069 キング・ブラッドレイ
「してやられたな」
場所は大総統邸。
館の主であるキング・ブラッドレイは数冊の書物を見下ろしながら吐き捨てた。
その先に置かれているのは王たる彼には似つかわしくない裸の女性が描かれた本だ。
【むちむち錬禁術師ライザ】
【変態錬禁術師ティムコー】
そう銘打たれたシリーズが射殺すような視線を浴びせられていた。
彼がそれらの本を然りと認知したのはほんの少し前のこと。
確かに以前からエロ本が流行っているという話を耳にすること自体はあった。
だがそれがどうしたと軽く流していたのもまた事実。
たとえ男所帯の軍という組織であっても、上官にオススメのエロ本を語る下士官などそうはいない。
まして実質的な独裁者であり、妻帯者でもある彼に、ライザの購読を薦めるものなど誰もいないのだから。
これに関しては責められる謂れなど微塵もないだろう。
彼と共に裏の裏まで浸かっている上層部もまた同様である。
彼らは既にこの世の栄華を享受しており、現実の女性を抱くことなど何の苦労もしないのだ。
性欲を持て余す者など一人もおらず、薄い本に頼る程の若さなど持ち合わせていない。
そして、数百年前からこの地を支配してきたホムンクルスたちにとっても、ひとりの天才が新たな文化を牽引するというのは初めての出来事ではない。
ほとんどの場合、それが国益に繋がるということも経験則として理解してしまっていた。
何らかの思想を啓蒙するような書物であれば対応もしただろう。
だがエロ本が出回ったところで税収が増えることはあっても不利益には繋がらない。
故に現物を暗号文などと穿って事細かに精査したことなどあるはずもなく、その事を問題だと捉えることすらなかったのだ。
シリーズ累計百万部以上。
彼らが事態を把握したときには本の回収など既に不可能な領域に到っていた。
「……失態ですね。もはや完全に後手に回っています」
「言われずとも分かっている。……こうも大々的に公表されれば揉み消すこともできんだろう」
共にテーブルを見下ろしているのは彼の兄に当たる存在だ。
セリム・ブラッドレイ。最古のホムンクルス、プライド。
公的には遠縁から養子に迎え入れた息子であり、しかし実態は人の形など擬態に過ぎない人造人間。
「だが、解せんな。これを描いた相手は我々の存在すら認識しているのだろう。だというのに何故この程度の成果しか求めていない?」
軍部としてはどうしようもない失態だろう。
独裁体制であるブラッドレイ政権を今後も続けていくのは恐らく不可能に近い。
少なくとも上層部を切り捨てる他ないという結論に到っている。
……だが、それだけ。それだけなのだ。
国土練成陣も完成している以上、既に軍の役目は終わっている。
愚図共と手を切るのが少々早くなったが、それこそ大きな障害になど成り得ない。
彼らの待ち望んだ【約束の日】まであと一ヶ月。
そう、たった一ヶ月であれば、問題こそあるが持たせることは可能なのだ。
この本の作者は賢者の石の製法にまで辿り着いている。
更にはエロ本という媒体を利用しているのも見事と言う他ない。
生殖能力がない……性欲が極端に薄いというホムンクルスの特性さえ考慮に入れて策を巡らせている。
それほど綿密に練られた計画であるというのに、得られたのは現体制の倒壊程度。
彼らの本懐には何一つとして瑕疵が発生していないのは、あまりにも違和感が大きいのだ。
「グリード、でしょうね」
「グリード?」
だが、最古のホムンクルスにはこの結果を求める人物に心当たりが存在した。
「貴方が生まれる以前に袂を分かった兄弟です。まさかこんな手段を取るとは夢にも思っていませんでしたが」
強欲のグリード。
あれも欲しい、これも欲しい。金も女も、地位も名誉も、この世の全てが欲しい。
それこそお父様の計画の成果までもを己のものとしようとする、強欲の化身。
強奪の邪魔になる軍への影響力を削ぎ落とし、しかし強奪を望んでいる計画そのものの達成を阻害することはない。
なるほど、そうであればこの結果にも納得がいく。
マンガという文化が世に出たのは八年前。
