午前中から学生が制服ではなく私服を来て平日を謳歌する期間、夏休みが俺にも例外なく訪れてくれた。補習はギリギリ免れたが、教師陣にはもっと学校に来て授業を受けろとありがたいお言葉をもらう羽目に。なおかつ一部の教師からはこれからの大学受験のために講習を行うから、お前も顔を出せとも。
別に大学へ進学する気は今のところない。ただ今のままだと成績的に危ないから来いと暗に言っているのだろう。正直、出席日数が多くなかったが故に全然勉強が追いつけていないのだ。
だから夏休みを利用して復習せねば、と思っていたが全く気が向かなかったから炎天下の中を散歩する。都合よく広町から連絡がくる訳もない。ただ今度会う時にどんなものが世の中の普通として出回っているのかを伝えるために、少しだけ世間に視線を配っていく。
スーツや制服姿で額の汗を拭いながら歩く大人たち、教師の目が届かない内に化粧や毛染めをして華やかになっていく学生ら、元気に駆け回る小学生ぐらいの少年少女。どう見ても普通の光景、何一つとして変わったところはない。けれどチラホラと普通とはかけ離れた奴らが映る。
逞しい腕にタトゥーを入れ煙草を吹かしながら不快な話でゲラゲラと笑い立てる人間、朝っぱらからビールを飲んで昨日は勝った負けたと話すじいさん連中、奇抜な格好をして目立ちたがる何者か。実は普通とそうではないものの違いは紙一重の差でしかなく、すぐ傍に普通ではないと認識されるものがあったり、意外と足元に普通が転がっていたりする。
今この人の流れを見ている俺はきっと普通の中に溶け込んではいるのだろう。だが俺だけを細かく見ていけば、普通ではない生活をしているのが暴かれる。喧嘩を日常とし、未成年で煙草は常習化しているのだから、模範的な普通の学生と認めるのは難しい。
普通を探すのは案外簡単で、存外難しいものだ。今の俺の目から見て、普通だと思っているものは世間から見たら普通ではないかもしれない可能性はあり得る。なおかつ普通と認定する基準は人の匙加減によって大きく左右され、今日普通だったものが明日普通ではなくなることだってあるだろう。
まるで得体の知れない生物を相手している気分、いや俺たちは常に対面しているのだ。無意識の内に己が飼い慣らせる範囲で収めて、当たり前だと信じて生きている。でなければ、振り回される日々に疲れ果てて本当に脳が爆発しているだろう。
哲学者たちはこんな生き物らと対峙し、真実を掴もうとしていたのか。恐ろしさを覚えると同時に、多分彼らも結局は自身が納得できる形で収めているだけにすぎないのだろうと諦観する。人間が普通と向き合って完全に和解を経た頃には、きっと人間ではなくなっているだろうから。
やはり難問すぎて、果たして俺たちは答えを見つけられるのか甚だ疑問である。違う、俺たちは俺たちとして納得できる答えを得ることができないといけないんだ。これから普通の人間として生きていくためにも――。
「あれ? 戸越くん?」聞き慣れた声が聞こえ、思考速度を緩めて現実へ戻る。いつの間にか広町が目の前に立っており、首を傾げて心配そうとも不思議そうとも思える表情で見上げていた。「何かすっごく怖い顔してたよ」どうやら思っていたよりも遠くを旅していたらしい、深く
「哲学者になっていたんだ」先程の思考過程を一言にまとめ、彼女が背負っている黒いギターケースらしいものへ
「私は今から練習スタジオに行く予定なんだー」
普段よりも楽しそうにカラカラと笑い立てながら広町は話を継ぐ。「ライブも近いからね」持ち物から楽器関連であることは察していたが、改めて返答を聞くと驚きを隠せない。「お前、バンドやっていたのか」つい驚嘆の言葉が飛び出てしまう。
だが彼女は全く動じることなく頷き、付け加えていく。「この前会ったるいるいとかとも一緒に活動してるんだ」あの八潮とバンドを組んでいるのか、掴みどころがない広町と理知的な彼女が仲が良さげだったのも腑に落ちる。
「あ、えっと、バンドとか興味ある?」先程の
