エレジアの忠犬 作:からしポン酢
新種の電伝虫が島へを流れ着いて一年。
ウタの歌はたちまち世界へと広がり、外の世界で“UTA”と呼ばれ始めていた。
「~~っ!! みんなどうだったー? じゃあ今日はここまで、ありがとねーっ!」
息を乱しながら電伝虫に手を振り、ウタは今日の配信を終える。
ライブ場所は島に広がる森の中。今日はダーマも所用によりおらず、一人での開催であった。
「ふー疲れた! 今日も皆に歌を届けられて良かったー!」
誰もいない森林の中で快活に笑うウタ。
拾った電伝虫を使い歌を世界に発信し始めてから、彼女の心は右肩上がりで活気が戻りつつあった。
「……ん? あれなんだろ?」
今日も大成功だと喜びながら撤収の準備をしていると、ウタの目がある生き物を捉える。
それは一体の電伝虫。配信用に使っている数匹とは違う、見覚えのないのに野良ではない一匹だった。
「これって映像電伝虫かな? この子達とはちょっと違うみたいだけど」
さっと近づいて拾い上げ、配信用と見比べながら疑問を零すウタ。
野良なのかそうでないのか。ダーマならわかるのだろうが、生憎自分には区別しようがない。
「うーん。……ま、帰って調べてみよっと!」
少し悩んだ末、ウタはこの電伝虫を持ち帰ることに決め、一緒に鞄へと入れていく。
それが開けなければいい
無垢な箱入り少女に現実を告げる、終わりの始めであると想像することすらないままに。
今日も三人で食事を終え、早々にウタが部屋へと帰った後に残る二人。
ダーマは皿を流しに運んだ後、主であるゴードンのグラスに飲み物を注いでいた。
「今日の魚は絶品だった。あれは君が釣ってきたのかな?」
「はい。少し手間取りましたが、お二人に喜んでいただけたら嬉しいです」
ゴードンの問いに、ダーマは光栄であると深々と頭を下げる。
今日はウタが電伝虫を通し活動を始めてから約一年。なので少しは豪華なものをと思い、わざわざ海に潜って捕まえてきたのだ。
「出来ればケーキなんかも出したかったのですが。……お菓子作りも練習しておけば良かったです」
「……フフッ」
少しの後悔を滲ませるダーマの声に、ゴードンは小さな笑いを零す。
「……なんですか。なにか変でしたか?」
「いやなに、まさか君の口からお菓子作りなどという言葉が出るとは。人は変わるものだな、ダーマ」
「……もう十年です。人であれば多少の変化はありましょう」
楽しげに声を出すゴードンを前に、ダーマは照れくさそうについ目を背けてしまう。
確かに昔の自分なら少女一人のために一喜一憂などしなかったが、それを面と向かって指摘されてしまうとちょっと恥ずかしい。
甘くなったと自覚はしている。海賊の襲撃など一度もなく、少女の歌声以外何もないこの島に毒され、すっかり牙すら抜けてしまったか。
けれど不思議と悪い気はしない。自らの役目が減るほど、王と少女が健やかに暮らせている証なのだから。
「もう十年。思えばあんなに小さかった少女が、よくぞ立派に育ったものだ」
「……王の献身が実を結んだのでしょう」
「いいやダーマ、君のおかげだよ。子育てすら手探りであった私一人では、ああも彼女の元気を取り戻すことは出来なかったことだろう」
王の労いと感謝の言葉に、ダーマは深々と礼をしながらこの十年を振り返る。
確かに始まりは悲劇的で、彼女と自分の間に大きな溝があった。今の自分がこれほど仲良くしているのなどと、過去の自分に見せても信じることはないだろう。
厄災を喚んだ娘。呪われし旋律を歌い、第二の故郷であったこの国を滅ぼした悪魔。
恨みも後悔も未だ消えず、心の内に燻り続けているのは事実。けれどそれ以上に、自分はあの
「近頃は更に活発になっている。配信がいい刺激になっているのだろう」
「ですが心配もあります。彼女に届く声は歌への賞賛と世界への憂いだらけ。少々刺激が強いものが多く、歪んだ気持ちを植え付けてしまうかもしれません」
「……そうだな。そこは私と君が目を離さず、彼女を導いていかなくては」
ゴードンはため息を吐き、グラスを持って喉を潤す。
「……王よ。そろそろ真実を教えるべきではないでしょうか?」
