普通は夏の夕焼けから   作:巻波 彩灯

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第5話:自問と和解

 あの日以降、広町と連絡を取り合うことも直接会うこともなかった。彼女に言い放った言葉の数々に後悔はあるかと問われれば、ないと答えられる。けれど顔を合わせる機会がなくて寂しくないと言えば、何故か嘘になってしまう。

 

 何やかんやで俺と真っ当に話をしていたのは、広町だけ。久々に他人と話した気にもなったのも彼女のおかげ。

 なのに、簡単に突き放してしまった。自分の弱さを認められない惨めさがことごとく嫌になる。何が自分に負けたくないだ、振り返ればただの罵倒を並べて距離を置きたかっただけじゃないか。

 だけど断って、自分を負け犬として思ってしまうのも嫌に決まっている。あまりにも難儀すぎて、コントロールが必要なのは俺の方だと何度も突きつけられているのに。

 

 今にも吐き出したい自己嫌悪、酒でも飲めば解決するだろうか。しかし酒に手を出せないほど落ち込んだ気分が邪魔をする。結局、煙草の吸う本数をいつもより増やすだけだった。

 ここ最近吸う味はどれもこれもマズイ。二十円分だからと割り切れないほどにマズくて、とても吸えたものじゃない。だからか、増えたのは数日だけで後はいつもより少なめに。

 

 悶々とした(うち)を晴らす明確な答えが出ない中、夜道を適当に歩くのが一番の安らぎになっていた。簡単に寝かしてくれなさそうな熱帯夜が続き、星が瞬く時間帯でも汗が流れていき、シャツが背中に張りつく。もうちょっとは落ち着いてくれてもいいだろうに、と何度舌打ちしたことか。

 けれど暑くとも風が吹けば、日中よりは涼しく感じられる。肝心の涼風は気まぐれだから、滅多に俺の傍らを通り過ぎないのが難点だが。うだうだ夏に文句を連ねながら、今夜もさして明るくない道を歩き続けていく。

 

 連夜、ふと気づけば考えていることがある。普通を知りたいと言っていた本人とはメッセージすら交わしていないのに。だけど、こびりついて離れない――普通って、何なんだろうな。

 

 俺は決して俺自身が普通だとは思わなかった。そして彼女も自分がどこかズレていることを認識している。優劣に差はあれど、似た者同士と言えば似た者同士だろう。

 ライブを見た日、楽しそうに笑みを浮かべた彼女が普通だと感じてしまった。一見すれば仲間たちとともに青春を駆け抜けている普通の女子高生。しかし振り返ってみれば、あいつもやはりおかしいのではと思わざるを得ない。

 

 そもそも初めて出会った時、彼女は全く動じずに話しかけてきた。いやそれなりに心配そうな態度だったか。どちらにせよ俺を普通の人間として見て、普通に接していたとも言えるはず。

 

 ……なぁ、どうして俺なんかと普通に会話してたんだろうな? 隣には誰もいない中、誰かに問いかける。どう見ても喧嘩盛りの不良にしか見えないのに、怖がることなく向き合っていたのが不思議で仕方がなかった。

 普通、ではないんだろうな。けれど普通に穏やかだった、声をかけた彼女の表情は。どうして普通なのかが分からないでいる。

 

 何度考えても難しい、きっと俺如きでは到底明解を得られる問題ではないのだろう。それでも思考を重ねてしまうのは、何が原因だろうか――やっぱりお前の顔が浮かぶ、広町七深という名前とともに。ああ、そういえば元々彼女がどんなことを普通と呼ぶのかが知りたくて、俺は一緒に行動することを選んだんだ。

 

 何とも情けなく、何とも惨めで哀れな男。もう一度彼女を知ってもいいだろうか、否みっともない男だからこそ向き合え。何もかもを決着つけるために、再度彼女と話し合わないといけないだろ。

 

 自分勝手な行動だと知りながら、ズボンのポケットから取り出したスマートフォンを起動してメッセージアプリを開く。さして多くないフレンドリストから広町という簡潔な名字を見つけ、さっさとトーク画面に移る。チャットは俺の返信で止まったまま。

 淡々と文章を打ち込んで、送信をタップ。流石に時間帯や現状の問題を踏まえて、すぐに返事はない。けれど構わない、無事に送信メッセージの表示を見届けたらスマートフォンの電源を落として、ポケットの中にしまう。