「ないな」即答すれば、「そっかー」彼女はわずかに落胆した様子。
広町には悪いが、バンドミュージック――ひいては音楽そのものにはあまり興味がない。「ただ今度ライブするっていうなら、見に行くぞ」しかし彼女がどんな演奏をするのか、いやどんな風に青春を送っているのかが気になり、好奇心は際立っていた。
俺の言っていたことが予想外だったのか、彼女はえっと驚きの声を漏らし瞼を大きく持ち上げて見つめ返す。「何だ、その意外そうな顔は」実のところ、俺自身も驚きだった。普段ならライブを見に行くなんてことはしないし、自ら音楽を聴くという行為はしないのだから。
「さっきバンドに興味ないって言ってたから……」
そりゃそうだろうなと言わんばかりの返答。「バンドとかは興味ないが、広町の演奏に興味があるんだ」もう俺も何を言っているのか分からない。「どんな風に演奏しているんだろうなって」分かるのは、全ては広町七深を知りたいという危険な好奇心に集約されていただけ。
「そんなの普通に決まってるよ」
両手を振って、広町は否定する。「全然目立ってないから」苦笑いを零す彼女は、必死に何かを隠しているようにも見える。バンド活動ぐらい、そうそう反対されるほどの家庭に育ったとは思えないが――それともやはり芸術関係で何か引っかかているのだろうか。
「俺はその普通が分からないんだ」
何を心配しているのか分からないが、彼女にとっての幸いは俺が音楽に関しては素人でしかも興味の薄い人間だ。「だから知るために行きたいんだよ」特別隠す事情も何もないだろうと思いつつ、やはり先日探っていた事柄がいけなかったのかと
しかし気がかりは杞憂に終わる。「ライブは今度の日曜日だよー」やや間は空いたが、広町は教えてくれた。礼を告げると、彼女は心なしかはにかんでいるような笑みを零す。
どうしてなのか、次に継ぐ言葉が止まった。別に変な表情をしていた覚えはないはずなのに。「広町だけじゃなくて、他のみんなの演奏もすごいので楽しみにしていてください」一瞬だけぼやけていた我がすぐ戻って言う。「ああ、楽しみにしてる」俺の返答を満足そうに頷くと、では広町はこれから練習があるのでとそのまま彼女は立ち去った。
ギターケースを背負った姿を見送って、俺も歩き出す。「そういえば……どこでやるか聞いてないな」独り言ちたが、あとで聞けばいいだろうと楽観的に考えて前に進んだ。
迎えた当日、初めて彼女に連絡を取った。内容はどこのライブハウスでライブを行うのかという質問。返事は簡素な短文、あと丁寧にリンクも添えられている。
広町のことだからもう少し情緒ある文でも書いてくるかと思いきや、意外と普通というより簡潔。いやこれが普通だと思って熟慮した上で送っている可能性があるのか。結局、場所を知ることができたから気にすることでもない。
なるべくまともな恰好を心がけ、服装はまともそうなポロシャツとジーンズ、スニーカーは一足しかないからくたびれたのをそのまま。今さら黒戻しする気もなれず、金髪のままライブハウスまで赴く。きっと髪色が派手な観客は少なくないだろう、顔つきが悪くとも紛れ込めるはず。
足早でライブハウスに到着し、すぐに店員さんらにチケット購入のことを聞いて当日券を何とか買う。ドリンクも付いてくるらしいが、さほど興味がなかったし必要だと思っていなかったから、もらわずに会場へ。まだ開演前だからか、会場は明るく周囲が賑々しい――思っていたより騒がしい場所で居心地の悪さを覚えるが、始まれば雑音は消えると思って一番後ろの壁際で喧噪に沈む。
時間になれば会場内は暗くなり、次第に観客のざわめきは小さくなっていく。前の方が明るくなったかと思った瞬間、観客の声が跳ね上がる。だが音が引いた空隙に、ギターの音色が聞こえ曲が始まった。
バンドサウンドにバイオリンが混ざるのは珍しい気がする。あんまり俺が詳しくないだけで、本当はわりと多いのかもしれないが。いや待て、バイオリンを弾いているのは……八潮?
