な感情、だから広町の苦労なんて普通の人間らしいじゃないか。
「だけど、世の中の普通を知るには必要なんですよ」
明るい口調で言うが、未だに表情は晴れない。「……普通じゃないと、友達できないから」俯き加減になって小声で呟いたのは、今に至る過去の断片。恐らく俺には聞こえていない程度の声量だと思ったのだろうが、あいにく聞こえてしまった。
どうやら俺はまだ彼女がどれだけ普通ではないかを知らないらしい。これは一旦前言撤回して、判断を保留した方が良さそうだ。やはり普通を求める奴が、普通ではない何かを持っているのだと改めて認識する。
「っで、それにどんなのが普通って書いてるんだ?」
話題の中心を雑誌へ移して、訊ねる。「それは買ってからのお楽しみです」頭を
情報誌を購入した後は本屋から喫茶店へと移動して、広町が読了するのを待ちながら適当に頼んだアイスコーヒーを飲む。随分と鋭利な苦味が口の中を走るが、不思議と飲みにくさを感じない。恐らく俺には分からない緻密な計算の上で成り立っている味なのだろうと、大雑把な見当をつけて意識を
丁度読み終わった広町がファッション誌を開いたまま机の中央へ置き、解説を始める。だがイマイチ分からない、これが今の普通なのかと納得できる形で飲み込むしかなかった。「戸越さんは、こういうのに興味ないんですか?」流石に反応が悪かったのか、広町は目を合わせて問う。
「興味がないというか、触れる機会も必要もなかった」自分の過去を振り返ってみれば、中学の頃にはどんなものが流行っているのかもう分からなくなっていた。「普通の学生生活をしていないからな」それだけ学校を休み、売られた喧嘩を買って、煙草を吹かしていたのだと思い知らされる。
「やっぱり喧嘩と煙草の方が好きなんですか?」
散々言ってきただけあって、広町も俺の生活を理解している。「別に好きじゃない」けれど俺という人間を評する答えとしては、満点はまだあげられない。「ただ何となく始めて、いつの間にか戻れないところまで来ただけだ」売られたものを買わないのは何だか癪だったから、つい買ってしまい普通と称される生活には遠のいていた。
軽妙な店内音楽が流れている中、俺たちの間には重い沈黙がのしかかる。さして反応に困る内容ではないと思うが、余計な一言を言わないための思案と考えれば納得ができる
彼女がどれだけ人と会話してきたのか分からないが、少なくとも普通の中に溶け込もうとしている辺り、実はあまり話す機会がなかったかもしれない。ただ俺よりもまともに人と話していただろうから、空気を切り替える術は持っているはず。
二人が揃って口を閉ざしてからアイスコーヒーの量がグラスの半分に差しかかる頃合い、ようやく一つ話題を思いついた。「今人気の曲ってなんだ?」単純すぎる質問を出すのに、煙草一本分の時間を費やしてしまったことに頭を抱える。いくらでも雑誌に書かれていたことを言えば良かったのだと。
やや間を空けて、広町がさらっとアーティスト名と曲名を答える。雑誌のページをめくることはおろか、誌面すら見ていない。その次に人気な楽曲を問いかければ、また彼女は難なく回答した。
続けて何曲か
単に音楽関連に強いのか、あるいは人よりか少しだけ瞬間的記憶力が高いのか。広町七深の能力を確かめたくて、他のジャンルについて問題を出す――例えば今注目を集めている店の名前や特徴。一字一句間違えずに広町は答え切る。
次第に得意げな顔つきになる彼女に、俺もどんな普通じゃないを抱えているのか掴めてきて楽しくなっていく。ランダムでめくって出題した問いを、広町は容易く全て正答を言い当てた。「お前、雑誌の内容を全部覚えたのか」ここまで尋常じゃない記憶力を持っていると、もはや感心しかない。
「ええ、その雑誌に書かれていたお店とか映画とか全部覚えましたよ」
神妙そうな面持ちで言う広町。「そりゃ頼もしいな」普通なら興味がある分野でも得た誌面に載っている文字を正確に覚えられないはずだが、彼女は一文字も間違えることなく回答しているのだから、嘘だと疑うのは難しいだろう。やっぱり広町七深は普通じゃないらしい。
「みんなが気になっているものを押さえるのが、普通ですから」
いつもと変わらぬ柔和な笑顔を見せる広町だが、わずかに顔が強張っているような気がした。「お前はどうして普通を選びたい?」特異な能力を持っているのにも関わらず、普通にこだわる必要なぞあるのだろうか――いやある決まっているじゃないか。普通じゃないからこそ、普通というものが大多数と繋がれることを知っているから。
「そんなの決まっているじゃないですか」