ただし賢者の石は尻から出る   作:こまつな

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040 傷の男

 これはイシュヴァールの内乱が終わるよりも前の話。

 

 男がひとり、駆けていた。

 

 褐色の肌、白い髪、赤い瞳。

 イシュヴァールの血筋はそれら3つの外見的特長を有している。

 

 彼もまたその特徴に漏れず、典型的と言っていい特徴を持つイシュヴァールの民だ。

 他の者との差異といえば、武僧として鍛え上げられた肉体が挙げられる。

 それだけに飽き足らず、同じ血を引く兄と同等、あるいはそれ以上の視野で問答も交わすことも出来る才人。

 

 文武を修め、神への祈りも忘れない彼は、時代によっては英雄と呼ばれることもあったのかもしれない。

 

 熱心なイシュヴァラ教徒として、固い考えを持つのは良くも悪くもあるのだろう。

 柔軟に新しい文化に触れようとする兄とは意見がぶつかり合うことも少なくはないが、それでも二人の仲がこじれることがなかったのは互いに信頼を向け合っているからだ。

 

 だが、それも今日までのこと。

 

 兄に向けて腕を振るったことを忘れるために。

 男はひとり、戦場へ躍り出ることを選んだのだから。

 

 

「このご時勢に、なんてモノを読んでいるんだ!?」

 

 穏やかとはいいがたい昼下がり。

 内戦によって疲弊したイシュヴァール自治区に、怒声が鳴り響いていた。

 

 男は何の気なしに兄を訪ねたつもりだった。

 家族と会うのに深い理由など必要ない。

 ただ顔を見たくなったから。それだけで十分な理由になりえるのだ。

 

 兄が錬金術に傾倒しているのは知っていたし、それを見てしまえばイシュヴァラを祭る僧として、強い言葉が出るのは避けられないことも自覚していた。

 

 だがエロ本を読んでる場面に遭遇するとは思ってもいなかった。

 

「…………読むか?」

「兄者!?」

 

 兄弟からエロ本の回し読みを提案されたとき、人はどのような反応をするだろうか。

 彼は困惑の声を上げるタイプだった。

 

 表紙に描かれている少女からしてむちむちだった。

 兄は咄嗟に閉じてしまったが、中にも女性の裸が描かれていたのは優れた動体視力を持つ彼にははっきりと見て取れた。

 

 いやそうじゃない。

 

「いや、本当に……なんてモノを読んでいるんだ、兄者……」

 

 これで読んでいたのが錬金術の研究書だったのなら憂いなく怒りの声を上げられただろう。

 弁の立つ兄に言いくるめられ、結局はすごすごと引き下がるところまで手を取るように分かるのだ。

 

 だがこれは流石にない。ないと言って欲しかった。

 

 兄も自分も、嫁を娶ってもおかしくない年齢だ。性欲が溜まるのは理解できる。

 だからってこんな場面に遭遇したらあまりにもいたたまれないのが現状である。

 

「錬金術関連の書籍に紛れ込んでいてね、つい……」

「ついではないだろう……」

 

 食うに困ると言うほどではないが、イシュヴァールの民が困窮しているのは間違いない。

 エロ本の入手ルートなどわざわざ考えたくはないが、こんなものを手に入れる代わりに積荷から弾き出された何かはたぶんあるのだろう。

 そのせいで死傷者が増えたとなれば死んでも死にきれない。

 仕入れの業者に文句のひとつでも入れるべきかと、彼は半ば本気で考えていた。

 

「……いや、来てくれたのはちょうどいい。一度でいいから読んでみてくれないか?意見が聞きたい」

「頭でも打ったのか?医者が必要なら探してこよう」

「残念ながら大真面目だよ。確かにこれはえっちな本だ。だが全く新しい文学作品でもある」

 

 手にしたエロ本を顔の横に掲げながら、兄はとつとつと語り出す。

 

「マンガ、という表現技法だそうだ。絵が大半を占めていて、人物の台詞や音は文字で視覚的に表す形式になる」

 

 持っているのが【むちむち錬禁術師ライザのえっちな個人授業】でなければ彼もまともに聞く気になっただろう。

 

「これは本当に分かりやすいし、読みやすい。想像してみてくれ、これがえっちな本ではなくて、冒険小説なんかを元にしたものだったとしたら?きっと子供にだって簡単に読める素晴らしい作品になるんじゃないかな」

 

 だがこうなってはもはやエロ本を見つかったことをなんかいい感じに誤魔化そうとしているようにしか思えないのである。

 

「それがおれに読んでくれと言う話とどう繋がるのだ」

「……完成度がおかしいんだ」

「完成度?」

「言っただろう?これは今までになかった全く新しい文化なんだ。アメストリスにも周辺国家にも、マンガと言う文化は存在しない」

 

 しかし彼は気付く。相対している兄が、錬金術の学術書を前にしたかのような、研究者の目をしていることに。

 

「文化というのは徐々に徐々に、長い年月を経て洗練されていくものだ。技術や画法と言い換えてもいい。だと言うのに、この作品はまるで最初から練磨の先にある完成形を用意されているような、そんな違和感を感じるんだ」

 

 確かに、兄の言っていることは正しいのかもしれない。

 艶本だという先入観を除けてしまえば、表紙だけ見てもその画風は確立されているように思えるし、一朝一夕で描けるようになるものではないだろう。

 

 だからと言ってその来歴に文化的考察を行えるかどうかは話は別だ。

 少なくとも武僧として禁欲的な生活を送っている彼にとってはいささか無理のあることであった。

 

 そして兄は、手に持った冊子をこちらに向けながら、何かに気付いたように声を上げる。

 

「あぁすまん!やっぱり女の子は健康的な褐色の子がいいよな!」

 

 殴るのは腹にしておいた。

 

 

 

 僧兵はひとり、戦場を駆ける。煩悩を払う為に。

 暴力に訴えたのはやりすぎだったかもしれないと内心に込めながら。

 

 ひとはそれを八つ当たりという。

 

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