ステージ前列に、八潮らしき長身の女性が激しく演奏をしている。そういえば彼女と一緒にバンドを組んでいると聞いていたが……奥まで注視すれば、黒いギターらしきもので音を奏でる広町の姿が見えた。彼女が扱う楽器はギターと呼ぶには弦の本数が少なく、若干長さと大きさが違う。
あいつ、ベースを弾いていたのか。だから普通だとか目立っていないとか言っていたのだと納得する。確かにギターを弾いている金髪の子やバイオリンで旋律を奏でる八潮、なおかつ後ろで打音を刻むドラムやバンドの中心で歌っているボーカルと比べたら地味だ。
ただ人前に演奏している普通じゃない状況の中で普通に仲間と楽しそうにしている様は、俺の目には輝いて見える。全く届くことがなかった憧憬が今目の前に現れ、羨ましい、妬ましい、悔しいと様々な感情が渦巻く。何だよ、思っていたよりも普通に青春を送れているじゃないか。
正直、バンドを組んでステージに立って披露することは普通ではない。けれど俺が過ごしてきた日常と比べたら、青春という言葉が似合うほどの状景だ。普通が分からない素振りをしておきながら、普通に友人らと楽しく過ごしているのはいささか虫が良すぎる。
今まで聞いてきた噂など頭から消し飛んで、眼前の光景に対してただただ複雑な感情を歯噛みするだけ。今まで自分が歩んできた道がことさら無意味なものだと惨めな思いがさらに込み上げていく。聞き込みをした時から彼女と俺は違う世界に住んでいることぐらい理解していたのにも関わらず。
延々と途切れることのない負の感情を抑えている内に曲が終わり、彼女たちは舞台袖へ移動していく。入れ替わるように違う顔ぶれのメンバーが現れ、楽器のセッティングをする。わずかな幕間に俺はさっさと会場、それどころかライブハウスまで出てそのまま中に戻ることはなかった。
変わらず外は蒸し暑い、日も沈んできた頃合いだからか直接日光に焼かれることはないものの、昼間に温められた空気が冷める気配はない。ぬるい風が通り過ぎていく度に、汗が流れる不快感だけがやたらと強調される。ただでさえ己の抱いている馬鹿らしい感情に気が滅入っているのに、余計に心が沈んでいく。
適当に近辺を歩き回っても、全く気分は晴れない。空を見上げれば、雲がやや多く目に映る。もう少し風が吹けば、紺色の空に微かなオレンジ色が残っている様が見れたのだろうか。
重たいため息を零れる。我ながら実に阿呆らしい。たった一回だけライブしているところを見ただけで、嫉妬するとか馬鹿すぎて頭が痛くなるばかり。
くたびれたスニーカー、新品の時からすり減らされた底や汚れが俺がどんな時間を過ごしてきたのかを突きつけていた。分かっている、喧嘩と煙草ほど無意味な日々だったことを。
普通じゃない生活を脱却し、目指したかった友人らと何かに打ち込んで楽しむ普通の光景がいきなり現れれば心は簡単に焼き尽くされる。何とも情けない話だ。
何度も嫌悪感が巡り回って息詰まったところ、軽快な着信音が耳に届く。ポケットからスマートフォンを取り出してタップすると、画面に表示されていたのは広町。もう一度タップして確認すれば、一緒に帰りたいからライブハウス前で待っていて欲しいとのこと――またため息が漏れた。
苛立ちをぶつけてしまうとか、嫉妬心が爆発してしまうとか、ただ単純に顔を合わせたくないとか色々と感情は後ろ向き。だからといって、断るのも癪だ。己の劣等感に負けた気がして、自分から臆病者だと思ってしまうのがとてつもなく嫌すぎる。
……ああ、喧嘩断れない理由はこれだったのか。俺は自分に負けたくない、自分に後ろ指を差されたくないから売られた喧嘩を買っているんだ。また一つ俺という存在が解明できてしまったのが、何というか悲しい。
だけど、生きているというのはこういうことなのだろう。
ならば余計に広町から目を背けてはいけない。負の感情と向き合うために必要なことであり、彼女と対面することで俺はきっと普通という基準を知ることができるはず。普通ではないことは知っているつもりだが、人々から賛辞されるような普通ではないことでしか知り得ていないのだ。