 

 本当に一昔の俺が今の行動を聞いたら驚くだろう、今の俺だって驚いている。切ろうとしても切り離せない奴がいて、まさかその子もどこかズレている、けれど普通な不思議な少女。おまけにずっと好奇心も罪悪感も嫉妬心だってあいつが全部独り占めしているのだ。

 想像していた以上に俺は、広町七深に惹かれていたらしい。だからこそ、もう一度向き合って謝罪も(うち)披瀝(ひれき)もしていかなければならないと思う。あいつは……多分、俺にとっての“普通の友達”だからだ。

 

 

 

 

 日を(また)ぎ、午前も飛び越えて空がオレンジ色に染まる頃――俺は事あるごとに集合場所になっている廃墟を目指して歩いていた。日に日に赤くなっていく壁が言い伝えられる廃墟、広町と出会ってから俺たちにとっての秘密基地みたいな場所になり、心霊スポットだとか喧嘩するところだとか言われた面影が俺の中では消えている。いや心霊スポットだとは、あいつが現れるまでは知らなかったな。

 

 どうであれ、俺と広町の縁ができたところだ。それ以上でもそれ以下でもない。今は普段通り廃墟に向かえばいいだけのこと。

 ただ普通の仲直りはさせてくれないのも神様ってヤツの粋な計らいだな。待ち伏せしてたかのように、目の前に何か見知らない集団が先を阻む。刈り上げられたり染められたりした頭髪にギラついた双眸(そうぼう)、金属バットやら何やらと手頃に手に入る武器を手にして不敵な笑みを浮かべる奴らは、どっからどう見ても俺と同じ喧嘩盛りの連中――どうやら俺の日常が戻ってきたようだ。

 

 ちょっとツラ貸してくんねえか? 目立つ一人が声をかけてくる。急いでるから後にしてくれないかと言っても、彼らが聞く耳を持たない。ならツラを貸すかと決め、奴らについていく。

 今から始まることは想像に難くないが、広町と関わってから一度もなかったこと。しかし意外にも俺もまた普通の日常を過ごしていたらしいと、今さら知ることになるとは思わなかった。

 

 

 

 

 彼らに連れられた場所は、人気がなく大人数で喧嘩しても狭さを感じさせない廃墟。まさしく不良の巣窟と呼ぶに相応しいだろう。広町と出会う前の俺は、そういう認識しかしていなかった。

 実際喧嘩で飛び散った血はいくらでも目にするし、いくら汚れても廃墟だから気にもならない。加えて乱闘騒ぎをしたところで他人が気づきにくい立地にあるから、好きなように相手を痛めつけられる。本当に喧嘩に打ってつけの場所だ。

 

 どんな理由であれ、これから久々の喧嘩をすることになり、嘆息を吐いて人の合間を縫って周囲を観察する。喧嘩する前からもう既に天井も壁も床も赤一色に映っており、これ以上染めようがない様子。だからといって今から不良たちには関係のないことだがな。

 

 集団は俺が逃げ出さないように囲み、先程話しかけてきた奴が近づいて口を開く。「何で俺たちがてめえのツラ借りたか分かるか?」過去にぶん殴ったことのある奴だっただろうかと思い返しても、見覚えがない。周りを見ても誰一人として記憶の断片にも残っておらず、正直に分からないと答えた。

 

「おいおい、忘れたとは言わせねえぞ」目の前の目立っているのが目つきを鋭くさせて凄む。「てめえがリーダーを病院送りにしたことをよぉ」……リーダー? 何かそれらしき人間を一週間ぐらい前に殴り飛ばした覚えがあるが、彼が言っている人物と同一なのか記憶が定かではない。ただその日は喧嘩した後に寝そべって煙草吹かしているところを広町が現れたのは覚えているのだが。

 

「すまん、分からん」やはりいくら頭を捻ったところで確信までには至らず、「もう少しだけヒントをくれ」ときっかけを求めた。けれど明解を得るまで待ってくれるほど寛容でないらしく「これ以上、やるわけねーだろ!」覿面(てきめん)の相手が手に持っている武器を地面に叩きつけ、「回答時間はもう過ぎてんだよ!!」彼の怒号を皮切りに、周囲の人間らが一斉に襲いかかる。

 