「ダーマよ、急に何を言い出す?」
「彼女ももう大人です。これから世界を知るのであれば、いずれは彼女の親である彼らの存在についても知ることになるでしょう」
ダーマは意を決して進言したことに、ゴードンは困惑のまま声を低くする。
彼女に真相を話さないことはあの海賊との大事な約束。それを違えることを提案されるなどを、忠義の塊であるダーマから出るとは思っていなかったからだ。
「“赤髪”のシャンクスは今や四皇、あの“白ひげ”と肩を並べるほどの海賊とされています。このままウタが世界に名を轟かせば、彼の娘であるという事実すら周知になるかもしれません。そしてもし彼らと再会するようなことがあれば、彼女が彼らを恨んだままなのは、あまりに残酷じゃないでしょうか」
赤髪のシャンクス。ウタの父親である彼はもう、この島に寄った時の一海賊ではない。
かの白ひげ、ビッグマム、カイドウと並ぶ伝説の男。偉大なる“四皇”と称されるほどの大海賊になってしまったのだ。
たまに新聞と連絡船が来る程度のこの島にすら耳に届くほどの威光。ライブ以外で外に目を向けなかったウタは知らないだろうが、最早この海で“赤髪”の名を知らぬ者はいないだろう。
「……それは駄目だダーマ。わかっているだろう? あの夜の真実を話さぬのは、他ならぬ彼らとの約束。そしてあれは少女が抱えるには重すぎる過去であることなど──」
「ですがっ!! ですがそれではあの娘はっ!! 父親である彼らを憎んだまま心を固めてしまう……」
なおも食い下がり言葉を荒げるダーマ。
普段は王に意見することなど稀な彼が退かないのは、本当に珍しいことだった。
「あの電伝虫から聞こえるのは海賊への怨嗟や憎悪、現実への苦言ばかり。誰もがウタの歌に救いを求め、海賊嫌いを公言した彼女を救世主であると崇めるものさえいます。歌うだけの真っ白な彼女には、あまりに重すぎる声であるはず!」
「……だから話すべきだと? ウタが海賊嫌いになる前に、せめてこの島の真相だけはと? ウタが潰れてしまうかもしれないと、お前はそう言うのか?」
「そうです! 例え今は傷になろうとも、それで私たちが嫌われようとも!」
強くテーブルを叩く音が場に反響する。それほどまでにダーマは本気だった。
「……君の言い分がわかる。だがそれでも、それでも話すことは出来ない」
「ならせめてトットムジカを、あの呪われた譜面を処分しましょう! そうすれば──」
全てを言い切る前にようやく、ダーマは辛そうに表情を歪ませる主の顔を視認する。
世の中全ての苦い物を口に放り込んだような表情。ダーマは言葉を間違えたと、後悔に胸の内を締め付けられてしまう。
「……申し訳ございません。私などが王の決断に口を挟んでしまいました」
「いや、いいんだダーマ。あの夜を生き残った者であれはその考えはもっとも。ウタがいるこの島であの楽譜を残すことが間違いだと、私も心では理解しているのだ」
「……王よ」
「だが、私にはあの歌を捨てることなど出来ない。かつて音楽を愛した国の王であった者として、そして音を愛する一音楽家として、あの素晴らしい旋律の描かれた譜面を捨てられなかった。……もしもあの夜燃え尽きてしまえば、諦めは付いたかもしれないがな……」
十年間抱いてきた深い後悔をそのまま出すかのように、王は手で顔を覆い俯いてしまう。
だがそれでも、ダーマにはその葛藤を真に理解することは出来ない。彼はエレジアに住む者ではあったが、その国の民達のように音楽を愛するまでにはいかなかった故に。
この場でわかるのは主たるゴードンに引く気がないことだけ。今の自分がどんな言葉を発しようと、王の決断を変えられない事実だけだった。
「では祈りましょう。あの苦難多き少女の道に、どうか祝福があることを」
「……そうだな。既に賽は投げられて久しく。彼女の歌が世に知られてしまった今、最早我々には祈ることしか出来ないのだから」
見上げる王の言葉を最後に、この大部屋から音は消える。
その後場を解散するまでで彼らに会話はなく。二人は無言のままこの場を終える。
──それが歌姫を道を決定的に定めてしまう前日であると、誰もが気付かないまま。