通知が来てから数分、ようやく画面を軽く叩く。一切の迷いもなく打ち出された文字は、了承の言葉。簡潔な言葉はすぐに送信され、既読がついた。
そして向こうからマスコットが画面上に送られ、感謝を伝えられる。危険な好奇心ではなく、もはや使命感に駆られているような気がしたが、どうでもいい。俺はただ広町七深を知ることで、普通に立ち戻りたいのだから。
来た道を引き返して、再び見えてきたライブハウスの看板。視線を少し落とせば、ぞろぞろと人が流れ出ていた。先程までライブを見ていた観客だろう、ということは広町はまだもう少し時間がかかりそうか。
カフェテリアの椅子に座って待っていても良さそうだが、八潮に見つかると面倒だな。広町に外にいると連絡し、建物の陰に隠れる。あとは恐らく来るであろう出るという返信が届くのを待つ。
むしむしとサウナに入っているかのような暑苦しさを感じる中、ポケットに忍ばせていた煙草とライターを取り出す。喫煙していい場所ではないが、とりあえずバレないことを祈って一本を咥えて火をつける。変わらずおおよそ二十円分の味が口内を満たし、安っぽい臭さが鼻腔を刺激していく。
空を仰げば満天が見える――ということはなく、目に映る都会の夜は先程の雲が晴れているものの利便性を求めた代償に視認できる星が限られ、もの寂しい光景。だからと言って、センチメンタルな言葉を吐くつもりなんてないが。
ただもうちょっとだけ星が見えてもいいとは思う。退屈しのぎに眺める景色としては飽きがなさそうだからな。
けれどゆっくりと立ち昇る
煙草の火が根元近くまで差しかかる頃、着信音が軽く弾む。スマートフォンを取り出し、タップして画面を確認すると広町から連絡が。通知欄に表示されたメッセージは、もうすぐ出るよーという緩やかな言葉。
もう一度画面を叩いてロックを速やかに解除したら、簡潔な単語を打ち込んで送る。無事に送信できたことを見届けると、スマートフォンをしまって最後の一呼吸。
潰れた灰殻を認めた直後、聞き慣れた声が耳に届く。陰から
どうやって広町は抜け出すのだろうか。俺のことを正直に出せば、確実に八潮がいい顔しないだろう。なるべく面倒にならないで欲しいと願うばかり。
傍観すること、数分。少女たちが解散して、四対一で分かれる。一は間違いなく広町、反対側の四人は至って明るい調子で別れを告げており、無事に一難は去ったようだ。
広町以外の姿が見えなくなったのを見計らって、俺は建物の陰から出て彼女に歩み寄る。「いいのか?」挨拶代わりの問いかけに、広町は「大丈夫だよ」と俺の方に顔を向け、いつもと変わらぬ緩い笑みを見せた。
ならいいかと切り換え、お前の家どこだと聞きながら歩き出す。困惑したようにえっと声を漏らす広町だが、すぐに調子を取り戻して俺の隣で道案内をする。
お嬢様が不良と一緒に夜道を歩いているのは、どう見ても不釣り合い。それでも一人で歩かせるよりかは恐らくいいとは思う。おまけに目つきの悪くガタイのいい不良がいるから、魔除けには丁度いいだろうと前向きに捉える。
しかし広町が誘った理由が至極普遍的なものではないはず。何らかの事柄を俺と話したくて誘ったのではないか。傍らでライブの話を楽しげに広げていく彼女を観察しながら、その時を待っていた。
街灯で照らされた箇所が目立つ人気のない道に差しかかるも、他愛ない会話は続く。彼女から少しだけバンドのことや近況を教えてもらい、俺は必要以上の言葉を使わずに感想と相槌で繋げる。
単純に友達として帰り道に花を咲かせたいだけかと、自分で立てた疑念が見当外れだと思い始めた時、ふと会話が途切れる。街灯の真下、足を止めた俺の隣に広町がいない。振り返れば、彼女は光の当たらない場所で立ち止まっていた。
「どうした?」真っ直ぐに見据えて問いかける。俯き加減になる広町の表情は窺えない。
おもむろに彼女が口を開く。「この前さ、戸越くん月ノ森に来てたよね?」声がいつになく震え、心なしか体も小さく感じる。「昔の私のこと、聞いていたって……」
「それだったら、俺はお前がどんな風に見られてたのかを知っただけだと言ったぞ」