 ならばやるべきことは明解、手始めにバットを握っている身近の奴を殴り飛ばし、そいつから得物を取り上げて振り回す。骨が砕かれる音と感触が伝わるが、一人に対して集団で武器を持って襲撃する奴らに同情する余地なんてない。というか俺一人なんだから対抗するために金属バット一本ぐらいは許されてもいいだろう。

 

 最短距離でリーダー格に詰めるため、邪魔な奴らは全員文字通り叩きのめし、標的である先程質問してきた奴も容赦なく鎖骨を折ってやった。痛みに怯んだところで追い打ちをかけ、奴が転がった後も右足の脛を躊躇なく金属バットで殴打して再起不能まで追い込む。何度もバットで殴りつけられるリーダー格を見て、流石に集団の連中も怖気づいたのかさっさと負傷した仲間を連れて立ち去る――もちろん今回のリーダー格も忘れずに。

 

 集団で襲われた場合の対策は、さっさとリーダー格を見つけてとことん痛めつけるだけ。運が良ければ、今日みたいに無傷で乗り越えられる。前のも集団だったような気がするが、最終的にタイマンになったためにあちらこちらに痣をつくる羽目になっちまったが。

 

 一目散に逃げる奴らの背中を見送る中、一つだけ不動の影を認める。彼らの間から視認したのは、薄汚れたシャツやジーンズを着回しているような不良学生ではなく折り目正しく整った瀟洒な洋服を着ているお嬢様。朱鷺(とき)色の瞳と目が合う――まさか見られていたのか。

 

 先程喧嘩していた奴ら全員の姿が見えなくなっても、彼女は部屋の中に入ってこようとはしない。ただ呆然と立ち尽くしているだけ。完全に言葉を失っている彼女を見るのは初めてだ。

 しかし俺から話しかけるのは筋違いだと思って、閉口したまま睨みつける。夕暮れだというのに灼熱の陽光が差し込んだような暑さを感じ、汗が流れていく。沈黙はただただ蒸し暑い。

 

 どれだけ淀みのある静謐が続いたのだろうか。煙草一本は多分吸い終わっているかもしれない、もしかしたら二本目に突入している可能性だってあるぐらいには経過していると思う。だが彼女は決して逃げることはなかったし、俺も目をそらすことはなかった。

 

 血の色が特徴的な部屋が少しずつ暗さを取り入れつつある。俺は観念して、ようやく口を開く――広町、見ていたのか。広町七深は、神妙な面持ちでゆっくりと頷いた。

 喧嘩している現場なんてそうそう拝められるものじゃない、かつ人が何の情けもなく他人を傷つけている様は慣れてはいけない光景。「これが少し前の日常だ」俺にとっては普通の出来事で、ほぼ絶えることのない普遍的な事象だった。

 

「私を……殴る?」いつになく不安そうに――ということはなく、見慣れた掴みどころのない表情で訊く。普通なら金属バットを片手に睨みつける大柄な男に対して怯えると思うが、やはりどこかズレている。

 

「安心しろ、お前が喧嘩を売らない限りは殴らない」

 

 バットを適当に投げ捨て、金属音が跳ねて無造作に転がっていく。当然、彼女に敵意を抱いていない。仮に売られたとしても一対一かつ女子相手なら流石に武器を使う気にもなれないが。

 

「そっかー、それなら大丈夫だねー」

 

 安堵(あんど)したかのように頬を緩め、広町が陰から出てきて歩み寄ってくる。「普通はあんな物騒なものを見た後に“安心しろ”と言っても、安心しないぞ?」変わらず彼女の意図が分からない。何が大丈夫だ、お前の目の前にいる男はさっき人を思い切りぶん殴って骨まで折った奴なんだが。

 

「でも、戸越くんは殴らないんでしょ?」

 

 どこに根拠があるんだと言わんばかりの能天気な言葉。「だって、広町は何もしていないし」その通りだなとしか言えなくて、納得せざるを得ない。これまた完敗だな。

 軽口も一段落し、改めて深く呼吸する。一瞬間の沈黙、話題を切り変えるには丁度いい。「……この前は、言い過ぎた」案外スムーズに切り出せ、次の句まで迷いなく告げた。「すまなかった」

 