流通を担っていたハボック雑貨店の創業は八十年前。
そしてグリードが彼らの元を離れたのは、百年前。
そう、奴であれば可能なのだ。
ひたすらに水面下で準備を重ね、虎視眈々と全てを奪い取る瞬間を待ち続けることが。
「おそらくこれらは暴露本であると同時に、各所に行動を促す指示書でもあるのでしょう」
「だろうな。ティムコーがそうであった以上、ライザが何の関係もないとは考えられん」
アメストリス建国以来、ずっと影からこの国を支配してきたプライドの頭脳が回転を始める。
年季こそ劣るがキング・ブラッドレイもまた、表層たる軍部を纏め上げてきた豪傑だ。
「錬金術の綴りが違う。だが誤字ではなく全て統一された表記になっている……おそらくこれは意図的なものだろう」
「暗号解読のキーがそこにあるということでしょう。……いえ、ここまで露骨であれば、逆にそちらに目を向かせるフェイクの可能性も考えなくてはなりません」
一冊一冊は薄い書物、だがシリーズ全体を見通すとなればその数は膨大だ。
ましてマンガと言うものは彼らの慣れ親しんだ文字だけの文書とは全く様式の異なる書物。
二人はテーブル一面に薄い本を広げながら艶本に秘された暗号の解読を試みる。
だが、彼らは気付かなかった。
破滅の足音が文字通り響いていたということに。
自分たちが一体何をしているのか。
暗号文を読み解いている姿が客観的にどう映るのか、その視点が絶望的に欠けていた。
「あなた?」
ぞわりと、数多くの戦場を駆け抜けてきた王は、自身の死を明確に知覚した。
ぎりぎりと音を立てるブリキ人形のように彼が振り向いた先には、唯一彼が愛した、伴侶の姿があった。
それは錯覚だろうか。
たおやかな笑みを浮かべた彼女から、身の毛もよだつ様な威圧感が放たれていると感じるのは。
「なにをなさっているのですか?」
身のこなしはただの人のそれ。
軍人のように訓練を受けた歩き方ですらない。
だが、こつこつと歩み寄ってくる老婦人を見て、彼の背筋に流れる冷や汗は止まらなかった。
「……軍を揺るがすスキャンダルが暴露されたのは知っているな?その資料を精査していたところだ」
あらかじめ用意されていた返答は、自身が想像していたよりはるかに寒々しいものとなった。
何故だろう。言っていることは絶対に間違っていない。
だというのにどうしようもなく、その場限りの言い訳をしているように響いてしまったのは。
「えぇ、存じています。軍が、貴方が行っていたというのなら、この国に必要なことだったのでしょう。知らぬと言うなら、それは支配者としての不足でしょう。罪も、謗りも……貴方と共に受け止める覚悟は、とうに出来ております」
その足が止まる。
彼女が見下ろすのは、先ほどまで資料の読解を行っていたテーブルだ。
そこに広げられているのは、数々の性癖とシチュエーションに彩られた、アメストリスのベストセラー。
スパーンッ!と乾いた音がひとつ。
最強の眼を持つ彼であっても見通せない平手が、王の身を襲った。
「だからってセリムになんて物を見せているのですか!?」
そこで初めて彼らは気付く。
人から外れた超越者の視線では見えていないものがあったことに。
対外的にはキング・ブラッドレイが父親、セリム・ブラッドレイが息子である。
客観的に見てこの光景は、まあなんというか。
エロオヤジが息子にエロ本を見せびらかしている姿にしか見えないのだということに。
「いや待て誤解だ!?」
「何が誤解だというのですか!この子にこんなものは早過ぎます!性教育を行うにしても、段階というものがあるでしょう!?」
もはやこうなってはアメストリス最強の軍人である彼に勝ち目などない。
犬も食わないやり取りを始めた二人を尻目に、プライドは気配を消してそそくさとその場を去ろうとした。
「セリム?貴方にもあとでお話があります。よろしいですね?」
「…………はい、母様」
しかし王たる者の伴侶からは逃れられない。
蛇に睨まれた蛙のように身を縮込ませた最強の人造人間は、小さく返事を返すことしか出来なかった。
その日、アメストリスを支配するホムンクルスたちは、たったひとりの人間に敗北を喫したのだった。