ぼんやりとだが、前に聞き込みに行ったことがかなり引っかかっているらしいと察した。珍しく訝しげに眉をひそめていたが、その後は……いやあまり見ていなかったな。八潮に掣肘されて、すぐに踵を返したから。
「……やっぱり変だったよね?」返答までにしばし時間がかかった。けれど、沈黙した分だけ口調が重々しい。
「変かはともかく、お前と俺は住んでいる世界が違うとは思った」
確実に言えることを告げて、今見えている彼女を捉えようとさらに睨みつける。「広町七深は学業優秀、芸術関係になるともっと優れた人間だとな」昔から喧嘩だけが取り柄だった俺とは違って、誰からも称賛されるような栄光を得ていた広町。
もし俺でない真っ当に学業や部活に打ち込んでいる奴でも、普通を求める彼女が不思議な存在だと目に映るだろう。俺だって、おかしな奴だなと思っている。だが、普通を欲しているにはそれなりの理由があるぐらいは分かる。
「優れていても、人は遠のくだけだよ」
未だに広町は顔を上げないまま答えを返す。「みんな、私の邪魔をしちゃいけないって言って離れていく」彼女から見た過去の断片が、蒸し暑い静寂の中で重く響く。
「だとしてもお前の才能を見て、近づいた奴はいただろ?」他人から賛辞を受ける成績を修めた経験が全くないため、広町の苦しみは共感できないし、恐らく理解もできない。何となく想像できる範囲で言えるとしたら、きっと対抗心や憧憬を持った奴が一人や二人ぐらいはいたはずぐらいだと。
「近づいても、結局みんな友達になれなかった」声音に悲しみや寂しさを滲ませる広町の返答。「才能なんて、ただの
今俺が見ているのは、己の才気を思うがままに発揮した結果、自然と頭を埋めた釘なのだろう。ようやく仮面が
「だから、隠したかったのか」
能ある鷹は爪を隠すと言うが、彼女はそんなまどろっこしいことを考えていない。「俺はともかく、あの子たちにはどうなんだ?」バンドを組んでいるのだから、きっと過去のことは口にしているはず。「流石にもう一つ二つぐらいは明かしてるだろ」中には広町の過去を知っている奴だっているだろうし、本当に全く知らない奴もいる中で信頼関係はどう結ばれているのか。
「バンドのみんなには、一応ちょっとだけ話したよ」きっとバンド内でいくつかの事柄が秘密にされているのだろうなと思いつつ、続きを聞く。「みんな、優しくて受け入れてくれた」やっぱり、ちゃんと居場所を作れているじゃないか。これ以上どこに不満があるというのかが分からない。
「だったら、離れていく原因を他人に押しつけただけだな」本当に広町七深という存在は、嫌になる。「いやお前が勝手に離れていった、そうだろ?」自分から逃げ出した先で幸福まで得られているのだから、充分得るものは得ているだろうが。
投げかけた質問に、広町は何も答えない。「さっきまでのお前は青春を謳歌する普通の子に見えた」広町七深は確かに変わっているところもあるが、それでも俺が欲しかったものを易々と手にしている。結局、彼女に対して嫉妬心を抑えられないのだ。
「お前は普通が分からないと言っておいて、普通を謳歌している」馬鹿らしい妬みは止まらない。「俺は羨ましくて仕方がないし、ムカついた」相手が才能溢れる広町七深だったらどんなに楽だっただろうか。けれど残念なことにやっかみを浴びせているのは、友人らと一緒にバンドまで組んで青春を過ごしている普通の少女――広町七深だ。
「恵まれているよ、お前は」恐らく最も彼女が気にしているようで、気づいてなかった核心的な部分。「だからこそ、その
言い切ってから、互いに何も言わない。俺はまだ
しかし硬直状態はすぐに解けた。広町が何も言わずに俺の傍らを駆け足で通り過ぎる。
ベースを背負った背中を見送るだけで、後は追わない。追っても、もう伝える言葉なんてないから。
ただ何となく広町が泣いていたような気がした――いや気のせいだと信じたい。彼女の姿が見えなくなったところで、俺も自分の家に向かって歩き出す。これであいつとも会えないのなら気楽でいいと嘘ついて。