「べ、別に大丈夫だよー」驚きを混ぜつつも、広町は首を横に振る。「その、私も、ちょっと相手の気持ちとか考えてなかったなとか思ってたし」少し俯き加減になり、歯切れの悪く返す。これまでのことを考えれば、彼女は人の目を気にするほど神経質である一方、他人を理解しようと努力する心優しい人間でもあることをもう少し早く理解すべきだった。

 

「それは俺も同じだ」何も斟酌(しんしゃく)することなく、ただ感情をぶつけていただけなのだから愚かなのは俺の方。「お前の気持ちとか考えずにあんなことを言ってしまったからな」もう無駄なことだと分かっていても、やはりあの時の言葉は愚鈍すぎたと何度も自省するしかない。

 

 話が途切れ、再び俺たちの間で沈黙が流れる。「……本当は怖かったんだ」ぽつりと広町が呟く。「自分のことが見えるのも、他の子が見えてしまうのも」優れた才覚を発揮したが故の怖れが、蒸し暑い部屋の中で響いた。

 俺とは正反対な形で普通とはズレている彼女だからこそか、それとも生来の気質が原因しているのか。どちらかなのかは分からないが、他人も自分も俯瞰して見れたことには変わりない。要は頭が良すぎたんだろうな。

 

「色んな人からの期待とか嫉妬とか、苦しくて何も言えなくて」周囲がどんなに彼女へ注目を集めていたのか、俺にだって想像できる。「抜け出したくて逃げたかもしれない」誰もがきっと一度や二度、いやずっと行っているかもしれない行動で何らおかしな点はない。「向き合う分だけ息が詰まって、気がつけば周りが遠くなってた」才媛であることは確かだが、動いている感情そのものは至って普通だ。

 

「だから、お前は普通に溶け込もうとした」もう俺から見たら普通の女学生だよ、広町七深。「でも、お前の周りには一緒に青春を送ってくれる友達がいる」比べても結局は意味がない、何せ俺は人との関わりを繋げる努力を怠った。「多少変だとしても認めてくれる大切な子たちがな」考え方や捉え方は一般大衆とは違うかもしれないが、友人らと一緒にバンドを組んで青春して、その裏で過去への苦悩を抱えて生きているのは普通なんだよ。

 

「戸越くんも、だよ」ゆっくりと彼女は顔を上げて言う。「戸越くんも、私にとって大切な友達だよ」思わぬ返答に言葉が詰まってしまい、わずかに空隙が生まれた。

 

 確かに俺自身は広町のことを友達として認めているが、相手が同じことを思っているのか不安で仕方ない。「俺も友達……?」搾り出した返事は、何度も逡巡した結果。正直、自信がなかった。

 

「友達だよ」

 

 朗らかに広町は告げる。「だから、戸越くんから連絡が来た時は絶対に話し合わなくちゃって思った」本当に俺たちは正反対だと言わんばかりに、彼女は堂々と胸を張って笑う。「ううん、戸越くんから言わなくてもちゃんと話そうと思ってたの」朱鷺(とき)色の双眸(そうぼう)が強固な意志を示す光を湛えながら細くなっていく。

 

「……そうか」じんわりと裡に広がる温かさを感じ、初めて嬉しさが込み上げて噛みしめた。ああ、何だ俺にも友達できたじゃねえかよ。

 

「そういえば戸越くん、私の返信見た?」

 

 こちらの感激を浸らせる暇なく、広町はさらりと話題を変える。「いや見てない」メッセージを送信してから一度もアプリを入れていないし、通知も切っていた。「だけど、お前を信じてた」言える資格はないかもしれないが、きっと広町なら約束を破らないというか来てくれると信頼を寄せていたのは間違っていない。

 

 軽く瞼を持ち上げる彼女に対して、最も俺が口にしてはいけない言葉を発する。「友達だから信じるのは普通だろ?」先程まで信じ切れていなかったのにも関わらず、信じるのは普通だと述べるのは滑稽だろう。けれど俺は矛盾を含めて普通だと信じているし、広町が友達だと思っていたのは事実。「うん、そうだね」彼女も普段通りの緩やかな笑顔で頷き、納得してくれた。

 

「これからも一緒に普通を探しにいくか、広町」不良(おれ)は珍しく楽しげに笑って言問(ことと)いながら、手を差し出す。

「これからも探しにいこうよ、戸越くん」彼女も弾んだ笑みを見せて、無骨な手を握った。

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